Neetel Inside 文芸新都
表紙

江口眼鏡の奇書「探」読
自作解題 〜とりあえずやってみよう〜

見開き   最大化      

・序
 まずもって私は旅行先で「たびたび」「ふらりと」古書店に立ち寄ったりはしない。そんなに気楽に長居できる程の金が無いのだ。神田の古本屋街に行ったのは私立大学の受験旅行で上京した数年前が今のところ最初で最後の機会となっている。
 すなわち本書の書かれた背景のひとつとして、「自分がもし古書店を毎日のように巡ることができたら」という願望にも似た空想があり、本文はここから着想されていったのだということが言える。ついでに本来の動機を挙げておくと、私は別役実氏に畏れ多くも私淑しており、氏の書く戯曲やエッセイ等を読んでいるのだが、その中で「笑いをつくる精神」を養うための方法として本文のような「嘘」をつくことについて述べられていたのだ。だから今回の企画を行った。ただそれだけに過ぎない。

 まあ、もうひとつだけ確実に言えることがあるならば、やはり札幌のブックオフは臭い。

・黄金書
 「新都社で連載するなら初っ端が肝心だ」ということはこれまでの経験から嫌と言う程わかっていた訳で、「どうしよう、一発目にコメントが付かなきゃ黙殺コースだろうな」といつものように私は憂えていた。
 「憂えている時は風呂場に行け」というのもこれまでの経験からなんとなくわかっていた(「馬上・枕上・厠上」で知られる「三上」で言えば、厠上に近いと思われる)ので、何、迷うことは無いさとばかりに風呂場へ向かい、山崎まさよしの「One more time, One more chance」を熱唱しているうちにアイデアはやってきた。

 二段落目にピンイン表記をブッ込んだ時点で微かに勝機が見え始め、「書肆赤嶺」の単語が浮かんだ時にグッと拳を握りしめた訳だが、コメントを見る限り本当の話だと受けとって頂けたようで(ですよね?)、素直に嬉しかった。

・オリュンポスの冬
 初っ端が大事だと気合いを入れすぎた。「オリュンポス~」はあまりギアが掛からなかったとは自分でも思うところである。
 構造が上手く無いときは理論武装するしかない。同様の理論武装戦法は「任意の点」「残酷”奇”劇」等でも見られる。「地中海洋行」だの「自費出版」だの、一応ベターな判断だったのではないかというのが現在省みたところの感想である。

 ……しかしそれにしても「私はこの古代ギリシア人の鋭敏なる先見の明を我々に紹介して下さった吉田氏に感謝しなくてはならない」はやりすぎだったか。

・本朝総覧抄
 一本くらい歴史物で書いてみようじゃないか、そう思ったのであるが、なにぶん帰着点が上手く見つからなかった。こういう「構造の迷い」が生じるとき、やはり理論武装で前置きが長くなり、余談を入れるようになり、ビールをもうひと缶持って来ようという気分になるのだ。
 風呂で書け、そう言う向きもあるだろうが、あいにく風呂場ではエントリーシートに書く文言を思いつくので精一杯であった。

 とはいえ、ある程度は骨格もしっかりしているし、理論武装のアラベスクも全体としては嫌いではないのだ。

・任意の点
 これもエピソード頼り。「Ten times」ってなんだこの三流作家! と生卵のひとつでもぶつけてやりたくなる。それでも書いている時はほんの少しほくそ笑んでいるのだから質が悪い。

・残酷”奇”劇~深遠なる不適切描写の世界~
 新都社の作品をみていると「やっぱり」というか「意外と」というか中二的な作品も割と多いことに気づかされる(定義の話はここでは置いておくよ)。そんな訳でやってみた。伏せ字のくだりは下らんな。
 自転車操業だったんです。ごめんなさい。(自白)

 ……(自白)って書くと(白目)に見えないこともないぜ。

・写真の場所殺人事件帖
 構想途中ではこういう推理もの(というか推理ものの設定を考える作業にあたるのか)はつじつま合わせるのが面倒なんだよなあと思っていたのだが、複雑な設定にしなかったのが幸いしてか、ルールにおける矛盾は今のところなさそうである。なお、プレイステーションのソフト「街」なんかも少し参考にした。
 書き終わった時の手応えと頂いたコメントの内容が徐々に合いはじめてきたのは非常に嬉しい収穫だと思う。

 なんだかスピンオフ(ここで書いたルールに則ったフィクション小説)が書けるんじゃないかと思ったり。

・注文の多い料理本
 何とか「黄金書」や「写真の場所殺人事件帖」に並ぶ水準の作品を提示して本連載を締めたかったので、折りに触れて最終話の構想を練っていたのだが、これがなかなかどうしてやっぱり難産で、私はタバコの一本でも吸いたい気分で机をカチカチ叩きながら頭をかいていた。
 構造のきれいな作品を考えようと、実際の奇書である泡坂妻夫氏の『生者と死者』なんかを買って見たりもした。そして考えた末に出てきたのが、『注文の多い料理店』であった。賢治のポエティックな世界観に浸りつつ、それでも頭ではどういう構造にしようか、じつにプラグマティックな思考を重ねていたように思う。
 小学生の自由研究のpdfなんかを参照し、野菜から紙をつくることについて多少調べさせて頂いた。

 最後の作品として、ある程度の(前掲二作品に劣らぬ)水準は維持できたのではないかと思うのだが、いかがであろうか。あとは読者の判断に任せるしかない。忌憚の無い意見を頂戴したい。



 以上が総括である。私はもともとレポートや発表に追われている程それらとは関係の無い文章が書きたくなる性質であり、今回もエントリーシートを書いている一方で企画の骨子を考えつき、ゴーサインもそこそこに執筆を開始した。
 読者の皆様から時折もらえたコメントも非常に励みになった。ガラナと金麦とブラックニッカが私を動かす直接的ガソリンであったとするならば、皆様のコメントは間接的なガソリンとなって私のモチベーションを支えて下さった。ただただ感謝している。

 最後まで拙文を読んで下さった皆様に心からのお礼を申し上げたい。また近いうちに。

『注文の多い料理本』を脱稿した深夜二十七時過ぎに 江口眼鏡

       

表紙

江口眼鏡 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha