Neetel Inside 文芸新都
表紙

道化師達と長い夜
幽霊森

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     1 此岸より


 私が住んでいた町は、都会から遠く離れた静かな町で、私は少年時代の大半をそこで過ごした。山が、川が、自然が遊び相手だった。私はその町が大好きだったし、何の不満も感じてはいなかった。
 しかしある年齢になると他の友人達同様、私は都会へのあこがれが強くなっていった。

 これはそんな頃の、ある夏の日の話だ。

 あの日、私は当時仲の良かった友人のSと、二人で将来の夢を語り合っていた。
 場所は彼の家の屋根裏部屋。まるで秘密基地のようなその場所は、少年が夢を語るには絶好のロケーションだ。すでに陽は暮れていたのだが、まるで昼間のように暑かったことを覚えている。
 私がどんな夢を語ったのか、はっきりとは覚えていないが、彼が語った夢は覚えている。彼はこの町を出て、都会で成功したいのだと言った。私が「具体的な案はあるのか」と聞くと彼は笑って首を振った。
 夢中になって話していると、いつ間にか夜になっていた。帰ろうと思ったのだが、彼はまだ話し足りない様子で私を夕食に誘った。彼の母は、私の母よりもずっと料理が上手だった。
 食後また屋根裏部屋へと戻り、ひと休みしていると、ふいに彼が言った。
「なあ、幽霊森に行ってみないか?」
 幽霊森とはこの町に伝わる古い怪談話で、近くにある小さな森に、星の綺麗な夜、若い男の幽霊が出るという話だ。
 しかし本当に幽霊を見たという話は聞いたことがなかったし、子供ですらそんな話を本気で信じている奴はいなかった。
 私は笑って返したのだが、彼は真顔だった。
「俺たちもいずれこの町を出る。その前にこの話の真相をこの目で確かめてやろうぜ」
 外では風が吹き始めていた。
 家の中よりは涼しいだろうと、私は彼の提案に賛成した。
 外に出ると、頭上には大きな満月が輝いていた。
 よく晴れた夜空には、いくつもの星座がくっきりと浮かび上がり、それはまるで宝石箱のようだった。

 私たちは幽霊森へと歩き出した。思った通り風は心地よく、食後の運動にはもってこいに思えた。
 私たちは特別何かを話すでもなく、ただブラブラと歩いていたが、途中、少し前を歩いていた彼が、振り向かずに言った。
「なあ、お前、好きな奴とかいるのか?」
 私は確か「今はいない」と答えたと思う。
 それに対する彼の返事は覚えている。
「女って、めんどくさいもんな」
 彼にはその時、恋人がいた。私はそれを知っていたし、最近上手くいっていないということも知っていた。彼は結婚も考えていたのだが、彼女に都会へ出ることを反対されていて、それで揉めているそうだ。彼の都会へのあこがれとは、それ程強いものだった。
 私は彼女とどうなったのか聞こうかとも思ったが、結局なにも聞かなかった。
 彼もそれきり何も言わなかった。

 一時間程歩くと、ようやく森が見えてきた。
 森の周りは広い野原になっていて、幼い頃はそこでよく遊んだものだった。
「懐かしいな。昔は良くここで遊んだのに」
 彼は本当に懐かしそうにつぶやいた。
 ここで遊んでいた頃、その遊び相手たちの中に彼はいただろうか。
 私は何故か上手く思い出すことができなかった。

 森の中は想像していたより明るく、何だか「幽霊森」という雰囲気では無かった。
 辺りには、名も知らぬ花の香りが漂っていて、それは奥に行くにつれて匂いはどんどん強くなっていった。
 黙々と歩いていくと、ふいに開けた場所へと出た。
 そこには大きな切り株が一つ。
 噂にある、幽霊が現れるという場所だ。
「誰も、いないな」
 月に照らされた切り株の上には、幽霊どころか生きた人間さえ座っていなかった。
「そりゃそうだよな。幽霊なんて、いるわけないか」
 やっぱりと思いながらも、少しがっかりした。
 私たちは、どちらからともなくその切り株の上に腰をおろした。
 辺りには静寂。
 生物の気配など微塵もしなかった。
 二人は無言のまま、空を見上げた。
 雲一つ無い。
 私はふいに眠気を覚えた。
「眠いなら、少し寝ちまえよ。気持ちいいし、俺もちょっと眠くなってきたしさ」
 そう言って、彼は切り株の上に横になった。
 私も同じように横になる。
 風が心地よい。
 木々のざわめきが子守唄のようだ。
 私は、すぐに眠りに落ちた。
 花の香りが鼻孔をくすぐっていた。

