ラノベ習作
その10
くたくたになって晩は家に帰って来た。馬が馬糞を垂らしながら進むように靴を脱ぎ散らかして廊下を渡り、台所へ顔を出すと妹の磨昼が台に乗って味噌汁を作っていた。小皿に味見用の味噌汁をすくってすすりながらこちらをちらと見、片眉を上げて「おかえり」のしぐさをする。キザな妹である。十四のくせに。
「ただいま」
「おう。風呂湧いてるぜ」
繰り返すが妹である。
「今日は兄貴の好きなただの味噌汁に焼いたししゃもだ。それに賞味期限切れの納豆もつけてやる」
「いくら俺で人体実験したからって期限切れのものを普通に出すなよ……」
ご飯を自分でよそりながら晩がぼやく。
「磨昼、おまえ今日学校は?」
「んー。早退した。頭痛かったし」
「そっか。まあ仕方ねえな。てか頭いてーのに飯作ったのかよ。いいって言ってんだろ」
磨昼はちょんまげみたいになっているポニーを横に振った。
「何言ってんだ。あたしが夕飯作らなかったら誰がやるんだよ」
「おまえが出す料理ぐらいすべて俺が作れる難易度だから言ってるんだ。……おい! 人に焼いたししゃもを突きつけるのはやめろ。まったく誰に似たんだ」
「みんな兄貴って言うよ。さて、あたしも喰うか」
二人でてきぱきと卓に食事を並べた。質素だが栄養は取れるラインナップだ。サラダだけはコンビニで買って来て済ませている。
冷蔵庫脇のテレビの音量を上げて、二人はもぐもぐと夕飯を食い始めた。
千代崎家の両親は現在二人とも離れて暮らしている。父親はどこかの穴倉で貝と人骨を見比べているだろうし、母親は軍のパイロットとして大空を駆け回っているだろう。普通は逆かもしれないが千代崎晩の母、千代崎天乃は実戦経験も積んでいる凄腕である。
母の努力と父の辛抱に比べれば、兄妹二人で夕餉を囲むのはそれほど辛いとは思わなかった。
テレビでは今日も元気にわんこが全国を旅している。僧のような気持ちになりながらそれを眺めていると、磨昼が言った。
「兄貴」
「あんだよ」
「今日ラブレターもらった」
噴飯した。
「おい! お兄ちゃんをふしだらな嘘で動揺させるのはやめろ!」
「ほんとだよ!」
なぜか磨昼がキレ気味に返してきた。顔を赤くさせて、かけてある制服のポケットをごそごそやるとしわくちゃになった手紙を取り出した。
「なんでポケットに……かわいそうだろ」
「いやだって慌てたしさすがに……これで悩んで頭痛がしたのかもしんない」
「案外ナイーブなやつだな。で、読んだのか」
「読んだよ。……なんか重い」
晩は目頭を押さえた。どこの誰だか知らないが裏をかいて古風が逆にイケると踏んだ馬鹿が、あえなく撃沈しているのを聞くのは先輩として忍びない。
「そうか……まァ逆に考えろよ。ちゃんと考えてくれてるんだと考えろよ」
「うーん、そうかなァ」
「そうだよ。で、相手は同じクラスなのか?」
「うん」
「席は近いのか」
「目の前かな」
「目の前? ……おまえ一番前じゃなかったっけ? 目立つから嫌だって言ってたろ」
ふと嫌な予感がした。
「相手の歳は?」
「42」
むせた。
「先生じゃねーか!! おまっ……えぇ……? なんでおまえそんなに落ち着いてるの……?」
「いや、だから頭痛くなったって言ってるじゃん」
磨昼が「こいつアホか」という目で兄を見た。
「なんだかなー。いい人なんだけどなー」
「そうなのか?」
「週一で教室のカーテン、持ち帰って洗濯してくれてるんだよね」
「へー。でもそれが決め手になるか?」
磨昼は手の中でくるくると手紙を弄んだ。
「うーん。そう聞かれると微妙なんだけど、でもなんか気になるんだよねぇ」
「へえぇ……よくもまあ」
先生と付き合うかどうかなんて悩めるな、と言いかけて、自分のことを思い出した。晩はしげしげとアンニュイな顔になっている妹を見た。血は争えないということか。
人生の岐路に立っている妹になんて言葉をかけてやろうかと考えているうちに、ふと妙案が浮かんだ。
手紙か。
○
天堂帝梨はその案を聞くと目を輝かせた。
「晩、おまえ天才だな」
