Chapter 5
1
次の日、昼から偵察に出掛けた。昨日の今日で顔がばれているだろうということで、うまく潜り込むためそれぞれ変装して町に入ることにした。
アクアは腰くらいまでのウェーブヘアを、頭の高い位置で束ねて雰囲気を変え、ルーンは肩までもない髪を、オールバックに固めて眼鏡をかけた。クリスはというと、髪をどうにか固めようとしたが、髪質のせいかワックスが合わなかったのか、どうやってもうまく固められず、仕方なく帽子を被り、暑い中マントを羽織った。衣装はロバートが用意してくれたのだが、本人は目的も忘れたように、それぞれに服を当てながら楽しんでいた。
クリスが町に入った時、近くにいた男がちらっとクリスを見たが、特に怪しむ様子はなく、すぐに視線を外して通り過ぎて行った。
「……とりあえず怪しまれているかんじではないわね」
木の陰に隠れていたルーンが町の様子を伺いながら言った。クリスが町の中を偵察しているあいだ、ルーンとアクアは町のすぐ近くで待機することになっていた。空は穏やかな晴れ空で、小鳥のさえずりが聞こえてくる。町が崩壊していること以外は、平和そのものだ。
「ーン……マリン、聞こえるか?」
突然クリスの声がして、アクアは辺りをきょろきょろ見回した。しかし、どこにもクリスの姿はない。ルーンが「何してるの。おしゃべり玉よ」と、言いながらおしゃべり玉を胸元から取り出した。なんてところに入れているのだろう。
「あ、そうでしたね」
「あなた、敬語やめてっていってるでしょ」
「ご、ごめんなさい」
「ルーン、今そんなことを言ってる場合じゃないだろ。それより町の人たちが……とにかくそっちへ行く」
クリスは呆れながらそれだけ伝えると、すぐさま中継を切ったようだ。ルーンが何があったのか訊いても応答はなかった。
「いったいどうしたのかしら」
「さぁ?でも、ひとつ分かることは、何か非常事態が起きたってことかしら」
そう言っているあいだに、クリスがこちらに向かってくるのが見えた。少し木陰から出て手を振る。
「クリス、どうしたの?」
「やつら、これから人間を狩りに行くらしいぞ。もうすぐ町から出てくる。とにかくここで息を潜めるんだ!」
クリスは慌てて木陰に入ってくると、息を潜めて町の人たちが出てくるのを待った。するとすぐに町から人影が見え、ぞろぞろと町の入り口まで来た時、アクアは驚いて思わず声を漏らしてしまいそうになった。
なんと町から出てきたのは人間ではなく、醜い顔の獣人だった。「あれはグルフ族?でも、港の近くで遭遇したのとはちょっと違う……」と、ルーンがもらす。
たしかに、その獣人は港付近で出遭ったグルフ族にそっくりだ。違うところといえば、毛の色。グルフ族は茶色だったが、彼らの毛の色は紺色だった。それに少し賢そうな顔つきをしている。
「人間に化けていたのね。他のものに変化できるということは、通常の魔物よりも知能が高いということだわ」
それはすなわち、全滅するかもしれないということだ。こちらは三人に対して、あちらは十匹をゆうに超えている。戦力の差は一目瞭然である。
グルフ族に似た獣人たちは、とある方向をしきりに指差すと、そこへ向かって歩き始めた。
――あの場所は……。
「大変!彼らが進んでいる方向には、ロバートさんの家があるわ!」
「くっ、やつらロバートさんを狙う気か!」
「助けに行きましょう!」と、アクアとクリスが魔物たちの後を追いかけようとすると、ルーンが手を出して二人の行く手を阻んだ。
「ルーン!このままだとロバートさんが危ないのですよ!?」
「落ち着いて、二人とも。そうね……ちょっと考えれば分かることだったわ。なぜ、町を訪れた人やこの近くを通った人たちは姿を消したというのに、ロバートさんだけは無事だったと思う?」
「そんなのたまたまやつらに気付かれなかっただけだろ。そんなことより、早くしないとロバートさんが……」
ルーンはクリスの言葉を遮るように、人差し指をクリスの口に当てた。突然の行動に、クリスはぐっと黙り込む。
「いい?あの老人、ロバートさん……いえ、ロバートは、やつらの仲間よ。つまり、あいつも魔物だった」
「え?それはどういう……」
アクアが聞き返そうとしたその時、不気味な風が通り過ぎた。その風に乗り、「フハハハハハ……」と不気味な笑い声が聞こえてくる。声のするほうを見定めると、そこにはいつの間にか前後を取り囲んでいた魔物と、あのロバートさんがいた。
「ロバートさん?どうして……」
信じられないという顔で、アクアが問いかけた。魔物と一緒に不気味に笑うロバートは、昼間まで浮かべていた穏やかな表情は面影もなく、妖しい表情に満ち溢れていた。
ロバートは、「まだ気付かないのか。俺もこいつらの仲間だということに」と言うと、みるみる口が横に裂け始めた。そして腕や顔など肌だった部分から紺色の体毛がわさわさと生え、顔がいびつに曲がり、一緒にいる魔物と同じ顔になった。
「お前タチ、まんまト罠に引っかかったナ。馬鹿な奴らメ……」
ロバートの声は、もうかつての優しい声ではなくなっていた。不気味な低音で、耳に入ると身の毛もよだつような声だった。
「騙したのか!」クリスがマントの下に隠し持っていた剣を抜き構えると、何体かの魔物が、それに反応して攻撃態勢を構えた。
「うまく潜り込んだつもりだろうガ、我々は馬鹿ではナイ。人間の匂いナドすぐ分かル」
