Neetel Inside 文芸新都
表紙

東屋短譚
宇宙人たちの夜

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 空に白く穴が開いたように、見事な満月が真っ黒な夜空に佇んでいる。
 今夜は中秋の名月。月の魔力というものを素直に信じられるほど、幻想的な輝きが静かに闇夜を照らしている。
 気温は例年より少し暖かく、湿度の低さと微かな風が心地良い月見日和だ。
 住宅街から少し離れた閑静とした高台。その一角にぽつんと造られた、普段は遊ぶ子供もいない小さな公園にも、今夜ばかりは親子連れやカップルの月見客が思い思いに足を運んできていた。


 やがて夜も更け人通りも途絶え、しんと静まり返った公園に、サラリーマン風の男がひとり近づいてきた。
 男は黒のスーツに黒の靴、黒の鞄を持って黒ぶちの眼鏡という全身黒ずくめの出で立ちで、規則正しい足音を立てて真っ直ぐに公園の入り口へと向かっていく。
 ふいに立ち止まり夜空を見上げると、ため息をつくようにぽつりと何かつぶやいて、公園へと足を踏み入れた。
 公園と言っても、砂場もすべり台もない狭い更地のような場所だ。
 入り口から左側を見ると、大小の古タイヤが等間隔で地面に半分埋め込まれており、その横には背の低い鉄棒が備え付けられている。反対側に目をやると、手前側に古びた木製のベンチ、奥側に小さなトイレと手洗い場が見える。
 男は来た時と変わらない規則正しさでベンチへ足を運んだ。
 ぴんと背筋を伸ばした姿勢で腰を下ろすと、また夜空に向かってぽつりとつぶやく。
 数秒の間、時が止まったように静寂が続いた。風さえも止み、このまま世界が止まってしまうかのような空気が夜の公園を包み込んだ。
 だが、男がまた口を空けようとしたその瞬間、思いがけない角度から静寂は破られた。
「おまえさん、どの星からきなさったね?」
 男は声のした方にすばやく首を向けた。
 男から見て左後方、公園全体から見ると入り口右側の隅にある、大きめのゴミ箱。その影に、夜間であれば粗大ゴミと見間違ってもおかしくないほどの、ボロ布を身にまとった小さな老人がじっと佇んでいた。
 いったい何年着続けたらこうなるのか、破れ、汚れ、色の褪せた、もとは服だったであろう布を何枚も重ねている。その顔は浅黒く、白髪と思しき髪も髭も、汚れ放題伸び放題でなんの手入れもされていない。頭頂部の禿げ上がったその風貌からは、むしろ仙人のような風格すら感じられる。
「おまえさん、今しがた船と連絡をとっていたろう?」
 男の答えを待たずに、やや甲高い声で老人は質問を重ねた。
「悪いことは言わん。この星には先客がいるから侵略は難しい、とでも報告しておくといい」
 いまだに声を発することも出来ないでいる男を尻目に、老人は言葉を繋ぎながら少しずつ歩き始めた。
 その歩みからは老人の持つ確かな生命力が感じ取れる。さっきまで気配すらなかった事が嘘のような強い存在感だ。
「ワシらはこの星に来て、もう幾百の歳月を過ごしておる。しかし、この星の景色にはまるで飽くことが無い……」
 老人は男の前まで来ると、そのまま地面に胡坐をかいた。
「ワシらはこの星の景色を愛でていたいのだ。おまえさんらもワシらのように景色を愛でるだけだと言うのなら、異存はない。共に愛でようではないか」
 笑みをこぼす老人の黄ばんだ歯が、月の光を弾いて煌めいた。
「しかし、もし征するつもりだと言うのなら……」
 老人から笑みが消え、強い意志の光がその双眸に宿る。それが合図であったかのように、一陣の風が老人の背後から男に向かって吹き付けてきた。
「ワシらが潰す」
 老人の言葉は風に乗り、男に絡みつく。
 男はなおも無言を貫いたまま、老人の目をじっと見つめている。
 老人が現れる前の、空気の止まった軽やかな静寂感とは打って変わって、強大な力が圧縮された重苦しい空気のなかで、じりじりと精神を削られるような沈黙は続いた。


