Neetel Inside 文芸新都
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文芸音楽アンソロジー
全色混成は曖昧なグレーを創る/53

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*椿屋四重奏「シンデレラ」という楽曲をモチーフにした作品ですが、作中に音楽関係は何一つ出てきません。企画趣旨から外れていたらごめんなさい。
 シンデレラ→http://www.youtube.com/watch?v=j-h8EMomecg




 私は私を除者にした世界を破壊したいと願ったのです。
 大学に入って一ヶ月が経ちました。私には友達が出来ませんでした。私が喋ると皆苦笑いするのです。イントネーションがおかしいと。それで私は喋れなくなりました。
 人に笑われることに慣れていなかったのです。人と話せなくなってしまいました。
 その上、私には大学合格後の展望が無かったのです。只管親から離れる事に必死だったのです。
 入学前に親に選んでもらった家具、家電は全部捨てました。流石に部屋まで移ることは出来ないので、何も無いフローリングに紙袋に入った服、同じく紙袋に入った携帯、財布、ハンガー、石鹸、タオル、歯磨きだけを置いています。学校の履修登録はしました。けれども授業に行きませんでした。
 人に会いたくなかったのです、喋りたくなかったのです、生気を感じたくなかったのです。
 学校で今何が起きているのか、世間で今何が起きているのか、知りません。今地震が起きてもミサイルが飛んできても私はここを動かないでしょう。そしてここで死ぬでしょう。
 フローリングに座ってずっと窓の外を見つめました。カーテンも捨てました。
 昼は隣のアパートの影から太陽が動いていくのを眺めました。
 夜は月が動いていくのを眺めました。
 六畳の部屋は何も置かないと広すぎて、フローリングは寝るのには固すぎました。
 何日か外を眺めて、感覚がわからなくなり、視界が真っ黒になるとタオルに包まって寝ました。
 目が覚めるとお風呂に入り、排泄をしました。
 眠っている時に何度か親から電話があり、起こされ、寝惚けながらも私は応答しました。親の声を聞くと急にしっかりした私が現れるのです。真面目に学校に行き、新しい友達を作り、サークルに参加する私。元気で健全で明瞭な私。実際は痩せ細り、物を食べる度に嘔吐し、言葉が出てこない私が居ました。
 面白いもので、物を食べないと視界に霞がかかり、食べると胃から咀嚼した物が上ってくるのです。体力が無くなって、風呂に入るのも息切れしながらでした。

 ピンポーンと私の世界に大きな音が響きました。
 突然親が来たのかと怖くなりましたが、確か数日前の電話で忙しいと言っていたので違うと判断しました。ゴールデンウィークに帰らなかったことを話していたので、今は五月のはずです。
 もう一度ピンポーンと鳴りました。その後ごんごんとノックする音が聞こえます。
 身体を引きずって覗き穴から外を見ました。
 端整な顔をした男性が居ました。何か本のようなものを持ち、スーツ姿で髪は真っ黒で真っ直ぐでした。色の白い肌に大きな目と鼻が付いていました。
 久しぶりに見た人間は麗人でした。もしかしたら目にまた霞がかかっているせいかもしれない、と何を思ったのか私は扉を開けました。
「はい」
「こんにちはー、ちょっとお時間よろしいですか。え?あの?大丈夫ですか!?」
「は?」
「凄く顔色が、え、失礼します!」
 大きく扉が開かれ、彼は私の腕を掴みました。いきなりの出来事に私はひぃと声にならない音を喉から出しました。
 男の人にこんな掴まれ方をしたのが初めてだったのです。彼の手は私の腕をすっぽり覆うほど大きく、私は彼の前に全身を曝け出すことになりました。
 今思い出しても、とても恥ずかしい姿でした。彼は整った身形をしているのに、私は風呂上りで髪が半乾きの状態の上、下着を着けず七分のロンTにハーフパンツという格好だったのです。服はぶかぶかでそこから伸びる手足は細くなっていました。
「病院に行きましょう!」
「いえ……」
「僕の使命は貴女のような迷った方を救うことです、貴女が扉を開けてくれたことも大教祖様のお導きがあったからこそと思います。このままでは貴女は死んでしまいます、身体が朽ち果てても貴女のその寂しさを背負った心は現世に漂いつづけることになります。さぁ、どうぞ、貴女をお救いしたいのです」
 言っている事の大半はわかりませんでしたが、彼が私を助けてくれるらしい事はわかりました。私は彼に寄りかかりました。実際、これ以上支えなく立っているのが辛くなったのです。
 彼が私を救いに来た人なのだと思いました。救世主に寄りかかって目を閉じました。

