Neetel Inside ニートノベル
表紙

文芸夏の思い出企画
プレインズウォーカー/ムラサ

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 わたしは〝夏への扉〟を持っている。扉はどこかに設置されているわけではなく、わたし自身が〝所有〟しているのだ。だからほかのだれかにはあけることはできないし、あけようとすることさえできない。扉の所有者であるわたしだけがドアノブをまわし、それをひらくことができる。そしてそこからわたしは〝夏〟へとわたるのだ。
 扉はつねにひらくことができるわけではない。所有者でさえ、だ。扉はいつも気まぐれでわたしの気持ちなどすこしも顧みず、思いどおりの〝夏〟へとはつれていってくれない。〝夏〟は浜辺の貝殻のようにあまた存在した。〝暑い夏〟もあれば〝まぶしい夏〟もあり、〝静かな夏〟や〝遠い夏〟もあった。そのさまざまな〝夏〟たちはわたしの心をゆさぶり、あるいはふるわせ、ときにうちくだいた。そして二度とおなじ〝夏〟はおとずれなかった。


 その〝扉〟をあけたのは春とも夏とも秋とも冬ともつかないぼんやりとした午後だった。クリント・イーストウッドが主演の退屈な映画をみていたわたしはふと昼食をとっていないことを思いだし、小銭しかはいっていない財布をつかむと玄関をでた。玄関は空調のよくきいた小さな古本屋につながっていて「いらっしゃいませ」と気だるげな声がわたしを出迎えた。声のほうをみると薄いカーディガンをはおった若い女性店員が漫画本やらCDやらで散らかった買い取りカウンターを整理していた。彼女は髪を茶色にそめてワイリー・コヨーテのTシャツを着ていて先日までわたしのクラスで教育実習生として英語を教えていた。この店で彼女が働いていた期間はそれほど長くはなかったが、わたしとその友人はそのあいだ来店をひかえることになった。思春期の少年がTCGで遊ぶには資金以外にもいろんな障壁が存在した。
「これをください」
 わたしはレジ脇に置かれたエクソダスのパックをひとつ手にとると女性店員に差しだした。わたしが財布からとりだした500円玉を受けとってレジにしまうまで彼女はいちどもわたしの顔をみなかった。当然だ、わたしはもう思春期の少年ではないのだ。
 いりぐちそばの窓際に放置されたテーブルと二脚のイスだけのデュエルスペースに腰をおろすとわたしは店内を見まわしてみた。まだ開店したばかりでほかに客はおらず、店員も彼女だけだった。店長はバックヤードで昼寝でもしているのかもしれない。店内にはゆずの『夏色』が流れていてカウンターのほうから軽快なハミングがきこえた。全面ガラス張りのデュエルスペースには強烈な夏の光線がさしこんでテーブルの上のわたしの白い腕をじりじりと熱していた。店のいちばん目立つ場所にはペプシマンの等身大フィギュアがかざられていた。空調はよくききすぎていて指の先まで凍えてしまうような下品な冷気をためらいもなく吐きだしていた。かつてはどこへいってもこれがふつうだったのだ。
 わたしはさっそく購入した日本語版のエクソダスのパックをあけてみた。《スラルの外科医/Thrull Surgeon》以外めぼしいコモンはなく、アンコモンには《禁止/Forbid》も《発展の代価/Price of Progress》も《スカイシュラウドの精鋭/Skyshroud Elite》もなかった。レアは《ドルイドの誓い/Oath of Druids》だった。わるくない。でも「お、いいの引いたな」と言ってくれる人はだれもいなかった。
 カードをパックにもどしてテーブルに置くとわたしは席を立ってカウンター正面に設置されたガラスケースをのぞきこんだ。なかにはいろんなジャンルのフィギュアやこまごまとしたガチャガチャのおもちゃに混じってマジック・ザ・ギャザリングのカードが神経質なかるたのように陳列されていた。MTG以外にはポケモンカードがもうしわけ程度にならんでいるだけで遊戯王もヴァンガードもデュエル・マスターズもバトルスピリッツもなかった。
《高潔のあかし/Righteousness》《熾天使/Seraph》《またたくスピリット/Blinking Spirit》《アトランティスの王/Lord of Atlantis》《ハーキルの召還術/Hurkyl's Recall》《あまたの生け贄/Hecatomb》《デレロー/Derelor》《奈落の王/Lord of the Pit》《ネクロポーテンス/Necropotence》《インフェルノ/Inferno》《シヴ山のドラゴン/Shivan Dragon》《ジョークルホープス/Jokulhaups》《ほとばしる魔力/Mana Flare》《エルフの射手/Elvish Archers》《ティタニアの歌/Titania's Song》《スタンピード/Stampede》《踊る円月刀/Dancing