Neetel Inside ニートノベル
表紙

ドラゴンズペニス
第一話「竜と人」

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 耳が床に落ちた。左右両方だ。
 切断面から僅かな血が流れ、小便と混じって低い方へと流れていく。耳の持ち主だった男は小さく呻いたが、すぐに唇を強く噛んで痛みを押し殺した。
「やるといったらやる。あたしは拷問官でもあるが執行人でもある訳だ」
 両手を鋼鉄の鎖で縛られて吊るされた男に対し、傭兵である事を示す黒塗りの鎧を着込んだ女がそう宣言した。女の顔は兜で隠されていて見えないが、その眼の光は暗く淀んでいる。
「さて、次は目だ。もう1度、選んでもらうぞ。『片方』か『両方』か」
 たった今耳を削ぎ落としたナイフが、今度は目にあてがわれる。男はじっとナイフの切っ先を見つめ、たった一言呟く。
「……殺す」
「おいおい、台詞を間違えてないか? せめてそこは『殺してくれ』だろう。まあ、どっち道お前の願いが叶う事はないが」
 女は呆れたように両手を広げて、2歩、男の前から引いた。
「レザナルド国軍隊長グラーグ、通称『暴虐のグラーグ』もこうなったら形無しだねえ。それでもまだ闘志を失っていない所は評価してやってもいいが、ここからどうやって逆転出来るのか、聞いてもいいかい? 参考までにさあ」
 女の挑発に、グラーグは腹からの大声で答える。
「ああ!? 聞こえねえなあ? 耳を切り落とされてっから、もう少し大きな声で喋ってくれ」
「ふふ……あんたのような屈強な男に好き勝手出来るのがこの仕事の醍醐味だねえ」
 女の右手が、グラーグのむき出しの胸に触れる。その筋肉の分厚さも、この絶望的な状況では大して役に立ちそうにない。
「物分りが悪いようだからもう1度言ってやるよ。『聖剣』をどこに隠した? それに答えるならば『片方』答えないならば『両方』だ。さあ、どうするよ?」
 再び、血のついた歪なナイフが目の前に示される。視力を半分失うか、全て失うか、2つの選択肢。
「『両方』」
 グラーグが答えると、少しの間を置いて女が小さく笑った。
「ここまで強情だとはね。流石は暴虐のグラーグという所か。ではあんたが光を失う前に、面白い物を見せてやろう」
 そう言って、女は兜を脱いだ。赤黒く短い髪の下、左耳が無く、右目は潰れている。
「あたしの手にかかった以上『片方』は確実にもらう。『両方』を捧げるかどうかはあんた次第って事さ」
「ふん、仲間が欲しいだけか」
 女は涼しい顔で答える。
「まあそういう事かもねえ。さあ、お別れの時間だ」
 ぷつり、と鋭い刃がグラーグの両眼に突き刺さる。鼻筋に切り込みが入り、やがて透明の液体が噴出する。瞼が閉じられても刃の侵攻は止まらず、激痛の中、やがてグラーグは失明する。
「さて、これであんたは両耳と両目を失ってしまった。何か言う事はあるか?」
「……お前を殺す。必ず」


 メリダンの属する宵闇傭兵団に対し、正式に城地下の使用が許可されたのは異例の措置だった。経緯はこうだ。レザナルド軍対ボンザ軍の先の戦において、宵闇傭兵団は八面六臂の活躍を見せ、ボンザの国王に大変気に入られた。それにより、本来であれば国王直々の部隊にしか任されない聖剣の探索任務まで命じられたのだ。こうしてメリダンは傭兵ながらに捕虜の拷問と尋問の権利を得て、その中の1人であるレザナルドの軍隊長グラーグを長らく使われていなかった城地下の拷問部屋へと連れてきたのである。
「おい、聞こえるかい?」
 光を失ったばかりのグラーグの頭を掴み、無理やり持ち上げるメリダン。グラーグはその顔に唾を吐く。
「ああ、良かった。気絶されちゃあつまらない」
「おや? まだ気力が衰えぬらしい、なかなかの根性じゃ」
 と、続けて男の低い声。メリダンの部下か、とグラーグは判断する。
「お前が女なら次が最後のチャンスだが、残念ながらお前は男だ。もう2回、死ぬまでにチャンスがある」
 メリダンの発言は矛盾しているようでもあるが、この場合においては正しかった。グラーグはその意味をすぐに身体で理解する事になる。
 鷲づかみにされる2つの玉。男の象徴たる股間にぶら下がった袋を、メリダンはぎゅっと強く握り締める。これには思わずグラーグもくぐもった鳴き声をあげた。
「さて、もう1度選べ。『片方』か『両方』か、だ」
 流石のグラーグでも即答とはいかず、冷や汗を流す。
「わしにとっては都合の良い展開だ。あとはお前次第といった所かのう」
 再び唸るように低い男の声。老人のようだ。部下ではないのか? だとしたら、一体誰だ? グラーグは疑問に思ったが、メリダンは少しも気に止める様子はない。
「さあ、答えろ。『片方』か、『両方』か」
「とんでもない女が居た物だ。わしが眠っておる間に世はどうなっておるのじゃ?」
 グラーグはいい加減気になって訊ねる。
「……そこにいるもう1人は、誰だ?」
「何?」
 怪訝な表情を浮かべるメリダンだったが、それを確認する者は誰もいない。今この場において、人であるのはグラーグとメリダンの2人だけで、グラーグには何も見えない。
「意味不明な事を言って誤魔化すなど男らしくないぞ、グラーグ」
「……お前には、聞こえていないのか」
「それとも、恐怖で頭がイカれたか?」
 だが、確かにグラーグには聞こえていた。
「無駄じゃよ。わしはお前の心に直接話しかけておる」
 ちぎれた耳を傾けると、声は地中深くからしているようだ。グラーグはいよいよメリダンの方が正しい気がしてきて何だか可笑しく、思わずにやついてしまった。
「答えは決まったか?」
 睾丸を掴む握力が強まり、痛みは増していった。グラーグにとって、答えなど最初から決まっていた。
「両方だ。2つともくれてやる」


「くく……」
 メリダンは嘲笑を抑えられない。
「今まで何十人もの男にこの拷問をしてきた。大抵は目を失う前に吐いたが、何人かは金玉を1つ失うまでは粘ったものだ。だがここで『両方』と答えたのはお前が始めてだぞグラーグ。その度胸に免じて潰すのは勘弁してやる。その代わり……丸ごと切り取りの刑だ」
 メリダンの手が玉袋から離れると同時、グラ-グの下穿きをずり下ろした。露出された陰茎は、まだ下を向いている。
「随分と元気がないようだな。無理もないが」
 メリダンの挑発にグラーグは答える。
 もりもりと音を立てるように屹立するグラーグの男性器。メリダンもこれには思わず目を見張る。
「お前のような気の強い女は嫌いじゃないんでな」
「なんだ、いじめられるのが好きなのか?」
「そうじゃない。屈服させるのが好きなのだ」
 相変わらずの大口を叩くグラーグだったが、策などは無い。無いが、命乞いをするのも癪に障り、ましてや質問に答える気などなく、更に言えば軍への忠誠心から、苦痛を受け入れる心構えも、死の覚悟も出来ているといった所だった。
 だがもしも。グラーグは思う。もしもこれからこの立場が逆転した時には容赦はしない。血だらけになった皮膚の1枚下には、未だ燃えるような闘志が陽炎の如くゆらめいている。
「さて、お別れの時間だ。挨拶は済ませたか?」
「ああ、好きにしろ」
 ナイフが毛を掻き分けて陰茎の生える根元に触れる。皮膚に切れ目が走り、刃は血を吸うように赤く染まり始める。
「グラーグとやら、取引といかないか?」
 ここで再び謎の声。また幻聴か、とグラーグは無視するが、声は続ける。
「おぬしがこれから失ういちもつの代わりに、わしのモノをくれてやる。竜のいちもつじゃ」
 激痛の中、メリダンの狂気に満ちた笑い声が遠くに聞こえる。それでもグラーグは幻聴の方に耳を傾ける。
「そしておぬしは竜の力を手に入れる。その両手を拘束する鎖など容易く引きちぎれる程の力じゃ。竜の血が全身に回れば、その眼も、耳も、たちどころに治る事じゃろう」
 この素っ頓狂な提案に、グラーグは幻と分かっていつつもついつい返事をしてしまった。
「随分とおいしい話だ。取引というなら、代償は何だ?」
「わしの児を作れ。100匹でいい」
「100匹? どうやって?」
「おぬしも大人の男なら分かっておるじゃろう」
 声の主が、闇の中で微笑んでいる。
「犯すのじゃ」


「頭がおかしくなったらしいな。一体誰と会話をしているんだ? まあ、好きにすればいい。ほら、もうすぐお前の大事な物が切り離されるぞ」
 既にナイフは陰茎の付け根を切断し終え、玉袋までかかっていた。最早痛みは脳で処理しきれる量をとっくに超えており、そこには不自然な快感さえある。視力を失っているのがむしろ良かったとグラーグは思う。目の前で切られる様を見せられる方がよっぽどきつい。
「切った後のお前のちんぽはあたしが大事に保存しておいてやる。コレクションの第一号という訳だ。名誉に思えよ」
 グラーグには言い返す気力さえ残っていなかった。限界を超えた脳は、メリダンに見栄を張るよりも、幻聴に答える方を選択した。
「いいだろう。竜の陰茎とやらをもらってやる。取引でも何でもするぜ」
「そうこなくては。契約成立じゃ」と、声は喜んだ様子だった。
 やがて恐怖の切断が終わる。グラーグの股間からは血が溢れ、切断面は綺麗にまっ平らで、もうそこに男のシンボルはない。メリダンの手に握られた棒1つと玉2つは、力無く弄ばれている。
「グラーグ、いや、グラーグちゃんと呼ぶべきかねえ? 大人しく聖剣の在り処を吐いていれば、流石のあたしでもここまではしなかったのに」
 その時、地面が落ちた。正確には、大きく縦に揺れた。メリダンは咄嗟に身構える。敵の襲撃かと脳裏を過ぎったが、そうではない。揺れの元は城の地下だ。
 続けて岩を叩き割るような音が床の下から響いた。反響して拷問部屋の中に何度もこだまし、それは段々と大きくなってくる。ただの地震ではない。異常を察知したメリダンは伏せ、耳を床にあてる。何かが地中を掘り進み、こちらへ向かってきている。
「……何だ? 一体何をした、グラーグ!」
 拘束され、満身創痍のグラーグが何かを出来るはずがない。メリダンの叫びは理屈にあっていなかったが、グラーグの浮かべる不気味な微笑はメリダンを不安にさせるのに十分だった。
「あながち幻でもなかったらしい」
 グラーグはひとりごちて、衝撃に身構える。地中から上がって来ている物の正体。グラーグだけがその正体を知っていた。
 ドラゴンズペニス。
 床を突き破り、竜の魔羅がグラーグを捕まえた。人間のモノとは明らかに異なる形状。長細く、棘だらけで、花の蕾のようでもあるが、逆さに着た鎧のようでもあり、すこぶる攻撃的だ。玉の方は棒と比較して小さく目立たないが、鱗のような物で覆われている。それら2つの物体が、たった今平らになったグラーグの股間に張り付き、すぐに一体化を始める。
「クソッ! 死ねえ!」
 メリダンも手練れの傭兵である。咄嗟に立ち上がると、ナイフを構えてグラーグに襲い掛かる。狙いは首筋。瞬時に絶命させるのが得策という判断は間違っていなかった。だが、
「させんよ」
 新たにグラーグの所有物となった竜陰茎が瞬時に伸びた。それは鋭くメリダンの手の甲を貫き、ナイフを弾き飛ばす。


