Neetel Inside 文芸新都
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LittleBAR
02.競馬場のお酒

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 あの日――『LittleBAR』で初めてグラスを空にしてから、早いもので2週間経っていました。
 失恋のショックはあったものの、キョウコさんはそれなりに訓練された社会人。つらい顔はなるべく見せず、恋愛関係の話しを振られても軽く受け流し、うっかり元カレさんにメールを出しそうになっても送信直前で消去します(まだアドレスを消していないところが未練がましい)。
 特に変わった素振りを見せず、いつも通りに働いていましたが、お酒を呑む量は明らかに増えていました。
 まあ、そこはご愛嬌。

 さて、ある金曜日の夜のこと。いわゆる花金という日、キョウコさんはあのお店の前にいました。

(また来ちゃった……)

 そう、『LittleBAR』。今回は偶然などではなく、キョウコさん自身の意志で足を運んでいたのです。

 毎週金曜日の夜、キョウコさんは仕事が終わると恋人に会い、そのまま土曜日の朝まで共にするという習慣をもう何年も続けていましたが、皆さんもご存知の通り、2週間前にそれはなくなってしまいました。
 先週は数合わせの合コンに参加して振らず当たらずのフラワーイルミネーションとなったものの、今日は何も予定がありませんでした。ぶらぶらとまっすぐ帰宅しているつもりでしたが、この日も八剣伝で軽く引っかけて良い気分。そしてその脚でここに立っていました。

 帰宅しても予定はない。このままシャワーを浴びて眠るだけ。財布も軽いわけではないので、多少楽しんでも何ら問題はない。

 しかしそれでいいものだろうか。二十代後半の独り身の女が、週末バーに入り浸るというのはいかがなものだろうか――

(よーし、入っちゃえ)

 ――なんていう自問自答は一切起こらず、キョウコさんは軽い足取りで入って行きました。

 ・
 ・
 ・

「いらっしゃいませ」

 前回と同じように迎えられました。ですが、ちょっと様子が違いました。
 バーテンダーの表情が、ほんのわずかですが柔らかかったのです。言ってしまうと、初めてのお客さんに向けるそれではなく、顔見知りに向けるような、それ。

「ご来店、ありがとうございます」
「あれ? もしかして、覚えられてます?」
「ええ、もちろん」

 そう言われてキョウコさんの顔は熱くなってしまいました。お店で顔を覚えられる。それは近所のコンビニ以外では初めてだったからです。
 しかもここはいわゆるショットバー。キョウコさんも悪い気ではありません。

 ――が。

「いやぁ、あまりお客様が来られませんから」
「…………」
「餌を与えてもいないのに閑古鳥が羽休みをしていまして」

 これには思わずガッカリ。ですがバーテンダーから悪気は感じられません。軽いジョークのつもりで言ったんだろうと、キョウコさんは納得しました。
 おしぼりを受け取り、メニューを目の前に置かれ、さて考えます。

(楊貴妃……なんだろう、これ)

 前回でご存知かもしれませんが、キョウコさんはお酒のことはあまりわかりません。メニューはカタカナが並んでいるだけで、どれもこれもイメージが湧きません。

(モスコミュール、ジントニックは知ってる、居酒屋の飲み放題でもあるから。でもそれをここでわざわざ注文するのもアレだから……
 でも、場当たり的に注文するというのも気が引ける……)

「よろしければ、何かお好みのものをお作りいたします」

 パラパラと宛もなくメニューをめくっていると、バーテンダーがひっそりと言いました。
 しかし、好みのもの、と言われても困るのが人というもの。夕食の献立に「なんでもいい」という答えが最も難解であるということに似ています。

 あれこれ考えて、ふと思い出したことを言いました。

「ミント……ミント味の、お願いします」

 キョウコさんはミントがとても好きでした。夏はコンビニのチョコミントアイスを買い占めるほどで、デザートの飾りつけもムシャムシャしてしまうほど。
 ミントは好みが非常に分かれます。「歯磨き粉みたいで苦手」と言う人もいますが、キョウコさんは歯磨き粉すら食べてしまいたいほど、ミントは好物なのです。
 ……ちょっと誇張しすぎたかもしれません。さすがのキョウコさんも、歯磨き粉は食べません。

「ミント……そうですねぇ、炭酸は大丈夫でしょうか?」
「はい、大丈……いえ、強い炭酸はちょっと……」
「かしこまりました。微炭酸のものを作らせていただきます」

 今日は少々蒸し暑い気候でした。是非ともミント味で炭酸ですっきりとしたいところでしたが、先ほどの八剣伝でビールを呑んでお腹が少々膨らみ気味だったのです。

 細長い、多くの文字や絵が描かれたグラスが取り出され、そこにたくさんのミントが落とされました。

(あ、ミント)

 ふさふさと茂ったミントにうっとりしていると、そこに少量の炭酸水が注がれスリコギのような棒でグニグニと潰されてしまいました。

(ああああ、ミント……!)

