Soul Sisters
Wake
ベイビーと名乗る男が手を差し出して、しばし沈黙が流れた。
「……人違いじゃ、ないですか」
ようやく牡丹の口から短く言葉がこぼれた。
あまりにも訳の分からない事が重なりすぎてどうしたらいいのかが分からない。
ただ『とにかく関わってはいけない』という確信の下、まずはシラを切る。
「ン、あら、そーォ?」
ベイビーは手を引っ込めると、
「じゃテンフィンガーくん、ちょっと試してみてよ」
相変わらずの笑顔でテンフィンガーと呼ばれた男のほうを見る。
テンフィンガーは深くため息をついて、
「別に俺が見て間違いないかどうか確認すればいいじゃないすか」
ポケットに片手を突っ込んだ。
しばし沈黙が流れた。
牡丹はきょとんとしているが、残りの3人はなぜか少々驚いたような表情になる。
「あらスゲェ」
「マジですか」
なんだか分からないが自分は何か試されて、お眼鏡に適わなかったらしい。
「……満足ですか?」
「これ本当に人違いじゃないじゃないんですか? いくらなんでも肝座りすぎですよ」
サッちゃんと呼ばれた女性がだるそうに口を開く。
「それはないって。俺確かに見たし」
「業者かベイビーさんがなんかミスってるとか」
「いくらボクだってそんなミスはしないって。業者さんなら尚更」
おもむろに討論が始まる。
今なら逃げられるかも、と掴まれていないほうの手でエレベーターを呼ぼうとするが、また何かにがちりと手首を掴まれる。そういえば、一体これはなんなのか。
「疑うならテンフィンガーくんの絵じゃないの?」
「でも普通に似てますよ」
「疑うってんなら別の誰か描いてみせてもいいっすよ。今はちょっと『両手が塞がって』ますけど」
なんとか押し切れないかと試してみるが、見えない何かに手首ごと逸らされてどうもボタンを押すことができない。
「まあそうだよねェ。サッちゃん、なんかない?」
「なんかってなんですか。ていうか紹介するならちゃんとセンサーって言ってくださいよ」
女性(センサーというあだ名? らしい)は声に苛立ちを滲ませながら
「そうですね――実は双子だった、とかどうですか?」
思わず振り返った。
自分たちのことがバレている? まさか桜が、いやそれなら日記に書いてあるはずだし、それに顔を合わせたことがあるのならうっすらとでも自分も覚えているはずで、
一気にそこまで考えて、牡丹は失敗に気付く。
「え? ビンゴ?」
3人の目には先ほどとは違う疑念が浮かんでいて、簡単にシラを切れるとは思えない。
「こりゃ喋ってもらうしかなさそうだねェ」
ベイビーが一歩近づいてくる。反射的に身を引こうとするが、牡丹の意思に反して腕が引っ張られ後ろ手に拘束されるような状態になる。
そもそも後ろにはエレベーターの扉、追い詰められた牡丹の身体にベイビーの手が触れて、
「それじゃあ手始めに、」
全身に鳥肌が立った。
ただ触られたからというだけではなくて、そこから何かとても奇妙な感覚が巡ってくる。
熱くもあり冷たくもある水のような『何か』がどんどん身体の奥深くへと流れて浸透していく――――
「君のお名前は?」
ごう、と音がした気がした。
たった今浸透したばかりの『何か』が口に向けて逆流していく。実際に体内にあるわけではないのに息苦しい感覚がして息を吸い込んで、
「白木、牡丹」
それがそのまま声となって吐き出された。
途端に気分が楽になる。腕を背中で拘束されながらぜえぜえと喘ぐ牡丹を見ながらベイビーたちは顔を見合わせる。
あえて口を開かず目配せだけで意思疎通を終えて、再びベイビーが牡丹に触れた。
「キミと白木単さんの関係は?」
まただ。
手を通して体内に『何か』が満ちてくる。それがどうしても耐えられなくて、ぎゅっと目を瞑って、自分の中からこれを吹き払ってやりたいと考えて、
目の前が真っ白になった。
ベイビーの手の感触も手首を掴んでいた力もどこかへ消えて、体内の『何か』も薄れていく。けれどそれだけではない、何かとてつもなくすっきりとした感覚がある。
それまでずっと意識もしていなかったけれど確かに存在していた薄い膜が取り払われたような、あるいはいつ眠ったのかすらも覚えていないような深い深い眠りから覚めたような。
しかし実際に目を開けて見た世界はそれまでと全く同じように存在していて、変わったところといえば警戒の表情を浮かべる大人たちと宙に浮かぶ2本の手、
手?
流石に見逃せるわけもなく、もう一度しっかり見てみるがやはりそれは手に違いない。
どうやら成人男性のものに見えるが、手首から先はぷっつりと途切れている。色は透き通るように白い――いや、むしろ自らうっすらと発光しているようにも見える。
観察しているとおもむろにその手が迫ってきた。思わず身を縮こまらせて、
「見えているのかい?」
真剣なベイビーの声。
「そうっぽいですけど、それにしちゃさっきの態度は」
「今のがあったからだろ――なんだよアレ。指持ってかれるかと思ったぞ。さっき首いってたらどうなってたやら」
なるほど、とセンサーが頷く。
首いってたら、って?
いやそれよりも指持っていかれるって、まさか。
そのとき牡丹の推論を裏付けるように、『手』がテンフィンガーの元へと飛んでいった。
ジーンズのポケットへと飛び込んでいき、直後テンフィンガーは手をポケットから出すとサングラスを外した。
間違いない。
なんだか分からないけれど、あの『手』はテンフィンガーという男性が出していたものだ。
あの『手』は多分自由に飛ばすことができて、それを利用してさっきテストを行ったのだろう。
おそらく、あの不自然な沈黙のとき『手』は首筋にいたのだ。いつでも首を絞められるような形で。牡丹が本当に見えていないのかを確かめるために。
鳥肌が立った。
距離を置きたいが既にエレベーターホールに逃げ場はない。どうするか――――いや。
何も困ることなんてないじゃないか。
失念していたが、今はもうボタンを押すのを止めるものはないのだ。
安心して上のボタンを押そうとして、
「待ってくれ」
ベイビーが声をかけてきて、直前で手が止まる。
「キミは――――あの『手』が、今の今まで見えていなかった。そうだろう?」
「……はい」
後ろの二人は疑わしそうな目だが、ここで嘘をつく理由がない。
「そうか」
頷くと、
「すまなかった」
唐突にベイビーが深く頭を下げた。
「確かにキミはボクらの探してた単ちゃんとは別人みたいだ。申し訳ない」
「え、あの、」
単であることは間違いがないんですけど。もちろん口には出さないが。
「だけど、だ」
そしてやはり唐突に、ベイビーはがばりと顔を上げると
「だとすればキミは一体何者なんだい? ボクの『ドナー・ドリーマー』に嘘は通じない。つまり牡丹ちゃんは16年間誰の目にも触れず暮らし、にも拘らずたまたま今日単さんの代わりに学校に行った――そんな偶然があるかい?」
滔々と喋るその顔に、先ほどまでの笑みは浮かんでいない。
「じゃあふたりは定期的に入れ替わっていた? それこそあり得ない話だ。ふたりの人間がひとりを演じれば絶対に齟齬が発生するはずなんだ、ふたりいつも一緒に居でもしない限りは」
確かにちょくちょく発生している。
だがそこは重要ではない。自分達の秘密にこの男が近づいている、ということが問題だ。
その焦りが、指を動かした。
ボタンが押される。ランプが点灯して、5階にいるエレベーターが動き出す。
「そこで、質問があるんだ」
エレベーターが着いた。扉が開く。
大丈夫、これに乗れば逃げられる――――
「キミたちはふたりとも花の名前なのかい?」
心臓が跳ねた。
なんだこの男は。本当は桜のことも全て分かっているんじゃないのか。その上で自分の反応を楽しんでいるだけじゃ
そこから先は思考にならなかった。
今日の入れ替わりは、これ以上ないほど絶妙なタイミングでやってきた。
「……人違いじゃ、ないですか」
ようやく牡丹の口から短く言葉がこぼれた。
あまりにも訳の分からない事が重なりすぎてどうしたらいいのかが分からない。
