Neetel Inside 文芸新都
表紙

物語はいつも傍らに佇みこちらを見ている
トイレの神様

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 布団に寝転がり、眠れれば楽になる、と自分に言い聞かせていた。しかしそれも長くは続かなかった。背中の痛みが限界を超え、俺は追い立てられるようにトイレへ逃げ込んだ。ただただ、助けて欲しかった。この猛烈な吐き気から。
 背中の痛みと吐き気に何の因果関係があるのかはよく分からない。身体の異常を示すサインなのかもしれないが、今はそんなことはどうでもよかった。とにかく胃の中で燻る消化吸収されないモノどもを身体の外に追い出したかった。嘔吐に慣れていない俺には、嘔吐の際の苦しみもまた恐怖だったが、このままでは何時間もひたすら苦しみ続けることになるのが必然だと思った。
 選択肢は二つだけだった。長く苦しみ続けるか、一瞬の恐怖を乗り越えるか――逡巡はあった。しかし、たとえどんなに迷おうと、辿り着く答えは初めから決まっている。
 決断する。吐こう。
 俺は便器にひざまずく。半ば祈るような気分で。
 神様。なるべく、苦しまずに、出させて下さい。俺を苦しませる消化不良の悪意の塊をどうか、あなたの内側で受け入れて戴けませんか?
 救いを求めながら、口を大きく開く。顎が外れるんじゃないか。指を突っ込む勇気はまるでない。俺はただ呻くだけで、どうにかなれ、と念じていた。
 どうにかなれ、どうにもならない、どうにかなれ、どうにもならない。そんな無限ループを続けているうちに口が閉じなくなってしまう。治すのに難儀しそうだ。顎の関節が痛みそうでゾッとする。
 決断したものの積極的嘔吐行為を怠っているうちに、なんだか、少し気持悪さが治まってきたような気になってきた。
 お、これは大丈夫じゃないか? 布団に戻るか? いやでも、根本的に問題が解決したわけでは……いやでも、楽になったならそれでいいわけだし? うんそうだよね~。
 自分内議論の結果、「吐かないで済むならそれに越したことない」という議長声明が採択され、俺は上体を起こした。すぐさま吐き気がぶり返してきて結局またひざまずいた。


        *        *        *


 そんなことを繰り返しているうちに、大分時間が過ぎた――ような気がした。明日だって仕事があるのにいつまでもこんなことしているわけにもいかないと、頭の冷静な部分が焦りだす。明日というか今日だが。
 ひざまずいたまま眠ってしまっていたんだ、と思う。急に時間が飛んだような気がしている。おかしな体勢のままだったからか、背中と膝が痛む。もっとも背中の痛みは、真っ当な痛みだ。痛みらしい痛み。昨日の夜の原因不明の恐怖を伴うような痛みとはまるで違う、まるで慣れ親しんだ親友のように思え、どこか愛おしかった。
 しかしよくもまあ、眠れたものだ。こんな体勢で。トイレなんかで。
 別にマメに掃除をしているわけでもない。独り暮らしだし。それに誰も来ないし。そんなトイレに神様なんて寄ってこないだろう。それでも、布団でも眠れなかった俺を眠らせてくれたことには、神様の優しさを感じずにはいられなかった。
 俺は身体を軋ませながら立ち上がる。吐き気は全くない。原因不明な方の背中の痛みも消えている。大人しくしているだけかもしれないが――いや、消えている。
 植村花菜のことを「地味なくせに執拗な宣伝で売れた便所女」なんて罵っていたことを心から詫びたいと思う。本当にごめんなさい。俺んちのトイレには神様がいましたよ、花菜さん。

       

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