Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。受け継ぐは大志
第二十一章 決戦-その二-

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 陣中。雨雲が日光を遮っていた。遠い先では、ハルトレインが堅陣を組んでいる。しかし、すぐにでも動ける堅陣だった。こちらの様子を伺っているのか、ヤーマスを討たれた事で警戒しているのか。いずれにしろ、今は本格的なぶつかり合いは避けたい。
 アクトが危急の容態だった。乱戦の最中、急所二箇所を槍で突かれたのだ。私を守るため、決死の覚悟で立ちはだかった結果だった。アクトの槍兵隊のおかげで、私と弓騎兵隊は命を拾ったと言って良い。
 何度か様子を見に行ったが、意識は失ったままだった。軍医が言うには、今が峠の真っ最中だと言う。一度でも意識が戻れば、そこから活力を得るかもしれない、とは言っていた。
 必死だった。ハルトレインが動いている間、メッサーナ軍の誰もが必死だったのだ。そして、太刀打ちできなかった。そればかりか、私などは窮地に立たされた。それを救ったのがアクトであり、槍兵隊だった。
 何とか意識を取り戻して欲しい。そして、命を繋ぎ止めて欲しい。忠義に溢れる男である。古い戦友でもあり、言葉を多くかわさずとも分かり合えるような所があった。多弁ではないが、根は真面目であり、部下からも好かれていた。ロアーヌと少し似ているが、アクトの方がずっと堅実で耐え忍ぶ事に長けていた。
 戦の事を考えていても、ふとした時にアクトの事が頭を過ぎる。そして、診療所の方に目をやる。そういう事を何度か繰り返した。診療所は、もはや戦場である。軍医をはじめとする者たちが、忙しなく動き回っているのだ。
 それは同時に犠牲の多さを物語っていた。助かる見込みの無い者は、まともな治療も受けられずに死んでゆく。惨い事だと思うが、仕方が無い事だと思い定めるしかなかった。
 ランスなどは、よく診療所に赴き、兵たちと話をしていたという。死にゆく兵たちに涙を見せた事もあったらしい。ランスはあまり戦には出ないし、大戦となるとメッサーナで政務を見るばかりだったが、その行動は兵たちの目に焼きついた事だろう。ランスだからこそ、出来た事だと言っても良い。
 他の者がやっても、わざとらしいものにしか見えないのだ。それは私も例外ではない。こうして考えると、ランスと私では王としての器が違うと思わざるを得なかった。資質の違いとも言えるが、こういう時はランスのような気遣いが兵たちに勇気を与える事が多いのだ。
 アクトが意識を取り戻したという報告を受けたのは、翌日の夕刻を過ぎてからだった。
 急いで診療所に向かったが、軍医の表情は暗い。
「アクトは助かるのだろう」
 そう言ったが、軍医は何も言わなかった。私は唇を噛み、振り切るような思いで、アクトの寝台に向かった。
「バロン王」
 アクトが言った。傷は手当てされているが、血が滲んでいる。どす黒い色が、不吉な予感を匂わせた。
「御身はご無事でしたか」
「お前のおかげだ。お前のおかげで、浅手ひとつ負っておらぬ。それより、お前はどうなのだ。具合は?」
「良好ですよ。大丈夫です、生き延びます」
 言ったが、表情は苦悶を極めていた。額には大粒の汗が浮かんでおり、顔色もひどく悪い。
 死ぬかもしれない。それが急に現実味を帯びた。それで、私は言いようのない不安に襲われた。恐怖にも近い。
「アクト、喋るな。頼む、良くなってくれ」
「俺が死ぬような事は言わないでください。大丈夫です。生き延びますよ」
「あぁ、そうだな。生き延びる」
「バロン王、ハルトレインは大変な男でした。あれには敵(かな)いません。俺が何も出来なかった。ニールなど、戦う事に恐怖すら覚えていた」
 アクトは死ぬ。私はそう思った。喋りすぎているのだ。喋る事によって、私に何かを伝えようとしているのではないか。そんな気さえしてくる。
 ぐっとアクトの手を握った。冷たい。しかし、握り返してきた力は弱くなかった。
「まともに戦わない方が良いでしょう。今のメッサーナ軍には、あれに勝る将軍は居ません。レンですら、難しい。天下、いや、歴史上で最強かもしれません」