ただ『とにかく関わってはいけない』という確信の下、まずはシラを切る。
「ン、あら、そーォ?」
ベイビーは手を引っ込めると、
「じゃテンフィンガーくん、ちょっと試してみてよ」
相変わらずの笑顔でテンフィンガーと呼ばれた男のほうを見る。
テンフィンガーは深くため息をついて、
「別に俺が見て間違いないかどうか確認すればいいじゃないすか」
ポケットに片手を突っ込んだ。
しばし沈黙が流れた。
牡丹はきょとんとしているが、残りの3人はなぜか少々驚いたような表情になる。
「あらスゲェ」
「マジですか」
なんだか分からないが自分は何か試されて、お眼鏡に適わなかったらしい。
「……満足ですか?」
「これ本当に人違いじゃないじゃないんですか? いくらなんでも肝座りすぎですよ」
サッちゃんと呼ばれた女性がだるそうに口を開く。
「それはないって。俺確かに見たし」
「業者かベイビーさんがなんかミスってるとか」
「いくらボクだってそんなミスはしないって。業者さんなら尚更」
おもむろに討論が始まる。
今なら逃げられるかも、と掴まれていないほうの手でエレベーターを呼ぼうとするが、また何かにがちりと手首を掴まれる。そういえば、一体これはなんなのか。
「疑うならテンフィンガーくんの絵じゃないの?」
「でも普通に似てますよ」
「疑うってんなら別の誰か描いてみせてもいいっすよ。今はちょっと『両手が塞がって』ますけど」
なんとか押し切れないかと試してみるが、見えない何かに手首ごと逸らされてどうもボタンを押すことができない。
「まあそうだよねェ。サッちゃん、なんかない?」
「なんかってなんですか。ていうか紹介するならちゃんとセンサーって言ってくださいよ」
女性(センサーというあだ名? らしい)は声に苛立ちを滲ませながら
「そうですね――実は双子だった、とかどうですか?」
思わず振り返った。
自分たちのことがバレている? まさか桜が、いやそれなら日記に書いてあるはずだし、それに顔を合わせたことがあるのならうっすらとでも自分も覚えているはずで、
一気にそこまで考えて、牡丹は失敗に気付く。
「え? ビンゴ?」
3人の目には先ほどとは違う疑念が浮かんでいて、簡単にシラを切れるとは思えない。
「こりゃ喋ってもらうしかなさそうだねェ」
ベイビーが一歩近づいてくる。反射的に身を引こうとするが、牡丹の意思に反して腕が引っ張られ後ろ手に拘束されるような状態になる。
そもそも後ろにはエレベーターの扉、追い詰められた牡丹の身体にベイビーの手が触れて、
「それじゃあ手始めに、」
全身に鳥肌が立った。
ただ触られたからというだけではなくて、そこから何かとても奇妙な感覚が巡ってくる。
熱くもあり冷たくもある水のような『何か』がどんどん身体の奥深くへと流れて浸透していく――――
「君のお名前は?」
ごう、と音がした気がした。
たった今浸透したばかりの『何か』が口に向けて逆流していく。実際に体内にあるわけではないのに息苦しい感覚がして息を吸い込んで、
「白木、牡丹」
それがそのまま声となって吐き出された。
途端に気分が楽になる。腕を背中で拘束されながらぜえぜえと喘ぐ牡丹を見ながらベイビーたちは顔を見合わせる。
あえて口を開かず目配せだけで意思疎通を終えて、再びベイビーが牡丹に触れた。
「キミと白木単さんの関係は?」
まただ。
手を通して体内に『何か』が満ちてくる。それがどうしても耐えられなくて、ぎゅっと目を瞑って、自分の中からこれを吹き払ってやりたいと考えて、
目の前が真っ白になった。
ベイビーの手の感触も手首を掴んでいた力もどこかへ消えて、体内の『何か』も薄れていく。けれどそれだけではない、何かとてつもなくすっきりとした感覚がある。
それまでずっと意識もしていなかったけれど確かに存在していた薄い膜が取り払われたような、あるいはいつ眠ったのかすらも覚えていないような深い深い眠りから覚めたような。
しかし実際に目を開けて見た世界はそれまでと全く同じように存在していて、変わったところといえば警戒の表情を浮かべる大人たちと宙に浮かぶ2本の手、
手?
流石に見逃せるわけもなく、もう一度しっかり見てみるがやはりそれは手に違いない。
どうやら成人男性のものに見えるが、手首から先はぷっつりと途切れている。色は透き通るように白い――いや、むしろ自らうっすらと発光しているようにも見える。
観察しているとおもむろにその手が迫ってきた。思わず身を縮こまらせて、
「見えているのかい?」
真剣なベイビーの声。
「そうっぽいですけど、それにしちゃさっきの態度は」
「今のがあったからだろ――なんだよアレ。指持ってかれるかと思ったぞ。さっき首いってたらどうなってたやら」
なるほど、とセンサーが頷く。
首いってたら、って?
いやそれよりも指持っていかれるって、まさか。
そのとき牡丹の推論を裏付けるように、『手』がテンフィンガーの元へと飛んでいった。
ジーンズのポケットへと飛び込んでいき、直後テンフィンガーは手をポケットから出すとサングラスを外した。
間違いない。
なんだか分からないけれど、あの『手』はテンフィンガーという男性が出していたものだ。
あの『手』は多分自由に飛ばすことができて、それを利用してさっきテストを行ったのだろう。
おそらく、あの不自然な沈黙のとき『手』は首筋にいたのだ。いつでも首を絞められるような形で。牡丹が本当に見えていないのかを確かめるために。
鳥肌が立った。
距離を置きたいが既にエレベーターホールに逃げ場はない。どうするか――――いや。
何も困ることなんてないじゃないか。
失念していたが、今はもうボタンを押すのを止めるものはないのだ。
安心して上のボタンを押そうとして、
「待ってくれ」
ベイビーが声をかけてきて、直前で手が止まる。
「キミは――――あの『手』が、今の今まで見えていなかった。そうだろう?」
「……はい」
後ろの二人は疑わしそうな目だが、ここで嘘をつく理由がない。
「そうか」
頷くと、
「すまなかった」
唐突にベイビーが深く頭を下げた。
「確かにキミはボクらの探してた単ちゃんとは別人みたいだ。申し訳ない」
「え、あの、」
単であることは間違いがないんですけど。もちろん口には出さないが。
「だけど、だ」
そしてやはり唐突に、ベイビーはがばりと顔を上げると
「だとすればキミは一体何者なんだい? ボクの『ドナー・ドリーマー』に嘘は通じない。つまり牡丹ちゃんは16年間誰の目にも触れず暮らし、にも拘らずたまたま今日単さんの代わりに学校に行った――そんな偶然があるかい?」
滔々と喋るその顔に、先ほどまでの笑みは浮かんでいない。
「じゃあふたりは定期的に入れ替わっていた? それこそあり得ない話だ。ふたりの人間がひとりを演じれば絶対に齟齬が発生するはずなんだ、ふたりいつも一緒に居でもしない限りは」
確かにちょくちょく発生している。
だがそこは重要ではない。自分達の秘密にこの男が近づいている、ということが問題だ。
その焦りが、指を動かした。
ボタンが押される。ランプが点灯して、5階にいるエレベーターが動き出す。
「そこで、質問があるんだ」
エレベーターが着いた。扉が開く。
大丈夫、これに乗れば逃げられる――――
「キミたちはふたりとも花の名前なのかい?」
心臓が跳ねた。
なんだこの男は。本当は桜のことも全て分かっているんじゃないのか。その上で自分の反応を楽しんでいるだけじゃ
そこから先は思考にならなかった。
今日の入れ替わりは、これ以上ないほど絶妙なタイミングでやってきた。
エレベーターが背後で閉まるのを感じながら、最悪だと桜は思う。
引っ込んでいたとはいえここまでの展開はおおよそ掴んでいる。その上で、この状況をいいほうに持っていく方法が全く分からない。
牡丹はエレベーターに乗れば逃げられると思っていたようだが、桜は昨日の夜にテンフィンガーの『手』の強さを知っている。
