翌日、私はまた先生のご自宅に出向きました。先生はいつも通り部屋の奥のデスクにて煙管を啜りながら新聞に目を通しておりました。
「選挙には行かれますか小林さん」
唐突に先生は問います。
「国政選挙ですか。えぇ一応」
「一応?」
「消去法でしか選ぶ手立てがありません」
「どの時代もそれは同じです」
「そうなんですか?」
「夏目漱石の作品に『なるほど、なかなか先生は政治家でいらっしゃる』といった科白があります」
「“吾輩は猫である”の皮肉ですね」
「インターネットやマスコミの伝達手段が復旧している今、政治が狂うのは当然なのですよ。人間なんて感情的な生き物なんですから」
「感情的、ですか」
先生はふぅと煙を吐き、「そう、感情的」とつぶやきながら煙管を傍らに起き、新聞を畳みました。
「例えばあなたが向かうきさらぎ駅にも同じことが言えます」
「黄泉の世界にもですか?」
「残留思念です」
「肉体は消え去り、思念だけが残る……」
「そうです。例えば偕老同穴の契りを交わすほどに愛しあった男女の傍らが、突如交通事故で亡くなるとします。そうなると、愛だけが残るのです」
「愛ですか」私は苦笑いを浮かべます。
「愛とは物にも人にも尽くす心。消える事は滅多にありません」
「それはどうなってしまうのですか」
「行き場所を探すのです。愛だけでは成り立ちません。次第に孤独者は感情がより多い場所に惹かれていきます」
「感情の多い場所?」
「そうです。黄泉の国は感情が色々な感情がうずめいております。『殺したアイツが憎い』『家族が心配だ』『生きたかった』……同じ感情を持ち合わせている可能性が最も高い場所に集まるのが、生物の本能であると私は考えます」
「根拠は?」
「経験です」
当然だと言わんばかりの面持ちで先生は頬を上げます。
「……先生って何者なんですか」
「例えば現代もその様子が見て取れます」
「あの、先生って……」
「インターネットなんて良い例でしょう。顔も見えない、声も聞こえない。方法を選べばそれも叶うでしょうが、それが叶ったら現実の一部になってしまいますからね。それでも同じことですが、基本的にインターネットも色々な感情がうずめいており、孤独な者たちが集うのです」
「なぜ無視をするのですか」
「私にとって都合が悪いからです。では本題に移りましょう」
先生は淡々と引き出しの奥から資料を取り出します。観念した私はデスクの前に置かれたソファに腰掛け、切り替えます。
「先生。結果からお伝えしますと、きさらぎ駅に行く方法はわかりませんでした」
「私はわかりましたよ」
無邪気の声で即答した先生は満面の笑みでした。
「どうやるのですか」
「一番手っ取り早いのは、連れて行って貰うことです」
「誰にですか」
「あの世の住人に」
なぜ先生はここまで恐ろしい事をさらっと言えてしまうのだろう、と私は恐怖にも似た尊敬を覚えます。
「ではどうやって連れて行って貰うのですか」
「私が降霊術を教えます。それを小林さんが京埼線の終電にてあなたしかいない車両で行なって下さい」
「それによってきさらぎ駅に行ける可能性は」
「五割、といったところでしょうか。持続して行えば、ほぼ確実です。あと当日は絶対に忘れないで頂きたいものがあります」
「……何でしょう」
「ライターと新品の紙と筆。そしてその降霊術の前は必ず多めの食事をとって下さい。いいですか、必ずですよ。あと白い服を着てきたらもう最高です」
「何が最高ですか。これでも結構怖いんですよ」
「何を臆することがあるのです」
「質問も幾つかあります」
「どうぞ」
先生は煙管にまた火をつけ始めます。
「……まず降霊術と先生はおっしゃいましたが、口寄せではないのですか?」
「素人が白装束で口寄せなどしたら普通に死にますよ」
「だから西洋の降霊術を応用すると?」
「そうです」
「……そうですか。では次の質問です」
「どうぞ」
「その用意するものや準備の意図がわかりません。白い服はまだしも、新品の紙や筆は何のために?」
「いざという時に結界を張るためです。方法も後ほどお教えします」
「では十分に食事をとる理由は?」
「空腹時に正常な判断は難しいということもありますし、何より黄泉戸喫の概念からです」
黄泉戸喫(よもつへぐい)とは、あの世で
つくられた物を口にすれば二度と元の世界には戻れないという民俗学の概念です。
「では、ライターは?」
「あなたにも煙管の良さを知っていただこうと思いましてね」
「失礼します」
「いえ冗談ですよ。これが一番大事なのです」
「ライターがですか?」
「えぇ。絶対に持って行って下さい。あなたが死ににいくのでなければ」
先生の意図はいつもわかりかねます。しかし先生の言うとおりにすればいつも命だけは助かってきただけに、恐怖もあります。まるで私の命が先生の手のひらで掌握されているようで、心の中さえも覗かれているような不気味さがあるのです。
飄々とした先生の態度さえも廃屋のそばにある柳のような雰囲気を漂わせており、私はいつも仕事の前は、不安に駆られるのです。