テイルズ・オブ・オレガカク
06.其の名は発狂
ふう、と俺は一息ついた。自伝の進みは順調だ。いい感じに書けてる。つっても、あんまり眠り病のことは書いていない。読者は「どこかにいる本物の冒険者」が活躍している話が好きだからだ。俺だってあんまり愚痴愚痴したものは書きたくないし、眠り病のことは別のノートに記録をつけている。だから、俺の自伝はおおむねカルナの活躍がほとんどだ。あいつトドメよく刺すし。
俺たちは今、医療都市の宿屋にいる。結構上等な宿で金いっぱい取られたが、その代わりに窓から爽快な風が吹き込むいい部屋をあてがってもらった。おかげで今日は寝坊だ。
俺を見てくれるという精霊信仰者は、多忙で一週間後しかスケジュールが空いていないらしい。俺たちはそれまで余計な出費と歯噛みしつつ、せっかくなので休暇と思って楽しむことにした。そしてそういう負担のかからない環境にいるとコロっと眠り病が治まって今の俺のように安楽椅子にゆらゆら座っていられたりする。病症がある時と、まったくない時の差が激しく、病症がない時に医者に会ってもちゃんと見てもらえるんだろうか……と心配だ。仮病とか言われそう。自分でも、なんでもない時はそう思っちゃう時があるし。
俺のじいちゃんが「怒り病」を患ってたんだが、あれに似ているかもしれない。普段は草を食ってる牛みたいな顔で茶を飲んでたかと思うと、ちょっと鋤の位置が変わってただけでスゲェ怒る。それはもう殺されるんじゃないかっていう勢いで怒るので、じいちゃんはハッキリ言って村八分、誰からも嫌われていた。俺だけはなんとなく、つんぼ桟敷に置かれて静かに一人暮らすじいちゃんが可哀想で、たまに見に行ってたりしたけど。
そのじいちゃんも死んだ。
俺はまだ、死にたくねえなあ。
「ぐおーっ、ぐおーっ」
……このイビキは俺じゃねぇ。壁際に椅子を置いて足組んで爆睡しているのはアージィ。
一週間の余暇をコイツは寝るか遊ぶか寝るかで使っている。まァ所構わず寝始める俺がそれを責めるのは筋違いなんだが、それもうスゲェ幸せそうに惰眠をむさぼっているのを見ると、眠れたり眠れなかったりで苦しんでいる自分がアホに思える。はあ、とため息。まあ、パーティ全員が俺に引っ張られて鬱入ったりしたら嫌だから、これはこれでいい、ということなんだろうけど、平気な顔でいてくれてるんだ、ということなんだろうけど、
「ぐおおーっ、ぐおおーっ……」
「……なんだかなあ」
人生はままならない。
俺は頬杖を突いて窓の外を見た。外では、カルナが同い年くらいの子供たちと混じって縄跳びをしている。カルナは旅暮らしなので、決まった友達を持てない。だから町によっては子供の仲間に入れなかったりして、寂しそうだったりする。いつか記憶が戻ったら、故郷で幸せになってくれるといいな。
「……お」
軽く眠気。が、これぐらいなら耐えられる。全然平気だ。今日は安全日だと思ってよさそうだ。いや、えっちな意味じゃなく。
俺は病症ノートに鵞ペンで書きつけをしてから、ふぅーと椅子に深くもたれかかった。
耳鳴りがする。ま、ほっときゃ落ち着く。
俺は羽ペンを空中にはらりと振った。
《双撃衝》。
本当は剣で練習したいところだが、この町には良さそうな空き地もないし、部屋の中で武器を振り回すわけにもいかないので、イメージトレーニングで我慢する。俺は虚空に剣閃を描いていく。
術技は、覚えて終わりじゃない。一度習得した、と思っても、俺はよく忘れる。だからよほど使い込んだ物じゃない限り、あちらを立てればこちらが立たず、いつも何かしらを忘れている。生命が懸かった戦闘で、しかも眠り病の俺がのんきなこと甚だしいが、俺以外の剣士も本質的には同じだと思う。稀に覚えたことを絶対に忘れない奴もいるが、まァ特例。
だから、時間を見ては、こうして剣の軌道をおさらいする。たまに上手くいかなかったりする。だが、どんなに下手でもいい、続けていくこと。継続は力なりだ。
もし剣士に素質を問うなら、獲得した技術を維持できるかどうか、だ。戦闘で相手を殺す天才はいる。いるが、俺はそういうタイプじゃない。培ってきたテクニックを磨いて、敵を倒す。だから、技をいかにして『忘れないか』が俺の剣士としての全てだ。