 大げさだとは思わなかった。それだけの凄味は確実にある。ましてや、直接、ぶつかり合ったアクトが言うのだ。アクトは決して、敵の力量を見誤る事などはしない。
「お前の見解を聞かせてくれ」
「ハルトレインは孤独です。最強である代わりに孤独なのです。突くとするならば、そこだけです。味方は居るが、仲間が居ない。窮地に陥った時、我が身を犠牲にする者が、おそらく居ない。あえて例外を挙げるならば、エルマンただ一人」
「私は、私にはお前が居た」
「当たり前です。主君のために盾になる。臣下として、当然の事をしたまでです。いや、戦友として、貴方を守り抜いた。そして、ランス殿の夢を守り抜いた」
「あぁ、おかげで無傷で私はここに居る」
「バロン王、俺はシグナス将軍のように立派だったのでしょうか? 挙げた戦功は決して多くありません。ロアーヌ将軍には、シグナス将軍のような働きは求めていない、とまで言われました。しかし、必死にやってきたつもりです。必死に、ここまで」
「アクト、生き延びるのだろう? 何を言っているのだ」
 言ったが、涙が溢れ出てきた。どうしても、止まらない。
「バロン王」
 アクトと目が合った。少しだけ微笑んでいる。
「必ず、天下を」
 目から生気が消えた。アクトの命の終わりだった。唇を噛んだ。また一人、戦友がこの世を去った。
「奇跡でした。目を覚まし、あれだけ喋れたことは」
 軍医が言った。アクトの亡骸に、布が被せられていく。
「活力を得たのだろう」
「はい、まさしく。しかし、バロン王と話をするために活力を得たのだ、と私は思いました」
「死の間際まで、実直な男だった」
 それだけを言って、立ち上がる。そして、ルイスの元へと向かった。アクトが死んだ事で、話し合わなければならない事が多くある。アクトが言っていた孤独という言葉。これから、何か勝機を見出せないか。
 とにかく、まだ戦は続いているのだ。アクトの死に、心を動かしている暇はない。
 しかし、それでも、涙は止まらなかった。

     

 兵糧の遅滞が目立ってきた。本国からの輸送である。量自体は潤沢にあるはずだが、何故かそれが遅れる。つまらない文官か何かが、わざと遅らせているようにしか思えなかった。そうする理由など考えたくもないが、とにかく兵糧だけは何がなんでも確保しなければならない。食う物が無ければ、戦う事すら出来なくなるのだ。そうなれば、敗北は必至である。そして、この敗北は国の滅亡に繋がり、歴史が終わる。
 兵だけは決して飢えさせてはならない。本国には荒っぽいのをやって、原因の追究に努めているが、担当の文官にはのらりくらりとかわされてしまい、解決には至っていなかった。首を飛ばしてやりたい程、腹は煮えているが、ここは耐え時である。本国で血を見せれば、余計な懸念が増えるのは分かり切っているのだ。
 あれから、メッサーナとは何度かぶつかり合った。守りの要であるアクトを討ったおかげで、メッサーナはかなり脆くなっており、ぶつかり合いは全てこちらが制している。ヤーマスを討たれた事で攻撃力は落ちたが、その分はノエルの策でカバーしていた。だから、総合的に見れば、アクトを討った事の方が大勢に与えた影響は大きい。
 勝勢は得ている。兵糧の問題さえなければ、勝てる見込みは十分にあるのだ。
「解せません。なぜ、兵糧が遅れるのか」
 軍議の場で、ノエルが言った。ここ最近の議題は、もっぱら兵糧についてである。情けない話だが、それほど緊急を要しているという事でもあるのだ。
「文官どもが我々の足を引っ張っているからに決まっているだろう、ノエル」
「エルマン殿の考えは分かります。私もそう思っていました。しかし、それにしても、という気はしませんか?」
「あまりにも兵糧が遅れているな。異常とも言える程に」
 私は皮肉を込めて言った。戦地ではみんな命を張っている。それなのに、文官は邪魔をしてくる。なぜ、そういう思考が出来るのか、私には全く理解できない。
「そうです。確かに異常です。そして、兵糧が遅れる理由は様々です、ハルトレイン殿」
「理由ではなく、言い訳の間違いではないのか?」
「今は言い回しの事を喋っている訳ではありません。その理由のひとつひとつを、最初から検証できませんか?」
