「中止ってどういうことよ!」
一寸先にも洪水警報が発令されそうな窓越しの風景を一睨みしてから私の机に両の平手を叩きつけた彼女は、異議あり、とでも言いたそうな格好のままこなれた様子のガンを垂れました。
私に申されましてもいかんとも。文句を垂れる対象としては、ある意味正解なのですが。
「まあまあ、この大雨じゃ仕方ないですよ」
「せっかく楽しみにしてたのに。この程度の天気で切り上げるなんて軟弱すぎやしない?」
「レンジャー訓練じゃないんですよ」
何が降ればあなたの納得ラインに到達するんですか。ハンドボール大の雹とかですか?
ですがまあしかし、即座に体育祭の延期を決定したのは、教師陣が予想より賢明だったと言わざるを得ません。
昨年は雨のしとしと、時にざんざか降りしきる中で強行し、多量の病人を仕立て上げる蛮行によって生徒や保護者からの不評を多量に買っていましたから。ちなみに決定した本人達はテントの下でのうのうと雨をしのいでいました。そんな汚れた大人たちのことなので、下手をすれば雷神の脅しにも屈しないかと懸念していたのですが、PTAに水面下で脅しを掛けられでもしたのでしょうか。遠い神より近くの保護者。人間関係って怖いですね。
花の女子高生は私の前にあるトイレ休憩中の相沢くんの席を乗っ取ったまま、溶けるように我が机にへばりつきました。椅子の背を避けて開いた足が中身的な意味で危うげです。はしたないなあ。
「あーあ、弁当もいつもより多めに用意したってのに、これじゃあ食べきれそうにないなあ」
運動をすれば胃の用量が増大するというのも、一種の超能力でしょうか。
「あ、それなら、私に分けて頂けませんか。珍しく用意できなくて、売店で妥協しようと思っていたところなのですよ」
ほがらかな精神を口から絞り出しつつ打開策を提示する私に対して、
「あーあ」
と眼前に伏せたまま、往生際の悪いくぐもった声を転がしてくれました。そんなに返しにくい球でしたか?
この会話のキャッチボールがエクストラモードな女の子は藤さんといって、私にとって唯一の友人と呼んでも差し支えない、と思われるクラスメイトです。というのも、友人を必要としない私に向こうが勝手に絡んできて、開始早々縁が腐れかけたような状態で始まった危うげな友情なのですが、二人組を組むときなどに助かっているから良しとします。
人の話を聞かないから相手にされなくなるんですよ。とのアドバイスは可哀想なので胸中に留めておきます。
凹んでいる友人の茶っぽいショートカットを撫ぜながら、なんとなく外を眺めてみます。雨はやむどころか激しさを増し、大粒の雨が締め切った窓ガラスを軽快に連打しているせいで、ワイパーの壊れたフロントガラスみたいになっています。もはや景観も透明ガラスのレゾンデートルもあったものではありません。
時折雷がピカッと光って薄暗い教室を照らし、バリバリグワシャーンと遠慮なく大気をつんざいていきますが、もはやクラスメイトは慣れたもので、読書に集中する天才のように雑音を精神から追い出しつつ男女交えて談笑に励んでらっしゃいます。グラウンドから避難して着替え終えた辺りまでは嬌声を響かせていたのに、逞しいというか、甘え上手というか。
各教室のデフォルト設備である白地のシンプルな時計に目をやると、そろそろ校内放送で指定された時間に針が及びかけていました。そちらも問題なく中止させる手段が浮かばない私は、ただただ来る苦行に雌伏するのみ。
ああ、噛みしめる無力感。これが授業料ってやつなのですね。
「せめてさあ」
猫をなだめるように毛を弄っていた手を押し上げて、藤さんの顔が中途半端に前を向きます。
「代替授業ってのは、ナシにして欲しかったよねえ」
「ですよねえ」
脊髄から同意してしまいました。
仕方がなかったんですよ。まさか天候を操れるなんて思わないんだもの。
三角座りで運動の素晴らしさに関する演説を聞き流しながらふと思いついて、試した結果がこのザマですよ。
ええ、そうですとも。一番の容疑者は誰であろう、この私ですとも。
どうせならもうちょっと早めにしておけばと、後悔している次第であります。
もちろん自覚も曖昧なれば証拠もないので、あくまで容疑。可能性に留まるのみですよ。
超能力者知咲子なんて、可愛げのない魔法少女じゃあるまいし。
漂っていた堕落した空気がちょっぴりしまり、教師の訪れと、次いでウェストミンター式のチャイムが授業の始まりを告げました。藤さんはゾンビのような呻きを上げつつそれっぽい身のこなしで廊下側の自席に引き返し、本来の権利者である相沢くんが待ちわびていたように入れ替わります。なぜだか申し訳なさそうに会釈をされたので、二人分のを込めて頭を下げておきます。本人が反省していないので、意義が薄そうな気もしますけれど。
きりーつ、きをつけー、れーい。地獄の始まりー。