 それから先、少し記憶が飛びます。私は見知らぬベッドに寝ていました。左側に点滴があり、それに繋がれていました。
 視線を右に向けると、彼が居ました。前見たスーツとは違ったラフな格好でした。手に緑色の本を持っていました。新書よりは大きく、雑誌にしては小さな本でした。私が目を覚ました事に気付くと、微笑んで、ナースコールを押したようでした。
「もう大丈夫だよ、司馬さん」
 その言葉に答える前に看護師さんが来て、私の脈を測り、顔を覗き込んで先生を呼びに行きました。彼が何故私の名前を知っているのか、ここがどこなのかを聞く前に、ある事を思い出して跳ね起きました。
「あのっ!親に連絡したりしましたか!?」
 病室は私以外も患者が居るらしく、そこそこ広かったのですが、私の声が響きました。跳ね起きたのと、大声を上げてしまったことで後頭部に鈍痛がして眩暈がしました。彼は落ち着いて、と私の肩に触れて横たわらせると、していませんと首を振りました。
「迷ったのだけど、親御さんに知られたくないような気がしたので連絡はしていません。娘さんのこんな姿見たくないでしょうから。回復したら自分で連絡した方が良いとは思いますが……。あと一回着信がありましたよ。ああ、司馬さんが倒れたあの日から三日経っているんですよ」
「あ、ありがとうございます」
 お礼を言うと、彼はまた意味不明の言葉を呟きだしました。私が助かったのも、彼が助けたのも、運命だと。だったら嬉しい事この上ないのですが、彼は私を見ていませんでした。

 彼は退院後も私の部屋に訪れ、甲斐甲斐しく私の世話を焼き、心配する両親に対応してくれました。何も無かった私の部屋に食べ物が、布団が、本が、本棚が、テーブルが持ち込まれました。彼は嘔吐する私を見ながら背中をさすってくれました。私を抱きしめて眠ってくれました。綺麗なネックレスをくれました。
 彼といくつか話をして、同じ大学であること、二つ年上であることを知りました。彼の実家が事業をやっていることも、よくわからない運命論も聞きました。
 彼が支えて出してくれた授業で、入学時一番最初に話しかけてきた女性が私に声をかけてくれて、注意を促しました。彼は危険だと、あまり近づかない方がいいと。私は彼女を無視しました。
 回復した後に彼にセミナーに誘われました。自己啓発セミナーだと教えてくれましたが、どのような類のものかは想像がつきました。
 当然、そのセミナーに行きました。
 会議室に椅子を並べて作り変えたような会場でした。受付で緑色の冊子を貰い、その中にはアンケート用紙と簡易な栞が入っていました。
 内容は彼の話と同じく意味がわかりませんでした。私は椅子に座って話を聞きながら、彼を盗み見ました。彼は運営の手伝いをしていて、壁際に立っていました。出会った日と同じようなスーツを着て、背筋を伸ばし、ダイキョウソ様の話を頷きながら聞いていました。
 私から見て、ダイキョウソ様は全身白ずくめの小太りでハゲたオヤジでしかありませんでしたが、彼にとっては神か仏か、信仰の対象のようでした。私にとって彼が救世主であるのに、注意を促した女にとっては危険人物であるのと同じだと思いました。
 セミナー終わりに彼に声をかけられて、ダイキョウソ様に紹介をされました。
 ダイキョウソ様は私を見て、一頻り睨んだ後に首にかけられたネックレスを見て頷くと、太く短い指で私の肩を撫でました。背中を這いずる不快感がこみ上げましたが、声は出ませんでした。
「うん、随分お辛かったのだろう。気でわかる。ご両親との確執、慣れない環境での気苦労。だが、彼が居る事で少し楽になったのではないかな?」
「……ええ、とても助かっています」
「彼とその祭器は貴女を守ってくれるでしょう。彼から聞いたのだが、私達の考えに非常に興味をお持ちとか、優秀な方には先ほどの話、よく理解頂けたことだろう」
 興味は持っていなかったのですが、彼がそう思っているのならそうなのだろうと頷きました。私にはこの要領を得ない喋りも、変な敬語も不快でしかありませんでした。
 頷く私の横で彼は憧憬の眼差しでダイキョウソ様を見ていました。私はその後何度かそのダイキョウソ様に身体を触られ、要領の得ない話をされ、アンケートに記入を促されて帰りました。彼と一緒に帰りたかったのですが、彼は片付けがあると言って残りました。
「ありがとう司馬さん」
 帰り際に言われた言葉で全てが救われました。やはり私のメシアは彼なのです。

 その後は下り坂を転がるように私も彼と一緒にダイキョウソ様を表面上崇め奉り、教書を買い、祭器を買い、セミナーを運営し、日々を送りました。戸別訪問という仕事もあったのですが、病み上がりの私には無理だろうとダイキョウソ様は免除してくれました。
 私がダイキョウソ様に褒められる度、彼は喜びました。彼の喜びは私の喜びでした。
 ただ、彼は私以外にも目をかけている女性が数人いるようで、私はその女性達に嫉妬してばかりでした。その中でも一番親しい女性はダイキョウソ様の妾のような位置に居ました。美しい彼女が憎くて憎くてたまりませんでした。それ以外にもダイキョウソ様の妾のような人は数人居たので、彼女が早くその地位から落ちることを願うばかりでした。
 一緒に居る時、彼に好きだと告白すると、彼は僕も好きだと言ってくれます。しかし、その後にこの世界を平和にするには愛と許容が必要なのだと意味不明の言葉を呟きます。私が彼に一度キスをすると、彼は一度キスを返してくれるだけです。
「司馬さんと僕が好き同士でいるのは愛という概念が世界を救うからだ。大教祖様が仰っていたように身近な人を愛すると同じく、全ての人を愛せば世界は救われる。司馬さんは世界を救う第一歩を歩み出していて、僕はそれのお手伝いが出来るのが本当に嬉しい」
「うん、私も世界を救う一役を担えて嬉しい」
 ……それでも、彼とそのような事が出来るだけで幸せでした。彼の傍に居るだけで幸せだったので、私は本堂と呼ばれる施設に入り浸っていました。
 