空を飛べても自分の力だけじゃ勝てなかった相手に、どうして勝てようか。
「――――答えないってことは、図星でいいのかな?」
ベイビーの追撃。桜は答えない。自分があまり口が上手くないことは分かっている。
うかつなことを言うくらいなら、何とかして逃げる方法を探ったほうがいい。
「ンー困ったな。じゃあ、もしこれからする質問に正直に答えてくれたらボクらは帰るからさ、ちょっとだけ付き合ってくれない?」
「ちょ、ベイビーさん」
「いいでしょそれくらい」
ベイビーの顔には笑顔が戻っている。一見して人当たりがよさそうに見えるが、断れば何をされるか分かったものではない。
その後ろに立つ二人の圧力にも負けて、桜は頷く。
「まずキミはついさっきまであの『手』が見えていなかった。これは間違いないね?」
頷く。多分牡丹はそうだった、はずだ。
「声に出してくれると嬉しいな」
「……はい」
絶対に何かある。けれど、ここで断るわけにもいかない。
「で、キミは一人っ子。これも間違いない」
「はい」
「これまで自分が壁をすり抜けて空を飛びまわる、みたいな夢を見たことは?」
いきなり直球ど真ん中が来た。いっそ牡丹に聞いてくれれば変に驚くこともなかっただろうに。
「ない、と思います」
動揺をちゃんと隠せているか自信がない。少なくともベイビーの顔に変化は見られないが。
「どんな昔でもいいんだけど、一度も?」
「多分。一度もか、って言われたらちょっと分からないですけど」
今度はあまり嘘はついていないはずだ。アレは多分夢ではないのだし。
「サッちゃん――あの女の人の爪が1m近く伸びてるのは見える?」
え? と思いながら彼女のほうを見てみるが、そんなものは一切見えていない。
「見えない……です」
「あ、そーォ。見えない、か」
何やら考え込むベイビー。
桜は不安になってもう一度じっくり確認してみるが、やはり何もありそうにない。その様を見て、テンフィンガーが苦笑している。
実際はそんなに長い? いやいや、そんな長さじゃまともに生活なんてできないはずだ。じゃあ自由に
「まあいいや。このマンションに越してきたのっていつ?」
「小学、えーっと2年です」
唐突に今までとは全然違う方向の質問が来て面食らう。
「そっか。じゃあマンションの中で遊んだりとかした?」
「ちょっとは」
「じゃ、テンフィンガーくん家の表札見たことある?」
「いえ」
そんな、いちいち表札なんて見るわけがない。
「あら残念。ちなみに部活ってやってる?」
「あ、はい。写真部です」
これくらいなら答えても問題ない、はず。
「へェ、写真とか撮るんだ? どんなの?」
「んーと、風景とかよりは人が写ってるのが好きで、教室とかお祭りとかよく撮ります」
そういう写真を撮っておくと、後で『自分は』経験してなくてもなんとなく楽しい気分になれるから。
「お祭とか好きなの。やっぱ姉妹で行ったりする?」
さらりと言ってきた。
けれど警戒していたし、少々露骨すぎる。何より、いちいち『一緒に行く』なんて認識を二人はしていない。だから逆に違和感を感じてしまう。
「だから、一人っ子ですってば」
「あ、やっぱ気付いた? 流石に引っかかんないか」
苦笑しながら頭を掻くベイビー。
「だから引っかかるも何も、いないんですってば」
「ホントに?」
「本当に、です」
「へーェ」
肩をすくめて、
「じゃ、やっぱり帰すわけにはいかないね」
その背後から飛んできた『手』が、再び両腕を掴んだ。
「え、」
「うまくやったつもりだったんだろうけど、ボクを見くびりすぎだぜ。牡丹ちゃんじゃない誰かさん」
さっきより強い力で、半分壁に押し付けられるような格好になる。肩の鞄が壁にぶつかって、ぶら下がっていたぬいぐるみが潰れる。
「魂力が変わった気がしたから試してみたら案の定だ。キミなんだろ、昨日テンフィンガーくんとやりあったのは? なんなら今『ドナー・ドリーマー』で確かめてみようか?」
「なにが、」
案の定なのか。
「なにがって、まだ分かってないのォ?」
やれやれとばかりに、ベイビーは大仰に肩をすくめる。その後ろでセンサーがバツの悪い表情になる。
何を隠そう彼女も分かっていない。そもそも寝不足で頭が重いし痛い。
「まァ教えてあげるけどさ、さっきテンフィンガーくん家の表札のこと聞いたでしょ。アレね、牡丹ちゃんなら返事できるわけないの。彼女は『テンフィンガーくんがこのマンションに住んでいる』ことを知らないんだから」
さぁ、と身体の血が足元へと流れていく感覚がした。
ふらついた足元も『手』に支えられて、そこに笑顔をやめたベイビーが近づいてくる。
「今ならチャンスをあげよう――――君の名前は?」
どういう原理かぼんやりとした光を纏った手が翳される。そのままゆっくりと近づいてきて、
「さく、ら」
それに耐えかねて、桜は小さく秘密を漏らした。
「桜ちゃんか。昨日の夜のことも認めるね?」
がくりと頷く。
「そうか」
ベイビーは厳しい表情で頷くと、
「じゃ、放してあげよう」
いきなりにっと笑った。
そしてその言葉通り、『手』が離される。
「え、」
今までの帰さない、みたいな流れはなんだったのか。
壁に寄りかかるような体勢でぽかんとしている桜に
「ただし、ちょっとご同行願おうかなァ」
ベイビーは親指でテンフィンガーを指し、彼の家にね、と笑う。
テンフィンガーは対照的に渋い顔で、センサーがお気の毒にといった調子でその肩を叩いた。
引っ込んでいたとはいえここまでの展開はおおよそ掴んでいる。その上で、この状況をいいほうに持っていく方法が全く分からない。
牡丹はエレベーターに乗れば逃げられると思っていたようだが、桜は昨日の夜にテンフィンガーの『手』の強さを知っている。
空を飛べても自分の力だけじゃ勝てなかった相手に、どうして勝てようか。
「――――答えないってことは、図星でいいのかな?」
ベイビーの追撃。桜は答えない。自分があまり口が上手くないことは分かっている。
うかつなことを言うくらいなら、何とかして逃げる方法を探ったほうがいい。
「ンー困ったな。じゃあ、もしこれからする質問に正直に答えてくれたらボクらは帰るからさ、ちょっとだけ付き合ってくれない?」
「ちょ、ベイビーさん」
「いいでしょそれくらい」
ベイビーの顔には笑顔が戻っている。一見して人当たりがよさそうに見えるが、断れば何をされるか分かったものではない。
その後ろに立つ二人の圧力にも負けて、桜は頷く。
「まずキミはついさっきまであの『手』が見えていなかった。これは間違いないね?」
頷く。多分牡丹はそうだった、はずだ。
「声に出してくれると嬉しいな」
「……はい」
絶対に何かある。けれど、ここで断るわけにもいかない。
「で、キミは一人っ子。これも間違いない」
「はい」
「これまで自分が壁をすり抜けて空を飛びまわる、みたいな夢を見たことは?」
いきなり直球ど真ん中が来た。いっそ牡丹に聞いてくれれば変に驚くこともなかっただろうに。
「ない、と思います」
動揺をちゃんと隠せているか自信がない。少なくともベイビーの顔に変化は見られないが。
「どんな昔でもいいんだけど、一度も?」
「多分。一度もか、って言われたらちょっと分からないですけど」
今度はあまり嘘はついていないはずだ。アレは多分夢ではないのだし。
「サッちゃん――あの女の人の爪が1m近く伸びてるのは見える?」
え? と思いながら彼女のほうを見てみるが、そんなものは一切見えていない。
「見えない……です」
「あ、そーォ。見えない、か」
何やら考え込むベイビー。
桜は不安になってもう一度じっくり確認してみるが、やはり何もありそうにない。その様を見て、テンフィンガーが苦笑している。
実際はそんなに長い? いやいや、そんな長さじゃまともに生活なんてできないはずだ。じゃあ自由に
「まあいいや。このマンションに越してきたのっていつ?」
「小学、えーっと2年です」
唐突に今までとは全然違う方向の質問が来て面食らう。
