Neetel Inside ニートノベル
表紙

力を持ってる彼の場合は
第九話 異能力者の学校生活

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「ねえしずちゃんっ、見てこれ!」
そう言って、母さんは手に持つぼろきれを突き出した。
「?、それは…?」
「守羽の洋服だよ!血と泥でこんなにぼろぼろになって、一体何やったと思う!?普通に遊んだってこんな風にはならないよ」
「…守羽、君まさか」
じとっとした眼差しで見つめられる。こうなると母さんと同じで、黙っているわけにもいかなくなる。
母さんに問い詰められた時と同じように諦めの溜息をついて、おとなしく白状する。
「えっと…人外の騒ぎに関わりました。全身斬り刻まれたんで服もボロボロになりました」
「守羽」
俺が白状した瞬間、いつもとはまるで違う、焦りを孕んだ表情と動きでそのしずちゃんはーーー静音先輩は俺の両手を握った。
俺の両手をまじまじと見たあと、腕から肩へと視線を這わせ、脇腹や胸を服の上から触ってくる。やがて焦れたように服を捲り上げようとしたところで、
「怪我は無いですよ、静音さん。その人外に治してもらいました」
その両手を今度は俺が握り、落ち着かせるようにそう言う。
「そう…なら、よかった」
軽く息を吐いて、静音さんは一つ頷く。
「ぜんぜんよくないよっ。下手してたら死んでたんだよ?危ないことはしないでっていつも言ってるのに!」
「だから何回も謝ったじゃん、ごめんって」
中学生みたいなちっこい母親がぷんすか怒っている。親が真剣に子供を怒っている場面のはずなんだが、どうも締まらない。
「俺だって出来れば関わりたくなかったよ。でも連中はそういうの関係なしに面倒事持ってくるから、結局こうするしかなかった」
実際、俺が放っておいたらもっと問題は拡大していただろう。今回はなかったようだが、犠牲者が出ることもあったかもしれない。
そしてその犠牲者はもしかしたら俺の知人や家族だったかもしれない。
そう考えれば、やっぱりこれは仕方のないことだったんだ。
しかし母さんは納得できないようで、
「それならそれで、私やお父さんに言ってよ!」
「いや…言ってどうすんだよ…」
どうしようもないと思うんだが。
「子供を守るのが親の役目だよ、守羽がそんな目に遭うくらいならわたしがどうにかするの!」
「無理だと思うし、色々な意味でやめた方がいいと思う」
こんな容姿の母さんが人外騒ぎに絡んで夜道を歩いてたりしてたらお巡りさんのお世話になりかねない。事情を説明した挙句に待っているのは迎えに行く父さんへのロリコン疑惑だけだ。
無駄に家族がお巡りさんのお世話になるのも嫌だし、これ以上父さんへの精神的被害を食い止める為にも母さんには家にいてもらいたい。
母さんの持ってる異能も、そういう荒事には向いてないしな。
「大丈夫大丈夫、俺はそう簡単には死なないって。なんかあれば母さんがいるし」
「私もいるよ、守羽」
まるで張り合うように一歩前に出た静音さんが、母さんの持っていた俺の私服ぼろきれに白い指先を当てる。
途端に、何かのマジックのようにボロ雑巾のようだったそれが俺の服に戻った。血痕も斬り裂かれた跡もきれいさっぱり消えて、俺が戦う前に着ていた状態になっている。
「わあ、ありがとーしずちゃん!」
子供のように笑顔でお礼を言って、母さんが服を広げて喜ぶ。どうせこの為に呼んだんだろうけど。
「いえ。…それと、その呼び方はやめてください」
