Neetel Inside ニートノベル
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文芸夏の思い出企画
夏の記憶/今西 美春

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 夏。またこの季節がやってきた。
 私は夏という季節は嫌いではない。人によっては暑いから嫌いだなどと言う人もいるが、夏は暑いもの、暑いから夏といえよう。
 それに、四季の彩色艶やかな日本の気候というものが好きだ。緑生い茂る夏というものは、見ているこちらの気分を落ち着かせてくれる。いつも執筆する机のある場所から、外の四季の移り変わりを見ていると風情というものを感じ、様々な感情を抱くものだ。なんとも隠居老人めいた思考回路をしているなと自嘲したくもなるが、昔から自分はこうなのだ。
 今日も扇風機の風を浴び、風鈴の涼やかな音を聞きながら机に向かってると、庭から私を呼ぶ声が聞こえた。アブラゼミだ。無論、アブラゼミの方からすると私を呼んでいるのではなく、メスのセミを呼んでいるのだが、私にとっては夏だけに私のところに来る訪問者に変わりない。
 しばらくセミの鳴き声を背景音にしながら執筆を続けていたが、流石に鳴く場所が近すぎて少しだけ煩わしくなってきた。
 茶の一つも出さないで門前払いするのは忍びないが仕方ない。今は執筆に集中したい時間なのだ。めずらしく筆がよく走るこの時間を大切にしたかった。
 長い時間座っていたことで凝り固まった身体を動かして網戸を開ける。その動作と共に、アブラゼミはジジジという声を残して飛び立ってしまう。
 野生で生きている生物は本当に勘が鋭い。文字通り虫の報せとでも言うのだろうか、すぐさま私から離れるように去ってしまった。
 これでまた執筆に集中できるな、と緑一色に染まる庭を眺めながら小休止する。
 ふと眼下を眺めれば、一匹のアブラゼミがその生涯を終え、コンクリートの地面にその身を投げ出していた。もしかしたらさっきのセミは、この一生を終えたセミのために弔歌を奏でていたのかもしれない。そう考えると悪いことした、もう少しゆっくり謳わせてやればよかった気もする。
 セミの一生は長いようで短い。人生の多くを地面の下で過ごし、やっと地面の上にでてきたと思えば数週間程でまた土に帰る。ここで可哀想と思うのは人間の物差しで測っているからに過ぎない。セミにとってはそれが当たり前の事象なのだ。
 だがコンクリートの上は故郷の地面の上とは違う。コンクリートの上は土の地面よりも熱く、冷たい。せめて最後は土の上で死なせてやりたいと思うのは人間の勝手だろうか。
 私は履き物を履いて庭に降り立ち、掃除用の箒を手に取る。そして立派に役目を果たしたであろう、セミの骸のそばにしゃがみ込む。
 子供の頃は虫が好きだった気がするが、まともに虫に触れなくなったのはいつの頃からだろうか。無礼を承知で箒でセミの骸を掃こうという時、私はぎょっとした。
 セミの骸に群がるように繋がる黒い点々…蟻の群れだ。蟻は矮躯ながらも、身体とは不釣り合いな力を発揮し、協力して骸を運ぼうとしていた。
 困ったな。これじゃあ折角セミまで辿り着いた蟻たちを、後から来た私が蹴散らす構図になってしまう。蟻からすると世界の絶対悪。私の気持ちひとつで蟻たちの人生を終わらせることができる。
 セミの尊厳を保とうとする私と、蟻たちの生活…野生のルール。別に人間の手による環境破壊…いや環境の変革を否定するつもりはないが、人間は人間が発展する上で様々な苦労を野生動物に強いてきた。せめてこの時、この場所くらいでは蟻とセミの両者を、野生のルールに則っとり見守ろうと決めた。
 私は日陰に身を隠し、日差しを避けながら蟻たちの労働を眺めていた。そういえば、過去にも一度、こうやって一人でセミと蟻の両者を目にしたことがあったな。
 そうあれは、今日のように暑い暑い夏の日だった……。

