錆び付いた扉を開けると、蝶番の擦れる音が響いた。
この時間なら当然だが、礼拝堂内は真っ暗で誰もいない。ヨハネスは中央へと進む。
天井を見上げると、ステンドガラスから月光が降り注ぎ、彼を幻想的な気分にさせる。
「‥‥深夜の来客はあまり歓迎できないなぁ」
声のした方を向くと、半開きの扉から、薄汚れた格好をしたこの教会の神父らしき男が姿を見せた。
「大丈夫だ、ネスビット」 男は片手を上げ、ヨハネスの後方の空間に声を掛ける。
振り向くと、修道女が両手に銃を持ち、ヨハネスに照準を合わせていた。
「廃れた教会にしては、やけに用心深いな」 ヨハネスはニヤリと笑う。
「物騒な世の中なんでね。野盗ならこのまま蜂の巣にさせて貰うんだが、招かざる客ってわけでもない」
イヴ神父はそう言って振り返り、扉を開け放つ。
「待っていたよ、魔族の末裔ヨハネス君。こっちの部屋で話そう」 イヴ神父は部屋へ入った。ヨハネスもそれに続く。
部屋にはおびただしい数の書物が溢れていた。3人が入ると、ろくに足の踏み場もない。
「ネスビットは来なくていいぞ」
「ちぇっ」 彼女は舌打ちをして部屋を出る。
神父は扉を閉める。 「こんなへんぴな教会にまで捜索隊が来たよ。何しろ聖帝が殺されたんだ、守護隊は血眼になって犯人を探している」
「俺が来ることがわかっていたんなら、守護隊に待ちぶせさせれば良かっただろう?」
「そうしても良かったんだが、友人から君への伝言を預かっていてね」
「‥‥アンリが此処に来たのか」 ヨハネスが意外そうに呟く。
「一昨日ね。彼は君のことを心配していたよ」 イヴ神父は机に腰掛け、アンリに話した内容と同じ説明をする。
「腐っても神聖教会‥‥か。パイモンめ、ふざけやがって!」 ヨハネスは声を荒げる。
「パイモンが君と契約した悪魔か。有名な大悪魔だ。はっきり言って、君の置かれた立場はかなり悪い。絶望的と言ってもいい。君が四大精霊に助けを求めてることを知ったら、パイモンは妨害をしてくるだろう。まあ、契約をしている以上大ぴらに邪魔は出来ないだろうが‥‥」
「ふん。復讐を果たせれば、俺の命など二の次だ」 ヨハネスは吐き捨てるように言う。
「君からしたらそのくらいの覚悟をしての行動なんだろうが、アンリ君は君を救うために動いているよ。いい友人を持ったな」
ヨハネスは沈黙する。
「しかし、エル・シド聖帝を倒して君の復讐は果たせたんじゃないのかい?」
「エル・シドは駒に過ぎなかった。倒すべき相手は他にいる」
イヴ神父は目を細める。 「知っていたか。誰から聞いたんだ?」
「エル・シドの今際の言葉だ」 ヨハネスは微笑して答える。
「そう、十字軍を編成したのはエル・シドじゃあない。先代の聖帝だ。彼は私怨から十字軍――魔族討伐軍を編成したのさ」
「‥‥私怨?」 ヨハネスは眉根を寄せる。
「君と同じ、復讐さ」
「何故そんな事を知っている? 貴様は何者だ!?」
ヨハネスが問い詰めると、イヴ神父は瞼を閉じる。
「‥‥先代聖帝リオネル・オーギュスト・レオンは、俺の父だ」
「ここがウンディーネの聖域か」 僕は船から降り、真っ白な砂浜に足を着ける。
水の精霊ウンディーネの聖域は、直径5km程度の小さな孤島だ。ヒューマンの手は入っていないはずだが、というよりもむしろそれが理由なのか、とても美しい島だ。
ウェンディが僕の手を取り、上機嫌に道案内をする。根が剥き出しになった細長い木々の間を縫って30分ほど歩くと、湖が見えた。動物の鳴き声と風が葉々を揺らす音だけが聞こえる。静かな場所だ。