 グラーグの全身に、竜の血が回っていく。力が湧き上がり、溢れるように漲る。
「自己紹介が遅れたな。わしの名は古竜『マズブラウフア』今後お前の身体の一部となる。良く覚えておけ」
 鋼鉄で出来た鎖が、まるで粘土のように引きちぎられる。そしてグラーグはゆっくりと眼を開く。再び光が戻ってきた。目の前には怯えた様子のメリダンが倒れ、上半身だけを起こしてグラーグにナイフを向けている。
「復讐の時間だ」
 グラーグがゆっくりと迫る。メリダンは賢明に身体を起こそうとするが、先の一撃で腰が抜けたようで思うように動かない。
「待て! 取引をしようじゃないか。あたしを殺した所で、あんたにとってここは敵地のど真ん中だ。逃げる事は出来ない。あたしの命を保証してくれるならお前をこっそり逃がしてやる。ど、どうだ、悪くない取引だろう?」
「もう取引は済ませた。お前とではないがな」
 竜の男根は天を仰ぐように屹立している。
「大声で部下を呼ぶぞ!」
「ここは地下だ。声は地上まで届かない。お前は1人で愉しみたいからここを選んだ。そうだろ? メリダン」
 メリダンに答える暇を与えず、グラーグはその首を両手で掴んだ。少しの力を入れれば、簡単にへし折る事が出来る。「必ず殺す」先ほどのグラーグの言葉を思い出し、メリダンは戦慄する。
「待て」
 次にグラーグを止めたのはメリダンではなくマズブラウフア、つまりグラーグの股間にいる竜の陽物だった。
「取引を忘れるな、グラーグ」
「何だと?」
「わしが要求したのは100匹の児じゃ」
 窒息し、死に掛けているメリダンは確かに女だ。
「それは後で作らせてやる。こいつは殺さねば俺の気が済まん」
「いや駄目だ。このように鍛えられた強い肉体を持った女は珍しいし、気性の荒さと嗜虐心は強い児を生むのに役立つ。早く子供を作らせろ」
「性交しろというのか? この女と」
「そうじゃ」
 グラーグは呆れたように溜息をつき、メリダンの首を絞める力を更に強める。無視だ。
「待てと言っているじゃろうが馬鹿モノめが!」
 再び、股間の槍が伸びた。しかし今度はグラーグ自身の身体を突き飛ばし、メリダンから離れさせる。
「忘れるでない。ここにいる限り、わしはいつだって貴様の心臓を貫けるのじゃぞ」
 グラーグが舌打ちをした。どうやらこうなった以上は従うしかないようだが、メリダンに従うよりは遥かに良いと無理やり納得させる。
「仕方ない。約束は守ろう」
 這いずりながら逃げようとするメリダンが短く悲鳴をあげた。
 それが嬌声に変わるまでには、少しの時間もかからなかった。

     


     

 西の塔、この城において物理的にも身分的にも最も高い位置にある部屋を目指して、グラーグは石壁をよじ登っていた。石と石の僅かな隙間に指を這わせ、それぞれに込めた力のみでその巨体を張り付かせている。人間業ではないが、既にグラーグは人間という定義から半歩出ている。切られた耳も潰れた目もすっかり元に戻ったが、無精ひげはそのままだ。
「どうじゃ? 竜の力は」
 がしがしと腕と脚を動かしながら、グラーグは自らの股間に向かって答える。
「今なら素手で100人は殺せる」
「別に構わぬがそこに女を含めるでないぞ」
 取引によってドラゴンの性器と力の2つを同時に得たグラーグは、メリダンを犯した後、闇に紛れて見張り兵の首を2つへし折り、見事に絶体絶命の地下拷問室から脱出した。見張りの着た鎧を奪い、素知らぬ顔をして国から脱出というのがグラーグの案だったが、それを却下したのはマズブラウフア。
「この国を脱出する事に異論はないが、その前に1人、どうしても犯したい人物がおる」
 今さっきメリダンを手篭めにし、相手の腰骨にヒビが入る程の激しい行為を終えたばかりだというのに。グラーグは呆れつつも尋ねる。
「誰だ?」
「この国の時期王位継承者、フラウリーチェじゃ」
 それはいかにも無謀な提案だった。敵国の中心にて、国の宝とも呼べる存在にまともな装備や準備もなく単身夜這いをかけようというのだ。まず生きて帰れるはずがない。
「なるほど、面白い」
 グラーグは不敵に笑う。
「じゃろう?」
「この国の次期女王が継承前に誰のとも分からない子を生めば国は荒れる。つまり、俺の交尾1つで国を丸ごとぶっ潰せる訳だ。だが、たった1回やるだけで確実に孕ませる事が出来るのか?」
 グラーグの最もな疑問。いくら濃厚な行為といえど、子を身ごもるかどうかはまた別の話であるというのが常識だが、「心配はいらん」と竜は答える。
「竜の精細胞は人のようにヤワには出来ていないのでな。それ自体がある程度の生命力を持っておる。1度膣内に入れば3ヶ月はそこに居座って、確実に妊娠させる事が出来るのじゃ」
「ほう、そいつは便利だ」
「特にわしは異種交配の為に努力したからの。粘性や量や匂いをある程度調整する事も出来る」
「努力?」
「ずっと地下にいると暇でのう。封印されていて身体もロクに動かせんし、唯一自由な肉棒を鍛えるくらいしかする事が無かったんじゃ。じゃが、1500年も鍛えたおかげで、分離して、土を掘り進み、人と一体化し、こうして地下から交信出来る程の力を蓄える事が出来たという訳じゃ。凄いじゃろ?」
 グラーグは一旦登る手を休め、自らの股間にある化け物を見つめる。
「こんなに堂々とオナニーを自慢してくる奴は初めて見た」


 そうして、あっさりと竜の無謀な提案を受け入れたグラーグだったが、差し当たっての問題は警備だった。無論、城の周囲は深夜といえど兵が固めている。更に城の四方に建てられた監視塔にも武装した兵士が常駐しており、西の塔最上階フラウリーチェの私室の前にはこの国随一の腕前を持った近衛兵が控えている。
 だが、ツキはグラーグにあった。そもそもがグラーグがいるのは城の中。まず侵入する必要性がなく、裏庭の地下へ続く階段を固めていた見張り兵は先ほど殺害したたったの2人だった。
 そして今夜は偶然にも新月。暗闇はグラーグの姿を巧妙に隠してくれている。そもそも、石壁を道具もなしに素手で登っていく男など兵士達にとってみれば想定外であり、警戒すらされていない。何よりグラーグには変幻自在の竜の陰茎がある。それは一部を細く鋭く伸ばして、窓の閂を外すのにも役に立った。
 必然的に、グラーグはこの国の最高権力。心臓へと苦も無く辿り着いたのである。
「つまり復讐って訳だ」
「何じゃ?」
「いや、登っている時ずっと考えていたんだがな。竜、お前さん、『英雄バリアーチ』に封じ込められた口だろ?」
 グラーグの指摘に竜は否定も肯定もせず、無言。
「聞いた事がある。大昔、この大陸には何匹かの竜が住んでいて、人々を脅かしていたらしいな。それを『英雄バリアーチ』が聖剣を用いて封じ込め、地下深くに拘留した。ついさっきまで御伽噺だと思っていたが、現実に自分のちんぽがこうなってるのを見たら、信じるしかねえらしい」
「……ふむ」と、本人もとい本茎は相槌を打つ。
「つまりお前さんは、封じ込められた復讐に国を滅茶苦茶にし、竜の子種をばら撒き、人間世界を混沌に陥れようとしているって訳だ。どうだ、違うか?」
 グラーグの真っ直ぐな質問に、マズブラウフアは感心したように答える。
「なかなかの名推理じゃのう。して、それを知ったお前はどうする?」
「別に」
 グラーグは天蓋付きの豪奢なベッドに近づき、暗がりの中、そこに眠る少女を見つめる。
「どうもしねえさ。というより手伝ってやるよ、その企み」
「……それでこそ、わしが見込んだ男じゃ」
「さあ、2人目だ。始めるぜ」
 グラーグが右手でフラウリーチェの口を抑える。衝撃に目覚めた少女は叫び声が出せずに混乱する。目の前にいる半裸の荒々しい男を確認し、混乱は警戒へと変わる。そしてその男がフラウリーチェのネグリジェを剥ぎ取ると、いよいよ警戒は恐怖へと変わり、どうにもならない未来が見えると、大粒の涙が零れた。
 フラウリーチェはまだ13歳。ようやく身体が大人の女性へと変化を始めたばかりであり、グラーグとの年の差は18もある。まさに鬼畜の所業だが、グラーグにとってこれは戦争の一部だった。
「悪く思うなよ、お嬢さん。すぐに良くなる。……だよな?」


 グラーグがたっぷりと射精を終えると同時、部屋に金属音が鳴り響いた。定時の見回りに来た近衛兵が、剣を落としたのである。兵としてはあるまじき失敗だが、目の前の光景をすぐに信じられる訳がない。
「ば、馬鹿な……貴様っ!!」
 兵士が剣を拾い、構えなおす間、一方でグラーグは王女の身体を抱き起こし、盾にしていた。
「おっと、それ以上近寄るな。近寄ればすぐにこの女の首をへし折るぜ」
「本当にするなよ」という注意に、小声で「分かってる」と答える。
「賊め、一体どこから入った? フラウリーチェ様を離せ! さもないと……!」
「さもないと、何だ?」
 近衛兵は黙ったまま、目を血走らせ、涼しい夜だというのに汗だくになっている。すぐに異常を察知した近衛兵が更に3人、駆けつけてきた。部屋の入り口は防がれ、窓の外は断崖絶壁である。
「抵抗はよせ、今すぐフラウリーチェ様を離すのだ。逃げ場はない。万が一姫に何かあれば、貴様は死よりも恐ろしい目にあう事になるぞ」
 最初の兵よりいくらか冷静な年長の者がそう宣言している間に、1人と1匹は打ち合わせを終えた。
「ならいっそ、こういうのはどうだ?」
 言い終わると同時、フラウリーチェをまさしくお姫様抱っこの形に抱き変え、窓を足で蹴破って深い夜に飛び出した。2人にとっては体験した事のない浮遊感。
「掴まっていろよお姫様。死んでもらっちゃあ困る」
 月の無い虚空をフラウリーチェの悲鳴が斜めに切り裂く。背後には青ざめた近衛兵達。つかの間の空中散歩に、星達は皆目を丸くしている。
「頼むぜ、ドラゴン」
「任せろ」
 急激に巨大化した陰茎の先端から、真っ白な液体が一直線に飛び出す。先ほどの自信に偽りはない。竜の精子は非常に強力で、確固たる意思を持ち、人の膣内に射精すれば1ヶ月は生き残る程の粘性を備える。
 悲鳴で裂かれた空。黒の画面を白が一閃する。その勢いは放たれた弓の如く、監視塔の先端に張り付き、さながらロープのようにグラーグの身体を支えた。落下の勢いはそのまま進行方向への力と変わり、2人の軌道は弧を描く。
 そして再び浮遊感。精子が切れ、放り出されたグラーグは無事に民家の屋根に着地する。
「走れ! このまま逃げるぞい!」
 グラーグはフラウリーチェを抱えたまま走り出した。一見荷物のようにも見えるが、王女が一緒にいる限り衛兵は弓での攻撃が出来ない。そして民家の屋根から屋根に移動している限り、囲まれる事はない。咄嗟にしては合理的な作戦だった。
 警鐘鳴り響く混乱の夜を、異形の男根をぶら下げた者が駆けた。
「壁が見えた。跳ぶぞ!」