「そっか。じゃあマンションの中で遊んだりとかした?」
「ちょっとは」
「じゃ、テンフィンガーくん家の表札見たことある?」
「いえ」
そんな、いちいち表札なんて見るわけがない。
「あら残念。ちなみに部活ってやってる?」
「あ、はい。写真部です」
これくらいなら答えても問題ない、はず。
「へェ、写真とか撮るんだ? どんなの?」
「んーと、風景とかよりは人が写ってるのが好きで、教室とかお祭りとかよく撮ります」
そういう写真を撮っておくと、後で『自分は』経験してなくてもなんとなく楽しい気分になれるから。
「お祭とか好きなの。やっぱ姉妹で行ったりする?」
さらりと言ってきた。
けれど警戒していたし、少々露骨すぎる。何より、いちいち『一緒に行く』なんて認識を二人はしていない。だから逆に違和感を感じてしまう。
「だから、一人っ子ですってば」
「あ、やっぱ気付いた? 流石に引っかかんないか」
苦笑しながら頭を掻くベイビー。
「だから引っかかるも何も、いないんですってば」
「ホントに?」
「本当に、です」
「へーェ」
肩をすくめて、
「じゃ、やっぱり帰すわけにはいかないね」
その背後から飛んできた『手』が、再び両腕を掴んだ。
「え、」
「うまくやったつもりだったんだろうけど、ボクを見くびりすぎだぜ。牡丹ちゃんじゃない誰かさん」
さっきより強い力で、半分壁に押し付けられるような格好になる。肩の鞄が壁にぶつかって、ぶら下がっていたぬいぐるみが潰れる。
「魂力が変わった気がしたから試してみたら案の定だ。キミなんだろ、昨日テンフィンガーくんとやりあったのは? なんなら今『ドナー・ドリーマー』で確かめてみようか?」
「なにが、」
案の定なのか。
「なにがって、まだ分かってないのォ?」
やれやれとばかりに、ベイビーは大仰に肩をすくめる。その後ろでセンサーがバツの悪い表情になる。
何を隠そう彼女も分かっていない。そもそも寝不足で頭が重いし痛い。
「まァ教えてあげるけどさ、さっきテンフィンガーくん家の表札のこと聞いたでしょ。アレね、牡丹ちゃんなら返事できるわけないの。彼女は『テンフィンガーくんがこのマンションに住んでいる』ことを知らないんだから」
さぁ、と身体の血が足元へと流れていく感覚がした。
ふらついた足元も『手』に支えられて、そこに笑顔をやめたベイビーが近づいてくる。
「今ならチャンスをあげよう――――君の名前は?」
どういう原理かぼんやりとした光を纏った手が翳される。そのままゆっくりと近づいてきて、
「さく、ら」
それに耐えかねて、桜は小さく秘密を漏らした。
「桜ちゃんか。昨日の夜のことも認めるね?」
がくりと頷く。
「そうか」
ベイビーは厳しい表情で頷くと、
「じゃ、放してあげよう」
いきなりにっと笑った。
そしてその言葉通り、『手』が離される。
「え、」
今までの帰さない、みたいな流れはなんだったのか。
壁に寄りかかるような体勢でぽかんとしている桜に
「ただし、ちょっとご同行願おうかなァ」
ベイビーは親指でテンフィンガーを指し、彼の家にね、と笑う。
テンフィンガーは対照的に渋い顔で、センサーがお気の毒にといった調子でその肩を叩いた。
表札は「川口」だった。
白木家と同じ2LDKのリビングに置かれたソファーに34インチのテレビを背にして座って、桜は萎縮していた。
対面のソファーにはベイビーと物欲しそうに灰皿を見るテンフィンガー、猛烈に眠そうな顔をしたセンサー。
グラスの麦茶が出されているが手をつける気にはなれず、早く帰りたいとずっと心の中で唱えている。
「まず、」
ようやくベイビーが口を開いた。
「確認しておきたいんだけど、桜ちゃんは自分の意志で身体を離れることはできないんだよね?」
「はい」
この家に入るまでに、簡単にその辺は聞かれている。
「もしかしたらなんだけどさ、自分の意志でできるようになってるってことはないかなァ? ボクはできないからなんとも言えないんだけど」
「え、でも、あれは寝ないと」
「テンフィンガーくん見たろ? 彼は自分の意志でああいうコトできちゃうワケ。彼にできるんだからキミにできないはずないって」
どういうことすか、とテンフィンガーが抗議するがベイビーは変わらず笑っている。
「ていうかお手本見せてあげなよ。サッちゃんはこんなんだし」
「起きててもサッちゃんは参考になりませんけどね……」
ぐったりとソファーに身体を預けているセンサーを見て苦笑しつつ、掌を桜に向ける。
そこから『手』が同じように掌を開いた形でずるり、と前にまろび出た。
「ドーォ?」
どうと聞かれても。
出した側も出された側もなんとなく気まずい。
「あれだ。なんつーかさ、こう『出したい!』って思ってみるんだよ。そしたら意外と出るから」
意外と、って。
とはいえ、よくよく考えれば別に幽体離脱が自分の意志でできるようになるのなら悪い話ではない。
まあ物は試しと目を閉じて「出ろ!」、いやむしろ「出たい!」と心の中で念じてみて、
覚えのある浮遊感。思わず目を開けて、
「嘘っ!?」
できた。
出てきたときの姿勢は萎縮した座り方のままで、ぱちぱちとベイビーが拍手しているのを見下ろす。その音にセンサーがぴくりと反応して、しかし上がりかけた瞼はすぐ落ちる。
「できちゃうモンなのねェ」
「俺のアドバイスですかね」
じろじろと眺められてなんだか居心地が悪い。できることは分かったんだし一旦戻ろうかな、と思ったその時。
ぴくりと『身体』のほうが動いた。
軽く左右を見た後、目の前に座る二人の視線のあるほう、つまり自分の真上を見上げる。
桜と目が合う。そのまましばらく見つめあって、
「……桜?」「……牡丹?」
タイミングが完璧に一緒だったのは、さすが双子というべきか。
16年の時を経て今ようやく、白木桜と白木牡丹は対面を果たした。
それから10分ほど過ぎて。
「まず最初に、改めてすまなかった」
わいきゃい騒ぐ桜と牡丹が落ち着くのを待って、空飛ぶ桜を牡丹の隣に座らせてからベイビーが切り出した。
「キミたちには色々と手荒なことをしてしまった。けど、必要なことだったんだ。ボクらの為にも、キミたちの為にも」
うんうんとテンフィンガーが頷くが、どうも胡散臭さが拭えない。
ちなみにセンサーは既に布団に移された。
「もう分かってると思うけど、ボクらには共通の才能がある。つまり、テンフィンガーくんの『手』や今の桜ちゃんが見える才能だ」
牡丹がくるりと桜のほうを見る。やめてー、と手で牡丹の目を隠す桜。
「気付いてるかもだけど、これは世間で言うところの霊感だ。そしてボクたちは霊感のある人を捜して回るのが仕事なんだよ」
ピースサイン。
そんなことされてもどうしろと、といった感じに二人が数秒固まった後、
「なんで捜してるんですか?」
間が持たなくなった牡丹が口を開いた。
「あ、ウンそれはね」
着ているジャケットのポケットをまさぐるベイビー。
それを見たテンフィンガーの『手』が部屋の向こうへ飛んでいく。そのせいかぴりりとした刺激を桜は感じた。
「これすか」
「それそれ」
ベイビーへと手渡されたそれは鈴。ベイビーが二人の前にぶら下げて見せるとちりんと音を立てた。
「この鈴は霊避けの鈴。キミたちは幽霊を見たことがあるかな?」
首を振る二人。
「ならよかった。結構霊ってのは身近にいてねェ、中にはタチの悪いのもいる。そして、霊ってのはボクらみたいな見える人に寄ってくるものなのさ」
「――なんでですか?」
「色々あるけど、大雑把に言えば『魂力』――魂のエネルギーみたいなものかな――が大きいせい、だねェ。僕らはパッと見じゃ余程じゃないと分からないんだけど、霊は感じるらしいから。あ、でも桜ちゃんは分かるかな?」
「え」
いきなり振られて驚く桜。
そう言われても、周りの三人にさしたる差異など見受けられない。
「あー、じゃあこれなら分かるかな」
そう言って、テンフィンガーが『手』を出す。またぴりりと来て、
あ。
