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学校帰り、いつもよりふた駅前で電車を降りた。
革命を起こすんだ、夢を見るんだと、つぶやくように歌いながら歩いた。
この先に待ち受けることが、たとえどんなに困難であろうとも、歌を歌っていれば、いや、歌える余裕があれば、なんとなくなんとかなるような気がしたんだ。
短い歌な上に、あの子の部屋に辿り着くまでに本気で迷ったので、恐ろしくリピートした。汗だくになりながらも歌は止めなかった。
そう部屋だ。
メールで教えられたアパートの名前『メゾン・ソレイユ』。ここで確かに間違いない。
昨日の夜なかなか寝付けなくて、俺は半目でソレイユとタップしていた。それで出てきたソレイユという言葉の意味は、なんでもフランス語で太陽とかひまわりとか花火とか、そんな感じらしい。いかにも明るいイメージのある言葉たちだと思ったし、彼女の持つイメージとピッタリ合致する、きっととてもキレイでかっこいい部屋に違いない! と妄想に花が咲いたが、これなんだ。
汚くね?
うわあ、超汚ねぇ! なんかツタとか生えてるよ! ツタが許されるのは甲子園だけだってラジオで聴いた。
網戸のない窓が開いた。
「よぉ、ここ、ここ!」
彼女の部屋は2階だった。どうやらソレイユとは彼女のことらしいと、俺は無理矢理自分のモヤモヤに答えを突きつけた。
部屋での彼女はゲーセンで見た彼女とは大分違った。部屋着の方が外での服装より可愛いってどういうことだ。上下揃いのとこは同じだが今の彼女はもこもこしている。今日かなり暑いけど大丈夫なの? とか言いたくなかった。そのままのあなたでいて欲しいと思った。出来れば外でも。
まあ飲めよと、アクエリアスをコップに注いで出してくれた。コップからは、ほんの少しだけ煙草の臭いがした気がするがきっと気のせいか、彼女が実家から持ってきたもので、父親か兄貴の匂いが残っているのだろうと確信した。
すると目の前が霞んで見えた。煙の臭いはコップと同じだった。
威風堂々、そんな形容が相応しい。手馴れた手つきの彼女が輝いて見えた。煙を静かに吐く仕草がクールで、未成年だということを忘れそうだった。
犯罪行為だけど、肯定はしないけど、否定もできない。いや犯罪という観点から見れば、煙草を吸っていいのは20歳からだということを考慮すれば、ここは注意すべきなんだ。だけど俺はまだ彼女に対してなにか忠告できるような仲ではない気がする。いやでも煙草は身体に悪いし将来出産するときにも響くかもしれない。いやでも俺がそんなことを指摘できる立場じゃない――
「…暑い? エアコンつける?」
「えいやっ、大丈夫」
「そう。じゃあつけないよ。私暑さに強いから」
「じゃあむしろゲーセンは寒すぎるくらいかあ」
「そうだね、そんな感じ」
なんだろう、やっぱりモヤモヤする。今の俺はあの煙草の煙みたいに。
ともかく。これは共同戦線だ――そう覚悟する。
目的は1つだけ。難関筐体の幾多の関門を突破し、目当ての景品を手に入れる。とても分かりやすい。だけどそれがけっこうしんどい。
そう、難関だ。多分東大に入るくらいに難しい。先輩に聞かれたら「東大ナメんな」と暴行を受けそうだけれども。
実際、こないだのあの3人も何千円も飲ませていたけど、まるで取れる気配がなかった。
俺は、ゲーセンでバイトする友達から理由を聞いていた。夕方にメールを送って、返事が来たのは夜だったが、そのことは面倒くさくなりそうなので訊かずにおいた。
『あれは取れないよ~。よっぽどのことがない限り取れない設定になってるから』
『取れない設定?』
『人気プライズだから。お前がいつも狙う筐体は在庫処分みたいなもんだけど、あれは違うから』
つまり、あの中にあるのは、より多くの人達が欲しがっているもの、という事実。ヒット商品ほど取りにくいのがクレーンゲーム。
『正直あれ取ろうと思ったら、普通に通販とかで買った方が財布にやさしいかもよ。人気商品がカンタンに手に入るかも、と思わせて金を毟り取る筐体だから』
そして、それもまた事実なんだろう。
「…俺色々調べたんだ。それを踏まえてとりあえず訊いてみたいんだけど……気に障ったらゴメンな」
一瞬、彼女の目つきが鋭くなった。ドキドキしたが、今はそれが恐怖によるものでないことが分かっているのか、身体も心もストレスフリーな状態だった。
「早く言えば」
「あぁ。まぁ、結論から言うとクレーンで取るより普通に買った方が早いし安上がりなんじゃ――」
ガラス製品のひび割れる音が俺の鼓膜を震わした――気がしたけどどうやらそれは空耳だ。感情の昂りが音楽になり、音は空気を震わせ鼓膜も震わす。彼女はきっと今ロックだろう。存在自体で空気を震わせているんだ。
「それは違う! それは……」
「なにが違うの?」
「なにが……上手く言えないけど、負けた気がする」
「そうだよな、もう随分飲ませてるんだもんな」
珍しく俯いた彼女が、ハッと顔を上げた。不思議と嬉しくなった。今日初めて手応えを感じた。何にどう繋がるかは、さっぱり想像出来なかったけど。
「もうどれくらいつぎ込んだ? 1万はいったんじゃないの」
「…3万」
小さく、消え入りそうな声で言った。
「悔しい。3万も使ったのに、いっこも取れないんだ……!」
今、この感情を説明するには一言、「怒り」で十分だ。
俺はごく自然に彼女の手を握っていた。
「ムカつくな」
ヘッドフォンをしていなくても、音楽が聴こえた。
「なんとかしよう!」
革命を起こすんだ、と祈るわけは、彼女の鬱憤を晴らしてあげたい、それだけだ。