 目の前で潰される好物。膝が折れてしまいそうな想いで見つめるキョウコさん。ちょっと大げさな気もしますが、それは酔っているせいと、それだけキョウコさんがミントを好きな証拠です。

 潰されたミントに、メジャーカップに入ったバーボン、果汁と何か(透明な液体。キョウコさんにはそれが何かわからない)。そこに粉々に砕かれた氷がザブザブと入ります。
 何度がかき回され、2本のストローと飾りつけのミントがたくさん乗せられて、キョウコさんの前に出されました。

「おまたせしました。ミントジュレップです」

 このとき、キョウコさんは戦慄していました。

(ウィスキー、ウィスキーが入ったよ今……!)

 実際にはバーボンですが、そんな違いはキョウコさんには些細なこと。「何かアルコール度数が高いお酒が入っている」というところで戦慄だったのです。
 前回のマティーニもたいがいのアルコール度数ですが、そこはイメージの問題なのでしょうか。

(これ、呑んでも大丈夫なのかな……)

 飾りつけのミントを指ではさみ、口の中へ。

 ムシャムシャ

 口いっぱいに広がるミントの味に目を細めながら、次のミントに見つめます。

(中の潰れたミントも食べたい……でも氷がこんなにあったら食べれないじゃないか。
 ……あっ、、このウィスキーも潰れたミントのエキスが含まれているはず。だったら呑まないわけにはいかない……!
 ……このストロー、どう使えばいいのだろう……?)

 いまいち使い勝手のわからないストローを二本とも咥え、吸い上げると――

「ふぁっ?」

(なに、これ?)

 じゅる、じゅるじゅるじゅる

「ふぁぁぁぁぁっ」

(ミント、すごくミント! なんで、なんでなんで!?)

 潰れたミントのエキス程度が混ざったウィスキー。それなのに、ミントの存在感がとても大きかったのです。
 まるでミントを原料としたウィスキーのように思えたのです。

「あの、これってっ」
「お味はいかがでしょうか?」
「すごく、すごくおいしいです! なんでこんなにミント味が」

 熱くなりすぎたところで、一口。ミントがキョウコさんの頭を冷やしました。

「こちらはミントジュレップと言いまして、毎年5月の初めの土曜日にケンタッキー州で行われます、ケンタッキーダービーのオフィシャルドリンクなのです」
「オリンピックで言うところのアクエリアスとかですか?」
「ははは、なかなか良い例えですね。ミントジュレップはバーボンを使用するのですが、そもそもバーボンにミントを漬け込んでしまうのです」
「バーボンに?(ウィスキーじゃなかったんだ……)」
「そうすることで、バーボンにミントの味が行き渡るのです」

 テイスティンググラスにそのバーボンを注ぎ、差し出しました。
 鼻を近づけると、バーボンの強いアルコール臭の中にたしかなミントの香り。それをグイっと呑み込むと、カッと口、喉が灼ける感覚の中に、ごくごくわずかなミントの風味。

(あんまり味しない……ちょっと苦い。でもこれがミントジュレップ…‥)

「げほ、げほ……すごく、辛いです」
「メーカーズマークというバーボンを使用しています。こうすることで、よりおいしいミントジュレップが作れるのです。
 ちなみにですが、そちらのグラスはオフィシャルグラスです。歴代の優勝馬の名前が書かれているですよ」

 たしかによく見れば、年代と馬の名前(読めないけれど)がずらりと並んでいる。それに馬のイラストも描かれています。
 優勝馬の数を見るにずいぶん歴史の古い競馬のようでしたが、キョウコさんはあまり興味がありません。ケンタッキーダービーのことも次の日には忘れていることでしょうが、ミントジュレップはおいしい、これはしっかりと覚えました。

