Neetel Inside ニートノベル
表紙

脳内アリス
Hope-0:アリス(ありす)

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『早く起きなさい!』
「うわぁっ!」
 脳の中まで響く声がして、僕は飛び上がった。
「そう怒鳴らないでくれ」
『ちょっと大きい声を出しただけじゃない』
「響くんだよ」
 寝ぼける余裕もなくすっかり目覚めてしまったのでベッドから立ち上がる。カーテンを開けると日がまぶしい。窓から見える道には犬の散歩をしている人がいた。本日も町は平和みたいだ。
 ふと時計に目をやる。短い方の針は7を指している。
「今日は日曜日だぞ」
『わかってるわよ』
 ふんぞり返っているだろう彼女はやや不機嫌気味に言う。
「もうちょっと寝かしておいてくれてもいいじゃないか」
『だって約束だもの』
「……わかってるけどさ」
 僕は髪を掻き毟りながら部屋を出て階段を下った。仕方ないこととはいえ、もう少しゆっくりできないものか。
 安請け合いするもんじゃないな。
 階段を下ると母親と父親が朝食を食べようとするところだった。
「あら、もう起きたの? 最近早いじゃない」
「なんか目覚めちゃって」
 正確には目覚め“させられる”だけど。
「早起きなのはいいことだ。三文の徳がある」
 新聞を広げながら仏頂面をした父親が言った。
『どちらかというと徳を享受する方っていうより与える方だけどね』
 今度はあいつは喋りだした。全く、現実がどこか混乱するからやめて欲しい。
 僕も声にしないようにして言う。
『おい、他に人がいるときは黙ってろって言っただろう』
『あら、私は一言も了承した覚えはないけれど』
『いいから少し黙っててくれ』
『ふん』
 ああ、またなんか機嫌を損ねたな。全く扱いにくい奴だ。これから当分の間付きまとわれるのはどうにもげんなりする話である。しかも当分がいつまでかはっきりしないのもタチが悪い。
「どうしたの? ぶつぶつ言っちゃって」
 不自然に見えたのだろう、母親が怪訝そうにこちらを見ていた。
「いいや、なんでもないよ。ちょっと忘れてたことがあってさ」
「そう。あ。ご飯食べる?」
「うん」
「じゃあちょっと待っててね」
 いざ朝食を食べようという時だったにもかかわらず自分のせいでまた台所に戻らせてしまうのを申し訳ないと思いつつ、誤魔化せたことに胸をなでおろす。
「はい、どうぞ」
 テーブルにもう一人分運ばれてくる。
「いただきます」
 手と手を合わせる。うちは放任主義だけれど、行儀ははきちんとしろと言われている。
 朝ご飯は日本人らしいご飯とみそ汁とあと焼鮭。あとひじき。起きたてなのでそこまで重いものは胃袋に入らない。いたって丁度いい量だった。
「ごちそう様」
「お粗末さまでした」
 自分で食べたものは自分で台所まで持っていく。これもうちのルールだ。
 僕は運び終えてから再び自分の部屋へと戻る。階段を昇って真正面のドアには「就寝中、起こしたらぶっ殺す!」というボードがかけられていた。何度見ても、もう少し穏便に済ませばいいのにと思う。……水乃(みずの)はまだ寝てるのか。
「それもそうか。日曜日だしな」
 いつも学校に行くのに7時に起きざるを得ないのに、休日までそれに習いたくはない。気持ちはよく分かるし、寝られるなら寝たい。寝たいのに寝れない。朝早々から束縛感がものすごい。
『うるさい。ごちゃごちゃ不満を漏らすな』
「あら、聞こえてたか」
『よくよく聞こえていたわ。ま、何を言われようと止める気はないけれど。だって』
「約束だから、だろ?」
『解っていればいいわ』