「まあね」
「手紙……」
美鳥も口元に手を当てて頷いた。
「いいかもしれない。手書きって温かみあるし」
「どうした美鳥。協力的になったな? うん?」
面白そうに笑う天堂帝梨から美鳥は顔を背けた。
「あんな格好させられたからには何かしら得るものがあって欲しいと思うだけ」
「不満があったのか? 似合っていたのに、あのポンポン」
「うるさい。……それより手紙の文面はどうするの? あたしやろうか」
いつになくやる気を見せている美鳥を晩はちょっと不審に思った。
「やりたげですね。文、書きたいんすか?」
「そんなことない」
今日の美鳥はやけに怪しい。が、天堂帝梨が話を先に進めてしまったのでそのことはうやむやになった。
「我々が書いてもこれまでの結果と変わらんだろう。ま、書いてもいいが、ここは搦め手で攻めるとしよう。雲雀も飽きてきた頃だろうしな」
「というと?」
「雲雀と同じ小学校の連中に書かせよう。お互いに幼年期を知り合っている方がいいだろう」
「でも……」
晩が言いにくそうに語尾をすぼめる。
「あいつって猫殺しの容疑がかかってるじゃないすか。本当にしろ濡れ衣にしろ、そんな噂のあるやつに手紙なんて書いてくれますかね」
「問題ない。そこは考えがある。何、昔が懐かしいのは雲雀だけではあるまい」
「?」
「そのために」
天堂帝梨は毛むくじゃらから立ち上がって言った。
「虹野のところへいく」
窓から脱出しようとした保健室登校児を保険医がタッチダウンした。
「放せ! あんな店二度といかない!」
「飯まで食っておいて何を言っている。あの特攻服タダで貸してくれたのだぞ」
「飯を食わせてでももうあんな格好はさせられたくない! あっ、やめ、服がめくれ……あああああああ」
両足を抱えられて天堂帝梨と美鳥が出て行った。晩はちょっと帰ろうかなと思ったが、結局だらだらとついていった。まさか『めたもる』でこの間よりもひどい事態になっているとは露ほども思わなかった。
店にひとけはなかった。まァあるところを見たことがないのでそれは別段不自然なことではなかった。
問題はカウンター前にいる二人の格好である。何分遅れて晩が着いたのかははっきりしないが、それにしたって豹変にもほどがあった。
黄色い帽子に赤いランドセル、サスペンダーで吊った赤スカート。
小学生の剥製である。
晩はクチを押さえた。
「あんたら……あ、頭がおかしいよ……!」
「搦め手でいくと言ったろ?」
天堂帝梨は得意げな顔である。黄色い帽子を被ったその頭を虹野がにやにやしながら撫でていた。
「この格好で雲雀の母校へ潜入する。そして卒業アルバムを奪取し、それを片手に雲雀の同窓生を直撃。思い出を交えながら涙ほろろのお手紙をしたためていただく寸法だ」
「いや……どうやっても上手くはいかないでしょ……見つかったらどうするんです」
「あやまる」
「どこの国で育ったらそんな素直になるんすか。いまのご時勢はイタズラとか冗談とかあんま許してもらえないっすよ。補導されたらどうするんです」
「なあに心配するな、手は考えてある。任せておけ。それよりそこで蹲っているやつをなんとかしろ」
「……」
晩は哀れみを含んだ目で年齢制限を突破した女子小学生を見下ろした。
「美鳥先輩、生きてたらいつかいいことありますよ」
「……なんで……あたしが……二人して無理やり……ひどい……」
「ギリギリセーフっすよ。ギリギリ。大丈夫」
それを聞いて天堂帝梨がふむと考え込んだ。
「そうか、セーフか。じゃあこの格好で色仕掛けリベンジも……?」
「それで出てきた宙木を綺麗な眼で見る自信、俺ないです……」
「それじゃ」と今まで傍観していた虹野が言った。
「最後は千代崎くんだね」
「俺? いや、俺はJSにはなれねっすよ。スペックたんないっす」
「そうじゃなくってさ、ふふふ、他にもいろいろあるでしょ? 小学校に潜入するならさあ」
急に立ち上がった美鳥と、高学年ぴったりの偽小学生と、貸衣装屋のお姉さんが晩を包囲した。
「え、ちょ、あの? も、もしもーし」