「その顔は分かった? 俺とか桜ちゃんは霊感もってる人の中でもちょい特別でさ、魂を外に出せるわけよ。業界では『トバシ』って言うんだけど」
ずるりと戻しては、再び出す。また刺激が来た。
「で、その状態だと普通の人より魂力に敏感になるんだよね。周りで動きがあると、それが感じられたりするわけ」
「そんで幽霊も然り。特に君達は人より魂が動きやすいからねェ」
二人が同時に反応した。
「「私たちの――」」
ハモって顔を見合わせ、
「「――体質について、ご存知なんですよ、ね」」
タイミングをずらそうとして、そのずらすタイミングすらぴたりと合わせてしまう。
ベイビーは小さく口笛を吹いて、
「さすが双子だねェ。確かにキミたちの体質、いや魂……うーん、でもやっぱり体質かな? まァいいや、とにかくそれについてボクは少々知識がある」
そう言って自分の前の麦茶のグラスを手に取る。
「麦茶が魂、グラスが肉体だとしよう。普通の人間はこういう風に、ひとつの身体にひとつの魂で生まれてくる。けど、なんかの手違いでひとつの身体にふたつの魂が入っちゃったのがキミたちってわけさ」
喋り終わると、一気に麦茶を半分ほど飲み干した。
「テンフィンガーくんさ、ビール取ってきてよ。説明に使うから」
「……マジすか?」
「責任は取るからさァ」
嫌そうな顔をしながらも、『手』が飛んでいく。
「さて、魂が入れ替わる理由についてだけど」
さっきとは違う刺激と共に、ベイビーの持っているグラスが輝きだす。
戻ってきた『手』からビールを受け取るとプルトップを引き上げて
「さっき麦茶は魂って言ったけど、そうするとキミたちはこうなるわけだ」
そう言って、グラスの中にビールを注ぎこむ。二人はぎょっとするが、
「そんな顔してどしたのォ?」
ベイビーが笑いながらグラスを見せ付けてきて、今度は別の理由で驚くことになる。
グラスの中のビールと麦茶はきれいに分離して、上半分でビールが泡立っていた。
「これボクの『ドナー・ドリーマー』の仕業ね。何かの中に入ってるものを引きずり出すスグレモノ」
今はビールを引きずり出してるの、と言いながら口をつけて
「つまり今、ビールのほうの魂が表面に出てるわけなんだけどォ、」
ぐっとあおる。
「表面に出てると少しずつ魂力が消費されてくんだよねェ。そしたら」
ドナー・ドリーマーが発動して、魂力を籠められたグラスの輝きが増す。
程なくして、麦茶とビールの上下がくるりと入れ替わった。
「こういう風に、多いほうが上に来ちゃうわけさァ。で、減った分は」
ビールを注ぐ。そのビールは麦茶の中に沈んでいき、少しずつ下に溜まっていく。
「表に出ていない間に回復する。これがキミたちの魂で起きてるわけ」
おぉーとどよめく二人、いや三人。
「なんでテンフィンガーくんも驚いてンの」
「いや俺こんなん知らなかったですし」
「キミこの業界結構長いのにねェ。まあボクも初めて見たけどニコタマなんて」
「「ニコタマ?」」
「キミたちみたいな魂ふたつ持ってる人たちのコトね。何十万人にひとり、みたいな感じらしいけど。まして霊能力があるとなると果たしてこの世に何人いるやらねェ」
もしかしてあたしたち、結構すごい?
桜と牡丹は目を見合わせる。
「凄いよ?」
「「なんで分かるんですか!?」」
「いや顔見りゃそれくらいは、ねェ。まァいいや、とにかくキミたちを見つけられたのは本当に幸運だった」
ベイビーはテーブルに置かれていた鈴を手に取ると、二人の前に置く。
「とりあえずこれはプレゼントだ。キミたちはもう見えるようになっちゃったから」
ストラップ状のそれを、牡丹が持ち上げて鳴らしてみる。
「どお?」
「んー……特に」
鳴らされても桜にはこれといった感じはない。
「身体ある霊にはほとんど効果ないからなー」
「でもその辺を飛んでるような霊にならそれなりに効くぜ」
そう言って、ベイビーは麦茶の部分を飲み干し
「で、だ」
どんと置いて、ビールを注ぐ。
「それ飲みたいだけすよね」
「気にしないの。ここからはオマケみたいな話なんだけどさァ、キミたちバイトする気ない?」
怪しい雲行きを感じた。
雰囲気に飲まれていたが、得体の知れない人たちに部屋に連れ込まれているという状況に変わりはないのだ。
入口に行くには二人の前を通らなくてはいけないし、それはつまり逃げられないってことだ。
ということはどんなことを言われても断れないんじゃないか――――
「バイトってなんですか?」
――――などと牡丹が考えている間に、桜がさらっと内容を聞いた。
「簡単さ。キミたちがもし霊を見かけたら、どこで見かけたかをボクたちに教えてくれるだけでいい。それで謝礼が出る。まァ少ないけどねェ」
「捕まえたりとかは?」
「それは間違ってもしないでほしい。むしろ見かけたらすぐ目を逸らすぐらいでいい。何されるか分からないから」
「んー、どうする?」
桜が牡丹を見る。
どうするも何も、率直に言えば怪しいに決まっている。
怪しいけれども、
「――いいんじゃない?」
断るのはちょっと怖かったし、それに何より桜の顔があまりにも期待に満ちすぎていて。
半分以上はその笑顔のせいで、仕方なく牡丹はOKを出した。
白木家と同じ2LDKのリビングに置かれたソファーに34インチのテレビを背にして座って、桜は萎縮していた。
対面のソファーにはベイビーと物欲しそうに灰皿を見るテンフィンガー、猛烈に眠そうな顔をしたセンサー。
グラスの麦茶が出されているが手をつける気にはなれず、早く帰りたいとずっと心の中で唱えている。
「まず、」
ようやくベイビーが口を開いた。
「確認しておきたいんだけど、桜ちゃんは自分の意志で身体を離れることはできないんだよね?」
「はい」
この家に入るまでに、簡単にその辺は聞かれている。
「もしかしたらなんだけどさ、自分の意志でできるようになってるってことはないかなァ? ボクはできないからなんとも言えないんだけど」
「え、でも、あれは寝ないと」
「テンフィンガーくん見たろ? 彼は自分の意志でああいうコトできちゃうワケ。彼にできるんだからキミにできないはずないって」
どういうことすか、とテンフィンガーが抗議するがベイビーは変わらず笑っている。
「ていうかお手本見せてあげなよ。サッちゃんはこんなんだし」
「起きててもサッちゃんは参考になりませんけどね……」
ぐったりとソファーに身体を預けているセンサーを見て苦笑しつつ、掌を桜に向ける。
そこから『手』が同じように掌を開いた形でずるり、と前にまろび出た。
「ドーォ?」
どうと聞かれても。
出した側も出された側もなんとなく気まずい。
「あれだ。なんつーかさ、こう『出したい!』って思ってみるんだよ。そしたら意外と出るから」
意外と、って。
とはいえ、よくよく考えれば別に幽体離脱が自分の意志でできるようになるのなら悪い話ではない。
まあ物は試しと目を閉じて「出ろ!」、いやむしろ「出たい!」と心の中で念じてみて、
覚えのある浮遊感。思わず目を開けて、
「嘘っ!?」
できた。
出てきたときの姿勢は萎縮した座り方のままで、ぱちぱちとベイビーが拍手しているのを見下ろす。その音にセンサーがぴくりと反応して、しかし上がりかけた瞼はすぐ落ちる。
「できちゃうモンなのねェ」
「俺のアドバイスですかね」
じろじろと眺められてなんだか居心地が悪い。できることは分かったんだし一旦戻ろうかな、と思ったその時。
ぴくりと『身体』のほうが動いた。
軽く左右を見た後、目の前に座る二人の視線のあるほう、つまり自分の真上を見上げる。
桜と目が合う。そのまましばらく見つめあって、
「……桜?」「……牡丹?」
タイミングが完璧に一緒だったのは、さすが双子というべきか。
16年の時を経て今ようやく、白木桜と白木牡丹は対面を果たした。
それから10分ほど過ぎて。
「まず最初に、改めてすまなかった」
わいきゃい騒ぐ桜と牡丹が落ち着くのを待って、空飛ぶ桜を牡丹の隣に座らせてからベイビーが切り出した。
「キミたちには色々と手荒なことをしてしまった。けど、必要なことだったんだ。ボクらの為にも、キミたちの為にも」