やや恥ずかし気に、静音さんは母さんの自らへの呼び方に訂正を求める。
まあ、青い猫型ロボットが出て来る話の漫画版のヒロインの呼び方みたいだしな、しずちゃんって。
しかし、静音さんの能力は便利だ。こっちも人外の荒事には向かない種類のものだが、それにしたって利便性があっていい。
「えー可愛いのに。しずちゃん」
「やめてください」
俺が静音さんと知り合ってからは、何故か静音さんは母さんとも仲良くなっていた。いつの間にやらというくらいあっさり。お互いメールとかやり合ってるみたいだし。
だからたまに下校ついでに俺の家に立ち寄ることもあまり珍しいことではなくなっていた。今回は俺から誘ったわけではないが、静音さんから少し寄りたいと言われたので是非もなく自宅まで一緒に帰ってきた。
多分母さんが事前にメールで伝えていたんだな。
「あ、そういえばまだお茶も出してなかったね。ちょっと待ってて」
「お構いなく」
「いえいえー」
肩に触れるかどうかくらいの長さで揃えられた、色素の薄い髪が綿毛のようにふわっと舞う後姿をなんとなしに眺めながら、台所に引っ込む母さんを見送る。
「…………」
あの色素の薄い髪もそうだが、雪のように白い肌、琥珀がかった薄黄色の瞳。
うちの母さんはなんか少しあれだな、日本人離れしているな。もしかしてハーフとかなんだろうか、そういう話を聞いたことはないけど。
まあ、あの外見で惚れて結婚まで漕ぎつけた時点でハーフだろうがなんだろうが父さんへのペドフィリア疑惑は永久に晴れないだろう。我が父親ながら可哀想に…。
「ねえ、守羽」
「はい?」
母さんが戻ってくるまで居間でだらけていると、静音さんがいつもの凛とした表情で俺を見据えていた。
…なんとなく、言わんとすることはわかる。
「何度も言うことだけど、危険なことはなるべく避けてね」
「わかってますよ。今回だって、なるべく避けた結果、こうなっちゃっただけですんで」
「……」
なんだか不満げな顔になった静音さんに、俺は慌てて弁明する。
「い、いや違いますよ?決して静音さんの言葉を軽んじているわけではなくて、俺も自分で大丈夫だと思ったから関わっただけで、本当にヤバいと思ったら手を引きますよ」
実際のところ、あの鎌鼬騒動は大丈夫・・・だったのだ。確かにあれ以上追い込まれていたら不味かったが、結局『あの状態』にまではならなかったのだから。
かつて強力な鬼を殺した、あの力は使わずに済んだのだから。
それはすなわち、大丈夫だったってことなんだから。
「だとしても」
静かに、先輩は言い聞かせるように俺へと話しかける。
「大丈夫だったとしても、一人で背負い込もうとはしないで。君が一人で傷ついて解決させても、それをあとになって知る私達は気が気じゃないよ」
「…はい」
ひとまず、ただ頷く。
「君が望めば、力になってくれる人は沢山いるよ。私だってそう」
俺の前まで擦り寄ってきて、静音さんは俺の手を取る。この先輩は、真剣な話や意思を伝えたい時、こうする。
「忘れないで、君は君自身が思っている以上に多くに想われているの。それは、それだけは、絶対に忘れないでね」
「…わかりました」
そう言われてもまったく実感がないが、静音さんがそう言うのだからそうなのだろう。
俺が一体誰に想われているのかさっぱりわからないけど、とりあえず俺は静音さんを信じてる。静音さんの言葉を信じてる。
俺自身が信じられなくても、静音さんがそう言うのなら信じられる。
俺が信じるお前を信じるってね。
あれ、これ展開的に今後俺が死ぬ流れじゃない?