Scimitar》《サルディアの巨像/Colossus of Sardia》《ドラゴン・エンジン/Dragon Engine》《吠えたける鉱山/Howling Mine》《低木林地/Brushland》《閃光/Flash》《終末を招く者ショークー/Shauku, Endbringer》《絶望の荒野/Forsaken Wastes》《夜のスピリット/Spirit of the Night》《エンバーワイルドのジン/Emberwilde Djinn》《最後の賭け/Final Fortune》《マロー/Maro》《にやにや笑いのトーテム像/Grinning Totem》《大天使/Archangel》《時エイトグ/Chronatog》《ネクロサヴァント/Necrosavant》《資源の浪費/Squandered Resources》《蛇かご/Snake Basket》《ボガーダンの金床/Anvil of Bogardan》《アーテイの使い魔/Ertai's Familiar》《ガロウブレイド/Gallowbraid》《モリンフェン/Morinfen》《サンダーメア/Thundermare》《熱情/Fervor》《黄金像/Xanthic Statue》《焦土/Scorched Ruins》《復讐する天使/Avenging Angel》《ラースの風/Winds of Rath》《直観/Intuition》《水底のビヒモス/Benthic Behemoth》《荒廃の下僕/Minion of the Wastes》《肉占い/Sarcomancy》《ショッカー/Shocker》《ラースのスターク/Starke of Rath》《リサイクル/Recycle》《ドラゴンプラズマ/Dracoplasm》《闇の天使セレニア/Selenia, Dark Angel》《煮沸ばさみ/Scalding Tongs》《ブービートラップ/Booby Trap》《かさぶた地区/Scabland》《ローリング・ストーンズ/Rolling Stones》《呪われたクロウヴァクス/Crovax the Cursed》《破滅/Ruination》《隠遁ドルイド/Hermit Druid》《選ばれしものの剣/Sword of the Chosen》《どん欲の角笛/Horn of Greed》《限りある資源/Limited Resources》《ヴェクの聖騎士/Paladin en-Vec》《釣り合い/Equilibrium》《精神力/Mind Over Matter》《グールの誓い/Oath of Ghouls》《オーガのシャーマン/Ogre Shaman》《突撃の地鳴り/Seismic Assault》《スパイクの織り手/Spike Weaver》《猫族の戦士ミリー/Mirri, Cat Warrior》《抵抗の宝球/Sphere of Resistance》《旗印/Coat of Arms》《裏切り者の都/City of Traitors》……けっして完成することのない夢のパズルのピースのようにたくさんのカードが買い手をまっていた。《Heart of Yavimaya》や《Ihsan's Shade》やイタリア語版の《ニコル・ボーラス/Nicol Bolas》もあった。中央に配置された《貿易風ライダー/Tradewind Rider》と《モックス・ダイアモンド/Mox Diamond》はほかのカードにくらべてかなり高額だったが、それでも良心的な価格だった。ディスプレイにならんだすべてのカードが良心的な価格だった。それらをながめながらわたしの脳裏に一枚のカードがふと浮かんだ。
《不毛の大地/Wasteland》はぼろぼろのスリーブにいれられてストレージボックスにほうりこまれていた。さがしてみると50円のプライスをつけられた《不毛の大地/Wasteland》が合計十二枚みつかった。《ライオンの瞳のダイアモンド/Lion's Eye Diamond》も80円で三枚あった。わたしはふるえる手で財布の中身を確認してみるが残金は162円しかなかった。そこでわたしはカウンターにいって「カードを買い取ってほしいんですが」と彼女にたずねてみるが「いま担当がいないので」とそっけなく断られてしまった。《ドルイドの誓い/Oath of Druids》ともなればマジックを知らなくてもひと目でつよいカードとわかりそうなものだが、とにかく不在ならしかたない。わたしはあきらめてまたデュエルスペースにもどった。あらためてみてみるとテーブルはひどく小さくみえた。ここにいくつパーマネントをならべられるだろうか。わたしは十五枚のカードをそこにならべてみた。たぶん《忌むべき者の軍団/Army of the Damned》は一回で打ち止めだろう。親和同士のミラーマッチもきびしいかもしれない。フェイズ・アウトしたカードはどこに置けばいいだろう?
