2 魔祓い師
家に来客があった。無精ひげの若い男。見覚えがある。西部劇の流れ者のようなぼろぼろの外套。腰には銀の輪をぶら下げていていくつもの鍵が。
「元気か」と彼。
私はそうだと答えた。
「今朝オレは料理をしようと思ってトマトを切ろうと思ったが流しに放置したままここへ来たんだ。五個だ。徘徊する資格を獲得するのは容易じゃなかったよ。党は脱退したのか?」
そうだ。
「オレは今魔祓い師をやっているけど入用か? オレの仕事を手伝う気はあるか? 量子的疾病を中和するという意味だが」
今のところどちらも結構と言った。
「そうか。いずれまた来るよ」
私は去っていく彼に声をかけた。そのとき思い出した彼の名だ。主観に完全に到達することは無い、錆びた剣が出す雑音に過ぎなかったが呼んだ。
「■■■」
彼は振り返って、
「オレの名前か。自分でも忘れてたよ。久々に人に名前を呼ばれると生きてるって気がするね」
彼は帰った。私は知人を通して仕事を見つけていた。雇い主に対して電話をかける。すぐに出た。
「何です」中年女性だ。私は仕事を紹介された旨を伝える。「ああ■■■・■■■■・■■さんですか? 今まで私がしてきたことを聞いてください」
話が始まった。
とても長い上、相手は非常に不明瞭な発音だったので全て聞き取れなかったが、断片的な単語などから私が組み合わせた内容は、事変のずっと昔に起こった革命時の陰謀についてだった。少なくとも最初の三時間は。その後の身の上話の中でもこの人は私の名を何度か読んだが、私がそれで生きてるって実感を得ることはなかった。私の號は四分音低く発音され続けていたし姓である空色のグリュプスが陽炎に埋没する音がひどく田舎臭かった。
聞くところによるとこの女性はかつて騎士階級に属していた一族の人間で様々な特権を持っていたがあるとき剥奪されてしまった。祖先がかけられた呪いが原因だという話だ。現在その呪いを維持するために当局から派遣された呪術師は外郭部北四丁目■■街のスーパーマーケットの店長である。店舗の地下には沼がある。青黒い沼だ。その瘴気が都市の下水道を巡っていて市民の健康を大きく損なわせている。貿易商が火鼠を軍艦に詰めて港に停泊させている。放送局は公衆衛生局と結託して都市中枢部に生体機械を導入していることを報道しないようにしている。今朝方チョコレート売りが三人やって来たが一つも買わなかった。屋根裏部屋に水晶球が三つあって一つがひび割れていて隣人が大きく寿命を縮めている。
私は電話を切るとひどく疲れていたのですぐに眠ることが出来た。
ドアを叩く音で目が覚める。■■■■商会の配達人。弾薬だった。私は銃を撃つのはそれほど得意ではないが今後はその必要も出てくるだろう。私は当初単独による革命を志していたが、きっと■■■は、あの旧友は役に立つだろう。
結局組織、団体はどうしてもまやかしに走りたがるので昨日路上で演説をしていた人々もそのくちだろう。集団行動とは朽ちた船で航海するように心もとないということを党で活動している時分に何度も感じていた。どうせ嘘をつくなら自らのためにのみつきたい。私は私以外の誰にも加担したいと思わないようになっていた。だからそこらの肉塊に銃弾を撃ち込むことで自由へと跳躍したいと思った。
殺人事件。下水道で人間の足が発見された。現場ではラジオからボサノヴァが流れていた。そしてアルコールが延々数キロに渡って零れていた。どれだけの量か知らないが犯人はどうやって持ち込んだのだろう。その日夕陽が井戸に落ちていく小石のように早く落下して行った。顔を隠した老婆が五人ばかり坂道を下っていった。ラジオが混戦状態になってどこかのスパイらしい人間の密談が流れてくる。ひどい話だ。私はそれを聞きながら瞑想することにした。