Neetel Inside ニートノベル
表紙

ドラゴンズペニス
第二話「日々と戦い」

見開き   最大化      

「まさかお前から来るとは思ってなかったぜ」
 暗い部屋、ベッドに座り、汗で濡れた髪ごしにグラーグがカルベネを見ていた。その背後には女が3体転がっており、いずれも激しい性交の疲れから熟睡している。
「あんな事があった日の翌日なのに、随分お盛んですわね」
 カルベネは気丈に振舞うが、目の前の獣性に圧されているのは明らかだ。
「フラウ様の遺体は兵達がボンザに届けるそうです。もちろん葬儀も母国でします」
「で、お前は?」
 グラーグがおもむろに立ち上がり、持っていた酒の空き瓶を机に置いた。
 何も答えないカルベネに近寄り、顎を引き寄せる。いよいよ目を逸らすカルベネの唇を無理やり奪い、「いいんだな?」と確認をしようとしたが、カルベネにも女の意地があった。
「古の伝説よ。私を抱きなさい」
 前日の夜、つまりフラウリーチェにとっての人生最後の日は、色々な事が同時に起きすぎていた。まずはグラーグの夜這いに事を発し、続けてカルベネの張った罠が惜しくも見破られた。安全策を取り殺されそうになったカルベネだったが、ここで1人目の乱入者が現れる。
 グラーグがこうなった原因、もとい拷問でグラーグ本人の陰茎を切り取った人物、元宵闇傭兵団のメリダンがグラーグへの復讐の為に飛び込んできたのだ。だがこの奇襲も結局は失敗に終わる。好機を生かしたカルベネの即時連携も功は奏せず、見ず知らずの宿屋を半壊させてグラーグは脱出に成功する。
 そして2人目の乱入者である宵闇傭兵団長スヴェイルが、グラーグの隙を突いた。その矢はまさしく必殺の一撃だったが、最後の乱入者によってグラーグの命は繋がれた。最後の乱入者はフラウリーチェ。そして彼女は命を落とした。
 その後、グラーグはメリダンだけを抱えて持ち帰った。当初の目的であるカルベネには触る事すら出来なかったのだ。何故ならば、フラウの遺体を抱いて茫然自失状態の彼女に勃起するなど、流石の古竜でも気が引けた。ついでにマズブラウフアが脱出の為に使った巨大化は、その後約1週間の射精を犠牲にしての大技だった為、勃起自体に問題はないが、しばらくの間絶頂に達する事はない。つまり妊娠させる事が出来ない。
「魔女を連れて行かなくていいのか?」
「ああ、わしにも良心くらいはあるんでのう」
 妙に人間臭いドラゴンと、心を戦場に置いてきた男が明け方の薄い霧の中を歩いていた。
 そして翌日、今度はカルベネの方からグラーグを尋ねてやってきた上、抱けと命じてきた。グラーグの驚きは当然だった。
 グラーグはカルベネの依頼に答える。
「……いいだろう。こっちの都合でまだお前を孕ませられねえが、何やら訊きたい事があるそうだ」
 それはマズブラウフアの指示だった。
「俺の事情は知ってるんだろ?」
 グラーグが股間を指す。おもむろに起き上がったマズブラウフアの鈴口が、カルベネに向けられた。


 一方、フラウリーチェ殺害の直接的な原因となったスヴェイルに焦点は移る。
 夜明けと共にスヴェイルは、レザナベルンを発とうとしていた。目立たぬように庶民の格好をしていたが、顔の上半分にだけは黒い仮面を被り、その常人ならざる眼光も前髪を垂らして隠している。人目を避け、裏路地を歩いて移動していたが、魔女の古道の入り口である廃井戸に差し掛かった時、背後から襲撃を受けた。
 抵抗する間もなく、井戸の中に突き落とされるスヴェイル。だが不思議だったのは、スヴェイルを落とした犯人も一緒に井戸の中に落ちていった事だった。そしてその人物もスヴェイルと同じく仮面を被っているが、こちらは上半分ではなく目以外の全てを覆う白い仮面で、更にはフードつきのローブを深く被り、女性である事以外は体格すら分からない。
 そして2つの仮面が枯れた井戸の底で対峙した。スヴェイルがその姿を見て叫ぶ。
「母上!」
 そう呼ばれた白い仮面の女は、上に跨ってスヴェイルを強く押さえつけた。女とは思えない程の凄まじい豪腕で、こうなると成すすべは無い。
「スヴェイル、勝手な行動をするなとあれほど言ったはずですよ」
「で、ですが……」
 うろたえるスヴェイルに、平手打ちを一発。仮面が吹き飛び、その顔が見える。整ってはいるがどこか暗く、更に目尻から耳にかけて青い鱗がびっしりと張られ、おでこには1枚、赤い鱗がある。
「口答えは無用。お前は私の指示に従っていれば良いのです」
「ですが母上……僕には耐えられなかったのです。あのような汚らわしい男に、高貴なる竜の血が流れる事など、到底あってはいけない事です……!」
 白い仮面の奥の表情は見えないが、少なくとも穏やかではないのは声からも分かる。
「だがお前は暗殺にすら失敗した」
「か、必ず、次は上手く殺して見せます」
 続けてもう1発。平手打ちが飛び、スヴェイルの頬がじんわりと赤くなっていく。
「無用です。今すぐボンザに帰り、反乱の準備をしなさい」
 今にも泣きそうだったスヴェイルの顔が、ほんの一瞬だけ明るくなった。
「いよいよですか!」
「ええ、フラウリーチェが死んだと知れば、国は揺るぎます。その混乱を突くのです」
「分かりました。軍は既に掌握しており、いつでも王は殺せます。ですが、国民はどうしますか?」
 白い仮面の女は至って冷静に、その計画を述べる。
「フラウリーチェが見ず知らずの男の子供を身篭った事を知り、王は怒りのあまり我が娘を殺してしまった。それを目撃した宵闇傭兵団が止めたが時既に遅く、王も自ら命を断った。実にありがちな話です」
 スヴェイルは感動の余り震えている。そこには母への崇拝と、己の中に流れる竜の血の猛りがある。
「素晴らしいです、母上。当面の間の政治は傀儡の大臣にやらせましょう。彼ならば少し焚き付ければ簡単に戦争を始めてくれるはずです」
「よろしい。真実を知っている者は……」
「もちろん皆殺しにします」
 母に叱られ、自信を無くした子供がみるみる元気になり、笑顔を見せた。
「ああ、愛しのスヴェイル坊や」
 白い仮面を少しだけ上にずらし、その唇がスヴェイルの唇と重なった。