完全に魔物になったロバートが仲間に合図すると、一匹が耳障りな奇声を発しながらアクアに襲いかかっていった。逃げようとしたが、恐怖で足が強張り動くことができない。
「マリン!危ない!」
クリスが「でやあ!」と魔物に深く斬りつけると、魔物は断末魔のような声をあげ、血しぶきを撒き散らしながら倒れた。そしてしばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。
「何ぼーっとしてるの!そんなことしてたらあなた死ぬわよ!」
ルーンはブツブツと呪文を唱え、両手を天に翳した。「サンダーボルト!」
空が黒い雲で覆い隠され、やがて雷鳴が響き渡った。そして幾多の雷がルーンの両手に集まり、彼女がそれを振り下ろすと、一匹の魔物めがけて襲いかかった。黒焦げになった魔物は、ざらざらと砂のように崩れた。胸を刺すような臭いが充満する。それを見て、他の魔物は警戒してたじろいた。
ロバートは苛々したのか、声を張り上げた。「何をしてイル!あんな攻撃ぐらいでおののぐトハ、それでも誇り高き魔族カ!」
「魔族ですって!?」ルーンが叫んだ。
2
「ふん、怖気づいたのカ?そうダ。我らハ誇り高き魔族。その辺をうろついている頭の悪い下等な魔物などではナイ」
「そんな……だってあんたたちは……この世界にいるはずないのに……」
「ルーン、どういうことなのですか?」
「やつらは大昔に、魔界という恐ろしい世界に隔離されたのよ。ある出来事がきっかけでね。それから今まで、一度だって出現報告は出てなかったはずなのに……」
ロバートは、その通りダ、と不気味な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「かつて我ラ誇り高き魔族ハ、選ばれし種としテ、永い年月この地上を支配してイタ。お前タチ人間の先祖モ、我らハ奴隷や食料としてキタ……」
しかし、一部の生き延びた人間たちは、知恵と力を付けてきていた。対抗してくる者たちも現れ、その度に人間狩りをして制圧しようとしたが、人間はそんなことで諦める弱い生き物ではなかった。
「何百年か経った頃ダ。我々ハ人間との全面戦争に敗レ、次元の監獄と呼ばレル"魔界"へ封じ込められてしまっタ」
この世と魔界を繋ぐ、獄門(イビルゲート)も永遠に閉ざされ、世界は平和に包まれた――はずだった。
「ある日一匹の人間ガ、ありがたいことに獄門(イビルゲート)を開いてくれたのダ。そして再び我らハこの世界へ舞い戻って来ることガできタ」
「それは一体誰なの!?」ルーンが手に雷を構えながら問いかけた。
「それハお前たちガ気にすることではナイ。なぜナラ、お前たちハここで死ぬのだカラ!」
ロバートは大きく息を吸い込んだかと思うと、口から青緑のブレスを吐き出した。
「毒のブレスだ!吸わないようにみんな避けろ!」とっさに毒ブレスを見分けたクリスが叫び、アクアの体を抱いて脇に避けた。ルーンも素早く当たらない方向へ避ける。
ブレスの当たった植物を見ると、みるみる黒く変色して溶解し、たちまち腐臭を放ち始めた。たしかに当たれば確実に死ぬだろう。
「な、何なのよあれ!あんなの反則じゃない!」
「一体どうすればいいのでしょうか……」
相手は毒ブレスを吐き出すため、迂闊には近寄れない。となると、アクアとルーンの魔法が頼りになってくるのだが、敵の数は多い。呪文を唱えるにも集中力がいる。
ルーンは今まで場数を踏んできているのだろう、さっきもほんの隙をかいくぐって呪文を唱えていた。クリスも敵の動きを瞬時に読み取りながら、素早く動いてダメージを与えている。
それに比べて、自分はなんて無力なんだろう。隙なんて見つけようと思えばいくらでも見つけられたのに、恐怖が思考を占拠して、考えることなんてできなかった。
――結局、私は足手まといでしかない……そもそも、私が二人に関わらなければ、こんな目に遭わずに済んだはず。
――私サエ、居ナケレバ……――
「……マリンてば!しっかりして!」
気がつくと、ルーンが肩を揺さぶっていた。アクアは我に返り、「ごめんなさい……」と謝った。
「ぼさっとしないで。さっきも言ったでしょ!」再びルーンは呪文を素早く唱え始め、敵にファイアボールをかましていく。いつのまにか、敵の数は半分ほどに減っていた。
「それに、今は謝っている暇なんてないわよ。いくらクリスが頼りになるからって、いつも守ってくれるとは限らないんだから」
「いつも守って……」ルーンの言葉が、アクアの胸に突き刺さる。
城にいた頃、どこを歩いていても兵士たちの目があった。自分が危険に晒されないよう、常に警備されていた。時にそんな生活が嫌になり、町の中を友達と楽しそうに駆け回る国の子どもたちを見ては、その自由さに憧れたことさえあった。
それが今、結局は同じように誰かに守られている。命がけで宝玉を守り抜いた父のように、自分もまた、命がけで守らなければならないというのに。
「マリン!危ない!」クリスが叫び声をあげた。
魔物が一匹、アクアに向かって襲い掛かる。しかし、あと数センチ近づくとやられる、というところで、火の玉が爆発を起こして魔物を飲み込んでいった。
爆発が収まると、爆風の中からアクアが出てきた。その顔はさっきまでとは違い、何か決意に満ちた表情をしている。
――このままでは、きっと私は守り抜くことはできない……もっと強くならなくては。
アクアは自分の心にそう堅く決意した。そして拳を握り締め、敵の群れへと足を踏みしめて行った。
to be continued...