「買い取り希望の方ですか?」
 顔をあげると見覚えのある姿があった。メガネをかけて上品かつカジュアルな服装に身をつつんだ彼はわたしがここをはじめておとずれたときからずっと店員だったあの店員だ。彼は記憶のなかの彼よりずっと若くみえた。大人にさえみえなかった。
「これを」
 わたしがテーブルの上の《ドルイドの誓い/Oath of Druids》を指ししめすと「いいの引きましたね」とほめてくれた。わたしは誇らしげにうなずく。《ドルイドの誓い/Oath of Druids》を引けばだれだってそういう反応をしてくれるはずなのだ。
「買い取りだといまなら700円ですね。これからもっとあがると思いますけど」
 じゅうぶんな金額だった。これからあがるのをまたなくてもわたしはすぐにより多くのアドバンテージを得られるだろう。
「わかりました、じゃあ買い取り承諾書に記入を……」
 そこで彼は店長がいないことに気づいてかぶりをふった。店長の許可がないと買い取れないということで店長が外から帰ってくるのをまつしかなかった。もちろんわたしはまつことにした。そこへ彼がふたつのカードの束を持ってきた。
「どうです、ひと勝負しませんか?」
「いいですね」
 わたしはカードの束をひとつ受けとるとざっと中身を確認して驚愕した。それはかつてわたしがたった一枚のパズルからつくりあげた「5CB」にちがいなかった。
「ここによくくる中学生のデッキです。きのう急に大雨が降ってきたので濡れたらマズいだろうと思ってあずかったんです。まぁ借りてもいいでしょう」
 われわれはデッキをシャッフルするとそれぞれ七枚のカードを引き、わたしからゲームをはじめた。初手は《沼/Swamp》からの《祭影師ギルドの魔道士/Shadow Guildmage》。上々なスタートだ。
「相性的にはこちらのほうが有利かもしれませんねぇ」と彼は微笑しながら《山/Mountain》をプレイすると《モグの狂信者/Mogg Fanatic》を召喚してターンをかえしてきた。わたしはつづくターンに《沼/Swamp》をセットして《ストロームガルドの騎士/Knight of Stromgald》をプレイするが、彼も《投火師/Fireslinger》を呼びだして対応してくる。わたしは三枚目の土地を引くことを期待してドローするがそれはやはり《沼/Swamp》で《祭影師ギルドの魔道士/Shadow Guildmage》の能力も手札の《火葬/Incinerate》も使えないまま《投火師/Fireslinger》につぎつぎとクリーチャーを焼かれてしまい、《ボール・ライトニング/Ball Lightning》と《ヴィーアシーノの砂漠の狩人/Viashino Sandstalker》をころがされて負けてしまった。
「黒単でしたねぇ」
 カードをシャッフルしながら彼は人好きのする笑顔を浮かべてなぐさめの言葉をかけてくれた。二戦目は念入りにシャッフルしたかいもあってきちんと土地がそろってくれ、膨大にふくれあがった《ネクロエイトグ/Necratog》で押し切ることができた。三戦目はおたがい引きがよく熱戦となった。
「《スークアタの槍騎兵/Suq'Ata Lancer》をプレイします」
 そして彼は《モグの狂信者/Mogg Fanatic》とともに攻撃をしかけてきた。わたしは自分の場の《祭影師ギルドの魔道士/Shadow Guildmage》と《黒騎士/Black Knight》を視界にいれつつ手をとめる。側面攻撃? これはブロックを宣言した瞬間に誘発するんだっただろうか? 先制攻撃よりはやかっただろうか? 《祭影師ギルドの魔道士/Shadow Guildmage》でブロックした場合、能力を発動させるタイミングはあっただろうか? そもそもスタックルール以前では戦闘はどう処理されていただろうか? 《祭影師ギルドの魔道士/Shadow Guildmage》の能力で《スークアタの槍騎兵/Suq'Ata Lancer》にダメージをあたえたのちに《黒騎士/Black Knight》でブロックすれば一方的に勝てるだろうか? どういう順番でプレイすればいいだろうか?