 壁で囲まれた城下町の外。門からは距離があり、追っ手はまだ見えない。いつの間にか朝陽が顔を覗かせ、流石に息を切らしたグラーグと、ぼろぼろ泣いているフラウリーチェを照らした。
「もうここまで来れば大丈夫だ。国に帰るぞ」
「その娘はどうする? 人質にでも取るか?」
 グラーグは竜の提案を却下する。
「ここからレザナルドまでは馬を使っても10日はかかる。荷物になるし、寝首をかかれてもつまらん。ここで解放する」
「ま、それが良いじゃろうな。わしとしてもこの国に保護されている方が安心じゃ」
 既にフラウリーチェの体内には竜の精液が満ちている。それは避けられない運命を意味している。
「それじゃあな、王女様」
 あっさり立ち去ろうとしたグラーグを、フラウリーチェが引き止めた。
「ま、待ちなさい……!」
 フラウリーチェは涙を拭う。汗で乱れたさざ波のような濃紺の長い髪を梳かし、潤んだ鳶色の目でグラーグを見る。
「この度の凶行、貴方はどのようにして償うおつもりですか……!」
 仮にも一国の王女である。その気位は処女を失ったとて損なわれてはいない。
「償いだと?」
 グラーグは大きく口を開けて笑う。
「もうとっくに受けたぜ」
 そして自らの異形と化した性器をフラウリーチェの顔ぎりぎりまで見せつけるように近づけた。フラウリーチェは狼狽しつつも、顔を真っ赤に染め、視線を逸らしながら尋ねる。
「そ、それは……どういう意味ですの?」
「ああ」と、グラーグは気づく。「まともなのを見た事がないのか。悪かったな。初めてがこんな物で」
「こんな物とはなんじゃ。こんな物とは」
 当然、竜の声はフラウリーチェには聞こえていない。
「また会ったらこの埋め合わせはするさ。じゃあな。せいぜい強い子を産んでくれよ、お姫様」
「見つけたぞ!」と、遠くから兵士達の声。
 グラーグはそれを確認し、平野を走り出す。
「ま、待ちなさい! 貴方、名前は? せめて名前だけでも!」
「グラーグだ」
 1人残されたフラウリーチェは去っていく男のたくましい背筋を見つめる。その眼にはつい先ほど目覚めたばかりの艶が射している。
「グラーグ様……素敵な方」

     


     

 ボンザ国、城内。謁見室は、絶え間無い人の出入りでさながら市のようだった。
 玉座におわすは国王ボンザ23世。その表情はすこぶる不機嫌で、眼窩は落ち窪み、への字口の端からは不満が涎のように零れ落ちている。
 昨夜、地下室にて拷問を受けていた捕虜の1人が脱走。城に駐留中だった宵闇傭兵団の団員1名を強姦した後、見張りの兵を殺害。あろう事か西の塔最上階にある王女フラウリーチェの部屋へと侵入し、暴行、強姦。その後、賊は駆けつけた兵を尻目に窓を突き破って遁走。一時は王女が人質に取られるも、城下町の外、東の広野にて解放した。
 賊の名前はグラーグ・アルバリー。つい先月の対レザナルド戦において拘束した捕虜の1人で、交渉等に使えないという判断で3日後に処刑が決まっていた男である。
 これだけの事実が分かっていつつも、王宮の混乱はまるで冗談のような物だった。何せ前代未聞の夜這い事件であり、犯人を前にして捕らえられなかった事で兵士達の面目は丸つぶれである。「陛下、町の外で賊らしき者を捕らえたようです」と誰かが報告した矢先、「城内の川から賊の死体らしき物が発見されたようです」と誤認である事が確定した情報が入り、「1人で行ったにしては鮮やかすぎる手口。内部犯の可能性を考えてみては?」と根拠もない進言がまかり通り、「宵闇傭兵団の捕虜管理に落ち度があった事は否めません。責任の追及を」と政治が行われる。
 次から次へと不確かで意味のない情報が錯綜し、王の怒りはピークに達しつつあった。ただでさえ大事な大事な一粒種を傷モノにされたのだ。戦勝祝いの恩赦はとっくに取り消しとなった。
「あらあら、酷い騒ぎですこと」
 喧々諤々の渦中、一陣の風が謁見室に吹いた。たった一言で室内の温度を下げ、こつん、と冷たい足音を響かせて、1人の女が群がる兵士達を退けた。
「待っておったぞ魔女カルベネ」
 陛下が重い口を開く。年は30前後、紫のローブに身を包み、骨董品のような装飾品を全身に散りばめ、とんがり帽子を被った女がそれに答える。
「ふふふ、嫌ですわ陛下。魔女だなんて。私はただの学者です。『魔呪術等超常技術特殊取扱国家公認歴史学者カルベネ』と名乗らせて頂いておりますので、お間違いなきよう」
 それを魔女と呼ぶのだ、とそこにいる全員が思ったが、口に出す者は1人もいなかった。そもそもがこの長ったらしい役職自体、以前にカルベネが王に要請して作った地位である。何故そのようなわがままが通るのか。理由は単純で、こういった緊急事態に対応出来る国内唯一のプロフェッショナルだからである。
「して、その態度。この件解決の糸口を見つけてくれるのだろうな?」
「解決、と申されましても……陛下のお望みは何でしょう?」
「余にとって最愛のフラウを傷モノにした賊をむごたらしく処刑しろと言っておるのだ」
 カルベネが涼しげな微笑みで答える。
「それならばすぐに実現出来ると思いますわ」
「手がかりはあるのか?」
「ええ、先ほど現場を視て参りました。監視塔の付近にこんな物が残っていましたの」
 カルベネが取り出した瓶の中には、白濁液が入っていた。


 自ら歴史学者と名乗るだけあって、カルベネの知識は本物である。人払いを済ませた後、ボンザ王と一部の側近にカルベネが披露した推理はこうだ。
 瓶の中の白濁液はその量や性質からして紛れも無く人間の精液ではなく、大型の爬虫類の物に酷似している。そして拷問室の床に開いている穴は地下へと繋がり、石を落としても音が聞こえない程の深さから一直線に伸びている。そして、カルベネ自身の長年の調査研究から、英雄バリアーチ伝説の一節にあるドラゴン封印の儀が神話ではなく紛れもない事実であるという事。そして竜の不死性と、鋼鉄の鎖を引き千切る程の怪力。グラーグの逃走経路は実に人間離れしており、現場に残された精液の持ち主が手助けしている事は間違いない。
 カルベネは歴然たる1つの事実を示す。
「かつての災厄、ドラゴンが復活しつつあるようですわね。この度の賊の行いはそれのほんの予兆に過ぎませんわ。おそらくグラーグは性器を含む竜の身体の一部を得て、その企みに賛同した物と思われます。率直に言えば、フラウリーチェ様は既にドラゴンの仔を身篭ってしまっているのではないか、と」
 国、ひいては世界の危機を告げる魔女の進言に、王は頭を抱える。
「一体、余はどうすれば良いのだ?」
 カルベネが長い白髪を指でくるくると弄りながら、視線を遠くに置いて答える。
「まずは情報が必要ですので、とにかくグラーグを捕らえましょう」
「出来るのか?」
 藁にもすがる想いのボンザ王に対し、カルベネは余裕と自信に満ちている。
「もちろんですわ。早速明日、グラーグを追ってレザナルドに発ちます。腕の良い兵を2、3人程借りてもよろしいですか?」
 ボンザ王が頷きかけた時、謁見室の扉を開けて勢い良く1人の少女が入ってきた。
「お父様!」
「フラウ! もう身体は良いのか? 無理はするな。医者はなんと?」
 王たる振る舞いを忘れ、おろおろといち父親として心配する父を他所に、その娘は堂々と宣言する。
「わたくし、レザナルドに向かいます!」
 戦慄する父。カルベネは「あらあら」と微笑みながら、少女に近づく。
「勇敢な女の子は嫌いではないけれど、あなたにも立場というのがあるのではないかしら?」
「カルベネさん。でも、わたくし恋をしてしまったのです。生まれて初めて好きになった方なのです。何を置いてもあの方のお側に居たいと思ってますの」
 遠くなる気をかろうじて引き留めた王は、猛烈な反対の意を表す。何せ自分にとって最も大切な宝が他国、それも敵国に自ら赴くと言っているのだから、当然必死になる。
「お父様、分かってください! もしも止めるというのなら、わたくしは自害します」
 いよいよ卒倒する王。カルベネは真っ直ぐにフラウリーチェを見つめる。
「どうやら覚悟は出来ているようですわね。良かったら、私について来ますか?」
「良いのですか? わたくしなどがついて行っては邪魔になるのでは……?」
「そんな事はありません。恋する乙女に勝る物など、この世にそう多くはありませんわ」


 道中の農家でグラーグは馬を盗もうとしたが出来なかった。跨った瞬間、馬が怯えてへたれこんでしまうのだ。動物としての本能がグラーグの股間にある怪物に恐怖し、萎縮してしまうらしい。警備兵の乗っている訓練された馬も試したが、一目散に逃げ出したり、暴れて言う事を聞かなかったりと、乗りこなす事など不可能な状況だった。マズブラウフア曰く、「馬なんてわしからすれば餌みたいな物じゃからのう」との事だったが、軍人が馬に乗れないとなると致命的である。無事にレザナルドに帰れたとして、果たして元の地位に戻る事が出来るのか。グラーグは不安に思う。
 10日の予定だったグラーグの旅は、馬に乗れないせいで15日もかかってしまった。むしろその程度の遅れで済んだのは、強化された足腰でほとんど1日走り続けたからであり、ボンザの国中にグラーグの手配書が出回ってからは日中を人目に付かない場所で過ごし、夜中に最短ルートを移動したからだった。旅の間中、マズブラウフアは速く女を犯したいと文句を言ったが、田舎には好みはいないらしく、精液を溜める事に集中していた。
 レザナルド国内に入り、軍の手配した馬車に乗って2日。ようやくグラーグはレザナルド国王のお膝元、首都レザナベルンに到着したのである。
「なかなか栄えておるではないか。おや、あそこに売春宿があるのう。寄っていかんか?」
「……後にしてくれ」
 レザナルドには王族が所有する王宮や城といった建物はない。国王は官邸にて官僚や上位軍人と寝食を共にし、起きているほとんどの時間を議事会で過ごす。議事会のすぐ側には兵舎があり、そこでグラーグを迎えたのは同僚のソリアンだった。
「グラーグ! 知らせを聞いた時は耳を疑ったぞ! まさか幽霊ではあるまいな?」
 熱い抱擁を交わす2人に、「むさい男は嫌いじゃ」と下からは文句が聞こえる。
「未だ生きてる心地はしないがな」
「なんだ、傷だらけかと思いきや綺麗なもんじゃないか。拷問は受けなかったのか?」
 そんな事を言いながらグラーグの身体をベタベタと触ってくるソリアン。「おえっ」と再び声。
「まあな」と曖昧な答えを返すグラーグに、ソリアンは尋ねる。
「一体どうやって脱出したんだ?」
「ああ、ちょっと見張りの隙を突いてな。何分唐突だったんで、他の捕虜を助ける余裕はなかったが……」
 まさかドラゴンの力を借りて傭兵1人と王女1人を犯して脱出したなんて言える訳がない。
「なんにせよお前が帰ってきてくれて良かった! 我が軍にとってお前は無くてはならん存在だからな。戦場ではよろしく頼むぞ」肩をがしがしと叩いてソリアンは喜ぶ。「そういえば、『女王様』がお前を呼んでいたぞ。議事会の第三議事室だ」
「ああ、分かった」
「今夜は呑み明かそうじゃないか。金の蹄亭で待っているぞ」
「ああ、じゃあな」
 と去っていくソリアンに、竜が毒づく。
「何じゃ、あの筋肉馬鹿は」
「そう言うな。同期でまだ生きている貴重な奴だ」