「やっているだろう。荒っぽいのをやって、担当者に追求している」
 だが、返ってくる報告書に記載されているものは、不明瞭なものばかりだった。それで私も頭にきているのだ。きちんとした報告をしろ、と何度も伝えたが、改善の様子は見えない。
「ハルトレイン殿、僕を都に行かせてください」
 ノエルが言った。全員の視線が、ノエルに集中する。
「何故だ?」
「策略の疑いがあると僕は見ています。メッサーナ側で、何か動きがあるのかもしれない」
「その根拠は?」
「ありません。しかし、この事態は異常です。いかに文官が腐っていようとも、この戦で我々が敗れれば、文官たちの立場が危うくなる事ぐらい理解しているはずです。それなのに」
「ダメだ、ノエル。お前はこの戦の要だろう。メッサーナ軍の軍師はルイス。あれを凌げるのは、今の陣中にはお前しか居ない」
「その前に兵糧です。兵糧をどうにかしなければなりません」
「エルマン、あとどのくらい保つのだ? このまま、兵糧が一度も届かない、とう前提でいい」
「二十日。それ以上は無理です」
 厳しい。私はそう思った。決戦を挑むには、まだ状況は整っていない。かといって、継戦も今のままでは難しいだろう。だが、ノエルを手放すのは、もっと苦しいはずだ。今のところ、ノエルの策で勝っている、という場面は少なくない。ルイスを出し抜く事も珍しくないのだ。
「ハルトレイン殿、七日です。七日だけ、僕に時間を頂けませんか」
 ノエルの目は必死だった。それはそうだろう。このまま放っておけば、間違いなく兵糧は欠乏する。そして、今の官軍の弱点は兵糧である。それ以外に弱点は無いと言って良い。
 しかし、ノエルが戦場を離れることで発生する弊害もまた多いのだ。まず、ルイスが頭角を現してくる事になる。それに乗じて、スズメバチと熊殺しも力を発揮してくるだろう。この二隊もノエルの抑えが効いていたのだ。
 策略。メッサーナがそれをやっているならば、何とかしなければならない。だが、根拠が無い。仮に策略であるなら、ノエルを送る必要がある。
 せめて、ウィンセが生きていれば、ノエルをやる必要は無かった。
 ここは決断を違えてはならない場面だ。ノエルを送り出すには、まだ状況が不安定過ぎる。
「ノエル、一人だ。メッサーナ軍の将を一人、討つ。それからにしろ」
 しばらく考えて、私はそう発言した。
「時間がありません、ハルトレイン殿」
「分かっている。だから、策を練ってくれ」
「討つ将は誰でも構いませんか?」
「構わん。お前が抜けた後でも、十二分に戦える状況を作り出せれば良い」
「わかりました」
 そう言ったノエルの目は、不敵な光を放っていた。すでに何かを思いついた、という所だろう。あとは、ルイスをどう出し抜くか、である。
 幕舎の外に出て、空を見上げると、星が瞬いていた。秋の夜空。それも、もうすぐで冬に変わる。
 開戦から、すでに四ヶ月が経とうとしていた。

     

 ハルトレインが動きを見せた。各軍には堅守を命じているが、攻撃は激烈を極めている。まるで、決戦を挑んでいるかのような激烈さだった。
「支えきれません、バロン王。スズメバチ隊、熊殺し隊の両軍が、出動願いを出していますが」
 伝令兵が言った。支えきれないというのは、本陣から見ていても分かる。前線を担っているのはクリスで、その後方に槍兵隊が控えている、という格好だが、アクトを失った槍兵隊の動きは良くない。クリスとしては、非常に苦しい展開だろう。
 敵軍の核はハルトレインである。これは最初から何も変わっていない。ハルトレインを抑えなければ、どうにもならないのだ。
「レンとシオンが逸るのも分かるが」
 さらに側面から、フォーレとリブロフが仕掛けてくる。弓矢で追い散らしているが、正面のハルトレインが居る限り、何度でも攻めかかってくるだろう。
「敵の攻撃がやけにうるさいと思わないか、ルイス」
「私もそれが気にかかっています。我々の謀略の成果かもしれません」
 黒豹と白豹を都に送り込んでいた。ウィンセ暗殺以来の仕事である。黒豹ではダウドが命を落としたが、隊長のファラは無事だった。だから、黒豹の戦力そのものは落ちても、指揮能力は生きたままである。対する敵の闇の軍は、隊長が死んだせいで、まともに機能していない。つまり、今の黒豹は自由に動ける状態にあるのだ。
