どどめ色の露
食人族
私は以前、海外に出張した際に食人を文化として行っている部族の取材をすることができた。彼らは死者の魂を分けあうという意味合いを込めて、頭部以外の肉を一口ずつ食す。そして残った遺体は火葬するのである。彼らの火葬は薪で行うため、一晩中火を絶やすことができない。偶然、運良く、と言うべきではないのだろうが、一人の若い娘が崖から転落して亡くなったというので、葬式の一部始終を見学することができた。彼女の母親らしき目の下に赤い装飾をしている女性が何度も近付くなと言っていた場所に、若い娘は度々その言を破って行っていたらしく、その母親は横たわり張りのある乳房を曝け出している自分の娘に、罵倒とも後悔とも付かない言葉を投げ続けていた。
若い娘は崖の下の川で溺れ死んだらしく、発見も早かったので美しいその体と濡れた髪が異様な色気を放っていた。人々は沈痛な様子で佇んでいる。しかし、全ての人ではない。集落には当然いくつかの家庭があり、若い娘の家族と知人、族長とその家族以外は日々の生活の為に忙しげに動いている。通訳の青年によれば、場合によっては死者の家族の家事を隣同士で肩代わりすることもあるのだという。小さな集落だからこそ、そういった助け合いもありうるのだろう。
族長らしい厳めしい格好をした年老いた男に指示されて、中年の小太りの女性が若い娘の手足から肉を削いでいく。そして彼女の親族と友人たちがそれらを口にし、族長が最後に二口食べた。人間の、それも生の肉を彼らは彼女との思い出を浮かべるようにじっくりと咀嚼していた。死者の傷口からはどす黒い血がゆったりと滴っていた。
その場にいる全員が肉を呑みこんだ事を確認した族長は、何やら私たちの国でいうお経の様なものを唱え始めた。通訳を頼んでいた青年によると、族長とその跡継ぎにだけ許された、神との対話法なのだそうである。それが小一時間続いた。きっと人々は意味も分からずにその言葉を聞いているのだろう。しかし、彼らにとってその言葉が何を意味するのかはそれほど重要な問題ではないのかもしれない。自分にできる最大の弔いさえできればいい。葬式はある意味で自己満足だ。今でも私はそう思い続けているが、その原始的な葬式を目の当たりにしている時だけは、魂の営みという、目に見えないものの存在が信じられた。すなわち、これらは大きな流れの一部に組み込まれた、抗いようのない運命に対する祈りなのだ。
最後に彼女の周りに薪や花束がありったけ捧げられて、火が点された。高々十数年の月日しか生きることができなかった、哀れな少女が、土へと還っていく。彼女の体を構成するタンパク質が、業火によって変異していく様は、大量の薪のせいで伺うことすらできない。私は初めこの集落に来た時に、中心部にある巨大な広場に違和感を覚えたことを思い出した。この猛り狂う炎を想定した広さだったのだ。彼女の火は、彼女の知人以外からも悼まれた。一人の女を構成していたものが、天と地に分かれていく。その神秘的な光景が、今でもありありと思い浮かべることができる。
彼女を包む火は、それから薪を足されながら夜を徹して集落を照らし続けた。
◇ ◇
私は帰国し、早速この記事に取りかかった。しかし、誰一人として、この人食い人種の存在すらを認めようとはしなかった。私はあわや精神鑑定まで受けそうになったが、何とか日常を取り戻すことができた。
◇ ◇
これらが実在しないことを誓約することを以て、公表の許諾を得ることができた。本作はすべてがフィクションによって作られている。絶対に信じないようにしていただきたい。