うんうんとテンフィンガーが頷くが、どうも胡散臭さが拭えない。
ちなみにセンサーは既に布団に移された。
「もう分かってると思うけど、ボクらには共通の才能がある。つまり、テンフィンガーくんの『手』や今の桜ちゃんが見える才能だ」
牡丹がくるりと桜のほうを見る。やめてー、と手で牡丹の目を隠す桜。
「気付いてるかもだけど、これは世間で言うところの霊感だ。そしてボクたちは霊感のある人を捜して回るのが仕事なんだよ」
ピースサイン。
そんなことされてもどうしろと、といった感じに二人が数秒固まった後、
「なんで捜してるんですか?」
間が持たなくなった牡丹が口を開いた。
「あ、ウンそれはね」
着ているジャケットのポケットをまさぐるベイビー。
それを見たテンフィンガーの『手』が部屋の向こうへ飛んでいく。そのせいかぴりりとした刺激を桜は感じた。
「これすか」
「それそれ」
ベイビーへと手渡されたそれは鈴。ベイビーが二人の前にぶら下げて見せるとちりんと音を立てた。
「この鈴は霊避けの鈴。キミたちは幽霊を見たことがあるかな?」
首を振る二人。
「ならよかった。結構霊ってのは身近にいてねェ、中にはタチの悪いのもいる。そして、霊ってのはボクらみたいな見える人に寄ってくるものなのさ」
「――なんでですか?」
「色々あるけど、大雑把に言えば『魂力』――魂のエネルギーみたいなものかな――が大きいせい、だねェ。僕らはパッと見じゃ余程じゃないと分からないんだけど、霊は感じるらしいから。あ、でも桜ちゃんは分かるかな?」
「え」
いきなり振られて驚く桜。
そう言われても、周りの三人にさしたる差異など見受けられない。
「あー、じゃあこれなら分かるかな」
そう言って、テンフィンガーが『手』を出す。またぴりりと来て、
あ。
「その顔は分かった? 俺とか桜ちゃんは霊感もってる人の中でもちょい特別でさ、魂を外に出せるわけよ。業界では『トバシ』って言うんだけど」
ずるりと戻しては、再び出す。また刺激が来た。
「で、その状態だと普通の人より魂力に敏感になるんだよね。周りで動きがあると、それが感じられたりするわけ」
「そんで幽霊も然り。特に君達は人より魂が動きやすいからねェ」
二人が同時に反応した。
「「私たちの――」」
ハモって顔を見合わせ、
「「――体質について、ご存知なんですよ、ね」」
タイミングをずらそうとして、そのずらすタイミングすらぴたりと合わせてしまう。
ベイビーは小さく口笛を吹いて、
「さすが双子だねェ。確かにキミたちの体質、いや魂……うーん、でもやっぱり体質かな? まァいいや、とにかくそれについてボクは少々知識がある」
そう言って自分の前の麦茶のグラスを手に取る。
「麦茶が魂、グラスが肉体だとしよう。普通の人間はこういう風に、ひとつの身体にひとつの魂で生まれてくる。けど、なんかの手違いでひとつの身体にふたつの魂が入っちゃったのがキミたちってわけさ」
喋り終わると、一気に麦茶を半分ほど飲み干した。
「テンフィンガーくんさ、ビール取ってきてよ。説明に使うから」
「……マジすか?」
「責任は取るからさァ」
嫌そうな顔をしながらも、『手』が飛んでいく。
「さて、魂が入れ替わる理由についてだけど」
さっきとは違う刺激と共に、ベイビーの持っているグラスが輝きだす。
戻ってきた『手』からビールを受け取るとプルトップを引き上げて
「さっき麦茶は魂って言ったけど、そうするとキミたちはこうなるわけだ」
そう言って、グラスの中にビールを注ぎこむ。二人はぎょっとするが、
「そんな顔してどしたのォ?」
ベイビーが笑いながらグラスを見せ付けてきて、今度は別の理由で驚くことになる。
グラスの中のビールと麦茶はきれいに分離して、上半分でビールが泡立っていた。
「これボクの『ドナー・ドリーマー』の仕業ね。何かの中に入ってるものを引きずり出すスグレモノ」
今はビールを引きずり出してるの、と言いながら口をつけて
「つまり今、ビールのほうの魂が表面に出てるわけなんだけどォ、」
ぐっとあおる。
「表面に出てると少しずつ魂力が消費されてくんだよねェ。そしたら」
ドナー・ドリーマーが発動して、魂力を籠められたグラスの輝きが増す。
程なくして、麦茶とビールの上下がくるりと入れ替わった。
「こういう風に、多いほうが上に来ちゃうわけさァ。で、減った分は」
ビールを注ぐ。そのビールは麦茶の中に沈んでいき、少しずつ下に溜まっていく。
「表に出ていない間に回復する。これがキミたちの魂で起きてるわけ」
おぉーとどよめく二人、いや三人。
「なんでテンフィンガーくんも驚いてンの」
「いや俺こんなん知らなかったですし」
「キミこの業界結構長いのにねェ。まあボクも初めて見たけどニコタマなんて」
「「ニコタマ?」」
「キミたちみたいな魂ふたつ持ってる人たちのコトね。何十万人にひとり、みたいな感じらしいけど。まして霊能力があるとなると果たしてこの世に何人いるやらねェ」
もしかしてあたしたち、結構すごい?
桜と牡丹は目を見合わせる。
「凄いよ?」
「「なんで分かるんですか!?」」
「いや顔見りゃそれくらいは、ねェ。まァいいや、とにかくキミたちを見つけられたのは本当に幸運だった」
ベイビーはテーブルに置かれていた鈴を手に取ると、二人の前に置く。
「とりあえずこれはプレゼントだ。キミたちはもう見えるようになっちゃったから」
ストラップ状のそれを、牡丹が持ち上げて鳴らしてみる。
「どお?」
「んー……特に」
鳴らされても桜にはこれといった感じはない。
「身体ある霊にはほとんど効果ないからなー」
「でもその辺を飛んでるような霊にならそれなりに効くぜ」
そう言って、ベイビーは麦茶の部分を飲み干し
「で、だ」
どんと置いて、ビールを注ぐ。
「それ飲みたいだけすよね」
「気にしないの。ここからはオマケみたいな話なんだけどさァ、キミたちバイトする気ない?」
怪しい雲行きを感じた。
雰囲気に飲まれていたが、得体の知れない人たちに部屋に連れ込まれているという状況に変わりはないのだ。
入口に行くには二人の前を通らなくてはいけないし、それはつまり逃げられないってことだ。
ということはどんなことを言われても断れないんじゃないか――――
「バイトってなんですか?」
――――などと牡丹が考えている間に、桜がさらっと内容を聞いた。
「簡単さ。キミたちがもし霊を見かけたら、どこで見かけたかをボクたちに教えてくれるだけでいい。それで謝礼が出る。まァ少ないけどねェ」
「捕まえたりとかは?」
「それは間違ってもしないでほしい。むしろ見かけたらすぐ目を逸らすぐらいでいい。何されるか分からないから」
「んー、どうする?」
桜が牡丹を見る。
どうするも何も、率直に言えば怪しいに決まっている。
怪しいけれども、
「――いいんじゃない?」
断るのはちょっと怖かったし、それに何より桜の顔があまりにも期待に満ちすぎていて。
半分以上はその笑顔のせいで、仕方なく牡丹はOKを出した。
「起きろー」
「……ん」
あれから数時間過ぎて。
連絡先を交換して、霊についての簡単な知識を教わっている途中で桜の幽体離脱が限界を迎え、そこでふたりは解放された。
帰してくれるのかと牡丹は少々拍子抜けしながらも、7時近いしテストも近いし家に帰れることは素直に嬉しい。
どうせお風呂に入るからと夕飯を食べた後ベッドでぐでーっとしていたらいつの間にか眠りこけていて、いつの間にか幽体離脱していた桜に起こされた、というところだ。
「あーやっと起きた。スカートめっちゃ皺なってるし」
「え、うわーマジじゃん」
起き上がってげんなりした顔で皺を眺め、
「桜さ、あたしがお風呂入ってる間になんとかする気」「ない」「だよねー」
分かってた、という表情でため息。
直後、下を向いていたその視線が急に上向いて
「そう言えばさ、ベイビーさんたちから聞いたことひとつ試したいんだけどいい?」
「え、いいけど」
