壁の中の賭博者
あとがき
もともと『ラクに書ける麻雀小説』というのは、やってやれないものかと考えてた題材でした。
麻雀小説、っていうと昔書いてたんですが、あれは牌図を用意するのがめんどくさすぎるし、もうだいぶみんな咲とかアカギだけじゃなくて近代麻雀ぐらいは読んだことあるよって人が増えてきたから、ちょっとやそっとの小ネタじゃ回せない。
だから麻雀小説を書くのはやめたんですが(麻雀そのものがキライになったというのもある)、あれだけ遊んだ題材だし、野球漫画を描き尽くした後のあだち充のよーになんとなく心に残るものがあるのでした。あだち充のことはよくわからないけど・・・
で、麻雀が分からない人にも骨組ぐらいは分かってもらえないかな、と考えたのがこのゲーム。シンプルで奥行なんて無いんだけど書くのラクだし・・・というベタ塗りサボった漫画家のような理由から考案。あんまり好きになれなかったので失敗作だったように思う。
でもこの小説、俺は主人公がとても嫌いで、やってたゲームも嫌いなんだけど、じゃあ作品ごと嫌いかっていうと「うーん」だったりする。
だいたい俺はいつも全体の統合性はクソでも「ここが好き」っていうシーンがいくつかあって、「そこ書けたからいーじゃん」くらいに思ってる。
この話にもそういうところが何点かあって、反吐が出そうな拙さといい加減さに溢れてても、それが味のような気がしないでもない。
俺はだいぶ前から弱いやつは死んだ方がいいと思ってて、安楽死とかなんで駄目なん?って疑問なんだけど、この主人公は死んだ方が幸せだと思う。どうしてそんなに頑張って生きてるのかなあ、と不思議に思いながら書いてた。才能もないしセンスもないし。それでもなんかよくわからんうちに勝っちゃって、実感のない勝利がさらに不充足と怒りを増長させるだけなんだよね。もし神様にセンスがあれば錬を負かせて死なせてやるのが優しさなんだけど、神様はバカだから錬を生かしちゃう。やつは実力で勝ったわけじゃないからこれから苦しみが待ってるだけなのに・・・っていうところから、「神様ってセンスない」っていう実感に繋がってそれが次に書くことになる『滅神時代』に繋がっていくわけであります。
上沢さんが「わたしが全部決めてるわけじゃない」って怒鳴るのも分かるよね。いやこの世界に上沢さんはいないんだけど。でもだいたい、俺の世界には神様がいて、どいつもこいつもセンスないからそのセンスのなさを勝負師たちが教えてあげてるって構造。
神様には出来ないでしょ、俺たちみたいな勝負はさ。