 グラーグの宿。他の女を追い出し、今は2人と1匹。
「魔女よ、わしの声が聞こえるか?」
「え、ええ……」
 既にカルベネの体内には、マズブラウフアが挿入されている。今度は罠などはなく、ただの女のそれだ。
「なんだ、犯ってる時に相手と話が出来たなんて初耳だぞ」
 グラーグが言うと、マズブラウフアはそちらにも答える。
「こやつは魔女じゃし、霊感も少しはあるから特別じゃ」
 少し、という言葉に若干の憤りを覚えたが、今のカルベネはそれどころではない。押しては引き返す波のように来る快感に、正気を保って話すのがやっとだ。
「あ、あの、腰の動きを止めてくださる?」
「ああ、悪かったな。いつもの癖だ」
 グラーグが反復運動を止め、カルベネの紅潮した顔を見下ろす。どうにか一呼吸つき、カルベネは言った。
「改めて、まずは自己紹介から。私ボンザ国王宮専属魔呪術等超常技術特殊取扱国家公認歴史学者カルベネです。以後、お見知りおきを」
「グラーグだ」
「マズブラウフアじゃ」
 まるで相手にされていないようでちょっと悔しく思うカルベネだったが、気を取り直して話を切り出す。
「……では早速本題です。私を、あなたの傭兵団に入れてくださいませんか?」
 グラーグが不思議そうにカルベネを見つめる。
「希望入団者はお前が始めてだ。狙いは何だ? 俺の命か?」
 カルベネは首を振る。
「あなたの命はフラウ様が自らの命に代えても守った物です。これからは私が、あなたの命を守ります」
 突如、グラーグがその陰茎をカルベネの深くに突き刺す。思わず淫らな声を上げてしまうカルベネ。
「……どうやら嘘はついてねえようだな」
「どんな確かめ方じゃ。まあいいが。で、自ら進んで入るという事は、おぬしはわし達の傭兵団に何を希望するんじゃ?」
 マズブラウフアの質問に、荒くなった息を整えてから答えるカルベネ。
「宵闇傭兵団長、スヴェイルへの復讐ですわ」
「……何故、フラウリーチェを殺ったのがそいつだと分かる?」
「フラウ様の身体に刺さった矢から、毒が検出されました。我々魔女ですら扱えないような強力な代物です」
「竜殺しの毒、かのう」マズブラウフアが感慨深げに呟く。
「で、心当たりがあったのか?」
 カルベネは全身を使って飲み込んだ物を締め付けながら、真剣に答えた。
「はい。以前、領地に巨大ワームが出た際に、滅多に人前に顔を見せない宵闇傭兵団長のスヴェイルが出てきて、この毒を以って制している所を見たんですの。出所を尋ねましたが、教えてはくれませんでしたわ。他の人間が同じ毒を使っている可能性も捨てられはしませんが、考えにくいかと」
 そこには以前、兵士達を丸め込んだような舌はなく、ただ真面目に、真実のみを伝えようとする真摯さがあった。それにここはベッドの上。逆らえる相手でもない。
「いいぜ。どの道いずれは宵闇傭兵団と決着をつけなくちゃならねえ」
 スヴェイル。その名前の響きに、グラーグは聞き覚えがあった。

     


     

 レザナベルン中心地にある金の蹄亭は、美味い飯と美味い酒、そして酔った客同士の殴り合い専用ステージが売りという荒っぽい酒場で、そこそこ腕っ節に自信が無ければ気軽には入れない。今日、グラーグはそこで待ち合わせをしていた。
「またあのソリアンとかいう男と呑むのか? 嫌じゃのう、早く帰って挟まれたいわい」
 マズブラウフアの愚痴に、周囲に悟られぬように小声で答える。
「聞きたい事があってな。我慢してくれ」
 酒の混じった喧騒の中、声が聞こえた。
「グラーグ! 待たせたな。ちと訓練に精を出しすぎた」
 ソリアンが汗を湯気にして立ち上らせながら近づいてきた。兜を脱いだ頭は坊主で、糸のように細い目と潰れた耳。太陽のように明るい笑顔で、充実感はたっぷりだった。
 グラーグの前の席にどかっと陣取り、大声で酒を注文する。
「噂、聞いているぞ。傭兵団を作ったらしいな。しかもお前以外の団員は全員女。耳を疑ったぜ。女嫌いのお前がなあ」
「別に元々嫌いじゃねえ」と答えるグラーグに、ソリアンは大げさに驚く。
「おいおい、じゃあ何で結婚しないんだ?」
「長生きするつもりがねえからだ」
 グラーグにとっては当然の答えだったが、変人である事は否めない。
「ま、でもわざわざハーレムを作ったんだから、毎日よろしくやってんだろ? 隅に置けんぜお前も」
 やっている事自体否定出来ない所が、グラーグにとって辛い所だ。親友といえど、この状況を包み隠さずに話すのは気が引ける。
「まあ分かっているとは思うが、軍部のお偉いさん方はお前の傭兵団を良く思っちゃいない。女王様はどう思っているか知らんがな。ここが頑張り時だぜ。組んだ傭兵団を引き連れて軍に戻ろうってんだろ?」
 届いた酒を一気に飲み干したソリアンの表情は、弛緩しつつもそれでいて友を信じる熱さを秘めていた。
「まあ、な」
「他はどうか知らねえが、俺は出来ると思うぜ。お偉いさん方の目を覚ますような手柄を上げればな。特にそろそろ対ボンザでまた戦の気配がしている。前回はこっぴどくやられたからな。まあ、それはお前がよく知っているか」
 半年前のボンザ戦線にて、グラーグは味方を安全に逃がす為に数人を率いてしんがりを務め、犠牲者を少なく抑え、捕虜になった。グラーグの運命が大きく変わった瞬間はそこだったとも言える。
 グラーグは一段階声を潜め、告げる。
「……宵闇傭兵団を潰そうと思ってる」
 ソリアンは周囲を見渡し、確認する。
「……それなら復帰には十分な手柄だとは思うが、出来るのか?」
 宵闇傭兵団は前回の戦でも活躍し、戦況の決め手となった相手であり、レザナルドとしては大きな恨みを持った相手という事になる。レザナルド側はその情報をほとんど入手出来ておらず、一筋縄ではいかない相手という事は、グラーグも十分承知の上だ。
「スヴェイルを覚えているか?」
 グラーグとソリアンがかつて寝食を共にした軍孤児院。2人は記憶を辿り、そこに戻る。


「グラーグ、来週からは養成所か。寂しくなるな」
 孤児院の中庭にて、木剣を構えた2人の少年が会話している。
「ソリアン、お前も早く上がってこい。やり合える相手がいないと退屈だ」
 ソリアンは既にその頃から坊主で、グラーグの陰茎はもちろんまだ自分の物だ。
「へっ、よく言うぜ」
 言い終わると同時、ソリアンから仕掛けた。縦に振り下ろした一撃を、グラーグは鮮やかに受け流し、身を屈めて素早くソリアンの横に回る。ソリアンも振り切った木剣で薙ぐようにグラーグを追撃したが、時既に遅く、グラーグの剣先はソリアンの首に当てられていた。
「お前にゃ敵わん」
 ソリアンが投了の意味で両手を挙げた。グラーグは木剣を腰に差し、後ろを振り向く。
 と同時、ソリアンが背後から再び、振り下ろしの一撃。先ほどよりも早く、狙いはグラーグの肩だ。
「それでいい」
 振り向きざまに木剣を抜いたグラーグが、ソリアンの木剣を弾き飛ばした。
『気を持ち、機を待て』
 2人の声が重なった。
 痺れた両手を揉みながら、ソリアンには少しの悪びれた様子もない。
「戦場では気を抜いた奴から死ぬ。そして機を諦めない奴から出世する。女王様の言葉はいつも正しいが、ここまで実力差があると意味ねえな」
 自嘲するソリアン。それでも孤児院での実力はグラーグに続き2番目であり、それは養成所に上がってからも同じだった。
 グラーグはもうすぐ孤児院を卒業し、養成所に入る。ソリアンにはまだ、孤児院での生活が残っている。
「俺はまだ強くなるぜ」
 揺るがぬ決意を口にした友に、ソリアンも応じる。
「ああ、俺もすぐに追いつく」
 2人は孤児院最後の握手を交わし、その後握り拳を作ると互いの指の背をくっつけた。男の誓いだ。
「もういっちょ行くか」
「ああ」
 再び剣の練習へと戻ろうとしたその時、遠くから声がした。
「ねえ、僕にもやらせてよ」
 声のする方を向くと、2人より遥かに幼い少年が、弾き飛ばされたソリアンの木剣を持って2人を見ていた。あどけない笑顔だが、額から目にかけては前髪で隠されており、グラーグはその表情に違和感を覚える。
「ほら新入りの、えーと名前は何だったかな?」
 ソリアンが小さな声でグラーグに尋ねたが、答えたのは少年だった。
「僕の名前はスヴェイル。ねえ、僕と勝負しようよ」


