Neetel Inside ニートノベル
表紙

後藤、家燃えたってよ
最終話

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 地柱町の女子がなぜこれほどまでに強いのか、という疑問に関しては「喰ってるメシが美味いんじゃねえか説(ご飯派)」と「そもそも俺たちが弱すぎるのではないか説(虚弱派)」の二つが主流だが、ちょっとした伝説を引っ張り出すこともできる。
 町内会のジジババいわく、昔、地柱町には神様がいたという。べつに珍しい話じゃない、日ノ本の国には八百万の神様がいるんだからこんなクソ田舎にだって十柱や二十柱の神様ぐらい掃いて捨てるほどいたわけだ。で、その中でもリーダー格だったっぽい神様は女で、土地の農民(立花家説あり)に向かって貢物が少ないとか、お祭りが地味とか、男の百姓が寝てばっかで仕事しない(芥子川家説あり)とか、そういったことですぐ怒る神様だったのだとか。何かにつけて雷は落とすし(ぴしゃあ!)、川は氾濫させるし(どばあ!)、蟻を殺せるかどうかを確かめるために日照りで地面砕いたり(あちい!)、そういうクソな女神様だったのだという。
 で、その女神様が産女(むすめ)になった頃、最寄の村に出向いてきて、「ダンナをよこせ」と言い出した。てめえの輿入れ先くらいてめえで探せと芥子川のひいひいひいひいじいちゃんあたりは思ったらしいんだが、まァ仕方なく、あんまり百姓仕事が向いてないっぽい、口減らしまで考えられていたひ弱な男子がその女神様のダンナになった。哀れなその男子は、もともと他所から来た人間のジュニアだったとかで、結構村八分的な感じだったらしい。まァだからぶっちゃけ死んでもいいかくらいな気持ちで婿に出されたらしいんだが……
 その女神、ツンデレだったらしい。
 最初はぶーぶー文句を言っていたくせに、一緒に裏山の祭壇で暮らしていくうちに嫁心がついちゃって、段々デレはじめた。収穫期の実りを「べっ、べつにあたしがやったんじゃないんだからね!」と言いながら増やしてくれたり、大雨で川が溢れると余剰な水に焔の球をぶつけて蒸発させたり(威力がありすぎて黒木家の祖先の家が粉々に吹っ飛んだという伝説も物語となって残っている)、蟻さんが道を通る時はしゃがんでその通り過ぎるのを待ち始めたとかいう。だが、光陰矢の如し、楽しければ楽しいほど時間というものは無残な速度で駆け抜けていく。ある日、その女神様のダンナのところに他所の土地からやってきた別の女神がちょっかいを出してきた。愛するダンナがでれっでれになって知らない女と日本酒舐めてるのを目撃したわれらが地柱の女神様はそれはもう大層お怒りになって……
 お怒りになって……
 ……その後どうなったのか、小三の頃に学習塾へ通ってた頃の話だから、もうよく覚えていない。地元のやつらでも全然そんなの知らねえって奴が結構いる民間伝承なんだが、なぜか俺はちょっと気に入っていてさわりの部分だけ覚えている。
 タイヤ引きずり回すだけでバス蹴倒すアホがそばにいたから、納得のいく理由の破片だけでも欲しかったのかもしんない、当時の俺。
 つーわけで、そういうスゲェ強い神様が昔っから住んでる土地だから、その子孫の女の子たちには昔ながらの神様の恩恵みたいのがあって、地柱では女の子が生まれると物凄く喜ぶそうな。男の子でも喜ばれるが、わりと結構産湯の漬け方とかが雑。
 しかし俺は今日ほど男子に生まれて、そして地柱の土地で生まれずに済んでよかったと思った日はない。
 ついていけねーよ、こんなキャットファイト。