     

異能とか、人外とか、そういうのに関わりさえしなければ俺の日常はいたって普通だ。
朝起きて、母さんの作ってくれた朝食を食べて、身支度を整えて登校する。最近の登校は彼女の要望もあって静音さんと一緒だ。
学校の正門で、静音さんとは別れる。学校内ではあまり馴れ馴れしくしないように心掛けている。もっとも向こうはそんなのお構いなしにやって来るが。
クラスでも俺はおとなしくしている。挨拶されれば返事するし、話し掛けられれば無難に返す。
でもそれだけだ。特に一緒に何かをするということもない。嫌われないように適度に接するが、好かれるまでには到底至らない。
だが、学校というものは同年代の男女が大勢集まる場所。
大勢いるということは、少なからず変わり者もいる。
それは単純に性格的に変わっている者もそうだし、人として変わっている者もそうだ。
人として持たざる力を持つ、普通の人間には無い能力の持ち主。
静音先輩や俺と同じ、異能力者。

「よっすー神門みかど!いつも通りの不幸顔だなあっはっは!」

席についてぼんやりしていた俺の背中をスキンシップを超えた威力の張り手でバンバンと叩いてきたソイツに、殺意を込めた視線をやる。
この学校に少なからず存在する変わり者の生徒の中でも、先に挙げた二つの意味で『変わっている』ヤツがそこにいた。
「…お前は相変わらず能天気なアホ面だな、東雲しののめ
皮肉たっぷりにそう返してやると、そのアホ面は皮肉を理解していないのか爽やかな笑顔で、
「おうよ!いい天気だったから学校まで走って来たぜ!」
とかわけのわからないことを言った。微妙に会話になってねえ。
同じ学年で、同じクラスで、同じ異能を持つ者。
圧倒的に数が少ない異能力者同士だからか、やたらと絡んでくるその同級生の名前は東雲由音ゆいん。常時血管がブチ切れるんじゃないかってくらいのハイテンションを維持して生活しているからその内死ぬんじゃないかと思っているが中々しぶとい。
「なあ神門よー、暇なら遊ぼうぜえ」
「もうすぐ朝のホームルーム始まるから席についてろ」
片腕を俺の首に回して、東雲は左右に揺さぶる。
「そんなこと言うなって!なあなあ!トランプしようぜ!」
「ちょ、おま、やめろ!」
がっくんがっくんと上半身が横揺れに襲われ、胃袋から朝食がリバースしそうになる。
咄嗟に腕が回された側の腕を振り上げて東雲の鳩尾に肘鉄を叩き込んでしまう。
「げふぅ!!」
「おわっ、すまん!」
思わず謝る。
「うぐ……神門、ちょっとお前の学生鞄貸して……」
「この状況で俺の鞄を何に使うつもりだ」
「口から溢れ出るオレの親愛の証を受け取ってほしい…」
そんな酸っぱい臭いのする親愛の証なんていらん。
本当に吐きそうになってやがったから、出るものが出る前に両手で顎と頭を押さえ込んで口からの放出を絶対阻止して強引にリバースしたそれを再び胃袋へリバースさせた。
「ごほっげほ!あ、悪魔かお前…!」
「元を正せばお前のせいだろ…。とりあえず口を濯いで水飲んで来い。そのままだと胃酸で歯と喉痛めるぞ」
コイツにはそういう気遣い必要無いとは思うが、一応言っとく。
「そうすっか…神門今何分!?」
ケータイのディスプレイの時刻表示を見せてやる。ホームルーム二分前だ。
「やべえ!急ご!覚えてろよみぃぃぃぃかどくうぅぅぅぅぅうんっ!!」
「木原君みたいに呼ぶなアホ」
喉が心配になるような絶叫を残してアホは去った。ホームルームには間に合わなかった。



「一週間に一回の決闘ルール、改正しねえ!?」
「うっせ」
昼休み。
今日は教室で食おうと思って自分の机の上で弁当箱を広げていた俺の真横で高速スクワットをしながら東雲が叫ぶ。なにしてんのコイツ。
「三日!負けたら三日我慢するからそれでいいっしょ!駄目!?」
「駄目だし汗が飛んで来るからスクワットやめておとなしく昼飯食っててください」
とりあえず敬語でお願いしたくなるほど鬱陶しかった。
「おっ、神門そのウインナーうまそうじゃん!オレのアンパンの餡子と交換しようぜ」
「やっぱアホだなお前」
両手で突き出してきた購買のアンパンを片手でぺしんと弾いて拒絶を示す。
この東雲由音とはある一つの取り決めをしていた。
ヤツが仕掛けてくる決闘には必ず応じること。その決闘に俺が勝った場合、その後一週間は俺への決闘申込みを禁止すること。
こうなった経緯は話すと長くなる。まあ仕方なく、止む無く、苦渋の決断だったと言って差し支えないことは確かだ。
もうコイツは今週叩きのめしたので、来週まではもう絡まれることはないと思っていた。俺がヤツとの接触を避け続けていられれば。
だがしかし、そこは同じ学年同じクラスに通う同級生。どうやっても逃げられはしなかった。一応授業は真面目に受けてるから、休み時間に入ると同時にダッシュで教室から退避すればどうにかなる。
どうにもならないのは、こういった昼飯時とかだ。
俺が黙々と弁当の中身を口に運んでいると、東雲は近くの椅子を引き寄せてアンパンを食べ始めた。わざわざ俺の傍で食うなよ…。
「そういえばよー神門」
「食べながら喋るな行儀悪い」
言った途端に高速で咀嚼しアンパンを飲み込み、続ける。
「お前ってまだ人外とドンパチやったりしてんの?」
「…してねえよ。なんだいきなり」
「いや、いつお前に挑んでも動きがキレッキレだからさ。人外相手に技を磨いてんのかと」
東雲との決闘に、俺は負けたことがない。それは単純に東雲が俺より弱いのが原因だが、俺が東雲より強いのは、確かに定期的に命を張った闘いをしているのが理由に挙げられるのも否めない事実ではある。
「お前がしつこく俺に挑んでくるからだろ。俺だって怪我はしたくないからな」
だがそれをわざわざコイツに言う必要はない。適当なこと言って誤魔化しておく。
「ふーん、すげえな!じゃあ次はボコボコにするから覚悟しとけよ!」
「はいはい」
椅子をガタガタ鳴らして意気込む東雲に、俺は肩を竦めてそう返した。

