Neetel Inside 文芸新都
表紙

物語はいつも傍らに佇みこちらを見ている
わたしの好きな人

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 その人は安月給だ。だけど、宿舎住まいを辛抱強く続けていたら、いつの間にか貯金額が二百万円を超えていた――わたしの好きな人は、概ねそんなような人だ。
 その人は月に一度、給料日の少し後にまとまったお金を下ろし、少なくともその月の間にATMの前に立つことはない。散財しない人なのだった。
 服は年に一回か二回しか買わない。朝食は基本抜きで昼食は給料天引きの安弁当。夜食も抜くことがある。わたしが食事を作る際、野菜を以前より多めに使うようになったのはこのためだった。さすがに栄養に気を遣ってやらないとヤバイ。健康診断の数値を見ると否応なく気付かされるその現実に。
 金を無駄に遣わないと、色々と淡白になる。なんというか、生きる上での余計な脂が抜ける気がしてくる。理解してもらえるか分からないけれど、そうしたところも好ましかった。わたしの好きな人は、そのすべてを好きになろうとして好きになれそうな、そんな人だった。
 でもわたしはたまに不安になる。感情はよく一方通行になるから。そんな時に、彼の世間一般からすれば決してイケメンの範疇には入らないであろう横顔を見つめると、ただただ好きだという気持がわたしの全てを覆い包んでくれた。そんな不安がいつまでも続くほど、わたしは心配性じゃなかったのだった。きっと浮気もしないと信じていた。だってわたしの好きな人だから。根拠はないと言われても、ある。


        *        *        *


 付き合いが長くなり、やがて3LDKのアパートを借りて同棲を始めるようになった頃には、わたしは彼とさらに深く繋がれた確信を得ていた。生活費は全て折半。わたしが夜勤の時には彼も食事を作る。共働きの、夫婦、らしい生活。アパートはもちろん彼の名前で借りている。まだ籍は入れていなくても、その事実だけで、わたしは彼の加護の下、ずっとずっと生きていけるんだと、幸福、そう幸福だった。わたしの好きな人は、どこまでも、どこまででも、ずっと。
 未来永劫、永遠に、一緒。
 大げさかもしれないけれど、心からそう思った。


 新しい生活は順風満帆だった。
 わたしと彼はお互いを補い合い、金銭面でも助け合い、初めは空いたスペースの多かった部屋にも段々と家財が置かれていった。それはパズルのピースを埋め込んでいく作業とどこか似ている。
 スタート直後から完璧な家庭は存在しない。わたし達も少しずつ埋めていけばいいと思った。部屋が家財で埋まったからといって、それでパズルが完成するわけでは決してない。『家族』というパズルはモノだけでは埋まらない。本当に難しいのは、モノで埋まらない"なにか"を探す作業だった。それには少し苦労しそうだった。わたしも彼も手探りだから。
 そのうち、わたしの好きな人は、服装がいつの間にかお洒落になってきていた。なんだか"脂ぎってきた"気がした。
 でも、人が、生きていくうちに、少しずつ変わっていくのは、至極当たり前のことだ。 なにもおかしくは


        *        *        *


 ない。

 
 どうして、的中して欲しくない予感ほど的中してしまう。
 違和感は次第に明瞭な輪郭をたたえて、私の視界を覆い尽くしていった。
 私の好きな人は私を好きでいてくれなくなった。
 もう我慢の限界だったのだという。
 結婚したいことを告げたあの日、彼は渋い顔をした。
 少し考えさせて、とこぼした。
 今思えばふわふわとした私の、幻想だった。傲慢だったんだ。
 贅沢をしないところが好き、などということは。
 もちろんそれだけが好きだったわけではなかった。だけど、「全てが好き」だというのは、恋の幻だ。全てを好きになれる人など私には、いない。
 よくある話といってしまえばそうなのかもしれない。職場の新入社員に色々と世話をしているうちに、好きになってしまったのだという。
 その子はとても可愛いというわけではないらしい。だけど、話がとても合う。何時間話しても話題が尽きない、と。
 そういえば最近話がすぐに途切れていたっけ。
 それに、笑顔がなかった。
 それなのに服のセンスはどんどん良くなっていった。
 変わっていくことはなにもおかしくない。
「あんたの思い込み激しいとこが合わなかった。俺、話通じない人、苦手だから」
 それも本当かもしれない。でも私はどうしても、考えてしまう。
 その子のほうが若くて可愛かったからじゃない?
 なにもおかしくはない。その方が、納得できる。
 話が通じないじゃ、私、人間的にどうしようもないってことじゃん。


        *        *        *


 3LDKは私一人の所有物になった。荷物は随分減った。彼が買った家財等は彼の新しい部屋に移った。その部屋に、私より若い女が通っているのかどうかは知らない。
 私は身に余るようになった部屋の中で、いつここから出ようか、そればかり考えている。
 暗いほうが落ち着く。




 なんで、上手くいかなかったんだろう。

       

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