「お客様は本当にミントがお好きなのですね」
「はいっ、チョコミントアイスもチョコがなくても平気です!」
「それはそれは。では、こちらはいかがでしょうか」

 別のテイスティンググラスを取り出し、そこに真緑の液体を入れました。
 比喩なのではなく、真緑。縁日のかき氷のシロップを彷彿とさせる、真緑。少し不気味なほどの、真緑でした。

「緑、ですね」
「はい」
「真緑ですね」
「はい」
「これは、何ですか?」
「ミントのリキュールです。おそらく、これ以上濃いミント味のものはないと思われます」

 濃いミント味。好奇心と不安、半分半分の気持ちでそれをコクリと一口。

「ィィィィィィィィッ」

 目を堅く閉じ、歯を食いしばりました。甘い、とにかく甘い。表情を崩してしまうほどの激しい甘さ。
 そして、ミントを液状化させたような、ミント以上にミントの味。逆に、ここまで濃厚だと別のもののようにも思えました。

「ウウウウぅぅぅ、これは、ちょっとキツイです……」

 さすがのキョウコさんもギブアップ。すでにバーテンダーは水の入ったグラスを出していました。ちょっとした悪戯心、こんな結末を予想していたのでしょう。
 受け取った水を飲み、ミントジュレップで口直し。一息つくことはできましたが、ミントジュレップは空になってしまいました。
 液状ミントに懲りたのか、グラスの中の沈んでいたミントへの未練はなくなっていました。

「あのぅ」

 そう、グラスの中のミントへの未練がなくなっただけ。

「強い炭酸のほうも、ください」

 バーテンダーはニコリと微笑み、新しいグラスを取り出しました。

     


■コラム 第2回~作者、ミントを語る~


◆ミントジュレップ
 第2話目にして、早くも作者の好みが爆発してしまいました。
 作者もミントが好物で、チョコミントアイスではスーパーカップが最強かなと思っています。ハーゲンダッツもおいしいけどね。
 作中ですべて書き切ってしまいましたが、ケンタッキーダービーの公式ドリンクのようです。その起源はわかりませんが、賭け事しながら爽やかなお酒を呑むというのはちょっとシュールな気がします。ですが、日本の野球はビールが合うかなと思います。優劣じゃなくて、雰囲気的にですが。

◆モヒート
 炭酸が強い方の、ミントが使用されるカクテル。炭酸が効いているので夏場に呑むのに最適。作者もしょっちゅう呑んでいました。
 モヒートと言えばバカルティのラム(あのコウモリマークの海外のお酒メーカー。お笑い芸人の旧名ではない)
 バカルディ、そしてモヒートと言えば、最近サッポロビールから出たバカルディモヒートの缶。コンビニで売っているのを見たときは、いよいよカクテルも缶の時代が来たのかと驚いたものです。味は、まあ、アレでしたが……
 やはりお家で作るのが一番、ということで、炭酸水を注ぐだけでモヒートが作れる、そんなものをバカルディが販売しました。

 ↓これのこと
 http://store.shopping.yahoo.co.jp/bigbossshibazaki/2114120000036.html

 別にバカルディの回し者ではありませんが、おすすめなので機会があればぜひ。

◆真緑
 作中では商品名を出していませんが、ペパーミントジェット27というリキュールのことです。

 ↓これのこと
 http://www.musashiya-net.co.jp/products/details298.php?PHPSESSID=0gh926cfr7hh1465kn71n8f2m1

 モッキンバードとかに使われますが、それ以外には何に使われるのだろう。
 今回の話を書くため実際にストレートで呑んでみましたが、キョウコさんと同じような反応をしてしまいました。さすがのミント好きもこれは無理ですw
 ちなみに、炭酸で割るとおいしいと聞きました。

◆ストローが2本
 クラッスドアイスが使われるロングカクテルでは、たいてい2本のストローが刺さってきます。見たことある人も多いと思います。
 あれがとても気になって尋ねたところ、「ストロー2本で吸う量は、グラスに口をつけて一口呑む量と同じだから」という答えはいただきました。
 ストローの口径に依存するような気もしますが、たしかに同じぐらいの量でした。これが正解かどうかはさておき。
 決して、バカなカップルが2人いっしょに呑むためではありません。

◆楊貴妃
 メニューで見ただけなので、実物を見たことも呑んだこともありませんが、作者も気になっていたので作中に出してみました。
 調べてみるとレシピもあって、けっこう綺麗なショートカクテル。気になりますが「楊貴妃ください」とは注文しづらい……

       

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