     

午後の授業もつつがなく終わり、放課後。
俺は何故か校舎裏にいた。いや何故かはわかっているのだが。
「おうコラ、クソ一年坊主が」
「調子こいてんじゃねえぞ、ああ?」
「ぶっ殺されてえのか!?」
ガラの悪い先輩方に三方を囲まれ、威圧されているこの状況。
なんだこのデジャブ。つい最近もあったぞこんなこと。
何事もなく終わると思っていた今日一日の学校生活も、どうやら平穏には終わらないらしい。
「あのー、俺が何かしました?」
「とぼけんなクソガキ!」
「わかってんだろうが!!」
「ざけやがって!」
三人の怒号を聞きながら、俺は嘆息しつつ足元に目をやる。
そこには、俺の靴にじゃれついている一匹の犬がいた。茶色と白の毛並み、同色の尻尾を振ってくるくると俺の周囲を回っている柴犬。
生徒が多くいる中で会うのはどうかと思った俺が事前に正門から少し離れた場所を待ち合わせに指定して、そこで待つ静音さんのところへと足早へ向かおうとした時のことだった。
いきなり校庭を走り回ってこの犬が俺のとこまでやって来た。三人の先輩を引き連れて。
そのまま俺は引き摺られるようにして校舎裏へ。
そして今に至るわけだが。
「躾のなってねえその犬、テメエの飼ってるヤツだろうが!人様の靴にションベン引っ掛けやがってクソが!」
「俺のは唾液でぐしゃぐしゃにされたぞ!どうしてくれんだああ!?」
「飼い主共々ぶっ殺してやるこのクソ犬!」
どっから入ったのか知らんが、この犬が先輩方に粗相を働いたらしい。で、何故か俺に懐いているのを見て俺が飼い主だと誤解しているらしい。それで絡まれたと。
また誤解で怒られてるのか俺は…。
「いや、うち犬飼ってないですので。知らないですこんな犬」
「んなわけねえだろ!」
「見え透いた嘘吐きやがって!」
「有り金全部置いておとなしくボコられやがれ!」
もうやだこの学校。不良多過ぎでしょう。
どうしよう。異能で返り討ちにするのは簡単だけど、こんなことにいちいち使いたくない。やっぱり逃げるのが一番か。
日の当たらない校舎裏は左右と背後が校舎の壁に阻まれて逃げ場は正面しかない。相手が三人なら、どうにか掻い潜れば逃げられるか。
最悪の場合、俺をこの状況に追い込んでくれたこの犬をぶん投げて囮にする手もあるな。
なんて思って逃げるタイミングを計っていたら、
「ーーーぉぉぉぉおおおおおおっしゃぁぁぁあああああああ!!」
そんな叫び声が真上から聞こえて、
「げふんっ!?」
それを見上げた俺達の内、俺を威圧していた先輩の一人が降ってきた絶叫の主に両肩を踏まれて地面に潰された。
腰と膝が心配になる崩れ方だったが、大丈夫だろうか。
呑気にそんなことを考えながら、俺は先輩を踏み潰したそいつに声を掛ける。
「今度はどうした、東雲」
「楽しそうな状況を見っけたから、混じりに来たぜ!!」
ぐっと親指を突き出すアホに、俺は片手を挙げて応じた。
いつもなら適当に流してあしらうところだが、今回はいいところに来てくれた。
「うおぉ!?なんてことしやがるテメエ!」
「ってか……お前どっから…!?」
「上から来たんだから上から来たに決まってんだろ!馬鹿か!!」
馬鹿に馬鹿扱いされた哀れな先輩二人は、唖然とした表情でもう一度上を見上げた。その先にある、三階の窓が開け放たれているのを確認して、表情を固定させたまま視線を戻す。
うんまあ、そんくらいならやるわな。コイツなら。
堂々と異能を使って飛び降りてきた東雲に言いたいことはなくもないが、今はいい。
「じゃ、この状況そのまま差し上げるわ。あとは任せる」
「なんだ、いいのか?オレが全部やっちゃうぞ!?」
「どうぞどうぞ」
横にずれて不良との間を空けてやる。
「オイ待てやコラぁ!」
「用があんのはテメエだっつ…がっ!」
「こっち見ろって!よそ見してるとすぐ終わっちまうぞ!!」
容赦ないハイキックで不良の一人が蹴飛ばされるのを尻目に、俺はその場を東雲に任せてそそくさと立ち去った。



