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新都社 漫画評論集
争いは創作行為にどのような影響があるか

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今年の初めごろから、会社絡みのつまらない訴訟に巻き込まれている。で、今回、そのような争いごとと、創作の関係について語ってみたい。

1 ある種のネガティブな感情は創作に有効である。

非商業である上に全く有名でもない自分の作品を例に出して、申し訳ないが、水爆バレーは東日本大震災の際の原発事故がなければ、描けなかった。あの漫画における水素爆弾が仕掛けられたバレーボールは原発事故に対する恐怖や怒りが、置き換わったものである。
このように、どのような創作活動も何らかの感情の置き換えであり、ある種の人は、自分のネガティブ感情を処理するために創作を必要としている。

2 ただし、人との争いごとは実りあるものにはならない。

訴訟が本格化したのが、9月以降だったのだが、この期間中に自分がやっていた創作活動は、同じ章を何回も描き直しいるだけだった。何度、描いても全く面白くならないのである。試しに過激な性描写を入れてみたが、より描写がありきたりになっていった。
今、考えるとこれは訴訟の影響である。

3 訴訟の見通しがついたら、急にまた創作できるようになった。

漫画を描くうえで重要なことは、面白い物語を作ることではない。重要なのは自分の作った物語に乗せて、自分の負の感情を発散できるかどうかである。自分が発散させたがっている負の感情は、明らかにコロナに伴うもので、なぜかよくわからないが、負の感情が置き換わったものがシャネルの化粧品や、ロールスロイスのエンジンである。この種の置き換えがうまくいかなかったので、過激なストーリーでごまかしていたらしい。

4 なぜ争いごとは、創作の天敵なのか

争いごとがあると、人は、その部分にエネルギーの多くを割かなくてはならない。創作を行うような余力が全くなくなってしまうのではないか?
  
5 平和こそ創造の神

結論は、これである。人が創造性を発揮するのは、生活の安定や安全が必要なんである。もっとみんな平和を大事にしようじゃないか。
 

       

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