 あの距離から今の声が聞こえたのか、とソリアンは単純に驚いていたが、グラーグもその小さな少年から視線を切れずにいた。妙だ。と、本能が囁く。
「はっはっは。坊や、木剣での対人訓練はもう少ししてからにしなよ。もしも怪我をさせたらお兄さん達が女王様にお仕置きをされちまう」
 ソリアンはそうして一笑に付せようとしたが、スヴェイルの表情は幼いながらに真剣その物で、得も言われぬ威圧感があった。
「怪我なんてしないよ。だって、僕の方が強いから」
 まだソリアンは笑っている。年齢で言えば10歳くらいは離れており、身長も体重も2倍近くある。冗談に聞こえるのも無理の無い話だった。
「いくら木で出来ている訓練用とはいえ武器は武器だ。下手をすると死ぬ事になるんだぜ。いいかい坊や、その覚悟が出来てから……」
 ソリアンの言葉を遮り、
「お兄ちゃん、僕が怖いんだね?」
 スヴェイルは挑発を続ける。
「はっはっは。参ったなこりゃ」
 ソリアンの口はまだ笑っているが、その細い目は段々と熱を帯びていく。
「ねえ、やろうよ。怪我をするのが怖いのなら、無理にとは言わないけどさ」
 スヴェイルが木剣の切っ先でソリアンを指しながら近づいて来た。快男児の顔からも、いよいよ笑みが消える。
「よし、いいだろう。手加減はしてやるから、女王様に言いつけるんじゃないぞ」
「そっちもね」
「おい、やめろソリアン」
 グラーグが冷静さを失いつつある親友を止めた。
「なに、軽く打って転ばせれば納得するだろ。うまくやるさ。剣、借りるぜ」
 グラーグの制止を無視して、ソリアンが木剣を握った。
 それは練習の体を取った試合だった。ソリアンは先ほどと同じように上から振り下ろす。真っ直ぐ、奇をてらわずに基本通りといった所だが、基礎がしっかりと出来ている強力な一撃。並の子供を打ち据えるには十分。が、
「それならさっきも見たよ」
 スヴェイルの呟きが聞こえると同時、ソリアンの腹部に一撃が入る。
 身長の低さを生かして懐に潜り込んだ形だが、並々ならぬ素早さがあってこそだった。モロにカウンターを喰らった形になったソリアンはゲロを撒き散らし、のたうち回る。
「楽勝楽勝。次はそっちのお兄ちゃん、やろうよ」
 スヴェイルの前髪が揺れた時、グラーグはそこに赤い鱗を見た。

     

「かはっ……ちょ、ちょっと油断しただけだ……今のはまぐれだ。もう1回……げほっげほっ」
 うずくまりながらそう言うソリアンに説得力などあるはずもなく、スヴェイルは敗者を無視し、次の相手に指名したグラーグに再び剣先を突きつけた。
「いいからお前は休んでろソリアン」
 グラーグがそう声をかけると、ソリアンはどうにか立ち上がり、突かれた腹を押さえながらよろよろと下がった。
「……すまん。だが油断するな。そいつ……何かおかしい」
「お兄ちゃんはまさか友達がここまでされて逃げないよね?」
 それが挑発である事などグラーグにはもちろん分かっていた。しかし、言っている事自体は正しい。ここで逃げているようでは戦になど行けるはずがない。
「練習ではなく、実戦と受け取った。お前の年齢や見た目に拘らず、正々堂々とやらせてもらうぞ」
 グラーグの宣言は自分に言い聞かせているようでもある。これまで訓練としての戦いは何度もあったが、得体の知れない相手から自らの命と誇りを守る為に戦うのはこれが初めてだった。
 木剣を構え、相手を見据える。いつもと変わらない仕草だというのに、その相手が友人から敵に代わっただけで、ここまで覚悟がいるものかとグラーグは認識した。
「いいよ。正々堂々とやろう。それじゃ、僕から行」
 かろうじて、間に合った。スヴェイルの突きを剣脊で受けきったグラーグがそう感じたのは、身体が動いてから後の事だった。つまり頭で考えるより先に手を動かしていなければ、ソリアンと同じ目に合っていたという事だ。
「へえ、僕の突きを受けきるなんて、お兄ちゃん結構やるじゃん」
 再び距離を取り、スヴェイルはそう言った。グラーグは自分が1つのミスを犯した事に気づく。
 スヴェイルの攻撃手段はその素早さと小柄な体躯を生かした突進からの真っ直ぐな突き。もしも身体で受ければ内蔵へのダメージは深刻で、戦闘の続行は不可能になる。だがスヴェイルの立場からしてみれば、やはり何といっても体格差がある。まともな鍔迫り合いや、長時間の打ち合いになれば不利であるがゆえに、突きでの短期決戦を狙っているのだ。だから会話の途中で奇襲を打ち、その一撃を防がれたから距離を取った。
 敵の立場に立ち、その思考を追跡し、次に辿りつく所に先回りして罠を仕掛ける。以前に女王様から教わった対人戦闘での基礎だったが、まるで出来ていなかったとグラーグは悔いる。
「あれ? でも今の僕の突きで、お兄ちゃんの剣にヒビが入っちゃったね。別のと変える?」
 グラーグでもそれが嘘である事くらい分かった。視線を自らの剣に向けた瞬間、また先ほどの神速の突きが飛んでくるのは確実。だが、今度はあえて誘いに乗る。ちらりと視線を切り、再び突きを誘った。しかし今度は剣脊で受けるのではなく右にステップして躱し、剣先でスヴェイルの足元を掬うのが狙いだ。速度がある分、引っ掛けて転ばせるのは容易い。はずだった。
「甘いね」
 剣は確実に足を引っ掛けるのには成功した。しかしスヴェイルは体勢を崩す事なく、勢いのまま空中で前方向に一回転し、更に加速した剣でグラーグのわき腹を薙ぐように狙った。