「おーい、じーさん! 酒持って来たぞ、酒!」
 離れたところからの声が、ふいに二人の対峙を解いた。
 数時間経っていてもおかしくないほど濃密な時間は、しかし実際には一分弱の出来事でしかなかった。
 二人の目が、公園に向かってだんだんと近づいてくる人影に向けられると、その人影は元気良くぶんぶんと手を振ってきた。
「おう! お客さんかい、じーさん?」
 大きな声で屈託無く笑う髭面の男は、既にどこかで呑んできたのか、少々足元がおぼつかない様子で公園に入って来た。
 もう秋だと言うのに、上は薄汚れたTシャツ一枚。痛んだジーンズと穴の開いたスニーカーは、いくら使用感のある古着が人気と言ってもおそらくは買い手のつかない代物だ。汚れの目立つタオルを頭に巻き、手にはウイスキーのボトルを持っている。
「ほれ、今日の掘り出しもんだ。まだ半分以上も残ってやがるぜ!」
 老人の前にボトルをどんと力強く置くと、ジーンズのバックポケットから湾曲したポケット瓶を取り出し、ぐいとあおった。
 老人も目の前のボトルを手に取ると、いかにも旨そうな表情でちびちびと呑み始める。
「おう、お前も一杯やっか? ん?」
 黒ずくめの男が髭面の男に手を振って拒否の意向を示すと、髭面の男は満面の笑みを絶やすことなく、またぐいとあおった。
「俺の酒が呑めねえのか! ……なーんてこたぁ言わねーよ、俺はさ。 その分だけ多く呑めるってもんだろ? 得しちゃったなってなもんだぜ! なあじーさん!」
 ウイスキーボトルで直呑みしていた老人の背を、思い切りばんと叩いたものだから、老人はごほごほとむせた。
「お前あれだろ、このじーさんに宇宙人だとか言われてたんだろ? 俺も最初はそうだったからな!」
 黒ずくめの男はじっと固まったまま答えなかったが、そんなことにはお構いなしに一方的な会話を続けていく。
「俺はつい最近ここいらの縄張りに入ってきたんだが、最初の夜にここでじーさんに逢ってよ」
 老人の背をさすってやりながら、またぐいとポケット瓶をあおる。
「色々言われてまいっちまったけど、酒呑んで一晩あかしたら仲良くなってな。今じゃ、じーさんと酒呑むために、隣の縄張りまで酒探しに行ったりするようになっちまった」
 優しい目で老人を見つめる。
 ようやく老人も回復したようで、髭面の男とボトルを合わせると笑顔で酒をあおった。
「聞けば、このじーさんよお……帰るところを無くしちまったってんだよ……寂しいじゃねーか、可哀想じゃねーか……だからよ、俺はじーさんにここで楽しい毎日を過ごさせてやりてえんだよ……」
 髭面の男は次第に声のトーンを落としながら、目をつぶってゆっくりとしゃべり続けた。
「だからよ、じーさんが宇宙人だって言うならそうなんだ……俺だって宇宙人なんだ……」
 老人は微笑みを浮かべて髭面の男を見つめている。
 黒ずくめの男が老人に目を遣っていると、髭面の男が急に起き上がってベンチに片ひざを乗せた。
 黒ずくめの男の肩をつかみ、自分の方を向かせて頼み込む。
「だからよ! お前もじーさんに言ってやってくれよ! 宇宙人だってよ! なあ、お前は宇宙人だろ? そうなんだろ?」
 黒ずくめの男はしばらく考え込んでいるように目を伏せていたが、真剣な瞳で二人それぞれをじっと見つめた後、こくりと頷いた。
「ははっ、宇宙人だってよ、じーさん! 俺たち全員宇宙人だぜ! 宇宙人バンザーイ!」
 そう言って振りあげた両手を降ろす前に意識が薄れていったのか、髭面の男は黒ずくめの男に寄りかかりながらずるずるとその身をベンチに横たえていった。
 黒ずくめの男はベンチを完全に明け渡して立ち上がり、老人に会釈をするとそのまま規則正しい足音を残して公園から去ってゆく。
 老人はしばらく黒ずくめの男をじっと見送っていた。
 男は途中で一度立ち止まり、なにやら天を仰ぎ見ていたようだったが、すぐにまた規則正しく歩き出し、やがてその姿は視界から消えていった。
 老人はそれを見届けると、おもむろにトイレの裏へ歩いていき、ダンボールと新聞紙を持ってベンチに戻ってきた。
 髭面の男に新聞紙を被せ、大きなダンボールをその上に敷いて寝顔を確認すると、わずかに夜空を眺めてからトイレの裏へと姿を消していった。


 黒ずくめの男は公園から離れると、人目を避けるように木々の中、奥へ奥へと進んでいった。
 月の光も届かない暗闇でふと立ち止まると、口を軽く動かす。
 と、今まで何も無かった空間に、まばゆいばかりに輝く直径二メートルばかりの球体が、突如としてその姿を現した。
 男は球体に向かって真っ直ぐに進み続け、身体がぶつかる瞬間にその姿を消した。
 直後、男の身体は球体の内側に侵入しており、それをきっかけに、人間には聞き取ることの不可能な、地球上のものではない言語で慌しくまくしたてた。
『びっくりしたわよ! スキャンしてみたらゲグ星人よ! ゲグ星人! 母星の爆発で絶滅したと思われていたのに、こんな辺境で生き残っていたのよ!』
 黒ずくめの男は、大きなアメーバのようなスライム状のものに向かって口をぱくぱくと動かした。
『あんな危険種に逢って、無事に帰ってこれるなんて…… あたしって超ラッキーかも!』
 アメーバはうねうねと動いてどうやらその話に答えているようだった。
『……うん、そうね、事前調査をしておいて本当に良かった。原住民が何言ってるのかぜんぜん分かんなかったけど、何でもやってみるものね』
 黒ずくめの男がスーツを脱ぐと、胸部から腹部にかけて走っている溝が光り、自動ドアのように身体の前面が開いた。
『とにかく、この惑星への侵略は絶対NGって報告しなくちゃ! あ、もう出発していいわよ!』
 身体の中から姿を現したタコのような生き物が、何か光るプールのようなものに浸かっていく。
 「黒ずくめの男」だった抜け殻は、身体を開いてじっと椅子に座ったままだ。この身体がまた使われるのか、今回限りの使い捨てなのか、それはまだ分からない。
 そして何の反動もなく、この球体は超高速航行へと移行していった。


 ベンチで軽いイビキをかく髭面の男には見ることが出来なかったが、彼の上空で、満月より更に明るく光り輝く小さな球体がゆらゆらとゆらめき、複雑な軌跡を描いてふいに消えた。
 空に浮かぶ満月だけが、宇宙人たちの夜を静かに見守っていた。

       

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