「おーい、ちょっと手伝ってくれ」
 ルールについてわたしが彼にたずねようとしたとき店長がもどってきた。店の外には軽トラが一台とまっていて荷台の荷物をふたりで店内に搬入しはじめた。わたしは手札を置くとひとつ伸びをした。荷物はこの小さな店にならびきるのだろうかというほど大量にあり、元教育実習生もひとかかえほどもあるダンボール箱や青と緑の模様がはいった西武の紙袋をカウンターのなかにせっせと運びいれていた。荷台に乗って荷物をおろす店長とそれを受けとって店内に積みあげていく店員はすでに汗だくで気の毒なほど過酷な労働にみえた。地獄の鬼たちは当分ふたりを休ませてはくれなさそうだった。
 わたしはカードをデッキにもどしながら中身をあらためてながめてみた。《リバー・ボア/River Boa》がフルに投入されていて《ネクロエイトグ/Necratog》も三枚はいっていた。よっぽど赤に勝ちたかったのだろう。いまなら《ゲラルフの伝書使/Geralf's Messenger》《ロッテスのトロール/Lotleth Troll》あたりが最適解だろうか。彼が《墓所這い/Gravecrawler》や《絡み根の霊/Strangleroot Geist》をみたらどんな顔をするだろうかとほくそ笑みながらわたしは伏せてあった彼の手札をみてみた。《火炎破/Fireblast》が二枚。オーライ。こちらののこりライフは10だった。彼はわたしに《祭影師ギルドの魔道士/Shadow Guildmage》の能力を起動させるだけでよかったのだ。
「あーすいません、途中で」
 ふたつのデッキをカウンターに置くとダンボール箱をかかえながら店員がもうしわけなさそうにほほえんだ。しかたないさ、とわたしも微笑する。労働は尊いものだ。
 わたしがペプシマンとコカ・コーラ社の株の売りどきについて話していると搬入が一段落したらしく、ようやくカードを買い取ってもらえることになった。今夜はまわらない寿司を食べながらラヴニカへの回帰のBOXでもあけようか。
「もしよければいいんですけど、それトレードしませんか?」
 買い取り承諾書に書きこんでいると店員がなにげなくそう持ちかけてきた。わたしは一瞬ためらう。もちろん《ドルイドの誓い/Oath of Druids》はトレードの材料としてももうしぶんない。店頭での買い取り価格は相場よりいくらかさがってしまうので等価交換であるトレードのほうが得な場合がほとんどだ。だがいまは事情がちがった。この時代に十二枚の《不毛の大地/Wasteland》と三枚の《ライオンの瞳のダイアモンド/Lion's Eye Diamond》に匹敵するカードがあるかといえば疑問だった。まっとうなカードとなればおそらく数枚だけだろう。まだフォイルさえ存在していないのだ。
「いいですよ」
 でもわたしはその提案に応じることにした。彼のコレクションをひさびさにみてみたかったし、カードには売買よりトレードのほうが似合っていた。店長もべつになにも言わなかった。
 彼がカウンター裏の棚から持ちだしてきたアライアンスの分厚いカードバインダーをひらくと産業革命後のロンドンのように旧枠のカードたちがひしめきあっていた。白、青、黒、赤、緑、マルチ、アーティファクト、土地、その他特殊なカード……
 わたしは赤のページで《火山のドラゴン/Volcanic Dragon》のポータル版をみつけた。「それ折り目がついちゃってるんですよ。でも日本語版すごいでしょう」と彼は自慢げに言った。たしかに右上のほうにかなりくっきりとした折り目がはいっていた。傷を負ったこのドラゴンはいまもどこかで元気にやっているだろうか。
 土地のところにはデュアルランドが九つのポケットにコレクションされていた。いまならこの一ページだけでちょっとした有価証券だ。《Tundra》《Underground Sea》《Badlands》《Taiga》《Savannah》《Volcanic Island》《Bayou》《Plateau》《Tropical Island》……なにが一枚欠けているのだろう、とわたしはしばらく考えてみたがまったく思いだせなかった。まるで十枚目など存在しないかのようにさえ思えた。みればみるほどデュアルランドはその九枚で完成しているようにみえた。ページをめくって十枚目を確認するとそんな幻想は消えうせた。