 ある日、いつものように本堂に居ると、ある女性に呼ばれて着替えさせられました。真っ白な、百合が刺繍されたベビードールでした。薄い生地は私の身体を隠すものではありませんでした。ピアスは外されてしまいましたが、彼から貰ったネックレスと自ら購入した指輪は外されませんでした。鏡に映った私は以前より肥えたせいかそれなりの見た目をしていました。白い肌に白い服が馴染み、髪だけが異様に黒々として見えました。
 ついに来たかと思いました。
 ガラスケースに入れられた百合を持って、奥の部屋に行くよう促されました。私は大人しくその指示に従いました。
 扉を開けると間接照明の薄暗い部屋に大きな絨毯のような白い毛皮がひいてありました。そこにダイキョウソ様がバスローブ姿で座っていました。
 震える手でガラスケースを握り、ダイキョウソ様に近づきました。傍まで行くと、ガラスケースを渡すように言われました。手渡すと、ダイキョウソ様はその中から百合を取り出して、私の耳にかけました。
 それから先はずっと天井を見ていました。恐怖も、吐き気も、痛みも、不快感も何もかもが私の上を通り抜けて行きました。背中だけ絨毯の柔らかい毛に包まれ、気持ちよかったのですが、時が経つにつれ、暑く湿ってきて不快な物に変わりました。
 その日は何も食べれず、嘔吐衝動をぶり返してしまいました。また、肌が真っ赤になるほど身体を洗いました。ユニットバスに嘔吐と風呂で六時間ほど篭りました。
 
 その日を境に私の扱いは格段に進化しました。色んな人が私に媚び諂って来ました。彼もその一人でした。
 いえ、その一人というよりも、彼は昇進をして、重要な地位に着きました。それまで私が好きだと言った時しか返してくれなかった言葉を、何度も何度も私に投げかけました。
「司馬さん、司馬さんは僕にとって大切な人だ。やはり司馬さんとの出会いは運命だったんだ。大教祖様がお選びになる方はとても稀有な存在なんだよ、僕はその架け橋になれたんだ。そして司馬さんはとても魅力的な女性だ。愛している、本当に大好きだよ」
 それは私が望んでいた言葉でした。彼は本当に心の底から私を愛してくれているようでした。ただ、それは私という個体ではなく、ダイキョウソ様に気に入られた女を愛しているようでした。
 私にとって、これは好機だと感じました。彼が私に振り向いてくれるチャンスだと。
 けれども、何度か本堂でない場所へデートに誘っても、そんな場所に居る意味が無いのはわかっているでしょうと諭され、含みを持たせた言い方でダイキョウソ様を非難すると熱弁が返ってきました。わかっていましたが、彼は簡単に絆されてくれませんでした。私は根気強く彼が私自身を好いてくれるのを待ちました。そのためにずっとダイキョウソ様を信仰するフリをし、献金をし、身体を差し出しました。
 
 数ヵ月後、本堂のライブラリで椅子に座っていると、隣に彼がやって来ました。彼は笑顔で愛の言葉を囁きました。私も同じ言葉を紡ぎました。その後、使用していない部屋に連れて行かれ、暗闇の中で抱きつかれました。
「司馬さん、僕も今まで好きだなと思う女性は何人か居たけれど、司馬さんはそのどの人とも違う。恋愛における運命の人だ。司馬さんの優しいところや繊細なところ、全てが大好きだ。今度どこかに遊びに行こう」
 彼が私に心を開いてくれているのがわかりました。今までの彼の言葉や求愛行為、睦言は全てダイキョウソ様との関係が前提と捕らえられるような表現であったのに、今日は私個人について言及してきたからです。
 温かい彼の身体に抱かれ、私も背中に手をまわしました。
「好きだ」
 その言葉と共にさらにきつく抱きしめられました。
「私も」
 彼の背にまわした手に力を込めました。その言葉に嘘偽りはありません。私は彼の事が大好きでした。私の願望が成就した瞬間でした。
 でも、私は彼が狂信するダイキョウソ様が嫌いで尊敬もしていませんでした。私はダイキョウソ様がただの人間で、荒良介という日本名を持つ中年の男性であることも知っていました。
 彼が私への愛情を変化させているのに、私は彼にとって一番酷い嘘を相変わらずつき続けています。何が嬉しいのか悲しいのかわかりませんが、大学に来て初めて嘔吐以外で涙が流れました。
 私は私を受け入れた世界を破壊したいと願ったのです。でも今は壊せないのです。

       

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Neetsha