 第三議事室。議長席にはソリアンが『女王様』と呼んだ人物が座り、グラーグは片膝をついて跪き、忠誠を示している。
「グラーグよ、まずはそなたの無事な帰還を神に感謝する」
「はっ」
 軍の最高権力者、将軍ミネイルは司令部における唯一の女性であり、最年少で将軍の地位についた戦略家である。
「顔を上げよ、グラーグ」
 言われた通り顔を上げると、ミネイルの顔を確認したマズブラウフアが呟いた。
「トウが立ってるが悪くない女だ。どうやって犯す?」
「やめろ。この方だけは別だ」
「どうした? グラーグ」と、ミネイルが尋ねる。「いえ、何でもありません。将軍」
 グラーグに両親はいない。かつての戦争の際に2人とも死に、軍の営む孤児院に預けられた。そこでは子供達に基礎教育と併せて戦闘教育も施しており、卒院者のほとんどが軍に従事する、いわば養成所のような場所でもあった。ソリアンもそこでグラーグと共に育った仲間であり、ミネイルはそこの管理者。2人にとってみれば上官であり母のような存在でもある。つまり『女王様』という呼び方は、孤児院出身者独特の言い回しだった。
「だがグラーグ、そなたには残念な報告を1つせねばならない」
「……何でしょう?」
「軍部の中に、そなたを疑っている者がいる」
「……と、言いますと?」
「そなたが敵国ボンザの密偵ではないかという疑いだ」
 グラーグが立ち上がる。その形相は既に平時の物ではなく、戦場で敵を見つけた時の物に近い。命からがら脱出したグラーグにとってみれば当然の怒りだが、周囲から見れば必然の疑惑でもある。敵国の中心部から無傷で脱出し、たった1人祖国に戻ってきた男。そこに何らかの背信や脅迫があった事は想像に難く無い。
「皆、そなたに嫉妬しているのだ。敗色濃厚な戦場でしんがりを勤め、最後まで果敢に戦い、敵国に深手を負わせ、捕えられるもこうして無事に帰国している。ましてや先の戦での負けもあり、軍部の者達は皆自分の出世に響かないかと不安だ。そなたの存在はあまりに英雄じみている」
「俺はただ、あなたの為に働いているだけです」
 グラーグの感情に任せた言葉を、ミネイルは優しく訂正する。
「軍の為に、だろう?」
「え、ええ。そうです。将軍の率いる軍の為に、です」
「とにかく、そなたにはしばしの休暇を与える。存分に休め」
「休みなどいりません」
「たっぷり女漁り出来るのう」と、竜。
「黙れ!」
「何だと?」
 訝しげに見つめるミネイルに、グラーグは慌てて否定する。
「……何でもありません」
 議事室を後にしたグラーグが、金の蹄亭で待っていたソリアンと合流する。酒が運ばれ、宴が始まる。ソリアンは威勢よく乾杯の音頭を取る。
「同志グラーグの軍復帰を祝して、乾杯!」
「いや、クビになった」
「何だと? では元同志グラーグの新たなる門出を祝って、乾杯!」

     

 翌朝、グラーグはバケツの中で眼を覚ました。
 それほどの量は呑んでないというのに、今まで体験した事のないような酷い2日酔いで、体質の変化を改めて実感する。金の蹄亭の主人によれば、もうソリアンはとっくに兵舎での訓練に行ってしまったそうで、慌てて後を追おうと立ち上がるも、もう自分が軍人ではない事を思い出し、再びバケツの中に頭を突っ込んだ。
「グラーグよ、これからおぬしはどうするつもりじゃ?」
「別に……どうもしねえさ」
 すっかりやる気を失った様子のグラーグに、マズブラウフアは釘を刺す。
「取引の件、ゆめゆめ忘れるでないぞ。おぬしの命はわしの物でもある」
 命。という言葉を聞いて、グラーグは誰にでもなく呟く。
「俺は……戦う事でしか生きられねえ」
 グラーグの瞳は、渇いた血のように黒く、そして飢えている。
 初めてグラーグが戦場に出たのは、13歳の時だった。孤児院を出てから兵卒として訓練を積み、槍でも剣でも馬でも同世代にグラーグに勝る者はいなかったが、それはあくまで訓練の中だけの話だった。多少の自信をつけたグラーグは、自ら希望して最前線まで赴いたがその結果は散々たる物で、グラーグにとってそれは人生最初の挫折だった。その時、ミネイルはグラーグにこんな言葉をかけた。
「戦場に行って、生きて帰れたならそれは立派な才能です。少なくともそなたは今の自分の実力を把握していたという事ですから。生きて戦場から帰り、生きて戦場に行く。軍人に最も重要な資質だと私は思いますよ」
 以来、グラーグは生きる為に己を鍛え、戦う為に毎日を生きた。あの地下拷問室での絶望的な状況に耐えられたのも、未だに尚その意志を失っていなからであり、結果的にはその闘志が自分を救ったのだ。
 それだけに恩師から渡された引導は重く、グラーグは初めての戦場を思い出す。
「戦いたいだけなら、何も正規軍に所属していなくても良いじゃろ」
 他人事のように言うマズブラウフアに、グラーグは嘲笑するように尋ねる。
「何だ、山賊にでもなれってか?」
「まあ、それでも構わんし、あるいは傭兵団を作るとかのう」
「傭兵団?」
「わしが初めて犯した女、確かメリダンとか言ったか? あやつも宵闇傭兵団とやらに属してたじゃろ? 傭兵として国に雇われ、その実力を認めさせれば元の地位に復帰するなんて楽な物じゃ」
 随分と簡単に言ってくれる。と、グラーグは呆れたが、確かに、言っている事は間違っていない。前例が無いというだけで、傭兵をレザナルド正規軍の一部に編成してはいけないという決まりは無い。
「それに今のおぬしにはわしがついておる」
「頼りになるぜ。ちんこの癖に」
 軽口を叩きながら、グラーグは自身の中にふつふつと何か熱い物が湧くのを感じた。
「……やってやろうじゃねえか。疑われてるってんなら、行動で潔白を証明するしかねえ」
「その意気じゃ。ただし、傭兵団を作るにあたってわしから条件がある」
「条件?」


 舞台はボンザに戻る。
 やはり、というか無論、国王の説得は大変な労力を要した。フラウリーチェは何度も話し合いの場を設け、自分がいかにグラーグに惚れているかを力説し、時には自身が処女を失った事で政略結婚自体の目が無くなったというような事も武器にし、親子の縁を切ってくれとまで申し出た。王はフラウリーチェの提案をことごとく却下し、いよいよ深夜に家出を図った所を捕まえて部屋に拘束した。縛りつけ、1歩も部屋から出さないという強硬手段だったが、それでも姫は運ばれてくる食事を拒否し、断食が3日目に突入した時、いよいよもって王が折れた。
「1000人規模のフラウ護衛隊を組む。命に代えてもフラウを守れ」
 この譲歩案は当然カルベネが却下した。
「王、戦争をしに行くのではないのですから、その規模の兵を連れていては逆に目立って危険ですわ。なぁに、心配はいりませんよ。私がついていますから」
「ううむ……」
「でもそうですね。荷物持ちに5、6人程の兵を借りますわ。全員で行商人の格好をして、一般人を装うのです。そしてレザナルドに潜入後、私がグラーグを捕らえ、ここに戻ってくる。簡単な事ではありませんか」
「だがな、もしもレザナルド軍に捕まれば、姫はおろかお前の命も無いぞ」
 旅立つ前から心労で倒れそうな王に、カルベネはその豊満な胸を更に張る。
「私はその覚悟もありますが、もし最悪の事態に陥っても姫だけは必ず帰還させます。それこそ、命に代えて」
 王は無言のままのフラウリーチェを忌々しく、しかし愛しく睨み、すがるような声で尋ねる。
「なあ、フラウよ。ここでカルベネの帰りを待っている訳にはいかんのか。お前のグラーグを想う気持ちは十分に分かった。だがな、奴は野獣のような男だ。というより野獣その物だ。お前が殺されやしないか父さんは……」
「心配には及びません。グラーグ様は、わたくしを殺したりなどしませんから」
「何故そう言いきれる?」
「わたくしの中には、既にグラーグ様の子がいますから」
 再び王が眩暈を起こす。倒れそうになるのを近衛兵がどうにか支え、向き直させる。
「ああ、もしも王妃が生きていたら何と言ったか……」
 遠い目をして感傷に浸る王を他所に、フラウリーチェの決意は固い。
「グラーグ様に会いたくて、居ても立ってもいられないのです。こんな気持ちになったのは初めてです。わたくしは明日、カルベネ様と一緒に旅立ちます」
 王は大粒の涙を浮かべて、がっしりとフラウリーチェの両手を掴む。
「……必ず、生きて帰るのだぞ。必ずだからな。カルベネも、約束を忘れるでないぞ」
「ええ、もちろんですわ、王様」
 こうして、グラーグに遅れて10日。魔女と王女は国内最高峰の精鋭10人ばかりの兵を連れて国を出た。身分を隠す為に商人の衣装を着込み、あえてボロい馬車を引き、武具は馬車の下に隠した。本物の行商人と勘違いし、彼ら一行を道中にて襲った山賊は不運だったと言わざるを得ない。
 王女は初めての旅に胸を躍らせ、日に日に美化されつつあるグラーグに想いを寄せた。カルベネはそんな彼女を見ながら、そこそこの使命感と多大なる研究意欲、それから王からもらう予定の報酬を計算しつつ、旅は順調に進んだ。
 だが、国境際のとある町で問題は起きた。


「こことこことここ。それとここに常時見張りが。大きく迂回するには川を上流まで行かないとなりませんが、となるとコルチア国の国境を渡る形になります。コルチアは現在レザナルドと同盟関係にありますので、危険は増すかと。ボンザの通商手形は使えませんし、レザナルドの通商手形は残念ながら入手出来ていません。山を越えるルートもありますが、馬車が使えないので、いざ敵と出くわした時にやや不安です。山岳用の装備もありませんし……」
 兵士の説明を聞き流したカルベネが、端的にまとめた。
「要するに、レザナルドへの入国が出来ない、と」
 頷く兵士に、心配そうな表情を浮かべる王女。元よりそう簡単には行かないとカルベネ自身も思っていたが、ボンザ王に付き合っていた10日のせいで、現在停戦中のボンザとレザナルドの緊張度が増している事については文句を言っても良いと思えた。
「仕方ありませんね。やや危険はありますが、『魔女の古道』を使いましょうか」
 カルベネ以外、そこにいた全員が初めて聞く単語だった。カルベネは説明する。
 魔女の古道。それは地中に生息する巨大ワームが開けたトンネルの事である。巨大ワームはレザナルドからボンザ広域を生息範囲とし、地下深くを穴だらけにしながら生きる怪物で、時々、地上に近い所を掘りすぎて家が沈没する現象が確認されているが、ワーム自身が地上に現れる事は滅多にない。主食は地中に住まう虫やもっと小さな生き物を土ごと喰らっており、そもそも眼も退化して無くなっているので光を得る必要がなく、積極的に動物を喰らう習性がある訳でもない。
「魔女の古道ならば、レザナルドの首都、レザナベルンまで通っていますし、人目に触れずに移動出来ますわ」
「し、しかし、そのワームが我々を襲ってくるのでは? 地下では逃げ道がありませんが……」
「否定は出来ませんが、可能性は低いかと存じますわ。何故なら、ワームは生息数自体が非常に少ないですし、広大な範囲に滅茶苦茶に道が通っていますから、ばったり出会ってしまう確率は稀かと」
 別の兵士が挙手して尋ねる。
「となると、我々もトンネル内で迷ってしまうのでは無いですか?」
「ですから、『魔女の古道』と呼ばれているのですよ。地下は方位磁針も効かない迷宮ですが、幸いにも私には、正確な方向を常に捉える術を扱える知識と技術がありますので」
 兵士達は熟考したが、カルベネの中では答えは決まっている。後はフラウリーチェ次第といった所だった。
「古道の入り口は、街の外れの枯れ井戸にあります。馬車は街に置いて行く事になりますが、それでレザナベルンまで安全に着けるならばまあ構わないでしょう。さて、どうしますか?」
 最終決定権を委ねられたフラウリーチェも、流石に巨大ワームは恐ろしいのか、カルベネに質問する。
「地下でワームに出くわす確率はどのくらいですか?」
「そうですねえ……。まあ、私の占いが当たる確率くらいでしょうか」
 意外そうな顔でフラウリーチェはカルベネを見つめる。
「え? カルベネ様の占い、当たらないんですか?」
「ええ、こればっかりは昔からさっぱりでして。でも大丈夫。未来は自分の手で切り開く物ですわ」
 そう言ってにこやかに笑うカルベネの背後に、僅かな凶兆を感じる一行だった。