 最後までみてしまうとわたしはもう一度はじめまでもどってからページを数枚単位で繰っていく。損得をべつにすればほしいカードはけっこうあったが、たった一枚をえらぶとなるとむずかしいところだった。選択肢が多いと人はなにもできなくなる。いっそのことコレクションをみせてくれたお礼として《ドルイドの誓い/Oath of Druids》をゆずってもいいくらいだったが、そうはいかなかった。トレードは森とインディアンのように対等であるべきだからだ。
 けっきょく土地のページまできてしまったところでわたしはあるカードに目をとめた。このカードがこの時代どれくらいするのか見当がつかなかったが、ためしにたずねてみると彼はこころよく承諾してくれた。
「じゃあ……」
 わたしはトレードを成立させると店員とカードを交換し、手にいれたそれを胸もとのポケットにたいせつにしまった。それからストレージの肥やしにしてほしいとあまったパックのカードを店員にわたした。もうわたしには必要のないものだった。ありがとうございます、と彼は感謝の笑みを浮かべた。
 BGMはポケットビスケッツの『POWER』にかわっていた。ZONEの『secret base ~君がくれたもの~』やWhiteberryの『夏祭り』もこのころだっただろうか。時計をみると針は十二時すこし前を指していた。はやめの昼食をとったわたしがそろそろやってくるかもしれない。
「いらっしゃませー」
 わたし以外のはじめの客は緑使いの少年だった。彼は冷房のつめたい風にすこしだけ表情をゆるめると漫画やゲームなどには目もくれずにストレージボックスの前にむかい、さっそくカードをチェックしはじめた。彼は《不毛の大地/Wasteland》や《ライオンの瞳のダイアモンド/Lion's Eye Diamond》には見向きもせずに《ジャッカロープの群れ/Jackalope Herd》《板金鎧のルートワラ/Plated Rootwalla》《獣の守り手/Keeper of the Beasts》《突っ走る猪/Crashing Boars》などの緑のカードをかきあつめていた。四枚目の《ウッド・エルフ/Wood Elves》をみつけると彼は小さくガッツポーズをした。うむ、いいカードだ。
 カウンターでは店長と元教育実習生がこの店の行く末についてたのしげに話していた。「店員はいっさいの私語をせず、つねに客に忠実で機械のように黙々と働くべし」という馬鹿げた風潮が蔓延する前のまともな時代の光景だった。いまこの世界でまともじゃないのはまともじゃない世界からきたわたしだけだった。
 わたしはもう一度店内に視線をめぐらせながら十五年という歳月の重みをどこかに見いだそうとした。そしてもうすべきことがないことに気づいた。わたしがくるのをまつ必要もなかった。あきらめてもひねくれてもいないむかしの自分になど会いたくなかったからだ。店員の彼に一言かけるとわたしは店をあとにした。


 もどってきたわたしの部屋はあいかわらずパッとしない部屋だった。PCまわりにはうちわや食べかけのスナイダーズの袋やインド料理屋のチラシや未開封のストラップや調味料の瓶や一ダースばかりの酒やマクドナルドのコークグラスや読みきれないほどの本が散らかり、ディスプレイの前には牛丼チェーンの紅しょうがや弁当屋のわりばしやせんべいの小袋やガムテープやハサミやコルク抜きが放置されていて、プリンターの上には酒の空き缶が無計画に建てられた摩天楼のように積みあげられている。テレビでは映画がおわって年配の俳優がどこそこの街をぶらぶらと歩いていた。
 窓の外では雨が降っていた。あじさいをそっと濡らすような静かな雨だ。あじさいが咲いているということはきっといまは夏なのだろう。わたしは永久にとりもどすことのできない〝夏〟の幻影からすこしずつ心を呼びもどした。そのうちに雨はあがり、空には入道雲がわきたち、太陽がアスファルトをこがし、空気は熱をおび、草がにおい、蝉の声がオーケストラをかなで、風が風鈴をゆらし、遠くから祭りばやしがきこえ、ラムネがあわだち、イチジクが実をむすび、光と風の調和のなかで世界は鮮やかさをとりもどすだろう。そしてわたしは晴れ晴れとした黄色で埋めつくされた庭をどこまでも歩くのだ。

     


       

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Neetsha