 おそらく、あれは夢だったのだろう。
 私が目を覚ますと、目の前に見知らぬ男が座っていた。顔は見えなかったが、私はその男こそが、噂の幽霊であると思った。男は大地を見つめるかのように、うつむいている。
 私はどうしたらいいのかわからず、体を起こすこともできずにいた。
 男を挟んだ向こう側で、Sもどうしたらいいのかわからないという表情で、私の方を見ている。
「君達は」
 ふいに男が口を開いた。
 その声は優しく、透き通っていた。
「君たちは明日が待ち遠しいかい?」
 私は、何と答えたら良いかわからなかった。
 しかし、Sはためらいもせずこう答えた。
「待ち遠しいよ。明日には夢が叶うかもしれない、っていつも思ってる」
 それを聞いた男は、何かを思い出そうとするかのように空を見上げた。
 私は、そっと体を起こした。
 花の香りが、ますます強くなっているように感じた。
「羨ましいな」
 男はSに向かって言った。
 それを聞いたとき、私は何故か、たまらなく自分が恥ずかしく感じた。
「私も昔はそうだった。しかし、今となっては、明日などとは何の意味も持たない言葉になってしまった」
 声が震えている。
 悲しそうな声だった。
 私はまた何も言えずに、ただ目の前にいる男を見つめていた。
 その向こうで、Sは何かを考えているようだった。
 そして思い切ったようにこう言った。
「あなたにだって明日はあるよ。こんなところじっとしてるからわかんないんだよ。もう一度夢を見て、それに向かって頑張ってみなよ」
 再び静寂。
 私はSを、ただただ見つめていた。
 彼は少し興奮しているようだ。
 その時、ふいに睡魔におそわれた。
 私は抗おうとしたが、体が言うことを聞かない。
 ぼやけていく目の前で、男が立ち上がった気がした。
 花の香りは、いつの間にか消えていた。

 再び私が目を覚ますと、夜はすでに明けていた。
 太陽が私の目を刺す。
 Sはすでに起きていた。
「よう、ねぼすけ」
 彼が私に笑いかける。
 私は、ゆっくりと体を起こした。

 それから少しして、私たちは家路についた。
 帰り道、Sは思い出したように私にこう言った。
「なぁ、俺、変な夢見たんだよ。何かさ、目の前にあの噂の幽霊がいて、俺たちに質問してくるんだよ。俺は何て答えたらいいかわかんなくて、お前のことをただ見てるだけなのにさ、何つったか忘れたけど、お前はっきりとそれに答えるんだよ」
 彼は、少し興奮しながら話していた。
 私は、平静を装いながら聞いていた。
「それで俺、何も言えなかった自分が恥ずかしくなってさ、何か言おうとするんだけど、急に睡魔におそわれて、気がついたら朝だったんだ」
 二人が二人とも、立場は違えど同じ夢を見た。
 これは偶然なのだろうか。
「でさ、夢とはいえ、すっごく悔しかったわけ。だからさ……現実じゃ、お前なんかに負けないからな」
 彼は笑いながら、しかし真面目な顔でそう言った。
 私は何故かそれに優越感を覚え、私の見た夢のことは話さなかった。

 夏が二人の頬を染めていた。

     

     2 賽の河原


 あの夏の日から十数年後。
 私たち二人は、学校を卒業すると共に都会へと出た。
 その後、Sは事業で成功を収め、私は私で幸せな家庭を築いていた。
 彼とはあまり会う機会がなくなってしまったが、それでも時には酒を飲みながら、朝まで語り明かすこともあった。都会の暮らしにも慣れ、もうすっかり大人になってしまったが、そんなときだけは少年に戻れたような気がした。
 彼はあの夏の日から、私を何かとライバル視するようになった。
 それはおそらく、私たちが幽霊森で見た夢がきっかけだろう。
 私は内心、たかが夢を気にして対抗心を燃やしている彼を、若干馬鹿にしていた。
 しかし時が経つにつれ、彼の努力は実を結びだし、私のその根拠のない優越感は焦りへとかわっていった。
 気がつけば彼は事業に成功し、富豪と呼ばれるまでになっていた。
 私とて夢を叶えるために努力し、それなりの成功は収めていた。
 とはいえ、彼のそれと比べれば、私のつかんだ幸せなどは足元にも及ばなかった。
 けれど私は別に彼を羨望し、妬むような真似はしなかった。
 彼の成功は、間違いなく彼の努力の賜なのだから。
 私は少しでも彼に追いついてやろうと、今までの分を取り返すように日々努力した。
 しかし、いくら努力しても、私は彼に追いつくことができなかった。
 生活に不満があったわけではない。
 それでも、何か物足りなかった。