 任務の内容は兵站をかき乱す事だった。今の国は、武の方は無敵であっても、文の方はいくらでも綻びが見える。第一にまとめ役が居ない。これはウィンセを葬った成果だが、このおかげで謀略はかなり、やりやすくなったと言って良い。
 兵站をかき乱して、兵糧に遅延を発生させる。しかし、目的は飢えの誘発では無かった。というより、誘発しても勝敗には繋がらないだろう。なんといっても、国は強大である。兵站をかき乱しても、食糧そのものは潤沢にあった。そうなると、兵糧の輸送方法を変えられたりするだけで、いきなり作戦が失敗する。これを絶つために、黒豹を使ったのだが、それでも知恵者が出てくれば、どうにもならないだろう。この作戦が有効なのは、あくまで文官に凡愚しか居ない場合だけだ。
 真の目的は、戦線からノエルという知恵者を隔離するためにあった。そのために、わざわざ遅延理由を不明瞭にしたり、ハルトレインの改善命令に逆らったりして、異常事態だという事を暗に示したのだ。ノエルほどの知恵者であれば、それほど時を要さずに異変に気付く。
 あとはハルトレインがどう判断するかだが、ノエルを手放す方向に転がるだろう、というのが私とルイスの見解だった。今の国に、知恵者らしい知恵者はノエルしか居ない。ノエルでなければ解決できない問題だと判断すれば、ハルトレインは嫌でも手放す。そして、兵糧は軍の命である。それが遅れている、届かないのをどうにかする、というのは、ノエルを手放す理由としては、上等すぎるだろう。
 アクトの言葉は忘れていない。ハルトレインは最強である代わりに、孤独。しかし、その孤独を埋めているのがノエルの策であり、看破力なのだ。つまり、ノエルをハルトレインから遠ざければ、自ずと勝利は見えてくる。圧倒的な武を前に力を発揮するのは、やはり策である。そして、ハルトレインそのものは、策に対する免疫は強くない。
 単純に戦が上手い。強い。これだけならば、レオンハルトと並ぶか超えるかだろう。しかし、若さ故に経験が無い。レオンハルトは老齢だったが、その代わりに豊かな経験があった。その経験のおかげで、策を見破れた、というのもあったはずだ。だが、ハルトレインにはそれが無い。大将軍に上り詰めるまでの過程も、策略戦の類のものではないのだ。
 ハルトレインの激烈な攻撃は、今もまだ続いていた。決死な動きである。
「ルイス、どう思う」
「ノエルが絡んでいるのかどうかは分かりませんが、あの攻め方は特異なものがあります。うかつに軍は出さず、堅守でしょう。その後、間者で何らかの情報を得るようにした方が良いかと思います」
 ルイスの意見に私も同意だった。ノエルが何らかの策を練っていた場合、下手に動くと危険である。それは度重なる戦で、嫌というほどに思い知らされた。とにかく動かなければ、策にはまるという事もない。消極的だが、最も有効な手段だった。
 夕刻まで、敵軍の攻撃は終わらなかった。陽が落ちたことを切っ掛けに、ようやく敵軍は引き上げていった。
 次々に犠牲の報告がされていく。やはり、クリス軍の消耗が激しいようだった。
「何故、戦わせてくれなかったのです、バロン王」
 レンだった。口調は落ち着いているが、目の奥では怒りの色が見える。今回の謀略は、私とルイスしか知らない事だった。情報の漏洩だけは、何としても防がなければならない。まともな戦では勝ち目が見えないのだから、なお更の事である。
「時が来ていないからだ」
 レンは表情は変えなかった。わずかに目を細めただけだ。
「バロン王」
 ルイスが紙面を渡してきた。伝令兵のものだろう。それに目を通すと、ノエルが戦線を離脱した、という事が記されていた。目立たないように、戦中に離脱した事も書かれている。ハルトレインの激烈な攻撃は、そのためのものだったのか。
 しかし、これで準備は整った。
「明朝、攻撃を仕掛ける」
 私がそう言うと、一座の面々がはっとする表情に変わった。
「ルイス、軍の配置を考えてくれ。尚、ハルトレインはスズメバチと熊殺しで相手をする。今までは、かなり動きが窮屈だったろうが、次は違う。ハルトレインと戦う機会は必ず作る」