     

 延々と闇の続く地下にぽつんと1つ、ランタンの灯りが浮かんでいた。ワームの作ったトンネルは上下左右に法則無く入り組んでいるが、何度もワームが通ったせいかある程度踏み固められており、非常に歩きやすかった。縦横の幅も人間3人分ほどはあって、進む事自体には何の障害もなかったが、その空洞の広さは即ちワームの大きさを示している訳であって、そこからワーム本体の姿を想像すると、楽しい旅とは言えなかった。
 カルベネは両手で持った頭蓋骨を上から覗き込んでいる。装飾の施された頭蓋骨の頭頂部が切り取られて入れ物になっており、中には薄青い砂が敷き詰められていて、カルベネはしきりにそれを傾けながら、道を選んでいった。
「あの、カルベネ様。その頭蓋骨、本物なんですか?」
 フラウリーチェがそう尋ねると、カルベネは無邪気な笑顔で答える。
「ええ。でもフラウリーチェ様の知り合いではございませんから安心してください」
「そういう意味では……」
 フラウリーチェの感じた不気味さは至極最もだったが、しかし西も東も分からないこの空間において、カルベネの技術は生命線だった。文句は言えない。
 初めて見る技に興味を持ったのか、フラウリーチェは質問を続ける。
「不勉強で申し訳ないのですが、カルベネ様の扱う魔法というのは、他にどんな事が出来るのですか?」
 カルベネは少し困った顔で、しかし優しく答える。
「魔法と言っても、そんな派手な事は出来ませんのよ。例えば人のつけた見えない指紋を紙に写し取って照合したり、短い距離ですが装置を使って通信したり。あとは薬の調合も出来ますわね。もちろん、毒も」
「色々な事が出来るんですね」
「ええ、ですが重要なのは使い方です。適切に使う事で問題を解決するのが私の役目ですから」
「凄いです。尊敬します。それに比べてわたくしなんて……」
 フラウリーチェは感嘆と自己批判のこもった溜息を吐いて、カルベネを見つめる。
 彼女にとって、この旅は初めての冒険だった。小さな頃から筋金入りの箱入り娘として過保護に育てられた為、ついこの間まで1人で靴も履けなかった少女である。旅ならではの不自由は1つ1つが新鮮な驚きであり、時折垣間見えるカルベネの知識も、目の前で繰り広げられる兵士達の戦闘も、まるで御伽噺の中の出来事のように思え、いちいち感動していた。
 そして同時に、自分をこの旅に駆り立てたグラーグにも感謝していた。
 悪夢の夜。嵐のようにやってきた大男に、それまで大事に守っていた物を破壊され、失うと同時にフラウリーチェは何かを得た。今までただ生かされているだけだった自分が、初めて自ら強烈に生きたいと思えたのだ。最後に与えられた快感の予兆は、グラーグの腕の中、落下の感覚と共に大きくなっていった。空いていた穴が塞がる感覚。死に瀕する事で生き、欠く事で満たされ、崩す事で完成する。今、フラウリーチェはそう信じている。
 地下には時々大きな空洞があって、そこで一応の見張りを立てつつ一泊し、地下水を組んで干し肉等を食べた。魔女の古道に入って4日間、旅は順調に進んでいた。
 5日目の朝、最初に変化を感じ取ったのはカルベネだった。


「……まずいですわね」
 ぽつり、とカルベネが呟く。
 今までワームの影も形も見えなかっただけに、最初は何の事を言っているのか誰にも分からなかった。カルベネは手に持った頭蓋骨を右に左に傾けながら位置を確認する。中に入った青い砂はさらさらと移動し、素人目にはいつもと変わりはない。
 その数秒後、全員が足を止めた。魔術の知識を持っていなくても、己の耳が聞いてしまったのである。
「地震……ですか?」
 兵士がそうである事を願うように尋ねると、カルベネは首を横に振った。
「はぁ、私の占いって、当たって欲しくない時に当たりますのよ」
「ま、まさか……」
 長い長い1本道。突如として現れた死の予感に、古道に入る前に感じた凶兆が蘇る。
「前から来てます! 逃げましょう!」
 踵を返し、全員が走りだす。
 逃げるといっても逃げ道はない。しかし震動と音はゆっくりと確実に大きくなっていく。
「いざとなれば我々が盾となります!」
 兵士の叫びはフラウリーチェとカルベネを安心させる為の物だったが、正しい見解は違う。
「あらあら、ありがたいけれど、前菜の間違いですわね」
 ワームの大きさは即ち、この歩きやすいトンネルの幅が示している通りであり、そのスピードは音が近づく間隔で分かる。兵士2人が女性2人を抱え、荷物を捨てて全力疾走しても、いずれは追いつかれる事が分かってしまった。
 だが活路はあった。
「この先、もう少し行った所で道が二手に分かれていますから、幅が小さい方に入ってくださる?」
「はぁはぁ……2分の1の賭け……という事ですか?」
 兵士の質問を受け、カルベネはそれに答えずフラウリーチェに質問を重ねる。
「フラウ様、ギャンブルはやった事ありますか?」
 フラウリーチェは焦りながらも真面目に答える。
「いいえ、ありませんが……」
「ではビギナーズラックに期待しましょう」
 兵士達は見事な連携で2人をリレーしながら更に加速していく。フラウリーチェは縮こまって祈りを捧げ、カルベネは鞄からいくつかの薬が入ったフラスコを取り出し、不安定に揺れながら混ぜている。
「見えました!」
 2人の兵士の声が重なった。見えた1つは生還の門である二手に分かれた道。そしてもう1つは、地獄へと続くワームの口である。
「左に入ります!」
 なだれ込むように12人が1つの道に入った。振り返るともうすぐそこにワームが口を広げて待っている。放射状に配置された牙と、暗くて奥まで見えない口内。目も鼻も無い掘削する為だけにデザインされた生物が、今は処刑装置として12人に迫る。
 その時、カルベネが飛び降りた。


 カルベネは落下の勢いのまま先ほど混ぜていたフラスコを地面に叩きつける。もくもくと灰色の煙が立ち、視界を覆った。フラウリーチェと兵士達はそれを吸って咳き込んだが、カルベネだけは直立姿勢のままワームを威嚇するように睨んでいる。
 寸前まで来た時、ワームがやや減速した。とはいっても止まりはせず、向かってきている事に変わりはない。もしもワームが、カルベネ達のいる方へと進路を決めたのならば、一行はあっさりと死ぬだろう。
「近くで見るのは初めてね。意外とかわいい顔しているけれど、残念、あんまり好みじゃないわ」
 カルベネが兵士達に振り向いて、そんな冗談を言った。
 と同時に、ワームはもう一方の道へ凄まじい速さのまま進んでいった。
 通過するまでに3分。揺れが完全に収まるまでは10分の時間を要したが、12人は紙一重で救われたのである。
「助かった!」「やったぞ!」
 逃げるのに成功しただけだというのに、兵士達の間では勝どきが上がる。だが確かに、それだけの戦力差があった事は否定出来ず、生存は奇跡とも言える。
 フラウリーチェがカルベネに駆け寄り、その手を握る。
「カルベネ様、凄かったです。あの煙幕のような物は一体何だったのですか?」
 カルベネは至って平静かつ自信満々に答える。
「あれはこの周囲の土の匂いを再現した煙です。ワームは目が退化していてほとんど見えませんから、鼻を使って進路を決めているんですの。どうやら彼は新たに道を掘っていた訳ではなく、移動していただけのようでしたので、ここに道が無いと錯覚すればおのずともう片方に流れます。まあ、これも魔女の知恵の1つですわ」
 尊敬の眼差しでカルベネを見つめる一同。
「うふふ、万が一にもフラウ様の命を危険に晒す事など出来ませんから、一応の保険は打っておきましたのよ」
 流石は王宮公認の魔女であると再度確認され、メモまで取っている兵士すらいる。
 が、真実は違う。
 表面上は余裕たっぷりのカルベネだったが、内心は冷や汗でびしょびしょだ。
 というのも、それらの説明は全て嘘だったからだ。煙幕はただの煙幕。当然、ワーム相手には意味がない。ワームの生態についても「おそらくそうだろう」という推量の域を出ず、確証なんてものは最初からない。
 とはいえ、ただ単に2分の1の賭けに勝った訳でもなかった。
 カルベネは悟られぬようにフラウの「腹」を見つめ、こう思った。
 あの中では、一体どんな物が育っているのかしら。
 あのワームが怖れるような代物である事は、間違いないようだけれど。

     

「馬鹿げている」
 マズブラウフアの出した条件に対して、グラーグの返した答えは実に率直だった。
「何故じゃ?」
 無垢を装い尋ねるその言葉に、グラーグは苛立ちを隠さずに持論をぶつ。
「いいか、戦場ってのは男の死に場所だ。そこに女が入って来るのは無粋ってもんだ」
「ならば生きる為に戦うおぬしにとってはぴったりじゃろ。『女だけの傭兵団』は」
 竜の力による協力と引き換えに、マズブラウフアが出した条件。それはグラーグ以外のメンバーを全て女性で統一するという事だった。
 訓練所併設の宿舎を追い出され、とりあえず近くの宿屋に寝床を移したグラーグは、部屋の中でたった1人。自らのいちもつと会話している。傍から見れば馬鹿丸出しだが、例え誰かに見られたとしても今となっては失う名誉もない。
「女は弱い」
 歯に衣着せぬグラーグの物言いに、竜が反論する。
「それは人によるじゃろ。あのメリダンという傭兵も女だ」
「だから目と耳を失ってるんだろうが。それくらい元々ハンデがあったって事だ。戦場に女がしゃしゃり出るからああいう事になる。分不相応なんだよ」
 女権論者が聞けば即刻訴えられそうな台詞の連続だったが、しかしグラーグは誰よりも多く戦を経験しており、その言葉には重みがあった。
「まあ聞け、グラーグよ」マズブラウフアは諭すように切り出す。「傭兵団を作るといっても、そこまで大きな規模の物は作れんじゃろ? 個人ではまず管理が出来んじゃろうし、戦場での統率も取れん。それにわしの存在に関しては秘密にしてもらわなくちゃ困る」
 ドラゴンとしてそうであるように、グラーグも人として化け物を股間に飼っている事は公にされたくはない。その点に関して利害は一致している。
「となると、せいぜいが2、30人。多くても4、50人くらいの部隊が理想になる。しかしじゃな、軍に傭兵団としての実力を認めてもらうには手柄を立てねばならんぞ。それもちょっとやそっとじゃ駄目じゃろ? 目を覚ますような活躍が必要という訳じゃ」
 竜が人の理を語る事に違和感はあるが、内容自体は間違ってはいない。
「という事は自ずと、20人の部隊ならばその5倍、100人程度を相手にせねばならん」
「なら尚更少数精鋭で行くべきだ。女の出る幕はねえ」
「そうじゃない。戦術の幅の問題じゃよ。軽装備での闇討ちには女のしなやかな身体が適しているし、罠や仕掛けを打つには手先の器用さも必要じゃ。それに何より、『色仕掛け』が使えるではないか」
 ここでグラーグはあからさまにムッとした表情になる。城の地下で1000年以上も封印されていた輩に戦術についてとやかく言われるとは思ってもみなかったのだ。
「それに、傭兵団として有名になるには特徴も必要じゃぞ。女だらけの傭兵団。すぐに覚えてもらえるじゃろうし、ならではの依頼も来るかもしれん。それにどの道、正面切っての戦闘や力仕事はおぬしとわしがいれば十分じゃろ」
 竜がすらすらと並べたてた理屈に、グラーグが核心をつく。
「お前、ただ早く女を犯したいだけだろ?」
「あ、バレておったか」