「綺麗な湖だな」 水は驚くほど透き通っているが、相当水深が深いのだろう、湖は濃い青色をしている。
ウェンディが湖の畔に立つ。すると、水面がみるみるうちに膨れ上がり、中から竜が現れた。
「お帰りなさい、ウンディーネ」
水竜がウェンディに頭を垂れ、僕をちらりと見る。
「おお‥‥お相手を見つけられたのですね、おめでとうございます。すると、本日は祝霊の儀ですね」
「うん」 ウェンディが照れくさそうに答える。
「では神殿へどうぞ」
水竜がそう告げると、湖が二つに割れ、中から階段が現れた。
「‥‥もしかしてこの階段を降りるの? ウェンディ」
僕が聞くと、ウェンディは頷く。
ウェンディに続き、ひやひやしながら湖底への階段を降りる。
暫く進むと、湖底神殿に到着した。どういう理由なのか、湖底まで光が届いている。水面を見上げると、光が神秘的に煌めいている。
「さっきの水竜が神殿の守護者なのかい?」
「うん。それと、シードラゴンは私達の親代わりでもあるの」
「そうなんだ。ウェンディの家族のこと、聞いてもいいかな?」
「家族といっても、姉が一人いるだけ。普通は祝霊を受けたら会うこともないけど‥‥」
「お姉さんは自分からヒューマンの元にとどまったんだよね。一体どうしてなんだろう‥‥?」
「きっと、姉には姉の考えがあるのよ」
そう言って、ウェンディは神殿へ入る。僕も彼女に続く。
神殿は大理石で出来ているようだ。白と黒のマーブル模様が壁全体を覆い、等間隔に火が灯っている。
ウェンディの言うように、神殿には僕らのほか誰もいないようだ。神殿内を真っ直ぐ進み、一室に入る。
「祝霊の儀式って、どんな感じなの?」
僕が聞くと、ウェンディは僕に向かい合い、ためらいがちに告げる。
「契りを結ぶの」
「契りって‥‥?」
ウェンディは恥ずかしそうに僕を見ると、ローブを脱いで床に落とし、象牙色の衣一枚になった。
「まさか‥‥」
彼女の真っ白な素肌が視界に写り、僕は慌てて視線を逸らす。
「‥‥嫌なの?」
「嫌じゃない‥‥けど、こんな突然」
僕は何かに足元をすくわれ、仰向きに後ろへ倒れる。
すると、僕の身体が空中で停止した。
目を開けて真下を見ると、水の膜がクッションになり、僕の身体を支えている。
ウェンディが僕に跨がり、接吻をした。
――う‥‥‥。
頭の芯が痺れるような感覚。
僕は思わず身体を入れ替え、彼女に覆い被さる。
長いまつ毛と海色の瞳が僕の目の前にあり、彼女の少し荒い息遣いが聞こえる。
「ウェンディ‥‥」
「伴侶と口付けを交わすのが、ウンディーネの祝霊の儀式なの」 ウェンディが言った。
「‥‥え、口付け‥‥だけ?」
僕が呟くと、彼女は首をかしげる。僕は慌てて身体を起こす。
「そ、そうなんだ! いきなりだったから、驚いたよ」
彼女は頬を染める。 「ごめんね」
僕はほっとしたような、がっかりしたような気持ちだ。慌てて水の支柱から降りる。
――別にローブを脱ぐ必要はなかった気がするけど‥‥。
「もうこれで祝霊の儀は終わり?」
「うん」
外見上、特にウェンディの何かが変わった様子はない。
僕がそう告げると、ウンディーネは生まれてから死ぬまでずっと同じ姿であり、外見が変わることはないとウェンディから説明を受けた。
しかし、これで幼精から精霊に変わったらしい。
「ウェンディ。早速だけど、お願いがあるんだ。ウェンディは会ったことがなかったと思うけど、僕の知り合いが悪魔と契約をしていて、彼を救うために四大精霊の助けが必要なんだ。ウェンディの力を貸して貰えないかな‥‥?」
僕がそう言うと、ウェンディは二つ返事でOKをした。