 そう言ったが、レンの表情は変わらなかった。

     

 目の前に布陣する、メッサーナ軍の気が明らかに変わった。今までとは違う、攻めの気である。軍全体に活力が見えるし、陣形そのものも攻撃的な構えである。本気でかかってくるだろう、というのは、すぐに分かった。
「ハルトレイン殿」
 傍に控えている、レキサスが言った。
「レキサス、お前も感じたか。メッサーナ軍はやる気のようだぞ」
「はい。ノエルの策に、ルイスがはまったという事でしょうか」
「というより、バロンだろうな」
 バロンは優秀な統率者だ。一人で何でも出来すぎる。だが、そこに落とし穴があると言って良い。統率者が優秀であれば、臣下もそれになびき易いからだ。言い換えれば、統率者の判断を盲目的に良しとしてしまう。それを上手くコントロールするのがルイスの仕事だが、そういう事は得手とはしていないのだろう。こういった意味では、ヨハンの方がずっと手強かった。
「あとは将を討てるか、どうかです」
「討てる。私が見ても、ノエルの策は隙が無い」
「大胆すぎる、という気がしますが」
 ノエルが都に戻ったというのは、偽報だった。メッサーナの間者に見せたのは、背格好のよく似た偽者である。本物のノエルは、レキサス軍の遥か後方、兵卒の身なりで潜んでいた。
 ノエルはまず、バロンとルイスを出し抜く事を優先させた。今のままでは、メッサーナ軍は私の力を恐れているため、単に戦を仕掛けても乗ってこない、というのだ。戦にならなければ、将も討てない。従って、まずはメッサーナ軍に戦をさせなければならなかった。
 そこでノエルは、メッサーナ側が兵糧に対して策略を仕掛けている、という前提のもと、様々な分析を行った。分析の結果、メッサーナの策略の目的は、飢えの誘発とは別に、私とノエルを引き離す事である、と判断した。この辺りは、さすがにノエルの冴えである。幕僚の何人かは、その分析結果を鼻で笑ったが、私は的を得ている、と感じた。少なくとも、これまではノエルのおかげで勝てた、というケースはいくつもあるのだ。
 そして、あの偽報だった。メッサーナの動き、そして気を見る限り、バロンとルイスは偽報に引っ掛かったと判断して良い。さらには、メッサーナが策略を仕掛けてきている、という線も濃厚になった。
「ノエルは、この天下で最も優秀な軍師かもしれんな」
「そう判断するには早計です。賢いことは認めますが、あまりにも編み出す策が大胆すぎます」
「レキサス、お前の軍師だぞ。少しは信頼してやれ」
「信頼は置いていますが、天下を決する戦ですから」
 この戦で将を討てば、ノエルは都に行かなければならない。分析結果は飢えの誘発ではない、としたが、だからと言って現状の兵糧問題を放置して良いことにはならないのだ。
 ノエルを手放すのは、非常に惜しい。場合によっては、戦況を左右しかねない所もある。しかし、ここでメッサーナの将を討てば、それもいくらかは和らぐ。ここは何としてでも、敵将の首が欲しい局面である。
「狙いは、あのレンとシオンです、ハルトレイン殿。私は本当に出来るのか、という疑問が消えません」
「出来る。バロンは本気で攻めてくるはずだ。そして、軍の中心はスズメバチと熊殺し」
 メッサーナと向かい合っているのは、二万の軍勢だった。私の騎馬隊とレキサスの歩兵である。
 残りの軍は全て伏兵にしていた。これがノエルの策だが、伏兵の配置と回数が絶妙だった。
 手順としては、二万の軍勢でメッサーナ軍と全力でぶつかる。抗しきれない、と見せかけて一度、退く。然る後、伏兵で横から攻め上げるが、メッサーナ軍も精強なため、この程度で揺るぎはしない。状況を見つつ、後退するはずだ。そして、この時の核を担うのがスズメバチと熊殺しになるだろう。おそらく、殿(しんがり)を務めてくる。相対するのが私自身であり、最も苦しい局面に達する事になるため、この二軍が殿に出てくるのは予想できる。
 後退を開始した時に、真横から再び伏兵である。この辺りからメッサーナ軍は苦しくなってきて、さらに後退を続けるだろう。そこでまた伏兵である。あとはこの繰り返しで、要所、要所で伏兵を配置しており、合計で九回も伏兵を食らわせる。最初の伏兵も合わせれば、実に十回の伏兵である。全てが嵌るとも思えないが、上手くやらずともレンとシオンの首が取れる策だろう。ノエルは、これを十面埋伏の計と呼んだ。