 ふぅ。一つため息を吐いた。幸せが逃げていくとか知ったことではない。というか幸せならため息などつきようもないのだから、順序が逆なのではないかと思う。すなわち、幸せでないからため息を吐く。
 成功に努力が必要で、苦労は買ってでもしろとはよく言う。幸せになるための不幸せとは言いえて妙な話だ。世の中プラスマイナスゼロに落ち着くというのはあながちウソじゃないかもしれない。その人はある幸せを得るために不幸を下積みしているのだろうけれど、きっと貯めた不幸が幸せと等価になった時に得られるんじゃないか。
 どう考えても幸せだけしか得て無い奴も居そうだが、そう考えれば多少の不幸もこうしてやっていけるのだ。
『何を言っているの? 幸せのためにあなたは今こうしているんじゃない。幸せになることが確定している過程ほど幸せもないと思うけど』
「そうだな」
 また聞こえていやがったか、くそ。これだから僕は迂闊に“思う”ことさえできない。
 こういうまともなことを思っているときはいいけれど、そうじゃないときが怖い。目の前で女子高生のスカートがめくれたときには半日『この変態!』って怒鳴ってたからなぁ。多分顔を真っ赤にしてただろう。
 テレパシー、というのとは別物だと思う。他者とのリンクというよりは同じ脳を共有しているような感覚。パソコンでたとえると、同じパソコンで複数のアカウントがあるようなものだな。ただ、その例えじゃ説明できない部分もあるが。
 僕は自分の部屋に入った。そして、あの日見たアリスのような美少女の方を向く。いや、不思議の国のアリスなんだけどね。人形だ。何故か俺の部屋にある、祖母の形見。
『さて、そろそろここで会話するのも飽きてきたところだし』
 脳内で騒ぐ彼女がそう言う。
「いや、家出てからにしろって!」
『いいじゃない。肩慣らしというやつよ』
 言うことを聞いてくれるなんて期待はしていない。だが、家族に見られると厄介この上ないわけで。
「――ふぅ、やはり“これ”は異様に乗り心地が良いわね」
 次に彼女が話した時には、長い金髪の麗しき美少女が僕の目の前に立っていたのだった。
「こんなとこ誰かに見られたらどうするんだよ……」
「構わないと思うけど?」
「それはお前がだろ! 僕が困るんだよ!」
 人形への憑依。あの不思議の国のアリスという魂の無い物体に入り込むことで動かせるという特殊能力。しかし姿形は通常の人間ほどに大きくなっているし、見た目も美少女としか言いようがない。ただ、その原理は分からない。
 ふふふん、と鼻歌を歌いつつ回っている所を見ると駆動も全く持って人間そのもの。腕を見ても球体間接なんてものは存在せず、僕の腕と同じ仕組みであるようにしか見えない。
「調子いいみたいだな。じゃあさっさと家の外に出るからさ、とりあえず戻ってくれ」
 僕にしてみれば、美少女が自分の部屋にいるなんて言うのは大歓迎なのだが、実の所この美少女は人形であってしかも搭載されている中身はあまり性格のいい奴じゃない。加えて大問題を抱えている。
「なんでだ。別にこの部屋にいれば問題あるまい」
「だから問題あるんだよ! だって今のお前は」
 そう言いかけたところで。
「ねー、おにいちゃ……」
 ガチャリと部屋のドアが開いた。
 ノックもなしに入るとか非常識だぞ。お母さんだって言っていただろう。なんて言ってる場合でもない。
「……誰? その子?」
 僕は固まった。妹も口は動かしたもののそれ以外は固まっていた。
「あーあ。見つかってしまったわ」
 しかし、残りの一人は呑気にベッドの弾力を確かめるようにぼふぼふと尻で跳ねている。
「まぁ、これも計算のうちと言えば計算の内。はじめまして妹さん」
 そう言って、彼女は立ち上がり水乃の目の前へ立った。握手を求めるように右手を前に出す。
「私は、アリスよ」