 攻めているのは天ヶ峰だった。この頃はまだお菓子を喰っても腹が出るだけで済んでいた超軽量級のフットワークは速ぇとか巧ぇとかいうレベルじゃなくて心なしか分身していた。手ブレ補正をかけたカメラでもちょっとボケるんじゃねえかってくらいにぴゅんぴゅん軽快に動き回っては透明なフェイントの散弾をばら撒いている。相手が荒宮じゃなければちょっとそこらの女子ではどうにもできないレベルだろう。まさに神がかり。
 が、荒宮も負けてはいない。赤い靴を履いた女の子は死ぬまで踊り続けるとかいう童話があるが、荒宮のダンスは付き合う相手の方が死ぬまで続く悪魔的な舞いだった。くるくるくるくる回転しては天ヶ峰の本命パンチを、右手に抱えたぬいぐるみでパリングしていく。時々ラフな足払いをかけては天ヶ峰の姿勢を崩し、ビンタを見舞っている。頬を赤くした天ヶ峰はすぐさま距離を取るか、あるいは逆に詰めてもみるが、どうしても荒宮を捕らえ切れない。
 俺は痛みのあまり夢現になりながら、それを見上げていた。
 天ヶ峰が苦戦している。荒宮は余裕たっぷりに、ずれた髪留めを左手で直す始末。
 なんというか、べつに、腕折られてなかったら自分がどうこうできたとか、思うわけじゃないけど。
 何も出来ずに転がっているのが、俺はたまらなく悔しかった。天ヶ峰を助けたいなんて気持ちはないし、むしろあんだけ強いなら早く倒せボケとか思うんだけど、それでもなんも出来ないのはスゲー嫌な気分だった。
 畜生。
 とっととやっつけちまえよ、バカ。
 いつもみてえにさあ。ぱぱぱあっと。
 余裕だろそんなやつ。現に俺の知ってる中二時代では圧倒的大差で最後は決着がついて、荒宮は引っ越しちゃったし。
 だから、こんなのおかしいんだよ。
 ……天ヶ峰が、負けそうなんて。

「――――ッ!!」

 俺から見ても頭の捌き方が甘かった。右手で振りぬかれたリーチの長いぬいぐるみパンチをかわしたものの、返す刀の左ショートアッパーが天ヶ峰の顎を撃ちぬいていた。足に来たと一目で分かった。天ヶ峰は転がるように飛び退いて、ダウンなんてないし、両手両足でアスファルトを噛んで狼みたいな姿勢になって荒宮を睨んだ。それがすでに甘かった。転がっていた空き缶を荒宮が赤い靴で蹴り抜き、それが天ヶ峰の顎に多段ヒットした。いくら化物でも脳味噌は柔らかい、脳震盪を起こした天ヶ峰はいよいよぐらつき、倒れこんだ。荒宮がアスキーアートみたいな高笑いを巻き上げながら、天ヶ峰に襲いかかろうとした時、俺の靴が荒宮の後頭部に当たった。
 もちろん、投げたのは俺だ。
「…………」
 悪魔がこっち見てる。やめて。こっち見ないで。俺は顔を俯けて唇を噛んだ。やっちまった。手ぇ出さなきゃよかった。これで俺の未来は亀甲縛りで深爪祭りだ。ごめんで済んだら誰も死なねぇ。さらば親父。待ってろよお袋。
 だが、最後にもう一矢、報いてやる。
「きたねえぞバーカ!!」
 悪口くらいしかもう出来ることがない。
「そんな凶器(ぬいぐるみ)振り回してよ、素手でやれ素手で! この弱虫が!!」
「……あ?」睨まれた。
「ごめんなさい。全部嘘です」
 小声で慌てて謝罪したが、やはり効き目はなかった。女子って野蛮。
 俺は態度で示そうと思って片手拝みにうろ覚えのお経を唱え始めたが、地柱の女神様はすっかり引退しちゃった後みたいで全然降りてきてくれないし、俺よそ者だからご先祖様の霊魂とかこの辺にいないみたいだし、ああもうホント駄目。なにあの眼。テレビから這いずり出てくる人だけでしょあんなん。目薬差せよ。
 俺が固く目を瞑って来るべき恐怖に覚悟を決めようとした時、轟音が響き渡った。俺が折檻された音ではない。薄く眼を開けた。
 天ヶ峰が、地面に拳を撃ち当てていた。
 割れてる。

「……あんたの……相手は……わたし……でしょ……?」

 全力疾走した後のように息切れしながら、それでも天ヶ峰は笑う。

「逃げんな、バーカ……」
「……どいつもこいつも」
 荒宮が引きつった笑顔のまま、俺に背を向ける。
「誰がバカなのかな? 私より弱いくせに」
「……ふっ」
 天ヶ峰は、不敵に笑ったりしなかった。
 軽く泣きかけていた。
「ふっ……ぐっ……ううっ……」
 涙目になって、それでも唇を噛んで相手から視線を逸らそうとしない。
 その態度が荒宮のカンに障ったらしい。神経質なため息のあとに、荒宮は言った。
「……よく分かったよ。やっぱりあなたがすべてのガンなんだ。あなたがいるから全部おかしなことになる。諸悪の根源はあなた。あなたさえいなくなれば、後藤くんは私のものになる。そうだよね? 後藤くん」
 俺はいま、NOと言える日本人になりたい。
「待ってて、いまあの女を倒してくるから」
「……へっ」
 俺は痛みに耐えながら、ちょっと笑った。
 言いたいセリフは、天ヶ峰が代弁した。