 罠を抜けられ、回転と共に放たれた一撃には、流石のグラーグでも腕で防御するのがやっとだった。ぎりぎりで骨は折れなかったが、まともに喰らった左腕は痛みと痺れでしばらく使えそうにない。それ以上に、ここが戦場ならばこの一撃で決着であり、あくまでも模擬の木剣だったからこそまだ生き伸びているという事実がグラーグにとっては重い。
 なんとか片手で剣を持つグラーグだったが、その戦力の減少は明らかだった。おそらく次か、その次、この勝負は終わる。
「……お前、何者なんだ?」
 質問をして時間を稼ごうとするグラーグだったが、スヴェイルは答えると同時に踏み込む。
「竜さ。半分はね」
 まともに受ければ敗北。そんな時、グラーグの選んだ起死回生の手は、木剣を手放しての投擲だった。
 投げるといっても、まともに予備動作は出来ない分、スピードはそこまでではない。しかし、これまでにスヴェイルの突きの軌道は3回見ており、低く真っ直ぐ最短距離で来るのは分かっていた。よって、そこまで勢いをつけなくても、スヴェイル自身のスピードによってダメージを与えられるという判断だったが、これも結局は無駄に終わる。
 自らに向かって飛んでくる木剣を見たスヴェイルは決着を確信する。根拠は避けられるという自信。竜の血を持つ者にだけ許された極限の反射神経。そして敵はこの攻撃にて武器を失った。僕は竜の児だ。誰にも邪魔はさせないと念じる。
 首を傾げて身体を反らし、僅かの差でグラーグの飛ばした剣を避け、そのまま速度を落とさずにスヴェイルが突っ込む。
 刹那の後、グラーグに剣が刺さった。
 かろうじて空いた右手の平で剣先を包んだものの、剣に乗った重さはほとんどそのまま腹部に伝えられている。これでもう両手は使えない。更には内臓へのダメージが足にも来ており、まともに立ってる事も出来ず、片膝をつく。
「ねえ、命乞いを見せてよ。『調子に乗ってすいませんでした。スヴェイル様がここで1番強いです』ってさ。そしたら許してあげるよ」
 スヴェイルが剣をグラーグに突きつける。
「……まだ終わっちゃいないぜ」
 グラーグがにやりと笑った。虚勢だ、とスヴェイルは見下す。
 しかし見下した相手は、嘘をついていなかった。
 突如、スヴェイルの右肩に衝撃が走った。続けて痛み。痺れ。持っていた剣を落とす。
 一体何が起こったのか、スヴェイルには分からない。しかし姿勢を崩して倒れる瞬間に、全てを理解した。
 ソリアンだ。
 グラーグが投げた剣を拾ったソリアンが、スヴェイルを背後から襲ったのだ。まだダメージは残っているが、その一撃は十分にスヴェイルの力を奪った。気を持ち、機を待て。2人はまた、女王様の教えを守った。
「卑怯だ!」と、スヴェイルが叫ぶ。「僕みたいな子供相手に、2対1なんてずるいよ!」
 スヴェイルは足掻いたが、もう無駄だった。自らの木剣は既にグラーグが拾っている。
「いいかい坊や。『正々堂々』ってのは、勝った奴だけに許される言葉なんだ」
 ソリアンが諭すように言い、もう1度、大きく剣を振りかぶった。


 その後、3人はこの模擬戦について女王様から厳重な注意を受けたが、グラーグの養成所昇進自体にお咎めはなく、スヴェイルとは以降一言も口を聞く事なく別れた。
 ソリアンも同じく、自らスヴェイルと話そうとはしなかったが、孤児院内でのスヴェイルの評判は何度も聞いたという。同級生をしこたま殴って病院送りにしただとか、座学の最中に突如発狂したように叫び、制止する先生を殴り倒しただとか。だがそんな荒っぽい話も3ヶ月を過ぎるとほぼ聞かなくなった。何かトラブルを起こす度に女王様に呼び出され、何度も叱られたのが余程堪えたのか、その後も仲間からは疎外される事になったが、その腕っ節の強さは皆理解していた為、誰も一緒に剣や槍の練習しようとする者はいなかったという。
「その後の事は俺も良く知らんが、風の噂では養成所に上がる前に孤児院から出て行ったらしい。行方は依然として知れず、知りたがる奴もいないしな。せいぜい賊になって小銭を稼いでいるか、捕まって首を跳ね飛ばされてるかだな」
 もし生きていればもう二十歳になっているはずだ、とソリアンは付け足し、酒を飲み干した。
「……宵闇傭兵団の団長が、あのスヴェイルかもしれん」
 グラーグの言葉に、ソリアンはつまみの燻製を喉に詰まらせる。
「げほっげほっ、おいおい、マジか?」
「信頼出来る筋からの情報だが、名前が同じだけという可能性もある。奴は弓は得意だったか?」
「ああ、得意も得意で百発百中。剣も槍もそれなりだったが、馬だけは全く乗りこなせていなかったな。まあそれも勝手に盗んで乗ったみたいな話だが、振り落とされて蹴飛ばされても次の日にはぴんぴんしていたらしい」
 ソリアンの証言を聞き、グラーグは確信する。幼少時の身体能力、弓の腕、回復力、馬に乗れない、そして額の赤い鱗。
「しかし宵闇傭兵団がスヴェイルの物だとすると、こりゃますますきっちり潰しておく必要があるな。グラーグ、俺も出来るだけ手伝いたいが、何分お偉いさん方の意思も尊重せにゃならん」
「ああ、分かってる」
「だがもしも戦場を共にする時があれば、あの時みたいに力を貸すぜ」
 2人は握り拳を作って、ガツンと指の背中を合わせた。
 しばらくしてソリアンが酔い潰れたのを確認し、グラーグがマズブラウフアに尋ねた。
「おい、お前以外にも生きているドラゴンはいるのか?」
「ん? そりゃおるわい。我らはかつて大陸を支配した眷族じゃぞ。今は大抵地下に封印されておるがのう」
「スヴェイルは間違いなく俺と似たような境遇だ。いや、むしろお前の児と似た境遇と言った方が近いかもしれん」
 マズブラウフアは呆気なく答える。
「ま、そうじゃろな。話を聞く限りじゃが」
「……次に会った時は、殺す事になるぜ」
 それはグラーグにとってみればその場で心臓を貫かれても不思議ではない一言だった。同族への宣戦布告は大概取引の終了を意味する。だがその解答は意外だった。
「ん? 構わんぞい」
 そう言った陰茎はパンツの中でぴくりとも動く様子はない。
「大事なのはわしの児じゃ。他のドラゴンの児がどうなろうが知ったこっちゃないしのう。そもそもわしは仲間内の中でも少々異端でな、昔からあんまり好かれてはおらんかったんじゃ」
 それより早く帰って女が抱きたいと言うマズブラウフアを見下ろしながら、確かに異端だろうな、とグラーグは思った。

     