     

 アリスが実体化することの問題。姿形が変わるとはいえ人形という実物が動くのだから当たり前なのだが、他の人にも“見えて”しまうことである。脳内にいるときにはそんなことはない。だからいつもは外に出てから憑依させている。
 この時は僕との脳内リンクは切れるので何を思っても伝わることはない。再びパソコンの例で言えば別の中身が空のパソコンにアリスのアカウントだけ移動させたようなものだ。
 本体は不可視どころか身体を持っているかも不明なのだが、人形という実体を借りることで自らも可視になるらしい。
「ねぇ、おにいちゃん」
「はい……」
 ちなみに僕は今妹に正座させられていたり。ちなみに妹の名前は水乃と言う。
「お父さんお母さんには黙っててあげるけど、平然と家族がいる中で女の子を連れ込むとかよくないと思うな」
「そうですね……」
 ああ、全くその通りだ。
「遊びに来たっていうんならわかるけどね、こんな朝っぱらからいるなんておかしいよね? それとも昨日からいたのかな? だったら夜にどんな遊びをしていたのかな?」
「えっと……」
 答えられるはずもなかった。如何わしいことなどしていたわけがない。でも上手く説明はできないし、信じてもらえないだろう。かといって答えないとあらぬ勘違いを認めてしまうことになる。
 そういえばこの前学校の国語の時間で読んだ文章に八方塞がりってあったなぁ、と少し現実逃避してみた。無駄でしたよ、ええ。
「まぁ何日も一緒にいるからな」
 そこでアリスが無駄な口をはさんだ。
「「なっ……!」」
 兄妹そろって絶句。だが次の瞬間には水乃に鋭い眼光が宿り、こちらを睨みつけていた。
「おにい、ちゃん? 一晩だけじゃなく何日もって、本当に一体何をしていたわけ?」
「何もしてないよ!」
「嘘をつけ!」
 必死の弁明も耳には届かない。
 気持ちは分かる。ある日おもむろに妹の部屋に入ったら男と居ました、なんて状況になったらそうとしか思えないもの。
 けどな、これは違うんだよ。確かにこいつは見てくれはいいけどな。人形だし、性悪だし。なによりまともじゃあないんだよ。
「何をしていたかと言われれば――」
 またアリスが言う。これ以上状況をややこしくしてほしくはないのだけれど。
「人助けをしているわ」
「はぁ?」
 水乃は眉をひそめた。感情の揺れを表すというより、単純に訳が分からないというような表情。アリスは補足する。
「人の願いを叶えること。祈る人の希望を現実に起こすこと。夢を夢のままに終わらせないこと。私たちがしているのはそういうことよ」
 得意げに、髪をかきあげている。サラサラの髪が綺麗な金の波を作った。本当、身体の大本が大本だけに人形みたいな綺麗さだ。女の子としてのかわいさ、じゃないな。言うなれば完成された美術品みたいな、そんな感じ。触れたら傷のつきそうな透明な水晶のよう。まぁ、中身はそんな例を微塵もできない代物だけど。
「そもそも夢というのは、人間が自ら生み出すことのできるもので最も価値のあるもの。ああ、寝ているときのそれとは別物よ。希望との違いは叶える上で現実味が濃厚か希薄かの違い。希望は前者ね。まぁその境界線と言われると曖昧なのだけれどね。だから夢とは“自身で叶えるには距離が遠いもの”と言えるわ。もちろん頑張れば夢とて叶うのだけれど、それは夢の中でも比較的希望に近いものなのよ。それでね――」
「……ねぇ、おにいちゃん。何この人」
 ひそひそと耳打ちされる。どうやら認識が“俺と怪しい関係の美少女A”から“なんか怪しい残念少女A”に変わったみたいだった。
 僕としてはこの場の責を逃れられそうだからいいけど、出来ればアリスは自分のパーソナリティを自覚した方が良いな。何やら聞いてもないのに“夢と希望”について語りだしちゃってるし。
「言ってることは間違っちゃない。要はさ、人助け部みたいなものなんだよ僕達は」
「何日も一緒にいるっていうのは?」
「そりゃ一緒に活動してるからな。昨日はたまたまどうしても話さなきゃいけないことがあったんだ。電話やメールじゃすまない用事がさ」
 幸い、アリスは何日も僕の部屋に居るとは言ってない。
「ふぅん」
「お前も分かっただろう? こんな残念なやつとお前が想像するような顛末になると思うか? というか頭が残念じゃなかったら、普通に電話とかでも済んでた程度の用事だよ」
「……腑に落ちないことはあるけど、何も無かったってことは信じてあげるよ」
「ありがとう」
 ありがとう、アリスの電波な残念な性格。そもそも残念じゃなかったなら水乃にばれることもなかったけど、それは考えないでおこう。考えてしまうと、僕の中に戻った時に面倒になりかねない。
 ちなみに人助けをしているのは本当だ。今日だってこれから僕らは誰かの願いを叶えに行くのだ。
 とはいえそれも、結局僕のためなのだけれど。

       

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Neetsha