毎日素振りをする。それもいいだろう。腕立て伏せを欠かさない。それも立派だ。
しかし、眠り病に神経と体力を喰われてる俺にとって、それをやったら肝心かなめの戦闘体力が失われる。だから、羽ペンで軌道を確認するくらいしか出来ない。笑うヤツもいるだろう、実戦的じゃないと言うヤツもいるだろう。だが、俺がこの半年で得てきたものがあるとすれば、これだ。欠かさずに続けるこれだけが、どんな剣技にも優る、俺だけの奥義――
「……眠いな」
いま寝たら、さすがに贅沢。我慢できるのに寝るのは、俺みたいな奴にとっては乞食で稼いだ金をバクチに突っ込むような暴挙。それはわかっている。それはわかっているのに――
チュンチュン、とどこかで鳴く鳥の声を聴きながら。
俺は、ベッドに沈み込んだ。
あと一週間、
あと一週間で、すべてが変わる……
……変わったら、いいなあ。
○
それから二日後。
「ううっ……」
俺は家の塀に寄りかかって、目をぎゅっと閉じた。
眠い。
来た。例のやつだ。それも今度はひどい。
じわっと瞼の裏で涙があふれる。
辛いとか苦しいとかを超えて、何もかもがどうでもいい。
眠ることしか考えられなくなる。
まだ昼だ。寝るような時間じゃない。
俺はあたりを見回した。宿屋はあっちだ。歩けばすぐに着くだろう。
カルナもアージィもそれぞれ出かけている。
俺は、刃こぼれした剣を鍛冶屋で打ち直してもらおうと思ったのだ。
外出できそうな気配を感じたから、素直にしたがってみたのだが、これだ。
おまけに腹まで痛くなってきた。冷や汗が止まらない。呼吸が浅く、心音が狂っていくのを感じる。
畜生……
ここではぐれ者にでも絡まれたら最悪……
と思っていたら、本当に来た。
見るからに顔つきの悪い男たちが、ニヤニヤ笑いながら、
「おい、酔ってんのか?」
ドン!
俺を突き飛ばしてきた。ひとたまりもない。俺は舗道に倒れ込んだ。
男たちはニヤニヤしている。
「剣士みたいな格好してるくせに、よわっちいな」
うるせえな、この眠気さえ無ければてめえらなんか。
俺は剣の柄を握ろうとしたが、へなへなと力が抜けていった。ダメだ。生きる気になれない。
ドッガア!
「うぐっ」
へらへら笑いながら、歯の抜けた男が俺の腹に蹴りを入れてきた。軽鎧越しでも響く、特にこんな炎天下の体調不良中では。俺はぜぇぜぇ息を切らしながら、ぎゅっと目を瞑った。
どうすればいい。
斬り殺すわけにもいかない。こんな街中で。こんな連中でも。
どうすれば……
降り注ぐ暴力。
俺は村にいたころを思い出していた。
病気になったのは俺のせいじゃないのに。
俺の態度や生き方に原因があったとでもいうのか?
俺はただ、羊飼いになるだけの人生の上に立っていた。
いきなりそこから突き飛ばされて、俺が悪者か。
畜生。
こんな男たちに蹂躙される程度の剣の腕にどんな意味がある。
どんな意味が……
「ザンク!!」
アージィとカルナが来た。アージィは男たちの一人を殴りつけ、その顎を一発で砕いた。カルナは躊躇わずに、目に涙を溜めながら、
「穿てっ、其の名は発狂――《インディグニス・ブレド》っ!!」
小さな雷撃を作って男の一人を感電させた。男はその場に倒れ込み、びりびりと痙攣している。取り巻きたちは「う、うわ」と怯んだ様子で逃げていった。ちょっとした午後の暇つぶし、弱い者いじめが一生の傷になるかもしれない決闘に様変わりしたわけだ。気の毒な気もする。
「ザンク」
すぐ近くにアージィの顔があった。こいつ小顔だなぁ。
「あんた、血吐いてる」
「え?」
「すぐ手当するから目ぇ閉じて」
俺は無理やり顔を手で押さえられた。もう二人の声しか聞こえない。
「どうしてっ……どうしてこんなひどいことっ……」
カルナの泣き声が聞こえる。俺も同じ意見だ。
本当に、どうしてなんだろうなあ。
痛みさえも俺の眠りを止めることはできなかった。薄い膜に覆われて、底なし沼に引きずり込まれるような眠気の中で、俺はただ、考えることをやめた。