 カルベネが傭兵団に加わり、資金の問題がある程度解決したので、グラーグは例の屋敷を購入した。持参した骨董品や貴金属は売られる事になったが、カルベネ自身に後悔は無かった。どの道、国に帰れば王に処刑されても仕方の無い身であり、せめて今は亡きフラウの遺志を継ぎ、グラーグの為に働き、宵闇傭兵団への復讐を果たした後、フラウの墓参りをしようと決意していたのだ。
 そうして手に入った屋敷に、団員である女達は全員で住む事にした。部屋数的にはまだ1人1部屋だが、しばらく経てば相部屋になる。家族のあった者は皆別れ、中には夫と離婚した者もいた。毎日グラーグの指示の元で訓練をして、護衛や山での狩り等の危険な仕事もこなす。しかし1人も不満を述べる者はおらず、毎日心からグラーグの帰りを待っている。捕まったメリダンには、それが不思議でならなかった。
 便利な事に、グラーグの買った屋敷には元から地下室がついていた。昔は倉庫として使っていたという窓の無い部屋だが、今はメリダンの牢獄として機能している。
「はい、あーん」
 両手を鎖で繋がれ、足枷まで嵌められたメリダンの口に、サリアが食事を運ぶ。無言で食べるメリダンの目は、まだ復讐の意思を失っていない。
「それにしてもあんた、残念だったね。予定では今日にもグラーグ様とセックス出来るはずだったのに」
 恥ずかしげもなく言うサリアに、メリダンは抗議する。
「残念? 何言ってんだお前。あんな化け物のどこがいいってんだ?」
 サリアは両手を頬に当て、ちょっと照れながら答える。
「その化け物な所が良いんじゃない」
 当然、そんな答えでメリダンが納得するはずがない。
「お前あいつのちんこ見たんだろ? あれはあいつの物じゃないぞ。そもそも人間の物じゃない」
「じゃあ何なの?」
 メリダンが国を追放されたのは事件があった翌日すぐであり、カルベネは王とフラウ以外にドラゴンの陰茎の話はしていない。口封じをされている訳ではないが、余計な事は言わない主義であるし、神秘と真実を一緒に取り扱われるのも都合が悪い。
「……それは、あたしにも分からんが、でも見たんだ。地面の下からちんこが飛び出してきて、あいつの股間にくっついて一体化したのを!」
 メリダンの言っている事はもちろん事実だったが、サリアにとっては冗談にしか聞こえない。
「あはは何それ、ちんこだけが土の中を掘り進んで、グラーグ様の下にやってきたって訳? じゃあグラーグ様は元々女だったって事?」
「違う! あたしがあいつの本物のちんこを切り取ったんだ!」
 これも同じく、サリアからすれば冗談だった。
「あはははは! あんたみたいなのがグラーグ様に勝てる訳ないでしょ!」
「だからそれもあのちんこの力でだな……」
 メリダンが懸命に説明しようとすればする程、サリアの笑いは大きくなった。極め付けにこう言われた時、メリダンはいよいよ事実を証明するのを諦めた。
「でも前に1度犯されたって時は気持ちよかったんでしょ?」


 竜根傭兵団の団員10名は、最年少が15歳、最年長が32歳で構成されている。出身はサリアのような元ならず者が半分で、残り半分の半分が元兵士。後は元鍛冶職人と元娼婦も1人混じっている。マズブラウフアが女に望んだ条件は、腕っ節が強いか、一芸に秀でているか、顔や身体が良いかのいずれかであり、最後の条件に関しては、「竜の血を継ぐ者は美しく洗練されてなければならん」というグラーグにとって理解し難い理由によってだった。
 それぞれ何曜日に夜伽の相手をしてもらえるかが決まっており、抜け駆けは厳禁とされている。家事は流石に女性といった所で、埃を被っていた屋敷もたったの数日ですっかり綺麗になってしまった。
「それにしても罪な男ですわね」
 地下のメリダンに食事を運びに行ったサリアと、金の蹄亭に呑みに行ったグラーグ以外のメンバーが今晩の食卓を囲んでいる。普段グラーグが座る席の隣に座ったカルベネが、口を開いた。
「これだけ女達に囲まれて、1人に決める事もせず堂々と浮気をしているなんて、一国の王にもなかなか許される事ではありませんわ」
 カルベネの言う事はもっともだったが、しかし持っている一物もそこらの王とは比べ物にならない。ミシャがカルベネに尋ねる。
「カルベネさんはボンザから来たんですよね?」
「ええ、そうですわ」
「魔女というのは本当ですか?」
「そう呼ばれる事もありますが、でも正式には……いえ、もう辞めたので何でもいいでしょう。今はこの傭兵団のいち団員です。戦闘は苦手ですが、精製した薬やちょっとした術で皆様をサポート致しますのでよろしくお願いしますわ」
 それを聞いて、別の団員が声を上げる。
「美しくなれる薬はありませんか?」
「あ、私も!」次々と、「肌つやつやになる奴!」更に、「若返りは可能ですか?」
「ま、待ってください皆さん」
 カルベネもこれには焦ったが、女達の言い分はこうだ。
「少しでも綺麗になって、グラーグ様に相手される機会が増えるのなら何でもします」
 はぁ、とカルベネが溜息をつく。
「つくづく罪な男ですわね」
 竜根傭兵団が一枚岩である事は間違いなかった。全員がグラーグに向かって奉仕し、グラーグの為に戦い、そしていずれはグラーグの子供を産む。そして奇妙な事に、それがこの傭兵団の女達にとってはこの上なく幸せな事であり、つまりは精神的快感だったのだ。人間も所詮は動物であり、飴をくれる者に懐く。そしてグラーグの提供する飴は、この世で最も甘美な悦楽だった。
 だがそんな傭兵団の比較的平和な日々も、もう少しで終わる。
 あと数日で、レザナルドとボンザの間に組まれた停戦協定の期限が切れる。そして協定の延長交渉はつい先日決裂した。つまり、戦争が再開するのだ。


 そもそもレザナルドとボンザの戦争の原因についてざっと説明すると、その発端はボンザ側にあると言える。ボンザ国は隣のコルチア国に毎年多くの貢物と奴隷を要求しており、これに耐えられなくなったコルチアがレザナルドに泣きついた。レザナルドはこれを受け入れ同盟を結んだが、もちろんボンザは異を唱えた。コルチアは山岳地帯が多く、ロクな資源も持たない国ではあるが、ここをレザナルドに押さえられると防衛の関係上多くの兵士をコルチア側に割かなければならない。だがレザナルドの兵力は強大であり、また、当時ボンザは東部で小さな内乱が多数起こっていた事から、この隙を突いてレザナルドはコルチアボンザ間の国境を封鎖してしまった。
 レザナルドからしてみれば、虐められている友人を救う為の行動だったが、ボンザからしてみればどさくさに紛れて財布をすられたという形になる。戦火が灯るのは当然の事でもある。
 戦争開始から1年が経ち、互いに国境際の街がいくつか焼き払われ、防衛に必要なコストは増していった。また、その間近隣諸国は比較的平和だった為、国力の疲弊は免れず、お互いに他国との外交にも支障をきたす様になり、一旦の休息という事で約半年間の停戦協定が結ばれた。これがつまり、グラーグが捕虜としてボンザの城地下で暮らしていた時期だ。
 その半年間でお互いの国は戦力を回復した。次の戦争が最後の戦いという訳だ。既に両国は睨み合う形で国境際に兵を配備しており、いつでも戦える状態にある。
「して、グラーグよ」
 朝帰りのグラーグに、マズブラウフアが尋ねた。
「おぬしはいかにして戦争に関わるつもりじゃ?」
 屋敷の中庭にて、誰もいない時間に剣を素振りしながら、グラーグは答える。
「そうだな。ボンザ側国境の最南端にマシアという小さな田舎町がある。そこは周りを山に囲われていて、天然の要塞になっている。拠点を築くにも不便だし、道もほとんど無いから両軍とも最初は無視する」
 戦争が始まれば最初はレザナルドがいくつかの拠点を確保し、有利に戦いを進めるだろうとグラーグは読んでいた。しかしレザナルドの兵は、これまで国土の防衛に特化してきており、敵地での補給部隊の錬度が低く、継戦効率が悪い。また、戦争中はコルチアにもある程度の兵力を置いておかなければならない為、時間の経過と共に戦力は分散してくる。よってどこかで手詰みになり、ボンザはその隙を突きたがる。その時必要となるのは突破口だ。
「そこで俺達であらかじめマシアを押さえておく。立地の都合上大軍で戦うのは得策じゃない。奴らの出番という訳だ」
 宵闇傭兵団。少数精鋭かつ夜戦に強く、奇襲を得意とする集団ならば、天然の要塞を崩すには持って来いといった所であり、それこそがグラーグの狙いでもある。
「まあ、開戦しても実際にマシアに攻め入るまでにはまだ時間の余裕がある。もう少し団員を集めておかねえとな」
 グラーグの話を聞き、マズブラウフアがぽつりと言った。
「おぬしの頭はちゃんと考えておるんじゃな」
「ちんこだけで考えているお前と一緒にするな」
 びゅん、とグラーグの剣が空を切る音が聞こえ、カルベネは屋敷の窓からそれを眺めていた。

     

 地下室にグラーグが現れた。流石に一週間も拘束されていると多少やつれた様子だったが、服従する意思は微塵も無いらしく、メリダンは殺意のたっぷり篭った片目でグラーグを睨んだ。
「あの時とは立場が逆になったな」
 そう言って、鎖に繋がれたメリダンを見下ろす。竜の力を得た夜のグラーグと同じように、メリダンは何も答えず、反抗心だけを剥き出しにしている。
「だが俺はお前ほどサディストじゃない。お前から残ったもう『片方』を奪うような真似はしねえさ」
 目と耳、メリダンには片方ずつが無い。
「サディストじゃないだって? あんた自分のした事を忘れたのか?」
 鎖から解き放たれたグラーグによる、最初の犠牲者がメリダンだった。マズブラウフアが止めていなければ殺されていたというのはメリダンも知らない事実だが、彼女は今殺されるよりもタチの悪い屈辱を受けている。
「俺だってお前とヤリたくてヤッた訳じゃない」
「はぁ?」
「言う事を聞かねえんだ。俺の息子が、いや、爺と言った方が正しいか」
「誰が爺じゃ」と、これはメリダンには聞こえていない。
「まあ何にせよ、俺としては出来るだけ手荒な真似はしたくない。時間も無いし、さっさと吐いてもらえると助かるんだがな」
 メリダンは宵闇傭兵団の元切り込み隊長。内部の情報についてはほとんどを熟知しており、それについては再三サリア達から尋ねられもしたが、口を割る事はなかった。
「さっさと殺した方がいい。また前みたいな逆転が起きないとも限らないぞ」
 メリダンはそう強がったが、あんな奇妙な事が2度も起こらない事はよく分かっていた。
「まあ、簡単に口を割るとは思ってねえよ。ちょっと待ってろ」
 グラーグが部屋から出て行く。数分して戻って来ると、服を全て脱ぎ、丸出しのちんこは勃起し、先端はやけにてらてらと光り、何故かカルベネを連れていた。
「では、手筈通りにお願いしますわ」と、カルベネ。
「本当にこれ以外方法は無いのか?」と、グラーグ。
「ええ。文献によれば、より新鮮な状態であるのが望ましいとの事ですから」
「効果はあるんだろうな? あっても死んだんじゃ意味がないぜ」
「そこは私を信じてくださいませ」
 会話の意味が分からないメリダンだったが、グラーグが自分に何をさせたいのかはその行動ですぐに分かった。
 近づいてきて、頭を掴み、上に向け、こう命令する。
「咥えろ」


 まずは頭を上下左右に動かそうとしたが、馬鹿力で押さえつけられ、びくともしない。次に断固として口を閉じ、侵入を防ごうとしたが、ペニスは先端を微妙に細く変化させ、僅かな隙間から強引にねじ込まれる。最後に中に入ってしまった物を噛み千切ってやろうと奮闘したが、鉄の塊を齧っているようで歯が折れそうになった。こうして、メリダンの精一杯の抵抗は全て無駄に終わる。
 マズブラウフアは大いにメリダンの口内の感触を楽しみ、グラーグはその様子を眺めていた。先端がメリダンの喉まで達し呼吸を圧迫していてもまるでお構いなしで、しばらくの間、行為は続いた。
「グラーグ様、出来れば早く射精してもらえます? 今日もこの後予定が詰まっていますので」
「俺じゃなくてこいつに聞け」
 必死に肉棒を頬張るメリダンを他所に、2人が会話している。
「強気な女への強制フェラはたまらんのう」
「いいから早くしてくれ」
「仕方ないのう。ちょっともったいないが、まあいいわい」
 どくどくどく、メリダンの喉の奥に向けて、精液が発射された。逃げ場はなく、メリダンの意思に反してそのほとんどが食道を通り、体内に滑り落ちていく。
 出しきるだけ出しきった所で、ようやくメリダンは解放された。身体が自由になった訳ではないが、自由に呼吸が出来るだけでもまだマシな状況に戻った。
「何か質問をしてみてください」
 カルベネが依頼すると、
「おい、メリダン。宵闇傭兵団のメンバーを全員教えろ」
 メリダンは息を切らしながら、グラーグを睨みつける。
「答えるか糞が。お前も相当なサド野郎じゃねえか」
 その答えを聞き、グラーグとカルベネが少し揉めているようだった。ようだった、というのは、メリダンの気が遠のいてきたからだ。頭がぼーっとしてきて、耐えられなくなり、鎖に体重を預ける。
「効いてないのか?」
 グラーグがそう言った途端、メリダンの心臓が激しく震えた。
「かはっ」
 咥え込んでいた時とは別の、内蔵を全て締め付けられるような奇妙な感覚。「どうした?」と尋ねるグラーグの声がやけに遠くに聞こえ、逆にすぐ近くからは、知らない女の囁くような声が聞こえる。
「そちとはどうやら気が合うようじゃな」
 苦しみながら、メリダンはその声に尋ねる。
「……お前は……誰だ?」
 声は答える。
「私は古に封印されし竜。今はそちの心に直接話しかけておる」


 メリダンの意識が朦朧としてくる。グラーグにこんこんと頭を小突かれるが、反応すら出来ない。そんな中で声だけが一方的に淡々と述べる。
「目の前の男と同じように、私と取引をしようじゃないか」
「取引?」
「そう。私はそちを助ける。そしてそちは私の代わりに児を産むのじゃ」
「子供……だと……?」
「おいおい、大丈夫か?」「ええ、問題はありません」これはグラーグとカルベネの声だ。
 がくん、と全身から力が抜け落ち、目を開けている事すら出来なくなる。。
「……何だってしてやる。グラーグを殺せるなら……何だってしてやる」
「よし、では契約成立じゃな」
 続いて地響き。うろたえるグラーグとカルベネを他所に、あの時の衝撃がフラッシュバックする。
 土の下からやってくるもの。その正体を知っているのは、今度はメリダンの方だっだ。
 ドラゴンズヴァギナ。
 メリダンの窮地を救い、復讐の為にやってきた女の象徴が、床を割って飛び出しメリダンと一体化した。「何だ? 何が起きた?」とグラーグは狼狽している。メリダンの肉体に力が溢れ、鎖が紙のように引き千切れた。
「形勢逆転だねえ」
 メリダンがグラーグを純粋な腕力のみで組み伏せる。近づいてきたカルベネを蹴り飛ばし、そのままグラーグの首の骨を折る。
「おっと、きちんととどめをさしておかないとな」
 そう言って、心臓に真っ直ぐ手刀を繰り出すと、グラーグは断末魔さえあげる暇もなく絶命してしまった。
「あははは! 勝った! 勝ったぞ! あたしは無敵だ!」
 勝ち名乗りを上げるメリダン。
 それを見るグラーグの目は冷ややかだった。
「錯乱しているみたいだな。こんな状態で本当に聞きだせるのか?」
「これは内なる欲望が発露した結果です。もう少し待って安定すれば何でも聞き出せますわ」
 哀れメリダンの逆転劇は妄想に過ぎず、現実は非常だった。グラーグが部屋を出た際にペニスに仕込んでいた薬。それはドラゴンの精液と反応し、服用した者に幻覚を与え、精神を解放させる代物だった。
「苦しがっていた時の様子からして、心臓への負担は多少あったようですが、死に至る程ではなくて良かったですわ」
 と、カルベネが冷静に分析する。魔女ですら初めて造った代物だったが、効用はあったようだ。
「おい、メリダン。まずは宵闇傭兵団の構成について答えてもらうぞ」
「ふぁい……」
 目をとろんとさせ、夢を見ながら、メリダンはグラーグの繰り出す質問に対して正直に答えていった。

     


     

 似ている、とグラーグは思った。
 カルベネを襲い、フラウリーチェが命を落とした夜から、約1ヶ月が経過していた。その間もグラーグによる勧誘活動は続き、5人の新人が入団した。昼間の内に目星をつけて自宅を調べ、夜這いを仕掛けて服従させる。方法自体は変わっていないが、傭兵団を束ねる1人と1匹の間には少しずつ方針の違い出て来た。
 仲間になる以上、グラーグは見た目よりも単純な腕力や持っている技術を重視していたが、マズブラウフアはむしろ見た目や性格やらを気にして、1度などは人気の踊り子を仲間にしようとしたくらいだった。
「戦争はお遊びじゃねえんだぞ」
「人のする事などわしから見れば全部遊びじゃがのう」
 結局グラーグが折れ、兵士としていちから訓練するという手間を取らされる事となり、夜の負担も増していく。そんな矢先の事だった。
 安価で武力を提供し、迅速に任務をこなす竜根傭兵団の評判は、商人や地主達権力者の間では既に広く知れ渡っていた。特にレザナルドで戦争再開の雰囲気が高まる中、国内の治安は荒れつつあり、需要も高まっている。そんな中、ある盗賊団を解体し、奪われてきた財を被害にあった商人達で分配するという話が持ち上がり、実行部隊として竜根傭兵団に依頼が来た。竜根傭兵団は当然それを引き受けたが、盗賊団の規模が50人前後という事で、女達のみに任せるのは危険と判断し、グラーグは盗賊団のアジトが近くにあるという名も無い村に来ていた。
 特に名産もなく、交易の通り道でもなければ土地も痩せているせいか、はっきり言って貧乏な村だった。ろくな宿泊施設もないので、テントを張って泊まる。グラーグは他に10人ばかりの団員を連れてきていたが、その中にカルベネはいなかった。メリダンから聞き出した宵闇傭兵団の分析と、新しい精力剤の開発という重要な仕事があり、レザナベルンを離れる訳にはいかなかったのだ。グラーグが旅立った日には、こんな会話があった。
「沢山浮気をしてきてくださいませ」
「……なんだそれ、嫌味か?」
「いえいえ、私はあなたの妻でも何でもないので、傭兵団の強化の為にそう申し上げているのですわ」
 既にカルベネは快楽に堕ちていたが、それによってプライドが崩れているいる訳ではなかった。目的があるだけに、芯は強いのだ。メリダンの方はというと、夢の中で全てを話してしまった事を知って心は折れたが、グラーグは戦場で背中を預けるほど信用出来るとは判断しなかったようで、まだ地下に繋がれている。
 テントで一夜を過ごした朝、寝床を漁る人の気配でグラーグは起きた。
 寝転がったまま盗人の腕を掴み、目を瞑ったままに告げる。
「こんな所に金はねえぞ」
「は、離して!」
 幼く高い声、しかも女だ。少し意外に感じたグラーグが目を開ける。
 みすぼらしい服装と、手入れのされていない髪、肌は土に汚れ、風体はまるで乞食のそれだったが、妙に似ているのだ。グラーグは一瞬本人かのように錯覚し、起き上がる。
 フラウリーチェ。目の前で命を落とした13歳の王女に、その少女はよく似ていた。


 盗賊団討伐の任務は、特に問題もなく解決した。アジトに侵入してすぐの見張りとの戦闘においては、場数を踏ませる為にあえて女達にやらせ、人数が増えてくればグラーグが出た。基本的に人数で劣る戦いにおいては、撹乱と逃亡を駆使する形になる。狭所に誘うか、囲める形に持って行っての各個撃破。あらかじめ決めていた合い言葉で作戦を伝達し、統率を取って連携を組む。
 兵装としては、盾と短剣を持った者が前衛を務め、その隙間から残りが長槍で牽制する。当然相手も鎧は着込んでいるので、近接した場合は短剣で相手の鎧と鎧の繋ぎ目を狙い、一撃でも入って相手が怯めば、前進して槍部隊がトドメを刺して行く。前衛はなるべく戦闘経験の豊富な者が務め、集中力を高める為にカルベネの調合した薬も服用している徹底ぶりだ。田舎の盗賊程度が相手ならば、この戦術で人数以上の成果を上げるのは容易い。
 とはいえ乱戦になれば分が悪い。元々男女の力の差もあり、疲労も蓄積してくる為、限界はある。
 そうなってからは団長の出番であり、グラーグは1人ずつ息の根を止めていく。1人ずつと言ってもその速度は凄まじく、槍を鎧の上から馬鹿力で無理やり貫通させ、その相手の持っていた剣を奪って首を跳ね飛ばし、矢が刺さってもびくともしない。まさしく鬼神の如くに働き、朝から始まった掃討戦は昼過ぎには終了していた。
「いやはや思っていた以上にわしらの女達は強いのう。これも愛のなせる技かもしれん」
「性欲だろ」
 戦闘開始前に、今日1番活躍した者と一夜を共にすると約束させられたのをグラーグは忘れていなかった。
 とはいえ、竜根傭兵団側にも全くの被害が無い訳ではなく、何人かが斬りつけられ、怪我をした者もいた。グラーグの手前で泣き言を言う者は1人もいなかったが、全員が驚いたのはその回復力だった。擦り傷や切り傷ならほんの数十分の内に元に戻り、指を切り落とされた者も数時間後には再生していた。その傾向は竜根傭兵団に加入したのが早かった者ほど強く、原因はやはり竜の子を身ごもった事にあるらしい。
「子供が親を守ろうとしとるんじゃろ。素晴らしい親子愛じゃのう」
 と、マズブラウフアはしみじみと言っていたが、グラーグはちょっとした恐ろしさすら感じていた。
 盗賊団の財宝を村まで運び出し、遅れてやってきた商人達と勘定を済ませた頃には夜になっていたので、もう一泊だけして本拠地に戻る事になった。盗賊団には3人女が所属していたが、1人は戦闘で死んでしまった為、残った2人が新たに加入する事になった。
 それとはまた別に、朝捕まえた小さな盗人をどうするか、という問題をグラーグは解決しなければならない。子供の正体はすぐに分かった。名前をテルフィと言い、近所の農家に住んでいる女の子で、孤児だった所を拾われて育てられていたそうだ。育てられていると言っても、ろくに食事も摂らせてもらえていなかったらしく、畑や商店からの盗みで生活していた。竜根傭兵団のテントに忍び込んだのはもちろん金目当てだったが、よりにもよってグラーグのテントを選んでしまった所がどうにも不運だった。朝、テルフィは一旦家に返したが、グラーグは戦闘中にある事を心に決めていた。