「……やれるものなら、やってみなよ」

 では、遠慮なく。
 そう呟いて、荒宮が駆けた。
 勝負は一瞬でついた。
 左の射程距離に入った瞬間、天ヶ峰が後にさらに洗練されることになる見よう見まねの『ジャブ』を撃った。これはギリギリのところでスウェーバックを取った荒宮によってかわされ、天ヶ峰のジャブは相手の髪留めに触れただけで終わった。スナップを利かせて引き手を取った時にはもう、腕+ぬいぐるみの凶悪なリーチから放たれる金属仕込みの荒宮蒔火の右フックが天ヶ峰のテンプルを撃ち据えていた。鈍い音がした。ずるり、と天ヶ峰の顔が落ちる。が、
 眼が死んでいない。
 そのこめかみから血が一滴流れた。そしてその血は、なぜか天ヶ峰の頬に張りついていた『綿』に吸い込まれて、それを赤くした。
 荒宮蒔火のぬいぐるみが裂けた箇所から溢れた、綿だった。
「っ!?」
 荒宮は咄嗟に理解できない。が、俺には一部始終が見えていた。天ヶ峰はジャブをスウェーされるのを見越していた。つくづくどこで覚えてくるのか知らないが、戦闘センスだけはバツグンに優れている奴だ。かわされた左を引き際に荒宮の髪留めを抜き取り、それを引き手を取ると同時に手首の返しだけでダーツのように投げ放った。天ヶ峰のダーツなどボードが壊れる威力はある。人間砲台から撃ち放たれた髪留めは空気を切り裂きついでにぬいぐるみを切腹させ、綿を溢れ出させた。
 それで『空気抵抗』が生まれたわけだ。
 邪魔な風に纏わりつかれたぬいぐるみは速度をほんのわずかに失い、天ヶ峰のテンプルを打ち据えながらも決定打にはならなかった。
 そして、今。
 天ヶ峰の前に、がら空きのボディがある。
 荒宮はガードしようとしたが、もう遅い。
 天ヶ峰のフィニッシュブローが、唸りを上げて荒宮の腹腔にブッ刺さった。

「……げえっ……」

 そのパンチの名前は、『ショベル・フック』。たわめた右拳を掘り出すように横隔膜にぶち込む凶悪なボディ・アッパー。
 いずれ真似する男子が続出し、学級会で問題視され、校則によって禁止されるという珍事を巻き起こすことになる、かつての天ヶ峰の必殺の、そして何の情報もなく我流で習得したオリジナル・パンチ。
 それを喰らって立っていられる奴はいなかった。
 荒宮がその場に崩れ落ちる。天ヶ峰はそれを一瞥もせずに、通り過ぎた。俺に向かって歩いてくる。
 俺はなんだか、眠くて眠くて仕方なかった。急に視界が霞み始めた。まさかアイツあまりまくった血の気の果てに俺を八つ裂きにする気じゃあ、と虎を前にしたガゼルのような恐怖を感じたが、違った。
 もはや反応もできなくなった俺のそばにしゃがみこみ、天ヶ峰は俺の身体をゆさゆさと揺らし始めた。痛みすらも消え始めていた俺は、雨上がりのような曖昧な光の中にいる、黒い影を見上げることしかできなかった。
「後藤」
 ゆさゆさ。
「後藤」
 ゆさゆさ。
 俺はもう、喋ることができない。
 何も言わない俺の頬に、ぬるい雨が落ちてきた。
 夕立だ。
「ごとぉ……」
「……あま、が」
 駄目だ。
 寝る。
 寝――









「後藤ぉ―――――――――――――――!!」
「ぎゃああああああああああああああああ!!」




 俺は飛び起きた。勢い余って壁に頭をぶつけた。いってぇ。いやそれどころじゃない。スゲェ声が耳元で炸裂して鼓膜がキンキンする。なんだ、何事だ。俺はわけもわからずファイティングポーズを取り、周囲をぶんぶん見回していたが、やっとすぐそばに誰かがいることに気がついた。しゃがみこんで、俺を覗き込んでいる。
 私服姿の天ヶ峰だった。
 十七歳の。
「よっ」
 俺は黙って首を振った。
「よせ。殺すな」
「そんな! まだ大丈夫だよ」
 まだってなんだよ!! と叫ぼうとして、俺は強烈な頭痛に見舞われた。いってぇ。天ヶ峰の大音声とは関係ない、なんつーか、二日酔いみたいな痛みだ。うおお……コリャ辛ぇ。
 天ヶ峰が不思議そうに俺を見ている。
「どしたの? 後藤。悪い夢でも見てたの?」
「夢?」
 夢……そう言われれば、今の今まで何か妙な夢を見ていた気がする。だが、何も思い出せない。全ては細やかな記憶の粒子になって俺の脳髄のどこかへとトイレを流したように消え去っていた。俺は頭を振った。
「……寝てたのか、俺」
「河川敷でね」
 頭上は、地柱橋だ。時折通る車のガタガタ言う音が聞こえてくる。
「なァ天ヶ峰。おまえ最後にショベル・フック撃ったのいつ?」
「小五」
「そうか……」
「なんで?」天ヶ峰がサンダルをよちよち進めて俺に身を寄せてきた。やめて。
「……いや、なんとなく」
「ふーん。……確か男子が真似し始めて学級会で禁止されたんだよね? そうそう、あれから足技使わなきゃいけないから苦労したんだよねー」
 つまんねえ法律やルールなんかくそくらえだということがよく分かるエピソードをありがとう。どうすんだよコイツ余計強くなったぞ。
「ってか後藤、家燃えて、それからずっとここにいるの?」
「ん? ああ。親父が家なくてもなんとかなるっしょ的なことを言い出して、仕方ねえから野宿した」
 アテにしてた桜乃ちゃんは男の子だったしな。ホントにもうこの町は狂ってる。後藤タクサン。現実キライ。
「じゃあ今やっぱり、家ないんだ?」天ヶ峰が、べつに興味ないケド、みたいな声音で聞いてきた。
「んだコラ悪いかコラ」
「べつにぃ。でも後藤って弱っちぃんだから、こんなところで暮らしてたら風邪引いちゃうよ?」
「へっ。死にゃしねー。文句あんなら家よこせ」
「部屋余ってるしべつにいいけど」
「馬鹿野郎おまえが出て行って俺が住むんだ。そんであっちゃんママと結婚する痛い痛いつねらないで肉が削げちゃう」
「もぉー後藤が変なこと言うからあ」
 天ヶ峰さん、笑ってるけど眼が怖い。一応バケモノでも家族は愛おしいらしい。ママをジョークのネタにされてキレるってアメリカの人かよ。日本人もっとコトナカレ主義。オーケイ?
「NO」天ヶ峰は口をOの字にして答えた。
「心を読むなよ!」
「後藤って顔に出やすいんだもん。目とか」
 何それ? 文章が顔に出てんの? 俺は作家か何かか。


 それからしばらく、なんとなく会話が止まって、川のせせらぎを二人で聞くともなしに聞いていたが、やがて天ヶ峰が抱えた膝におでこをくっつけて「う~~~~」と唸り始めた。これは飽きてきて帰りたいというサインなのである。コイツ林間学校でこれやって肝試ししないで先生のところでお茶飲んでたんだよなァ。アホめ。
 俺が無視してそっぽを向いてると、天ヶ峰が立ち上がって俺の服のそでを引っ張り始めた。
「帰ろ」
 逆らうと服を破かれるので俺は素直に立ち上がった。ケツをパンパン払って汚れを落としながらため息をつく。
「このクソ暑い中を帰るのかよ。ヤなんすけど」
「自転車で帰ろ」
「おまえチャリで来たの?」
 首を振る。ああコイツまた放置自転車の鍵ぶっ壊して乗って帰るつもりだな。おまわりさんこっちです。
 俺の予想通り、土手の下へ消えた天ヶ峰は恐ろしい金属を響かせた後、ママチャリを一台担ぎ上げてきて道に戻ってきた。それをどんと置いて、シートをぽんぽんと叩いた。
「あざっす!」
「うぜえ」
「ふふふふ」
 天ヶ峰が、どうも今日はいつも以上にニヤニヤしている。原因が分からない。ちょっと聞いてみたが笑って顔を振るだけ。なんだコイツ。
 俺、なんか変な寝言でも言ったのかな……
 わかんねーや。
 わかんねーことは考えないに限る。
 俺が自転車にまたがると、天ヶ峰は荷台に尻を乗せて俺にしがみついてきた。何コイツすげぇ汗かいてる。やべぇ。早くシャワー浴びて欲しいマジで。
「何か言った?」
「べつになんも。……とっとと帰るぞ」
「今日は泊まってけば」
「メシだけ喰って、茂田んちいく!」
「ん」
 俺は自転車を漕ぎ始める。天ヶ峰の重みが、もう小学生ではない分だけあの頃よりも俺の背中に強く、かかった。
 ふらふらとよろめく二人乗りの自転車が、燃えるような夕暮れの中を影絵になって走り去っていく……ように見えるのだろう。
 対岸からは。















『後藤、家燃えたってよ』

 完

       

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Neetsha