「まあそれもあるが、何よりも、じゃ。わしの児が無事に生まれるかを確認する義務と権利がわしにはある。メリダンや王女に関しては仕方なかったがのう、出来れば身近な人間に生ませたいのじゃ。職場が一緒なら確実じゃ」
「待て」と、グラーグからストップがかかる。「傭兵団を作って、それを全員妊娠させる気か?」
「もちろんじゃ。人選はこだわるぞい」
「おいおい正気かよ……」
 女だらけ所か、妊婦だらけの傭兵団という事になる。先ほどマズブラウフアが挙げた利点を考慮に入れたとしても、いくらなんでも戦闘には不向きだ。グラーグが頭を抱える。
「じゃが普通の妊婦ではないぞ。わしの児を孕んだ妊婦じゃ」
「……どういう意味だ?」
「やり様によっては、おぬしと似たような力を持てるかもしれん」
 グラーグと同じように、それはつまり、
「胎内から力を母に送れるかもしれんという事じゃ」
 グラーグは考える。確かに、この竜の力は本物だ。普段では出せない力が容易く出せるし、感覚も鋭敏になっているのを感じる。その上怪我をしてもすぐに再生するとなれば、兵士としては無敵に近い。
「かもしれん、って事は、確定ではないのか?」
「まあのう。なにぶん人と児を持つのは初めての事じゃしな」
 賭けにはなるが、上手くいけばグラーグの軍復帰は思っていたよりも早くに達成出来るかもしれない。それに、竜との取引もさっさと済ませられる。貸しを作っておくのは嫌いだった。
 グラーグは質問ついでに前から気になっていた事を問う。
「そもそも、生まれて来る児はドラゴンなのか? それとも人間なのか?」
「見てみん事にははっきりと分からんが、半竜半人って所じゃろ。人間の形はしているが、鱗があったり、火を吹いたり」
「化け物だな」
「親子揃ってのう」
 車輪は既に動き出している。今更降りる事は出来ない。
「仕方ない、か」
 何故こうも思い通りに動かされてしまうのだろうか、とグラーグは歯がゆく感じたが、よくよく考えれば相手は伝説上の生き物であり、対等に渡り合おうとする事がそもそもの間違いなのかもしれない。しかし自分のちんこの言いなりになるのは毎度の事ながら自尊心の傷つきを感じる。
「さて、そうと決まったら傭兵団に名前をつけなければならんのう」
「名前なんてどうだっていいだろ」
「腹ボテ傭兵団というのはどうじゃ?」
「却下だ」
「じゃあ腹ボテハーレム」
「傭兵団の方が消えてるじゃねえか」と呟きつつ、グラーグが立ち上がった。
「どこに行くのじゃ?」
「まずはその辺のを捕まえて人手を増やす。ついでに手柄も立てんとな。ちょうど軍を辞めたらやろうと思っていた仕事が1つある」
「ほう?」
「山賊狩りだ」


 山賊、サリアの場合。
 突如、そいつはあたし達のアジトの1つである廃坑に現れた。その顔には見覚えがあった。暴虐のグラーグ。泣く子も黙るレザナルドの軍隊長さんだ。レザナルド軍には不良兵が何人かいて、あたし達を討伐する話が持ち上がると事前に知らせてくれる。そうしたらアジトを変えて、別の場所で仕事をする。事前に知らされなかった理由は、そいつがたった1人だったからだ。
 武器は長剣1本で、ロクに鎧も着込んでなければ、馬すら連れていない。だがそいつを見た瞬間に、仲間が全員笑ってしまった理由はそういう事じゃない。
 グラーグは、下半身が丸出しだった。
 見た事もないような物凄く歪な形のちんこだった。
「勝手ですまねえが今日限りで山賊をやめてもらう。大人しく投降するなら殺しはしねえ」
 滑稽なナリでそんな事を言うもんだから、嘲笑はすぐ爆笑に変わった。ひとしきり笑い終わるのを待って、仲間の中で1番力がある男が大きな斧で殴りかかった。その瞬間にそいつの首が地面に落ちた。何も見えなかった。また冗談かと思った。
 3秒鮮血を撒き散らした後、すぐに洞窟は戦場に変わった。仲間はあたしを含めて9人。うち1人はもう死んだから8人。全員が鎧を着て武器を持っていたし、複数での戦闘の経験もあった。それに相手はたった1人だ。囲んで同時に攻めれば負ける道理がない。
 瞬殺だった。
 6人の首が瞬きの内に斬り落とされ、かろうじて一閃を避け、逃げようとした1人が身体を真ん中から真っ二つに裂かれた。ほんの一瞬の出来事だった。残されたのはあたしと、仲間のミシャ2人だけだった。ミシャはそれでも果敢に向かっていったが、あたしは恐怖でへたれた。逃げなくちゃ、と思ったが、さっきまで奪った金の取り分について話していた仲間の無残な姿を見ると、立ちすくんで動けなくなった。
 グラーグはミシャを弾き飛ばして、壁に叩きつけた。ミシャもあたしと同じ女とはいえ、少しは鍛えている。それをほとんど見もしないで、片手で跳ね除けたのだ。
「気絶してるだけだ。殺してはいねえ」
 グラーグが言った。だがそれはあたしやミシャに言ってるようではなく、かといって独り言のようでもない。
「で、どっちからやる? ……まあ、そうだな、じゃあ起きてる方からだ」
 殺される、というあたしの不安は、すぐに解消される。
 グラーグがあたしに向かってくる。ちんこはビンビンに勃起して、ますます異形の物となっている。鮮やかなピンクで、先は細く棘がついいて、気持ち悪いがいやらしい。
「ば、化け物……」
 あたしの口からそんな感想が漏れると、グラーグは口角を僅かに動かして笑った。目だけはそのまま、あたしが言うのも難だが、人殺しの目だ。
「俺の児を孕め。俺の傭兵団の一員になれ。お前が生き残るにはそれしかない」
 何を言っているのか分からなかった。2つの内1つ目は全く理解不能で、かろうじて2つ目の要求があたしの勧誘だという事に気づいた。
「……傭兵団?」
「竜根傭兵団だ」

     

「片付けは終わったか?」
 グラーグの問いかけに、サリアとミシャは力なく「……はい」と答えた。2人とも散々嬲られた挙句、団員にならなければ殺すと脅迫され、団員の初仕事としてかつての仲間達の死体の片付けをしたのだ。酷く疲れているのは当然だった。
「ああ、それと長髪のお前」
 と呼ばれたのはサリア。びくっと一瞬身体を縮こまらせたが、無視などすれば酷い目に会う事が分かっている。
「確かお前、レザナルドで手配書が出ていたな」
 グラーグの記憶は正しい。サリアは山賊の中核メンバーの1人であり、3年ほど前から罪を重ねているお尋ね者だった。つまり、顔を隠さなければ街も歩けない身だ。
 それを指摘されたサリアは、グラーグにひれ伏す。
「こ、殺さないで……! 何でもしますから……!」
「あ?」
 今まで奪ってきた命と金を考えれば、それは余りにも都合の良すぎる懇願だった。グラーグはつまらなさそうに言う。
「仲間を殺す訳ねえだろうが」
 仲間。その言葉に、2人は衝撃を受ける。
「言っておくがな、お前らはこれから正義の為に戦うんだぞ。分かってんのか? 国の秩序を守り、人々の不安を取り除き、脅威と戦う。それが竜根傭兵団の基本理念だ」
 突如として襲ってきて命を奪い、2人を続けてレイプし、死体の処理までさせた挙句、奪った財宝の勘定をしている人間の言う台詞とは到底思えず、サリアは自らの耳を疑う。だが次にグラーグの言った言葉で、それが本気である事が分かった。
「よし、手配書を下げてもらいにいくぞ。準備しろ」
 レザナルドには免罪寄付法というのがあり、これは初犯の犯罪者が自らの罪を認め、出頭してきた場合にのみ適応される法律である。犯罪者は、多額の寄付金を教会と国の両方に治め、教会への入信手続きを取り、2度と罪を犯さないという誓いを立てる事によって今までの罪を許される。ようは金さえあれば人殺しすら認められるという話であるが、しかしその寄付金の要求額は莫大で、大抵の犯罪者に払える額ではない。
「賊の癖にたっぷり溜め込んでたみたいだからな、これに他の奴らの首の値段を足して、その半分も払えばお前くらいの罪なら許される。胸糞悪い法律だがな、今回は利用させてもらおう」
 グラーグはそう言って支度を始める。袋に金貨や宝石を詰め込み、鎧を着込む。
「もう1人の女、確かミシャとか言ったな? お前はここで留守番だ。逃げてもいいぜ。殺される覚悟があるならな」
 ミシャはがくがくと震えながら、隅で縮こまっている。
「あ、あの」
 と、サリアが言った。
「あたしの名前はサリアです。出来ればその……覚えてください」