三人の手がぬっと伸びて、晩の制服をわしづかみにした。
○
放課後の海芳小学校、校門前に三つの人影があった。
女子小学生に扮した美鳥と天堂帝梨、そして用務員用のツナギと白髪のカツラ、それに箒を持った晩。
自分の格好を見下ろして晩は呟いた。
「こんなん需要あるんすかね、虹野さん奥の方から出してきましたけど」
「顧客に探偵でもいるのかもな」と天堂帝梨。美鳥は人の目を気にして顔を俯けている。ここまでやってくる間に職務質問されなかったのが奇跡である。
「よし、じゃあいくか」
「間取りとかわかってんすか?」
「ああ。あそこの窓から開いてるのがわかるか? カーテンがなびいてるだろ。本棚が見えないか?」
「あ、確かに」
「ちと正門からは遠いが、ま、小学校には部活もないし、こっそりいけば問題なかろう。ほら美鳥いくぞ、いつまでもびびってるんじゃない」
「うう……」
「平気っすよ。いざとなったらランドセル盾にすりゃあ暴漢にだって対抗できますよ。虹野さんちゃんと教科書入れてくれてますし」
「そういう問題じゃない! ……恨む、宙木雲雀」
三人は来客用の入り口から校舎へ入った。体育館からバスケットボールの跳ねる音が聞こえて来る。
「懐かしいっすね」と晩が言うと天堂帝梨が不思議そうに顔をかしげた。
「何が?」
「小学校すよ。俺はここ出身じゃなかったけど、なんか感じるものがあるっすわ」
「ふうん」
天堂帝梨は初めて小学校を見たような顔をしてあたりを見回した。
「そういうものか。……そんなことは今どーでもいい。いくぞおまえら」
ずんずんと天堂帝梨は進んでいった。靴は虹野が貸してくれた女性雑誌の付録バッグに突っ込んで美鳥が持った。
「俺はやっぱ箒で掃いてた方がいんすか」
「うむ。それとなく我々のうしろからついてこい」
「了解っす」
ぱっぱと廊下を掃き始めた晩を見やり、美鳥が呟いた。
「でも、宙木は本当に猫を殺したのかな」
「そんなわけないだろう」
天堂帝梨があっさり言うので、美鳥は少しむっとした。
「なんでわかるわけ?」
「証拠を出せと言われたら困るがな。まァ会ってみてわかった。あいつはそういう無意味なことはしない。殺したら食べるクチだ」
「……どういうこと?」
「大切なのは」
天堂帝梨がランドセルから突き出していたリコーダーを引っこ抜いて指揮棒のように振った。
「会ってどう感じたかだ。正しいかどうかはどうでもいい」
「そうも言ってられないでしょう。宙木がそのうち豹変してあたしたちを襲わないとも限らないし」
「引きこもってるだけでそんな異常者扱いはやめてやれよ。それとも怖いか?」
「……。何が?」
「証拠もなく何かを信じてみるのは自信がないか? 失敗したら目も当てられないと思うか?」
「普通はそうでしょ」
「違うね」
天堂帝梨は笑って言った。
「所詮この世に正しい指針なんぞあるもんか。人の心はどうあがいても担保にはできない。私はそれが最近わかってきたんだ。面白いな」
「あたしはちっとも面白くない」
「そう怖がってやるなよ。大丈夫さ」
「怖がってない。勘違いしないで欲しい」
「そうか? ならそういうことにしておこう」
「……。宇宙人のくせに」
天堂帝梨がそれに答えることはなかった。
曲がり角から出てきた中年の教師が、上履きを履いていない、見た覚えのない女子生徒が二人を見てこう言ったからだ。
「何してる? 上履きはどうした、おまえら」
終わった、と美鳥は思った。晩はとっさにトイレに逃げ込んでいた。
天堂帝梨は誰の視線にも入り込まないことを計算しながら、手を角の向こうへ伸ばした。
「……!? 痛っ、誰だ! いま私の頭を殴ったのは! こら、どこだ!」
「今のうちだ。おい晩いくぞ」
天堂帝梨がトイレに小声で呼びかけ、美鳥の手を引っ張って階段を駆け上っていった。
美鳥はまだ見つかったショックから我に返っていなかったが、その時、天堂帝梨の腕がいつもより長い気が少しだけした。
(解説)
かわいい妹ってどうやって書けるんですかね。ぼくは可愛いおねえちゃんの方が好きです