「本当に?」
念を押してくる。桜はその顔に怪しいものを見て、
「何するつもりなの?」
「いや、ちょっとね」
「……まあ、やるだけやれば」
顔を合わせたのが今日でも、牡丹のことは知り尽くしている。
自分と違ってそんなに変なことは、
「じゃあ遠慮なく」
した。
牡丹はベルトを外しスカートのファスナーを下ろすと、その場に脱ぎ捨てた。
「何やってんの?」
「いや、桜も脱げるかなって」
しかし桜は、先ほどまでと変わらぬ制服姿。もちろんスカートは履いている。
何も牡丹がおかしくなったわけではなく、これもベイビーたちから聞かされた幽体離脱、彼ら風に言うならトバシの性質を試しているのだ。
トバシにも桜のように全身が出てくるものと、テンフィンガーのように身体の一部分しか出せないものがいる。
そんな中で、特に全身を出せるものの姿はその時の服装によって変化しやすい。
魂の姿はその時点で『自分である』と認識している形を取るらしく、服についてはちゃんとその服がどんなものであるかが認識できていればそのまま着た姿で出てこられるらしい。
じゃあ目の前で『自分』が服を脱いだらどうよ? というのが牡丹の疑問だったわけだが、どうやら服を脱いでも桜に影響はないらしい。
「正直牡丹もうちょい賢い子だと思ってた」
「その感想はマジで傷つく」
「ショック受けなくていいから早く元戻して。自分のパンモロとか正直きつい」
「うん……なんかごめん」
折りなおすのは面倒とそのまま雑に履きなおす。
「ていうかお風呂でやればよかったじゃん」
「それ考えた。でも少しずつ自分脱げてくの見るの嫌じゃない? 夜のお仕事かよみたいな」
「パンモロも大概だって」
「上脱ぐのめんどいんだもん」
スカートなら下ろすだけだしー、と言う牡丹に桜はなるほどと納得しかけて、
「え、でもあたしがどうなるか見たいだけなら袖まくればいいんじゃない?」
「……あ」
「おつかれー」
缶と缶がぶつかって、少しビールがこぼれた。
「いやー、ニコタマとかどうなるかと思ったけど案外どうにかなったねェ」
ぐいぐいとビールをあおって、ベイビーがしみじみと呟く。
「俺は正直ここ連れ込んだときが一番キツかったっすけどね、精神的に」
あと煙草吸えないし、と言いながらテンフィンガーが灰皿を引き寄せる。
「しょうがないじゃんさァ、テンフィンガーくん家のマンションなんて言われたら」
「ベイビーさんちょくちょく遊び来てますもんね。私この業界でそんなの初めて見ましたよ」
ようやく起きたセンサーがチータラをかじりながら言う。
「普通ねぇよ。そもそも家知られてる時点でヤバイ」
「違うんだって、アレはほんと偶然だったって言うか、むしろテンフィンガーくんのが悪い」
「何したんですか?」
「ヒドイのよこれが。コロの獲物掠め取ったんだから」
「……なんで生きてるんですか?」
コロとは『訳あり物件の仲介業者』を指す用語。
いわゆる「出る」部屋や家を探しては、借り手のいないそこを安く借り上げるか買い上げるかした後その「出る」ものを滅して手数料を上乗せした値段で貸す、という闇業者だ。
ただしその筋では仕事内容よりも暴力、魂力問わず荒っぽい手段を取る集団として名高い。
「いやそれは語弊ある」
灰皿に灰を落としながら首を振るテンフィンガー。
「その頃、俺業界入りたてでさー。コロの話聞いて『俺もやってみよう』ってなったのね。で訳あり探したんだけどこれがパンピー向けのばっかりで」
コロも無条件に訳ありを探しているわけではない。
それほど利用価値のない物件は放置されるし、あえて一般の好事家向けにそこまで強くない霊の住む家は放ってある。
「そんな中で見つけたのがここでさ、もう管理人とかガチでビックビクしてんの。中見たら確かにリビングの床埋め尽くすレベルのいてさ、けど広いし家賃7割引とか即決めちゃったね」
「ここ埋め尽くすって、ちょっと」
センサーが思わず辺りを見回す。
一般に、霊の大きさと魂力の強さは比例する。
例外が身体のある霊、つまりまだ生きている生物の霊だが、そんなものがいるわけもなし。
「いたの床だから薄っぺらいだけっちゃだけだよ。まあ強かったけど」
そう言って紫煙を吐き出す。
「はー……」
センサーの視線には明らかにテンフィンガーを見直したものがある。
その様子をベイビーは懸命に笑いをこらえながら(といってもこの男はデフォルトが笑顔だが)見ていた。
彼は別のルートからこの話の顛末を聞いている。
例えば霊を倒したのがテンフィンガーの高校の知り合いの強力な霊能力者だということや、本人は手伝おうとして死にかけたことや、とにかくテンフィンガーはほとんど何もしていないということを知っている。
そして、それを黙っていたほうが面白いと考えるのがこの男である。
「で、ソコは色んなとこが狙ってる物件だったから『除霊して住んでる奴がいる』って話題になってねェ。ボクもその頃そっち方面関わってたから名前ぐらいは聞いてたワケ。だからウチで働くことになった時はちょっと期待しちゃった」
「まあ実際は手だけのトバシでした、と」
「実体あるだけマシじゃないですか」
センサーがぼそりと呟く。
彼女もまたトバシであるが、桜やテンフィンガーとは全く性質が異なる。
この両者が身体の部位を魂として出すのに対し、彼女が出すのはその名の通り『感覚』。
主に視覚や聴覚を「飛ばす」のだが、目や耳を出せるわけではない(そういうトバシも存在はするが)。
つまり感覚器官の代わりがなければ役に立たない能力であり、実際は「飛ばす」というよりガラスなどに「憑依する」という表現のほうが適切だ。
便利な能力ではあるのだが、実体がないことに対する本人のコンプレックスは強い。
「サッちゃんの能力いいじゃん。ボク好きだよ」
「こんなの何もいいことないですよ。交換できるならしたいくらいです」
「しちゃう? 『ドナー・ドリーマー』なら頑張ればできるかもわからんぜ」
ベイビーが右手を光らせながら問いかけて、
「遠慮しときます」
ため息と共に首を振るセンサー。
「ていうかベイビーさんもう割と限界じゃないんですか?」
「ぶっちゃけそうだねェ。あの子たちはとんでもない」
いつの間にか2本目に突入している缶を置いて、ベイビーが疲れた笑みを見せる。
「サッちゃんは見てないだろうけどさァ、桜ちゃん1時間近く飛ばせてたんだぜ? あれでつい最近目覚めたばっかりとか、おかしいよアレ」
「昨日は俺がマジでやったからかも分からないですけど、あっという間に引き戻し来てたんですけどねー」
引き戻しはトバシ特有の現象で、言わば『エネルギー切れ』だ。
飛ばしている魂はあまりに消耗すると、肉体に引き寄せられる。
この強さにも個人差があるが、普通は桜のような全身のトバシのほうが強い。
テンフィンガーは並の引き戻しなら押さえ込めると自負していたが、昨晩のそれはあっという間に自身の飛ばせる限界の距離を越えてしまうような強烈なものだった。
「やっぱりニコタマだから、とかですか」
「ボクの知る限りではそういうのはないと思うんだけどねェ」
「まあなんでもいいじゃないすか」
煙草がもみ消される。
「あの子たちは俺たちの仕事にはこれ以上ない逸材。それ以上は考えんのやめましょ」
「――だねェ」
「そう、ですね」
それから少し、ちびちびビールを飲むだけの沈黙が訪れて
「……もっかい乾杯する?」
ベイビーの提案に、ふたりがのろのろと缶を掲げる。
「「「かんぱーい」」」
残り具合の不揃いな缶がぶつかって、不揃いな音を立てた。
「……ん」
あれから数時間過ぎて。
連絡先を交換して、霊についての簡単な知識を教わっている途中で桜の幽体離脱が限界を迎え、そこでふたりは解放された。
帰してくれるのかと牡丹は少々拍子抜けしながらも、7時近いしテストも近いし家に帰れることは素直に嬉しい。
どうせお風呂に入るからと夕飯を食べた後ベッドでぐでーっとしていたらいつの間にか眠りこけていて、いつの間にか幽体離脱していた桜に起こされた、というところだ。