「最近、俺の一日が平穏に過ぎないんですよ…」
昨今のラノベのタイトルみたいな感じになってしまったが、俺が伝えたい一言はそれに尽きた。
「いいことだと思うよ、私は」
その一言を受け取った彼女、静音先輩は優しく俺にそう返す。
「刺激があるのはいいこと。毎日をただ流れるままに惰性で過ごしていたら、損でしょ?せっかくの学生生活なんだから」
「そんなもんですかね」
「私もはっきりとは言い切れないけどね。きっと、こういう時間は過ぎてから想うと大事なものになるんだと思う」
なるほど。さすが静音さんのお言葉には説得力がある。後光が差してきて眩しい。
静音さんとの下校途中、この何気ない会話でさえ俺にとっては至福の時だ。こっちから楽しい話を振れないのが実に申し訳ないが。いつも口を開けば愚痴や不満を出してしまっているような気がするし。
でも静音さんはそんな俺のしょうもない話にもきちんと相槌を打ってくれる。やはり天使か。
学校から家まであと半分ほどの距離があるところまで歩いてきて、不意に視界の端に何か動くものを捉え、咄嗟に隣を歩く静音さんの前に片手を止め、素早くそれと静音さんの間に身を割り込ませる。
「犬…?」
静音さんの呟き通り、それはただの野良犬だった。どうにも人外との戦闘のせいで過敏に反応するようになってしまっている自分の体を恨めしく思う。
「………」
しかし、俺はそのまま目の前で「わんっ」と吠える犬っころを睨みつけていた。
ついさっき俺を不良のカツアゲ目標にロックオンさせてくれたあの柴犬だ。見分けられるわけではないがこのタイミングでこの犬ならまず間違いないだろう。
また厄介事を運んできたんじゃないだろうな。すぐさま注意深く周囲を窺うが、ガラの悪い連中がやって来る感じはなかった。それどころか道行く人の一人すらいない。
「可愛いね、守羽」
その犬っころが俺に何をしでかしてくれたのかを知らない静音さんは、歳相応の反応を見せた。しゃがみ込み、柴犬に手を伸ばす。
静音さんの手を見て、犬は舌を出して口を開き、

「可愛いも悪くないが、私はオスだ。格好いいと言われる方が心地いいのだがな」

渋い紳士然とした声音と口調で、言葉を放った。
「しゃ、しゃべったぁぁぁああああああああ!!」
なに、なんなのこの犬!新しいハッピーセットのおもちゃか何かか!?
いやそんなわけない。これまでの経験からして、思い当たる節はおもちゃではなく、
「人外かコイツ!静音さん下がって!」
大慌てで静音さんを柴犬から引き離す。犬はその様子をじっと眺めていた。
「案ずるな少年。害意は持ち合わせておらん」
またしても渋いオジサマボイスで言い、ゆるやかに首を振るった。
「じゃあ、なんの用だ犬ころ。どうせロクなことじゃねえだろうけどな」
「守羽、落ち着いて」
俺の右腕を両腕で抱えるようにして、静音さんが俺を促す。
「わかってますよ、至って冷静です。ですがね」
嫌な予感は拭えない。
俺へ接触してくる人外は、そのほとんど全てが俺にとっての厄介事そのものだ。
経験上から来る予感は、次に放った犬の言葉で確信に変わった。

「すまぬな少年。君が噂に聞きし『鬼殺し』であることを知った上での接触だ。君に一つの警告と、一つの頼みをする為にこの街へ逃げてきた」

(追ってきた連中の面倒事が終わったと思ったら、今度は逃げてきたヤツの面倒事かよ)
あの鎌鼬達のことを思い出しながら内心で呟き、大きく溜息を吐く。
「先に謝っておく。事態は既にこの街にまで浸透しかけている。私と、私を追ってきた奴によってな」
「お前は何だ。奴ってのは誰だ」
どこまで事態が浸透しているのかさっぱりだが、ひとまずこの犬からの情報は聞けるだけ聞いた方がいい。関わる関わらないのどちらにせよ、だ。

「こんな成りではあるが、私の真名は人面犬じんめんけんだ。その名が、人の世では一番通っているものだろう。奴もまた、世間一般では口裂け女と呼ばれている者だ」

人の言葉を解し、人の言葉を話す犬は、そうして二つの名を口にした。
そのどちらにおいても、俺達人間には『都市伝説』というジャンルで語り継がれてきたモノであることを理解し、俺は何度目かわからない溜息を溢した。

       

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Neetsha