「何も無くぶつかり合いが始まれば、策は嵌る」
「二万の軍勢です。残りの三万がどこかに消えている。これを見落とすでしょうか」
「見落とす。ノエルが居なくなったと思う事で、警戒心が緩むはずだ。今まで、戦がやりたくても出来なかった。バロンが王ではなく、軍人である限り、逸る気持ちは絶対にある」
 自らが戦場に出てきている。これはバロンがまだ軍人である、という証明に他ならない。
 メッサーナ軍が、旗を挙げた。私も右腕を挙げて、旗手に旗挙げを命じる。それと同時に、レキサスは自軍の後方へと駆け戻っていった。ノエルの傍に居るつもりなのだろう。
「角笛」
 私が声をあげると同時に、開戦の角笛が鳴った。
「全力だ。手を抜くな、ここは全力でぶつかる」
 疾走。すぐにスズメバチの旗が、前線に出てくるのを私は見逃さなかった。

     

 馬上で、目を凝らしていた。すぐ隣には軍師のノエルが居て、戦況の把握を担っている。ノエルは頭は良いが、現場の指揮が下手だという欠点も持ち合わせていた。これは文官特有のものだろう、と私は思っている。戦もできる文官というのは、私が知る限りではヨハンとルイスの二人だけだった。
「レキサス殿」
 ノエルが声を漏らしたが、私は無視した。間もなくして、ハルトレインとレンが激突したのだ。ノエルの唾を飲む音が聞こえる。とりあえずは、第一段階が成功した。次は後退である。これはハルトレインに一任しているから、失敗は無いだろう。
 剣戟の音が、激しく鳴り合っている。互いに宿敵同士だからか、初っ端から激しい戦闘を繰り広げていた。敵味方の各軍が、援護に入ろうと懸命にけん制し合っているが、それすらも許さないような戦いだった。
 スズメバチがハルトレインの騎馬隊の側面に回りこんだ。しかし、ハルトレインは騎馬隊を巧みに動かして、側面を正面へと変える。そこでぶつかり、凌ぎを削る。そういう事を幾度と無く、繰り返した。互角である。しかし、兵力が勝っている分だけ、ハルトレインに余裕が見えた。
 その時、スズメバチが一瞬だけ、離脱を見せた。ほんの一瞬である。各軍が援護に入るなら、この時だが、現場に居て反応できる者が何人居るのか。反応できたとして、軍を動かせる者が果たして居るのか。
 そう思った刹那、青と黄が混じった具足。
「熊殺し隊。確実に挟み込んでくるな」
 見事という他、なかった。ルイスの陣立ての影響が大きいが、シオンの判断力もズバ抜けている。レンの呼吸を知っているのはもちろんだろうが、ハルトレインが嫌がる確実なタイミングを選んできたのだ。
 形勢が傾き始める。ハルトレインも芝居ではなく、本当に苦しくなっているように見えた。スズメバチで手数を稼ぎ、熊殺しで強烈な一撃を叩き込む。それも多方面からの攻撃である。特にスズメバチの手数の中には、かく乱も混じっていて、私がハルトレインなら悲鳴をあげたくなるような状況だろう。
 ジワリ、ジワリと押され始めた。これは芝居なのか、本気なのか、ここからでは判断が付かない。しかし、レンとシオンは確実な手応えを感じているはずだ。ここが正念場である。バロンとルイスが、どういう指揮を執るのか。
「後退の指示を。後退の指示を出さなければ」
 ノエルの声が震えている。指示を出すのはハルトレインだ。戦い続けている。まだ、引っ張れる。そういう事なのか。
 スズメバチと熊殺し。二隊が合わさって、一挙に突撃をかませてきた。トドメの一撃。まさにそういう動きである。
 瞬間、ハルトレインの旗が揺れる。波が引いていくかのような後退。さらにメッサーナ軍の角笛。追撃の構えだ。
「ノエル、かかったぞ。太鼓だ」
「はい」
 ハルトレインが退がる。両脇に林。そこまで引き込めるか。スズメバチと熊殺しは、尚も追い続けている。
 林。踏み込む寸前。スズメバチの勢いが、急に消えた。警戒。
「ノエル、太鼓」
「まだ、引き込めていません」
「鳴らせ、急げ」