「あーやっと起きた。スカートめっちゃ皺なってるし」
「え、うわーマジじゃん」
起き上がってげんなりした顔で皺を眺め、
「桜さ、あたしがお風呂入ってる間になんとかする気」「ない」「だよねー」
分かってた、という表情でため息。
直後、下を向いていたその視線が急に上向いて
「そう言えばさ、ベイビーさんたちから聞いたことひとつ試したいんだけどいい?」
「え、いいけど」
「本当に?」
念を押してくる。桜はその顔に怪しいものを見て、
「何するつもりなの?」
「いや、ちょっとね」
「……まあ、やるだけやれば」
顔を合わせたのが今日でも、牡丹のことは知り尽くしている。
自分と違ってそんなに変なことは、
「じゃあ遠慮なく」
した。
牡丹はベルトを外しスカートのファスナーを下ろすと、その場に脱ぎ捨てた。
「何やってんの?」
「いや、桜も脱げるかなって」
しかし桜は、先ほどまでと変わらぬ制服姿。もちろんスカートは履いている。
何も牡丹がおかしくなったわけではなく、これもベイビーたちから聞かされた幽体離脱、彼ら風に言うならトバシの性質を試しているのだ。
トバシにも桜のように全身が出てくるものと、テンフィンガーのように身体の一部分しか出せないものがいる。
そんな中で、特に全身を出せるものの姿はその時の服装によって変化しやすい。
魂の姿はその時点で『自分である』と認識している形を取るらしく、服についてはちゃんとその服がどんなものであるかが認識できていればそのまま着た姿で出てこられるらしい。
じゃあ目の前で『自分』が服を脱いだらどうよ? というのが牡丹の疑問だったわけだが、どうやら服を脱いでも桜に影響はないらしい。
「正直牡丹もうちょい賢い子だと思ってた」
「その感想はマジで傷つく」
「ショック受けなくていいから早く元戻して。自分のパンモロとか正直きつい」
「うん……なんかごめん」
折りなおすのは面倒とそのまま雑に履きなおす。
「ていうかお風呂でやればよかったじゃん」
「それ考えた。でも少しずつ自分脱げてくの見るの嫌じゃない? 夜のお仕事かよみたいな」
「パンモロも大概だって」
「上脱ぐのめんどいんだもん」
スカートなら下ろすだけだしー、と言う牡丹に桜はなるほどと納得しかけて、
「え、でもあたしがどうなるか見たいだけなら袖まくればいいんじゃない?」
「……あ」
「おつかれー」
缶と缶がぶつかって、少しビールがこぼれた。
「いやー、ニコタマとかどうなるかと思ったけど案外どうにかなったねェ」
ぐいぐいとビールをあおって、ベイビーがしみじみと呟く。
「俺は正直ここ連れ込んだときが一番キツかったっすけどね、精神的に」
あと煙草吸えないし、と言いながらテンフィンガーが灰皿を引き寄せる。
「しょうがないじゃんさァ、テンフィンガーくん家のマンションなんて言われたら」
「ベイビーさんちょくちょく遊び来てますもんね。私この業界でそんなの初めて見ましたよ」
ようやく起きたセンサーがチータラをかじりながら言う。
「普通ねぇよ。そもそも家知られてる時点でヤバイ」
「違うんだって、アレはほんと偶然だったって言うか、むしろテンフィンガーくんのが悪い」
「何したんですか?」
「ヒドイのよこれが。コロの獲物掠め取ったんだから」
「……なんで生きてるんですか?」
コロとは『訳あり物件の仲介業者』を指す用語。
いわゆる「出る」部屋や家を探しては、借り手のいないそこを安く借り上げるか買い上げるかした後その「出る」ものを滅して手数料を上乗せした値段で貸す、という闇業者だ。
ただしその筋では仕事内容よりも暴力、魂力問わず荒っぽい手段を取る集団として名高い。
「いやそれは語弊ある」
灰皿に灰を落としながら首を振るテンフィンガー。
「その頃、俺業界入りたてでさー。コロの話聞いて『俺もやってみよう』ってなったのね。で訳あり探したんだけどこれがパンピー向けのばっかりで」
コロも無条件に訳ありを探しているわけではない。
それほど利用価値のない物件は放置されるし、あえて一般の好事家向けにそこまで強くない霊の住む家は放ってある。
「そんな中で見つけたのがここでさ、もう管理人とかガチでビックビクしてんの。中見たら確かにリビングの床埋め尽くすレベルのいてさ、けど広いし家賃7割引とか即決めちゃったね」
「ここ埋め尽くすって、ちょっと」
センサーが思わず辺りを見回す。
一般に、霊の大きさと魂力の強さは比例する。
例外が身体のある霊、つまりまだ生きている生物の霊だが、そんなものがいるわけもなし。
「いたの床だから薄っぺらいだけっちゃだけだよ。まあ強かったけど」
そう言って紫煙を吐き出す。
「はー……」
センサーの視線には明らかにテンフィンガーを見直したものがある。
その様子をベイビーは懸命に笑いをこらえながら(といってもこの男はデフォルトが笑顔だが)見ていた。
彼は別のルートからこの話の顛末を聞いている。
例えば霊を倒したのがテンフィンガーの高校の知り合いの強力な霊能力者だということや、本人は手伝おうとして死にかけたことや、とにかくテンフィンガーはほとんど何もしていないということを知っている。
そして、それを黙っていたほうが面白いと考えるのがこの男である。
「で、ソコは色んなとこが狙ってる物件だったから『除霊して住んでる奴がいる』って話題になってねェ。ボクもその頃そっち方面関わってたから名前ぐらいは聞いてたワケ。だからウチで働くことになった時はちょっと期待しちゃった」
「まあ実際は手だけのトバシでした、と」
「実体あるだけマシじゃないですか」
センサーがぼそりと呟く。
彼女もまたトバシであるが、桜やテンフィンガーとは全く性質が異なる。
この両者が身体の部位を魂として出すのに対し、彼女が出すのはその名の通り『感覚』。
主に視覚や聴覚を「飛ばす」のだが、目や耳を出せるわけではない(そういうトバシも存在はするが)。
つまり感覚器官の代わりがなければ役に立たない能力であり、実際は「飛ばす」というよりガラスなどに「憑依する」という表現のほうが適切だ。
便利な能力ではあるのだが、実体がないことに対する本人のコンプレックスは強い。
「サッちゃんの能力いいじゃん。ボク好きだよ」
「こんなの何もいいことないですよ。交換できるならしたいくらいです」
「しちゃう? 『ドナー・ドリーマー』なら頑張ればできるかもわからんぜ」
ベイビーが右手を光らせながら問いかけて、
「遠慮しときます」
ため息と共に首を振るセンサー。
「ていうかベイビーさんもう割と限界じゃないんですか?」
「ぶっちゃけそうだねェ。あの子たちはとんでもない」
いつの間にか2本目に突入している缶を置いて、ベイビーが疲れた笑みを見せる。
「サッちゃんは見てないだろうけどさァ、桜ちゃん1時間近く飛ばせてたんだぜ? あれでつい最近目覚めたばっかりとか、おかしいよアレ」
「昨日は俺がマジでやったからかも分からないですけど、あっという間に引き戻し来てたんですけどねー」
引き戻しはトバシ特有の現象で、言わば『エネルギー切れ』だ。
飛ばしている魂はあまりに消耗すると、肉体に引き寄せられる。
この強さにも個人差があるが、普通は桜のような全身のトバシのほうが強い。
テンフィンガーは並の引き戻しなら押さえ込めると自負していたが、昨晩のそれはあっという間に自身の飛ばせる限界の距離を越えてしまうような強烈なものだった。
「やっぱりニコタマだから、とかですか」
「ボクの知る限りではそういうのはないと思うんだけどねェ」
「まあなんでもいいじゃないすか」
煙草がもみ消される。
「あの子たちは俺たちの仕事にはこれ以上ない逸材。それ以上は考えんのやめましょ」
「――だねェ」
「そう、ですね」
それから少し、ちびちびビールを飲むだけの沈黙が訪れて
「……もっかい乾杯する?」
ベイビーの提案に、ふたりがのろのろと缶を掲げる。
「「「かんぱーい」」」
残り具合の不揃いな缶がぶつかって、不揃いな音を立てた。