 サリアの免罪手続きはたったの1日で済んだ。本来ならば審問や文書の提出で1ヶ月ほど時間がかかるが、そこはグラーグの前の立場を利用して省略し、更に情報を賊に流していた人物の名も挙げ、取引として判子を押させた。元山賊が今や正式に傭兵団として登用され、街を堂々と歩けるようになったのである。
 同時に、厄介だった山賊が駆除された事により、街の商人達には竜根傭兵団の噂が広まる事となった。今まで交易の度に高い金を払って軍に護衛を依頼しなければならなかった所を、その半額で引き受けるとグラーグは宣伝した。これは傭兵団の活動資金を集める為でもあり、軍に傭兵団の存在を注目させる為でもある。
 一方で、新しいメンバー集めは主に夜に行われた。兵士として経験のある女の元に夜這いを仕掛け、無理やりに服従させる。単純かつ豪快な方法。
 最初、グラーグはこの案に否定的だった。何故ならただの犯罪だからだ。しかし蓋を開けてみると、グラーグに犯された事を誰かに報告する女は1人もいなかった。ドラゴンズペニスは魔性の兵器。「ふはは、人間を虜にする事など造作もないわ」と、マズブラウフアは豪語する。
 結成後、1ヶ月で団員は10人になった。グラーグはサリアとミシャを中心に戦闘訓練を行い、同時に商人からの護衛依頼もこなした。一癖も二癖もある女達が黙ってグラーグに従ったのは、与えられる快感に抗えなかったからであり、その忠誠は王直属の騎士団にも負けない程であった。
 そして飛ぶ鳥を落とす勢いの傭兵団の噂は、カルベネの元にも届いていた。
「グラーグという男、どうやら戦いに対してよほどの執着があるらしいですね」
 レザナベルンに宿を取り、調査をしていたカルベネが言う。それを聞くフラウリーチェの表情はどこか虚ろで、心ここにあらずといった雰囲気だった。
「……まだ、グラーグ様にはお会いできませんの?」
「ええ、何せ相手はドラゴンの化身とも言うべき男ですから、正面を切っての対決ではこちらに勝ち目はありません。ましてやここは敵国の中心ですから、そう派手にも動けませんし」
 カルベネの理屈は正しかったが、フラウリーチェは最早限界まで来ていた。
 ここ数日、フラウリーチェは毎晩自分で自分を慰めている。
 グラーグに犯されたあの夜から、既に1ヵ月半が経過していた。グラーグの事を想うと身体が熱くなり、一部分が疼いて仕方が無いのだ。声を殺しながらそこを擦って、仮初の絶頂を手に入れる事でかろうじて自分を抑えていた。
 もちろん、その行為はフラウリーチェにとっての大きな秘密だったが、カルベネはとっくに気づいていた。
「フラウ様、もう少しだけ我慢して頂けますか? あなたの想いは尊重しますが、機を逃せば私といえど無事では済みませんので」
 フラウリーチェは教師に怒られたようにしゅんとなり、
「……分かっております」俯いた顔をあげて、泣きそうな目で尋ねる。「ですが、今グラーグ様の瞳に他の方が映っていると思うと、堪らなくなるのです。嫉妬する女は醜いですか?」
「女はそうやって綺麗になりますのよ。とにかく、しばらくお待ちください。既に今、罠を仕掛けている所ですので、グラーグがかかるのは時間の問題です」
 


 その日、グラーグは竜根傭兵団の拠点を決める為、レザナベルンの外れにある屋敷に下見に来ていた。今までは各自の家や宿で暮らし、任務や訓練の度に集合していたが、流石に団員が10名を超えてくるとその方法は非効率的になってきた。
 かつて貴族が使っていたという3階建ての屋敷で、中庭は広く、真ん中に噴水があるが今は止まっている。しばらく誰も住んでいなかったので手入れはされていないが、広さもそこそこにある。部屋の数からして30人程度は暮らせそうだ。
「なかなか良い物件じゃないか? あの噴水を取り壊して、庭を囲うように塀も建てれば訓練は外からは見えんしのう」
 グラーグもその意見には概ね同意だった。だが問題は値段だ。現状傭兵団の金庫にある金は、不動産屋の提示してきた金額の半分しかない。その上、不動産屋は男だったので、ベッドでの交渉も不可能だ。
「そろそろ大口の仕事をこなさねえとまずいな」
 グラーグの呟きに、マズブラウフアが茶々を入れる。
「傭兵らしくなってきたのう、グラーグ」
「忘れるなよ。あくまでも目的は軍への復帰だ。金稼ぎは手段でしかねえ」
「分かっておる分かっておる。じゃがあっちの方も、ぬかりないようにな」
「……ああ」
 グラーグは毎晩、2人ずつを相手に性交をしていた。無論、既に団員は全員が妊娠している為、取引という観点で言えば行為をする必要はないのだが、団員の方からグラーグを求めてくるのだ。それ程までに竜の陰茎の魅力は絶大らしく、グラーグは寝不足の日々が続いていた。
 だが元々生まれも育ちも違う女達で、全員が自分こそグラーグに相応しい妻だと思っているような状況。平等に相手をしなければ、すぐに秘密が破綻し、組織が瓦解するのは目に見えている。それにこれからもまだ団員は増える。グラーグの心労は軍に所属していた時のそれよりも遥かに重い。
 そんな時、懇意にしていた商人がグラーグを見てこんな提案をした。
「相当お疲れのようですね。こんな物はいかがですか?」
 それは水色の瓶に入った薬だった。商人はこう説明する。
「最近この街にやってきた腕の良い薬屋がいましてね。質の高い疲労回復薬を卸してくれるんですよ」声を潜めて耳打ちする。「それに、下の方にも効果抜群ですよ」
 果たして本来自分の物ではない物にも効果があるのか、グラーグは疑問に思ったが口には出さなかった。
「日ごろのお礼も込めて1本サービスしておきますよ。是非使ってみてください」
 その夜、グラーグはいつもの3倍、6人の相手を同時にした。夜明けまでかかったが、それでも疲労はない。マズブラウフアの見解はこうだった。
「恐らくこれは魔女の霊薬じゃろうな。今時なかなかお目にかかれん。珍しい物じゃぞ。作った奴を捕まえれば、大きな戦力になるかもしれんのう」
「魔女の霊薬といっても作った奴が女とは限らんだろ」
「いや、魔女の技は師から弟子に受け継がれる。そして男は弟子になれん。という事はつまり、じゃ」
 グラーグは深い深い溜め息をつく。
「また女が増えるのか……」
「うらやましい悩みじゃのう」
 他人事のように原因が言った。

     

 夜に溶け込むような黒のローブを着たグラーグが宿を出る。名残惜しそうに見送る女達に一瞥もくれず、雨の街に消える。ローブの下は革製の鎧と長剣1本の軽装備で、下はあらかじめ何も穿いていない。当然グラーグにそういう趣味があるのではなく、そちらの方が合理的だからだ。標的の自由を奪って犯すのに下穿きは邪魔になる上、不意に襲撃を受けた時にマズブラウフアの対応も素早い。
「おそらく今日の相手は魔女じゃからな、気を抜くでないぞ」
 魔女という存在自体がまだ疑わしく、いまいち信じきれていないグラーグは「ああ」と気の抜けたような返事をした。元々、少なくとも一対一で女に負ける訳がないという傲慢の上、竜の力を手に入れてからはその自信に拍車がかかっている。
 既に魔女の泊まっている宿は商人から聞き出していた。裏通りの安宿の2階で、接する路地も夜なら尚更人通りが少ない。衛兵詰め所からは遠く、万が一拘束をしくじって助けを呼ばれたとしても、見つかるまでに簡単に逃げ切れるだろう。
 とはいえ念には念を、という事で、グラーグは勧誘活動の際は必ずフードを深く被る。更にローブの襟も高い物を選び、顔を見られないようにしている。1度手篭めにして自らの女にしてやれば秘密の共有を誓わせる事が出来るが、その前に顔を見られて逃げられるのは非常にまずいという訳だ。
 レイプし、仲間にする。ドラゴンズペニスを持つ者ならではの戦略だが、そこに人の心を慮る配慮はない。
「いつか後ろから刺される気がするな」
「なぁに大丈夫じゃ。すぐに治る」
 もちろん2人のやりとりは冗談だったが、竜の治癒能力には限界がある。
 1つは、部位が丸ごと欠損した場合、再生するのにも時間がかかるという事。もう1つは、首を切断されるか心臓を酷く損傷した場合は流石に再生が間に合わずに死ぬという事だ。無敵に近いが不死身ではなく、ドラゴンの力を得たとはいえ所詮は人なのだ。
 とはいえ、それ以外ならば目を潰されようが足の腱を切られようがすぐに元に戻るのだから、強力である事に変わりは無い。
 そんなグラーグの今宵の標的である魔女というのは、言うまでもなくカルベネの事である。カルベネは、グラーグが女だけの傭兵団を結成したという話を街で聞いてから、すぐ商人に対して霊薬の売り込みを始め、その評判はすこぶる良かった。一般人では造れないような効果の大きい薬を赤字で用意し、魔女である自分を餌にグラーグをこうしておびき寄せたという訳だ。
 傭兵団に必要なのは戦力であり、女だけという事は、フラウリーチェにしたのと同じ方法で団員を増やしている事は自明の理。しからばグラーグ本人が求めているのは体力の回復と精力の増強。その両方を提供しつつ、団員として資格もある自分を、グラーグは必ず襲ってくる。カルベネの分析と誘導には一部の隙も無かった。
 そう、カルベネは罠をきちんと用意している。
 だがその罠を説明する為には、時間を少しばかり戻さねばならない。
 グラーグがボンザを脱出した直後、レザナルドに帰る道中の話である。


「先に言っておくが、聖剣の在り処については教えんぞ」
 マズブラウフアと一体化して3日目、グラーグからそう切り出した。取引はあくまでも100匹の児についてのみであり、かつてドラゴンを封印したという英雄バリアーチの聖剣の処理については力を貸さないという宣言だった。ドラゴンが実存し、城の地下に封印されている以上、御伽噺は現実の物だったという事であり、必然マズブラウフアからしてみれば聖剣は厄介な存在であるというグラーグの予想だったが、返ってきたのは意外な答えだった。
「どうでもいいわい。だってあれ、ナマクラじゃろ?」
 ある意味、グラーグはこの言葉でドラゴンの存在と自分の身に起きている変化が現実の物であると強く実感した。何故ならば、聖剣をとある場所に埋めるように将軍から命じられた時、グラーグは全く同じ事を思ったからだ。
「……やはりあれは本物なのか?」
「おぬしの指しているあれとわしのあれが同一かは分からんがの。まあ少なくとも、わしの知っているバリアーチの剣はナマクラも良い所じゃったな」
「本物の聖剣なのに、ナマクラなのか?」
 グラーグの真っ当な質問に、溜息交じりに答える。
「ちょっと頭で考えたら分かるじゃろ。ドラゴンが剣1本でどうにかなると思うか?」
 確かに、言っている事は正しい。だが納得はいかない様子のグラーグに、追い討ちがかかる。
「言っておくがのう、バリアーチも英雄とか呼ばれて随分と持ち上げられておるようじゃが、わしからすればただの能無しじゃったぞ。ちょっと顔が良くて演説が上手かっただけじゃ」
 叙事詩の中で語られる英雄バリアーチの人物像は、勇敢で、力強く、特別な力を持った豪傑である。当然、マズブラウフアの言う事はにわかには信じられない。
「なら何故お前らは封印されたんだ? バリアーチが本当にロクでもない男なら、お前らを封印したのは一体誰だ?」
 少しの間を置いて、古竜はいつにも増して低い声で答える。
「名もない魔女じゃ」
「魔女だと?」
「歴史なんて物はのう、真に力を持つ者の手によって都合よく書き換えられる物なんじゃよ。魔女は目立つ事を嫌って代理人を立てた。英雄バリアーチは、言わばただの役者じゃな」
 衝撃の事実を知らされ、グラーグはバツが悪そうに呟く。
「……ちっ、だったらさっさと聖剣の在り処を吐けば良かったぜ」
「まあそう言うな。おかげで我々がこうして出会えたんじゃからのう」
 かっかっか、と笑う自らの股間を苦々しく思うグラーグだったが、例えその事実を最初から知っていたとしても、拷問に屈する事は無かっただろう。グラーグの忠誠は軍にあり、そして軍を統率するミネイルにあった。
 そして、かつてドラゴンを封印した魔女の技は、カルベネにも受け継がれている。失われたり変化したりの中で、カルベネは歴史学者として古の魔女の術を研究してきた。そしてかなり正確に、その実態を掴みつつある。
 カルベネの用意した罠。それは、マズブラウフアを再度封印し、未だ城の地下にある本体へと陰茎のみを叩き返す事の出来る秘術だったという訳だ。


