Neetel Inside 文芸新都
表紙

昨日の世界
人は彼を知らず

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 高度に発達を遂げた現代社会に於いて、
何故このような惨劇が起こり得たのであろうか。
その理由を問う時、私達は自らの心に一匹の悪魔を見る。
それは如何様にでも姿を変え、自らが持つ理性を覆そうと鎌首をもたげる。
人はその陰湿な誘惑に呑まれた時、
内に秘めたる牙を剥き出し、獣へと姿を変える。

 獣は人を襲い、人は自衛の為に獣を殺す。
しかし、その一つの殺害が人の心に疑心を産み、その人もまた、
やがては獣へと変わり行く。そうして引き起こされた連鎖が人々を呑み込み、
狂気の下に一つの街は死んだ。

 その切っ掛けを生んだのは、誰か。政府機関が行った調査の末に、
一人の男の名が挙げられた。その名はウィリアム・ヘッグマイヤー。
情報管理局一課に属し、誰とも変わらぬ日々を過ごした男。
彼は事件の起きる数ヶ月前に忽然と姿を消し、
その名前だけが人々の記憶に植え付けられた。

「君達には、彼の行方を追って欲しい」

 その日、ある事務所の一角に呼び付けられた二人は、
彼等の上司から簡潔にそう告げられた。

「……仰る意味がよく理解出来ません」

 二人の内の一人、栗毛を短く刈り上げた男、
市民課に属するフレデリック・エルマンは眉一つ動かさず上司にそう言葉を返した。
丸眼鏡を掛けたもう一人の男、
同じく市民課所属のラリー・ヒューストンは傍らのフレッドを見やり、
続いて上司の方に顔を戻す。

「行方不明者の捜索・調査は公安課の仕事では?」

 フレッドの言葉に付け加える形で、ラリーは上司にそう尋ねた。
彼等の言葉に上司である男は深く溜息を吐き、
傍らに置かれた事務机の引き出しから大判の封筒を一通取り出し机の上に放る。

「今は先の事件で何処も手一杯だ。
事件の切っ掛けが情報管理局にあるとの見解でマスコミは騒ぎ、
左の連中は情報操作が犯した過ちだと暴動紛いの騒ぎを起こしている。
事態の収集に公安課どころか、
市民課、果ては税務課の人間までも駆り出される始末。しかし政府としては、
事件の真相究明を行うと公言してしまったばかりに、
見掛けだけでも動きを見せなければならない」

 上司は眉根を寄せた顔で封筒を見やり、額に手を当てそう言葉を捲し立てる。
彼等の背後では忙しなく電話の呼び鈴が鳴り響き、
事務員が膨大な数の紙束を抱えて走り、
何度も筆記・消去を繰り返したホワイトボードは、
殴り書きの字とポストイットの束で埋められたいた。

 窓の外に目をやれば、横断幕を掲げた人の群が車道の路肩を埋め尽くし、
代表と思わしき中年男性が拡声器を割らんとばかりに声を張り上げ、
何やら聞き取れぬ訴えを垂れ流している様子である。

 事務員の誰かが売店か何処かで買ったであろう時事新聞は、
回し読みをされたのか皺が寄り、
所々にコーヒーの染み等が付いた形で事務机の端に放られている。
その大見出しには先の事件である『三番街区無差別猟奇殺害事件』の字が記され、
事件の真相は如何に、政府の対応は、怒る市民の声、等の特集が続く。

「……つまり、形式上の真相究明班を組織しろと、そういうことですか」

 ラリーは一通り辺りを見渡し、肩を落として上司に言葉を返す。

「私としてもそう返したい所だが、民衆の不満もピークに達している。
何時までも『鋭意調査中』の回答を繰り返せば事態の収集はより困難な物になるだろう。
平易に言えば、公安課の捜査班が行った調査を引き継ぐ形になるが、
実質は連中からの丸投げだ」

「そいつは酷い、特別報酬は出るんですかね?」

 溜息と共に憤慨を露にする上司に向け、フレッドは口の端を釣り上げそう尋ねた。

「血税は極力節約せよ、との通達は来ている」

 上司は彼にそう答えて窓の外を顎の先で示し、“事態を察しろ”と目線で訴える。

「世間の風、いや、世間の暴風は身に染みますなぁ……」

 フレッドは大仰に肩を竦め、数度首を振り封筒の方へと視線を落とした。

「して、その資料はどの程度纏まっているので?」

 彼は胸ポケットから紙箱を取り出し、その中から巻煙草を一本引き抜いて口に咥え、
片眉を上げて上司の返答を伺う。

 尋ねを受けた上司は暫し押し黙り、顔を横へ逸らし、
終いには二人に背を向け一言呟いた。

「ないよりはマシだな……」

 彼の返答にフレッドは頬を掻いて目を逸らし、
ラリーは封筒を手に取り中に収められた書類に目を通す。

 ”調査予定、調査報告待ち、鋭意調査中、鋭意調査中、鋭意調査中”

 形だけの計画はあるように見えるが、どれもこれも鋭意調査中の判子が乱雑に押され、
最終報告日は一ヶ月を切る物がない始末。
途中に紛れる報道関係者閲覧済みのタグを見るに、
これまで公安課が行った会見がどういった物であるか、
考えずとも解るような報告書の数々である。

 ラリーはそれらの書類を流し読み、平静を崩さず書類を封筒に戻して小脇に抱えた。

「状況はよくわかりました。
任された以上は我々の仕事です、遂行には最善を尽くしましょう」

 事務的な口調で答えるラリーを見やり、フレッドは苦い笑みを浮かべ天井を仰ぎ見る。

「……すまないな、世話を掛けて。よろしく頼む」

 上司は一度目を瞑り、改めて二人を見やり確たる口調でそう告げた。
彼の言葉に二人は背を正し、浅く一礼をして踵を返す。

 去り行く二人を見送り、上司は窓の外に目を向ける。
雑多な喚きを撒き散らす民衆の群、お決まりの回答を出し続ける政府、
その間で駆け回る公務員。騒動を起こす誰一人とて、全体を見据えることはない。

 彼の光景を眺め、男は一人呟く。グロテスク、と。

       

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