 □

 私は小学生のある時期を、田舎で過ごすことになった。親の都合で夏休み前の二週間だけ、母方の祖父母の家にお世話になり、そこの近くの小学校にお世話になることになった。
 今まで住んでいた東京の喧騒とは真逆の、虫の鳴き声がよく響く田舎だった。
 親の仕事の関係上、転校を繰り返していたため、転入することに特筆すべき苦労はなかった。いつものように、教室の前で短い自己紹介をしながら席に着く。今回の転校は二週間ということもあり、気楽と言えば気楽だった。どうせ名前と顔が一致する頃には、この学校から去るということが決めつけられていた。
 都会から来た、ということは既に生徒の間では周知の事実だったようで、最初の内は、みな恐る恐るこちらの顔色を窺っていた。だが、午前の授業が終わり、給食の時間になる頃には隣の席の子とぐらいは話すようになっていた。
 少し話は逸れるが、その学校で食べた給食は、今まで食べた給食の中で一番美味しかった。何より野菜や果物が美味しかった。夏、子供の好きな果物、と言えば多くの人がスイカと答えるだろうが、私は今もスイカはあまり好きではない。几帳面な性格上、種を取ることに気を取られてしまい、あまり味わって食べることをせず、食後、喉に残るイガイガ感(私だけの体質かも知れないが)が好きになれなかった。だけど、その学校で出たスイカだけは「美味しい」と感じることができた。みずみずしい果肉から溢れる果汁が口一杯に広がり、途中から種を取ることが面倒になるほど、次から次へと口に運び続けたものだ。
 さて、話を戻すことにする。それから、少しずつだが私と他の生徒との壁はなくなり、私は集団生活の輪の中に無事に溶け込んでいった。本当に小学生の頃は、誰とでもすぐに仲良くなって、喧嘩してもすぐ仲直りできた。あれは大人には到底真似できない、子供だけが持つ技能だったなぁ。
 次の日にでもなれば、休み時間ごとに外に繰り出しては、大人が熱中症を心配するぐらい汗をかきながら遊んだものだ。おかげで休み時間に体力を使ってしまって授業にはまったく集中できなかったが、都会の小学校よりは少しだけ授業内容が遅れていたため問題はなかった。
 そんなこんなで、転校してきてからの一週間は矢のように過ぎ去っていった。きっと毎日が楽しかったのだろう。祖父母も私を優しく見守ってくれて、親のように口うるさくあれこれ言うことをしなかった。
 週が明け、今週末に残る終業式で煩わしい学校生活から解き放たれるということで、学校の雰囲気は少なからず浮かれていた。夏休みは何をしようか、宿題はどれくらいでるんだろうなとか、それぞれ授業中にも関わらず小声で相談していた。先生の方も、特にそれを止めるような野暮なこともせず、まったりとした雰囲気が学校を包んでいた。私としては、終業式を境に、また東京の方に戻らなければいけなかったので、少しだけ寂しさが胸を締め付けていた。それを知ってか知らずか、みなの相談は私抜きで着々に進行していた。今思えば、結局のところ私はみなの輪の中に入っていると思い込んでいただけなのかもしれない。やはり、都会で暮らしていた私と、田舎で暮らしているみなの間には僅かな隔たりがあったのだ。そのことを明白に感じられたのは、その日の昼休み前の、掃除の時間だった。

 □

 その学校では、給食の後に掃除の時間を設けており、掃除の時間の後に昼休みが来るという時間割になっていた。掃除はクラスの中で班分けされ、色々な場所に分かれて作業することになっていた。先週私が所属していた班では、体育館の掃除をしていた。はっきり言って、体育館の広さに対して、割り振られた人数は少なかった。だからいつも掃除の時間のギリギリまで、手際が悪い時は、昼休みの時間までずれ込むことがあった。昼休みを思いっきり謳歌したい子供にとっては、最も苦になる場所だった。
 だがそれも先週までの話。今週からは教室前から廊下の端にあるトイレの前まで続く廊下の掃除だった。これなら掃除の時間内に確実に終わる。それはつまり昼休みの時間の拡充ということを意味していた。だから私は人一倍頑張って掃除した。はやる気持ちをやる気に変換して、誰よりも率先して作業をしたと思う。箒でのチャンバラごっこを始める同じ班の生徒を尻目に、黙々と手を足を動かし続けた。その甲斐あってか、掃除の時間の半分程の時間を残して担当する場所の掃除が終了した。
 よし、これでいつも以上にみんなで遊べるぞ。その時の私はそう思っていた。
 先生の確認が終了したことで、所属する班のノルマが達成された。私はすぐに教室に置いてあるビニールボールを手に取り、校庭へと向かおうとした。同じ班のみなも、私と同じようにする、そう思っていた。だが、同じ班のみなは私の思惑とは裏腹に、ゆっくりとした足取りで別の場所に向かい始めた。
 あれ、今日はボール遊びじゃないのかな? だけど、みなの様子はこれから遊びに行くぞ、という感じではなかった。
 みんなどこへ行くの、と私は聞いた。本当にその時はどこに行くのかわからなかった。いつもはみなの先頭に立って遊ぶような子でさえも、その時だけは私の問いに驚いていた。
「いや、遊ぶのはまだ早いでしょ。どうせまだ体育館の掃除が終わってないだろうし、そっち手伝ってからでしょ?」
 と、至極優等生めいたことを口にした。
「いや、でももう自分たちのやることはやったんだから、早く遊びに行こうよ。体育館の班は後から来るでしょ?」
 今思えば自分の考え方は、都会ならではの考え方だった。他者への関心が薄い都会と、助け合いながら生きていく田舎、結局私は都会の人間だったんだ。東京にいた頃の小学校では、早くに終わった班が他の班を手伝いに行くというのは考えられなかった。
 私の訴えに、他の班の生徒たちは、「いや、でも……」としか答えられなかったが、手伝いに行くということをやめはしなかった。
 子供だった私は、結局手伝いに行くことはせず、一人で校庭に向かった。その時の校庭は本当に広かった。休み時間には生徒たちでごった返す校庭も、私一人だといくら走っても端まで辿り着かないのではないかという錯覚さえ覚えた。体育館からは掃除をする生徒の声。私はその横で、その声を聞きながらずっと鉄棒をしていた。
 くるくるくる。くるくるくる。何度も何度も、胸の奥底に残るわだかまりを払拭しようと回り続けた。その時初めて空中逆上がりができるようになった。だけど、嬉しさなんてどこにもなかった。疲れ果てて鉄棒から手を離した時、何故だか無性に悲しくなって涙がでてきた。汗と涙が混じり合って、顔はくしゃくしゃだった。
 その時、目に入ってきたのは、死にかけのセミに群がる蟻の大群だった。セミはまだ僅かに息があり、力ない鳴き声をあげ、必死に蟻から逃れようとしていた。蟻は集団でセミに纏わりついて、どう運ぶかの算段を仲間内でしていた。
 次の瞬間、私は自分の右足でセミを思いっきり蹴飛ばした。どうしてあんなことをしたのか、今となっては知る術などないが、私はセミに自分を、蟻たちに他の生徒たちを投影していたのかもしれない。
 どうしてみなが他の場所の手伝いをしに行くときに、自分も手伝いに行くと言えなかったのか。そんな自分が嫌で仕方なかったからセミを蹴飛ばしたのかもしれない。群れを成して行動する蟻たちに、嫌がらせをしてやろうと思って蹴飛ばしたのかもしれない。
 結局、僕は子供だったのだ――
 それから体育館の掃除を終えた、いつも遊ぶ友達たちと混ざることはせずに、僕は無心で鉄棒を続けた。子供ながらの自尊心が、今更混ざりに行くという行為を拒んだ。自分は間違っていないと、そう思い込みたくて仕方なかったのだろう。
 次の日から私は外で遊ぶことはしなくなった。他の友達たちと話はするも、心のどこかで壁を作ってしまっていた。どうせ後数日の付き合いだ。嫌われたって構わない。そして、終業式を迎え、私はその学校から去った。夏休みが終わる頃には、みな私のことなんて忘れている。だから私も忘れよう。それが一番いい。
 今、目の前に広がる光景を見るまで、すっかりそのことを忘れていた。記憶の奥底にしまい込むことが、自分を保つための自衛手段だったのだろう。私ももう成人した。成人した今になっても、どちらが正しかったかに答えは出せない。
 少しだけ立ち眩みが襲ってきた。日陰とはいえ、軽い熱中症にでもかかったのだろう。休憩も十分したし、そろそろまた執筆を続けなくちゃ。あいててて……、変な姿勢でしゃがみ込んでいたから膝が悲鳴をあげている。大きく背伸びをしながら立ち上がる。
 コンクリートの地面の上ではまだ蟻たちがセミの骸と格闘を繰り広げていた。私はそっとセミの羽を掴み、蟻たちの巣に近い場所に落としてやる。別に蟻たちに感謝されようと思ったわけではない。むしろ邪魔に思われたかもしれない。だけどそんなこと気にしない。
 なんとなく、そうしたくなっただけなのだから。

 了

       

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