 そんなある日。
 その夜は久しぶりにSと飲んでいた。
 彼は変わらず新しい夢を追い続けていた。目を輝かせて語る彼は、森で見た夢の中の彼そのものだった。
 彼は今、私をどんな目で見ているのだろう。
 今でもまだ、私をライバルと思ってくれているのだろうか。
 そんなことを考えていると、ふいに彼がこんなことを言ってきた。
「なあ、またあの森に行ってみないか」
 私は驚いて彼を見た。
「森って……幽霊の?」
「ああ。なんだかんだ言って、今の俺があるのはあの森の……あの森で見た夢のおかげだと思うんだよ。言ったよな? あの日俺が見た夢。覚えてるか?」
 忘れるはずがない。
 私は大きくうなずいた。

 それから一月後、私たちは妻子を街において、数年ぶりに故郷の町へと帰ってきた。
 町は、あの日と何一つ変わっていないように見えた。
 とりあえずその日は、それぞれ実家へと帰り、森へは翌日向かうことにした。
 早く出たつもりだったが、実家につく頃にはもうすっかり陽は暮れていた。
 一人、舗装されていない道を歩きながら空を見上げる。
 都会と違って、星が綺麗だ。
 明日も晴れるだろうと思った。

 夕食後、私は久しぶりに自分の部屋に入った。
 壊れたおもちゃ。
 出せなかったラブレター。
 部屋のあちこちに思い出が隠れている。
 古い日記帳の中には、Sの努力を笑う、醜い自分がいた。
 古い手鏡を見た。
 そこには少年の抜け殻がうつっていた。

 翌日。
 私たちは寄り道しながらゆっくり森へ向かおうと、昼前に家を出た。
 やはり町は、記憶の中のそれとほとんど変わりなかった。
 母校や古い商店、昔の遊び場などに寄っては、思い出話に花を咲かせた。
 昼を過ぎて、昼食にしようと小川で休憩することにした。
 実家から持ってきた弁当を広げ、子供のように中身を見せ合ったりした。
 あの日と同じ、夏の風が吹いていた。
 食後、二人で寝そべって雲を眺めた。
 私は、彼に言った。
「実は、俺もあの日お前と同じ夢を見たんだ。でも俺とお前の役がお前の見た夢とは逆だった」
 彼は別に驚くでもなく私を見ていた。
「俺は」
 私は話を続けた。
「俺はたかが夢ごときにムキになって頑張ってるお前を見て、心のどこかでバカにしてたんだ」
 私はさらに続けた。
「たぶん、あそこで眠るとみんなあの夢を見るんだよ。そしてあの夢が幽霊の正体。たぶんね。どうしてそんな夢を見るかはわからないけど……」
 彼は、表情も変えず私を見ていた。
 私は口を閉じた。
「……そうかな」
 彼がつぶやいた。
「幽霊は、本当にいたんじゃないかな……」
 私は、彼が何を言いたかったのか、わからなかった。
 その後、私たちは何事もなかったかのように、また森へと歩きだした。

 久しぶりに見た森は、何だかひどく小さく見えた。
 中は、まだ昼間ということもあってか、爽やかで心地よい。
 ゆっくり歩いても、幽霊が出るあの場所までは十分もかからない。
 到着すると私たちは、切り株の上に腰掛けた。

「知ってるか」
 彼がふいに話しかけてきた。
「この森の幽霊が、死んだ理由」
 私は首を横に振った。
 考えたこともなかった。
「そういう俺もそんなに詳しく知ってるわけじゃないんだけどさ。もともとこの辺に住んでた人で、夢を追って都会に出たんだって。でも夢に破れて帰郷して……この森で首をつったんだってさ」
 彼はそれきり黙ってしまった。
 私はそんな彼を見て、笑った。
 彼もそんな私を見て、笑った。
 何かやっと胸のつかえがとれたような、そんな気がした。

 花の香りはいつしか消えていた。

     

     3 彼岸より


 親愛なるS

 私は今この手紙を、あの森で書いています。
 ここで幽霊の夢を見てから、もう何十年と時は過ぎ、私も年をとりました。
 そろそろ、潮時かもしれません。
 全ては次の世代の者に任せて、私は旅立とうと思います。
 でも悲しまないでください。
 どうせ遅かれ早かれ、生あるものは死ぬのですから。
 でも私はまだ向こう側に逝く気はありません。

 私は幽霊森の幽霊になりたいと思います。

 彼もそろそろ引退してもよい頃でしょう。
 次は私が、若者たちを応援する番です。

 もし、私に会いたくなったなら、どうぞここへお越しください。
 曼珠沙華の香りがしたら、私が近くにいる証拠です。
 そして切り株をベッドに夢を見れば、私が勇気づけてあげましょう。

 親愛なるS。
 私はそろそろ行こうと思います。
 本当に今までありがとう。
 君は最高の友達だよ。
 それでは。

 此岸の君へ、彼岸より愛を込めて。



       

表紙

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Neetsha