 言うと同時に太鼓が鳴った。スズメバチは半分だけ、林の中に入っている。そこに両脇から伏兵が襲い掛かる。しかし、この効果は薄い。すでにレンは気付いたと判断して良いだろう。対処が落ち着いていた。伏兵なのに、逆に蹴散らされ始めている。
 しかし、ハルトレインが反転し、三方からの攻撃になった。熊殺しが支援に入るが、ハルトレインが圧倒的とも言える程に押し始めている。
「ノエル、エルマン殿を後方へ。バロンの足止めだ。急げ」
 ノエルが慌てて指示を出す。ハルトレインの動きが早い。それに対して、ノエルの指揮が遅れてしまっている。
 すぐにエルマンが歩兵を率いて、バロンの抑えに回った。あとはクリスと獅子軍だが、これにはリブロフを充てる。また、私の軍がこの場に居るだけでも、かなりのけん制になるはずだ。フォーレは残り九回の伏兵の指揮である。
 全てはハルトレインが握っていた。ハルトレインを軸にして、この十面埋伏の計は成り立つ。
 スズメバチと熊殺しが耐えかねて、後退を始めた。それをがむしゃらにハルトレインが押す。レンが必死なのは、ここからでも分かった。何か感じているのだろう。後退する事に対して、異常なほどの拒否反応を示している。
 しかし、ハルトレインは容赦しない。兵力を上手く使い、無理矢理にでも後退させるつもりだ。

 踏ん張ろうにも、踏ん張れない。後退はまずい。本能的な何かが、俺にそう教えている。
「レン殿、無理に耐え抜いても仕方ありません、後退をっ」
「ジャミル、地形をよく見ろ。所々に丘陵、林がある。後退するにしても、そこを避けたい」
 言いつつ、槍を振り回した。敵が乱れ飛ぶ。しかし、すぐに次の敵が襲ってくる。キリがない、というやつだ。
「伏兵を見越しているのですか」
「わからん。すでに伏兵は受けた。あるとしても、あと一度だろう、というのが常識だ。仮に一度なら、どうにでもなるが」
 二度目以降は厳しい。無我夢中で本陣まで駆けなければ、死ぬ事だって有り得るだろう。だが、ここで踏ん張っても仕方が無い。バロンやクリス、獅子軍の救援は得られない状況になってしまっているのだ。
「丘陵、林を避ける退路はありません。熊殺しと協同し、後退しかないでしょう」
 突破はできないのか。すなわち、目の前のハルトレインを貫く。しかし、その先にはレキサス軍だ。ハルトレインを貫いて、レキサスをも貫けるのか。
 良くできた陣構えだった。伏兵があるとするならば、これ以上にない陣構えである。まるで、最初から想定されていたかのようだ。
「策、か。策の可能性が高い」
 ならば、伏兵はある。
「ジャミル、命を賭して付いて来い。全速で駆けるぞ。シオンに伝達、遅れてはならぬ、と伝えろ」
 手綱を握った。タイクーン、頼むぞ。
 反転。同時に駆ける。林。太鼓が鳴った。敵が飛び出てくる。やはり。そう思った。
 槍。風車のように振り回した。蹴散らす。風の音。矢だった。周囲の兵が、次々に落馬していく。
「生きて帰りつけっ。一心不乱に駆け続けろっ」

     

 駆けた。退路は慎重に選び、犠牲を最小限にするよう努めた。おそらくだが、一回の伏兵は避けた。埋伏場所を避ける形で駆けたのだ。しかし、その代わりにハルトレインからの強烈な攻撃を受けた。反撃は噛ませたが、犠牲はどうしても出る。
 一体、どれほどの回数の伏兵を受けたのか。六回か七回。まだ、伏兵はあるのか。大胆すぎる戦法だが、だからこそ嵌った、という気がしてくる。今更だが、この期に及んで大規模な伏兵があるとは読みきれなかったのだ。
 スズメバチ隊は二百ほどの兵が脱落していた。熊殺しも似たようなものだろう。ハルトレインの追撃が強烈で、防ぎ切る事が出来ない。ましてや、振り切る事など。
「レン殿、このままでは壊滅します。離散も考慮に」
 ジャミルが言ったが、それを行えば、この戦での決定的な敗北を招く。しかし、考えている暇もない。
 無数の浅手を負っていた。矢も具足に突き立っている。後方から、嵐のように矢が降り注いでくるのだ。振り切りたい、しかし振り切れない。スズメバチ隊の馬は粒揃いだが、ハルトレインの軍の動かし方が巧みだった。というより、丘陵や林を避けて駆けなければならないため、どうしてもその分だけ進行にロスが出る。
 反転して、一矢を報いるか。ハルトレインは先頭である。一合だけなら、直接ぶつかる機会は得られる。その一合で、首を取れば。