 時はグラーグとカルベネの邂逅の夜に戻る。
 魔女の仕掛けた策にかかりつつあるグラーグが、カルベネのいる宿の前に到着した。外から見ても明かりは消えており、音もしない。部屋に入ると、カルベネはまだ起きていた。普通ならば寝静まっている時間ではあるが、かといってその状況もグラーグの想定外ではない。
 狼のような素早さで、蛇のように音も無くグラーグは跳躍すると、机とベッドを飛び越え標的の口元を塞いだ。悲鳴をあげる時間すら与えず、そのまま床に押し倒す。
「暴れても良い事はない」
 怯えきって見開いた瞳を覗き込み、そう凄む。慣れた手つきで服を破り裂き、下着が露わになる。
「痛いのは最初だけだそうだ。すぐに良くしてくれるさ」
 あくまでも三人称を維持しながら、いつもの勧誘活動を始めようとしたその瞬間、
「待て、グラーグ」
 いきり立ち、すぐにでも挿入可能な状態に見えるマズブラウフアは、見た目に反して冷静だった。
「よく視るんじゃ。そやつは本当におぬしを恐れているか?」
 グラーグは闇の中でじっと目を凝らす。汗を流し、目には涙が溜まり、押さえた唇は震えている。どこからどう見ても怖がっているように見えるが、しかし、これまで犯してきた女と何かが違う。
 魔女の秘術とはいえ、その復元も完全ではない為、無条件でという訳にはいかない。それを発動させるにはある条件を揃えなければならないのだ。
「どういう事だ?」
 グラーグの独り言に、カルベネは反応を示さない。というより示せない。演技は完璧なはずだった。ただ、マズブラウフアの経験が少しだけ勝った。
「……女、お前一体何を隠している?」
 それでもカルベネは演技を続ける。それしか出来る事はない。
 何故ならば、魔女の秘術を成立させるには、自らの膣内にドラゴンの身体の一部、つまりこの場合は陰茎を挿入してもらわねばならないからだ。
 挿入寸前で止まり、怪しまれているこの状況は、カルベネにとって最悪と言えた。しかし口は押さえられたままであり、言葉が使えないので目でしか哀れみを請う事が出来ない。カルベネは全神経を集中させて、犯されたくないという真実を訴える。
 挿入さえされれば、すぐに秘術は発動し、グラーグは竜の力を失う。それと同時にカルベネが合図をすれば、部屋にボンザの兵達が流れ込んでくる。グラーグは取り押さえられ、任務は完了。そんな作戦は今、脆くも崩れ去ろうとしている。
 やがて観察の結果、グラーグが導き出した答えはこうだった。
「……仕方ない。殺そう」
 疑わしきは罰するという元軍人ならではの理屈。目先の成果には囚われず、リスクは回避する。その意見にマズブラウフアも同意しようとしたその時、事態は急転する。
 窓を蹴破り、1人の女が飛び込んできたのだ。

     

 グラーグのしたような侵入ではなく、突入だった。雨と共に部屋に入ったそれは、カルベネに覆いかぶさる体勢のグラーグに向けて嵐のような勢いで迫り、背中を押した。その手には見覚えのあるナイフ。確かに刺さった部分を確認するその目は、「片方」しかない。
 宵闇傭兵団、メリダン・ストラツカ。5年前から宵闇傭兵団に所属し、女でありながら一部隊の隊長を任され、その統率を生かした機動力はボンザの正規軍からも一目を置かれていた。そう、つい先日までは。
 拷問をしていた他国の捕虜を逃がしてしまうだけでなく、その捕虜が一国の王女を犯してしまうという大失態を演じ、流石にこれは宵闇傭兵団でも庇いきれなかったらしく、事件の日に解雇された。本来であれば、解雇どころか極刑に処されても不思議ではない状況だったが、被害者である王女のたっての希望と、歴史学者カルベネの証言により、国外追放だけで済んだ形だ。しかしながら、もしも拷問が人道に配慮した尋問であったならば、メリダンは職を失う事にはなっていない事を考えると、その嗜虐心が仇となった形という訳だ。
 グラーグを貫いた刃は、ぎりぎりの所で心臓には触れていなかった。しかし確実に肺は破っていたので、一瞬グラーグの呼吸が乱れる。一瞬で済んだのはもちろん、再生能力を持つ竜の力のおかげである事は間違いない。
「化け物が!」
 その一瞬の隙を突き、メリダンは連続攻撃を仕掛ける。ナイフを引き抜き、それを逆手に持ち替え、もう片方の手で新たなナイフを卸す。今度は二刀で首を狙いにいったが、片方の腕は掴まれ、もう片方は頭突きで叩き落とされ、メリダンのナイフが床を滑った。
 雷が近くに落ちる。眩い光にグラーグとメリダンの顔が映り、それから音が鳴る。
 片腕を掴まれてもなお、メリダンの攻撃は終わっていない。掴まれた腕を引っ張りながら、膝蹴りで顔面を狙いに行く。グラーグの今の反射神経を持ってすれば、かわす事も、もう片方の手で防御する事も可能な攻撃だったが、グラーグはあえてこれを受ける。鼻骨の折れる乾いた音がし、鼻血が噴出したが、同時にグラーグは空いている手でメリダンの胸倉を掴み、腕力だけで床に叩きつけた。
 メリダンが身を起こそうとした瞬間、既に勝負は決していた。グラーグがカルベネからメリダンにその身体を移し変え、有利な体勢を取った。
「俺のぬくもりが忘れられねえから追ってきたのか?」
 そうして余裕を見せつけるグラーグだったが、事態は更に加速する。
 カルベネが叫ぶと同時、全ての部屋の灯りがつく。
「緊急事態です!」
 部屋の外で控えていた兵士達の突入。場は混乱に飲み込まれる。
 明るくなった部屋には、割れた窓から入る雨で濡れた床に、散乱した瓶の破片。中央では、黒のローブを纏ったグラーグが、同じく黒一色の女に跨っている。そこから少し離れた場所に服装の乱れたカルベネ。そして完全武装した兵士が8人、その状況を取り囲んでいる。
「やっぱり罠じゃったな。魔女の時点で嫌な予感がしたんじゃよ。昔を思い出すのう」
「思い出話は後だ」
 そこらの山賊とは違い、相手は兵士であり、竜の力によって致命傷は避けられているが、グラーグも手負いである。兵達が呼吸を揃えて一気に攻めてくれば、危うい。
「仕方あるまい。しばらく児は増やせんが、あの手を使うしかないじゃろうな」
 


 巨大化するペニス。大木のようになったそれは天井まで達し、鋼鉄の如く硬化している。兵士達はその変化と奇怪さに呆気に取られ、カルベネとしても迂闊に攻撃を指示出来ない。グラーグは全身を使って極大のナニを持ち上げ、メリダンを見下ろす。
「安心しろ。これをお前に挿れる訳じゃない」
 メリダンの作戦に間違いは無かった。敵が最も油断する瞬間。それは敵が別の敵を襲っている時であり、その背後を狙って心臓への一突き。一切の無駄が無い合理的な奇襲だったが、今回ばかりは相手が悪かった。
 一方で、カルベネの方にもメリダンの出現は予想外だった。国外追放された事くらいは知っていたが、まさかグラーグへの復讐を狙っていたとは思ってもみなかったのだ。しかし、メリダンがカルベネのピンチを救った形になったのは間違いなく、当初の予定とは違うが、グラーグに深手を負わせ、こうして兵で取り囲んでいる。だがこれも同じく、相手が悪かった。
「2人共もらって行くぜ」
 断りを入れると同時。
 ぶるん。
 極太ペニスが、宿の二階の床を打つ。
 衝撃、粉塵、木の弾ける音と共に足場が無くなり、全員が1階に落下して行く。そしてこの事態に備えていたグラーグだけが、着地と同時に動く事が出来た。
 まずはメリダンに一発。顔面に肘を入れて気絶させ、そのまま肩に背負う。
 そして次はカルベネ。咄嗟に煙幕を張ったがこれは無駄で、2発程腹に良いのが入れば、気を遠のかせるのには十分だった。
 意識を失った2人をそれぞれ両肩に乗せて、グラーグは瓦礫の山を脱出する。
 兵士達はほとんどが負傷しており、かろうじて無事な2人が立ち上がったが武器は無く、何よりも体で理解してしまっていたのだ。目の前にいる男には、例えハンデがあったとしても勝てないという事を。
「さしずめ傭兵団をクビになったって所だろうな。性格からして、もしも死んでなければいつかは復讐に来るとは思ってたが、意外と早かったな」
「いやいや、わしのちんぽの味が忘れられなかったんじゃろ」
 グラーグが脱出に成功する。戦利品は2つで、敵国の魔女と元傭兵の復讐者。「2人共良い児を産んでくれるじゃろ」とマズブラウフアは重畳だったが、まだ夜は終わっていない。
 ある男が、五軒隣の屋根、煙突の上から襲撃の現場を見ていた。
 男の名前はスヴェイル。メリダンの所属する宵闇傭兵団の団長で、今やボンザの軍を裏から支配している豪腕。そんな男が、単独で敵国にいる。顔は仮面で覆い、手には弓。その狙いはグラーグの背中に向けられている。
「この世に竜は1人でいい」
 スヴェイルがそう呟いた瞬間、矢が空気を裂いて一直線に、グラーグの心臓を目指して進んだ。
 マズブラウフアすらそれに気づいていない。それだけスヴェイルは完璧に闇に溶け込んでいたのだ。
 そして線を走る矢の先には毒が塗ってある。魔女すら知らない竜殺しの毒だ。
 その時、
「グラーグ様!」
 破れるような悲鳴と共に飛び出した1つの影。
 グラーグの代わりに矢を受けたのは、フラウリーチェだった。


 背後で倒れる少女にグラーグが気づく。
 その悲鳴にカルベネも目を覚ます。
「ちっ。まあいい」
 スヴェイルは呟き、再び闇に消える。
 時がゆっくりと流れていく。
 命の炎が、その勢いを失っていく。
「フラウ様!」
 グラーグの手から離れたカルベネが、倒れたフラウリーチェを抱き寄せた。
 マズブラウフアは黙っている。
 兵士達も寄ってきたが、近づけはしない。
「カル……ベネ……さん」
 口から赤い血を零すフラウリーチェが、カルベネの名を呼ぶ。
 いつもより白い手が、宙を掻く。
 グラーグも肩に乗せたメリダンを降ろし、フラウリーチェに近づく。
 いつの間にか、雨が止んでいる。
「ああ……グラーグ様……」
 その姿を確認したフラウリーチェが、精一杯の微笑みを見せた。
「……何故、俺を助けた」
 何と声をかけていいか分からず、グラーグは率直な疑問をぶつける。
「わたくしは……」
 フラウリーチェが息を飲み込む。
 真剣に、一語一語を紡ぐ。
「わたくしは……あなたを……お慕い申していました」
 目を瞑り、思い出す。
「あの夜……あなたに抱かれてから……あなたの事が……頭から離れないのです」
「……そうか」
 死に行く少女を前に、暴虐と呼ばれる男の表情はない。
「一言……わたくしを好きと……仰って……くれませんか?」
 グラーグは毅然として答える。
「思ってもいない事は言えん」
「馬鹿者が。それでもおぬしは男か」
 と、マズブラウフアが咎める。グラーグは溜息をついて、フラウリーチェを真っ直ぐに見る。
「……だが感謝はしている。どうやらお前のおかげで俺は助かったようだ」
「ああ……。良かった……良かった……」
 フラウリーチェが最後の笑顔を見せた。
「グラーグ様……いつかわたくしは……あなたと……」
 声が途切れる。
 音が無くなる。
 雲の隙間から、満月が見ている。
 1人の少女が、死んだのだ。

     


       

表紙

和田 駄々 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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