 この命、失ったとして悔いは無い。戦場に出てきた時に、これだけはいつも心に刻み込んできた。そして、俺はハルトレインを討つためだけに、戦を続けてきたと言っても良い。
 手綱を握った。もうほとんど、決心しかけている。このまま無様に散り散りになって、生き恥を晒すよりも、雄雄しく散るべきではないのか。
 それも、ハルトレインを討って散る。
「ジャミル」
「俺が反転します」
 ジャミルだった。俺の声に重なっていた。
「レン殿は、駆け続けてください。本陣の旗、あそこに向かって」
「待て」
 言ったが、すでにジャミルは反転していた。共に五、六騎が付いている。俺の周囲は、旗本で固められた。
 即座に矢がジャミルに集中し、共に付いていた兵が落馬した。だが、ジャミルはまだ駆けている。
「将軍、全速で駆けてください」
 旗本。だが、ジャミルが。
「副官の命を無駄になさらぬようっ」
「ジャミルは死ぬぞっ」
「将軍を救うためです。お気を確かにっ」
 腹の底から声を出した。吼える。ジャミル、何をしている。
 旗本がタイクーンの轡を握った。尻を叩く。風。その間、何度も振り返った。ジャミルが一騎だけで、敵陣に突っ込んでいく。
 肉迫。そこで、敵味方の姿で視界は覆い尽くされた。
 吼え声。ジャミルのものだ。だが、それがぷっつりと一瞬で途切れた。
 討たれた。兄のように慕ってきた、俺のかけがえのない存在が、討たれた。それも、呆気ないほどにだ。
「ハルトレインめぇっ」
 怒りで狂いそうだった。父だけではなく、ジャミルまでも。手綱を握り、タイクーンに反転の意志を伝えた。だが、タイクーンが言う事を聞かない。
「タイクーン、反転だっ」
 手綱を何度も引っ張る。しかし、タイクーンは強い拒否反応を示し、ただ、ひた駆ける。
 生き延びろ、と言っているのか。いや、ジャミルの死すらも乗り越えて、ハルトレインを討て、と言っているのか。
 唇を噛んだ。血がしたたってくる。その血の味で、いくらか冷静になる自分が居た。
 とにかく、ここは生き延びるしかない。バロンと合流すれば、いかにハルトレインとて、追撃の手を緩めるはずだ。ジャミルがハルトレインの気を引いたことで、僅かだが距離を離せた。
 ジャミル、お前の死は無駄にはしない。してたまるものか。そうやって、俺は自分に言い聞かせた。そうしないと、正気を保てそうになかった。
 次の瞬間、丘陵。圧力。雄叫び。
「隻眼のレン、貴様の首をここで取るっ」
 フォーレ。伏兵だった。完璧な不意打ちである。スズメバチ隊の両脇が、一瞬にしてごっそりと抜け落ちた。乱撃。味方が次々に落馬していく。
「兄上っ」
 シオン。それで、俺は何かを悟った。もう良い。
「兄上、諦めないでくださいっ」
 心が、折れる。その瞬間が、すぐ傍まで来ている。
 ハルトレインに、俺は。
「レン、負けんじゃねぇっ」
 その声は、俺の全身を貫いた。闘志。炎のように燃え上がるそれは、激しい馬蹄と共に、フォーレの伏兵隊を蹴散らす。
「獅子軍」
 喊声。天地を貫き、獅子のごとく騎馬が戦場を駆け回る。
「てめぇ、後でぶん殴ってやるから、さっさと行けっ」
 ニールだった。すれ違い様、吐き捨てるように、ニールが言った。その先には、ハルトレイン。
「やめろ、ニール、殺されるぞっ」
「俺を、シーザーの息子を、獅子軍をなめんなぁっ」
 一撃。叩き込んだ。しかし、その反撃で一気に獅子軍が削り取られる。それでも、ニールは退かなかった。脇でクリス軍がリブロフ軍を抑えている。
 全員が、全員が俺を生き延びさせるために動いている。何のために。
「兄上、ハルトレインを、ハルトレインを討ちましょう。必ず、その機会は来るはず」
 気付くと、俺は本陣に帰り着いていた。生きて、帰ってきた。しかし、それに対して、俺は大きな意味を見出せないでいた。
 だが、ハルトレインを討つ。これだけは、何としてでも成さなければならない。
 ズタボロになった獅子軍が、帰陣してくる。その後方では、弓騎兵隊がハルトレインを追い払うように矢の嵐を浴びせていた。

       

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