「連れていこうと思っている」
 と、グラーグはマズブラウフアに切り出した。
「珍しいのう。おぬしの方からろくに戦力にならん者を仲間に入れようなどと言い出すとは」
 そう指摘されるとばつが悪くなるグラーグだったが、こう説明する。
「生活が苦しいからと言っても、たまたまやってきた傭兵団のテントに忍び込むなんて良い度胸してるだろ。将来性を買って、って所だ」
「ほっほーう?」
 顔が見える訳ではないが、その声色からして、地下にいる本体は今さぞかしにやけているだろうと想像がついた。グラーグは弁の立つ方ではないし、とっくに見透かされている。
「……ああ、分かった。認めるよ。テルフィはフラウリーチェに良く似ている。罪滅ぼしになるとは思ってねえが、あの子をどうにかしてやりたい」
 吐露すると、グラーグは少しだけ楽になった。
 あの日の夜から、グラーグの肩には今まで感じた事の無い重みが乗っていた。仲間が死んでいく事にはもうとっくに慣れていたし、敵を殺す時にも躊躇などはない。しかし自分が傷つけた人間が、意図に反した行動を取り、その結果として自分の命が救われたという事実は、暴虐と呼ばれた心にほんの少しの傷を与えた。それは竜の力で治る類の物ではなく、日に日に傷口は広がり、痛みは増していった。戦う事で忘れようとしていたが、今朝テルフィの顔を見て、それはどうにもならなくなった。
「だがテルフィを連れて行くに当たって1つだけ約束してくれ」
「何じゃ?」
「絶対に犯さない」
「ふぁ!?」
 すっかりそのつもりだったマズブラウフアからすれば、グラーグの宣言は衝撃だった。
「だから傭兵団にも加えない。俺個人の養子として育てる。大人になったら自由にさせる」
「何じゃ何じゃ。どうしたグラーグよ。急に良心と倫理観に目覚めおったのか?」
 冗談は無視し、確固たる意思で宣言する。
「ミネイル将軍と一緒で、この世には性欲の対象にならない人間もいるって事だ。この事についてお前が俺を殺すと脅すなら、構わんぜ。好きにしろよ」
 こう言われてしまっては、マズブラウフアとて無理に行動する事は出来ない。あくまでも陰茎は身体の一部であり、本体はグラーグなのだ。
「はぁ、仕方あるまい。久々に幼女の未発達な肉体を楽しめると思っていたのじゃが……」
 名残惜しそうに愚痴るマズブラウフアを無視し、グラーグはテルフィのいる農家に向かう。
 交渉はたったの数秒で成立した。金貨の入った袋を机に置き、「テルフィを引き取らせてもらう」と言う。喜んで、と農家の主人が答え、嫌がるテルフィを無理やりグラーグが抱きあげ、連行する。
「馬鹿馬鹿離せ! あたしをどうする気だこの野郎!」
「何、幸せにしてやるだけだよ」

     

 遠征から戻ったグラーグが連れていた少女を見て、カルベネは一瞬だけ呼吸を忘れた。格好や態度が似ても似つかないだけに、顔、特に目元にフラウリーチェの面影を強く感じたのだ。
「今日からここで預かるテルフィだ。飯と寝床だけ用意してくれ。訓練はしなくていい」
 グラーグは指示する。引き取られた当初は暴れて、いつ逃げ出そうかと機会を伺っていたテルフィも、ここまで来れば諦めたのか、まだ猜疑心を捨てた訳ではないようだったが、大人しくしている。
「ちょっと借りますわ!」
 カルベネがそう言って、テルフィの右手を引いて行った。
 3時間後、すっかり見違えるようになったテルフィがグラーグの前に戻ってきた。風呂で高級石鹸を使って丁寧に洗われ、カルベネが1着だけ預かっていたフラウの形見の服を着せられ、ボサボサだった髪を切り揃え手入れされたテルフィは、肌や髪の色に違いこそあれど、まさしくフラウに瓜二つだった。
 その変身ぶりに、元々似ていると感じていたグラーグですらも驚いていた位だったが、当の本人であるテルフィはというと、何故こんなおめかしをいきなりさせられるのだろうかとむしろ不安げだった。
「聞いてみたら年齢や身体のサイズまでフラウ様と同じだったので、本当にびっくりしましたわ」
 まさしく運命的とも呼べる一致だったが、フラウを知らないテルフィからしてみれば、全くの意味不明であり、これらの施しに対してどうすればいいのかと混乱している。
「かわいいのう。どうしても犯しては駄目か?」
「切り落とされたくなかったらな」
 この点に関して、グラーグの意思は固い。
 だがテルフィの不安と混乱は、その日の夜、思いもよらない形で行動に移される事になった。
 いつもの性交作業が終わり、ようやく自分専用のベッドで眠りについたグラーグに対して、テルフィの方から夜這いを仕掛けたのだ。
 服を全て脱ぎ、グラーグの部屋の入り口に立っているテルフィに、グラーグが気づく。テルフィは今までで1番の勇気を出す。
「あ、あたしみたいな子供になんて興味ないかもしれないけれど……好きにしてくれていいよ」
 この行動はつまり、テルフィがここまでの人生で無償の愛を受けた事が無いという事を示していた。ちょっとした施しを遥かに超え、人生その物を変えてしまうような援助を貰っておきながら、何の見返りも求められない事など、テルフィの人生観からすればあってはならない出来事だった。何かしなければという気持ちに苛まれたのはある意味必然だが、今のテルフィが提供出来る物などそう多くはない。もちろん、テルフィにとってそれは初めての経験であったし、グラーグをその相手に選ぶのは危険だとわかっていつつも、そうせずにはいられなかった。
「良い子じゃな。さて、どうするグラーグ?」
 マズブラウフアの問いには答えず、グラーグがテルフィに近寄る。そして手に持った毛布を肩からかけてやり、ぶっきらぼうに命令する。
「さっさと自分の部屋に戻って寝ろ」


 翌日より、傭兵団におけるカルベネの仕事の1つに、テルフィの教育という項目が加わった。テルフィは文字の読み書きも出来ないので、まずは初歩の初歩から、じっくりと腰を据えてやる事になった。戦闘に関しての訓練は、グラーグの指示通り一切しない。一緒に住む傭兵団のメンバーからは娘のようにかわいがられ、友達も出来た。村で人影に怯えながら、毎日小さな盗みをして暮らしていた時からは想像も出来ない人間らしい生活はしばらく続いた。
 一方で日を追うごとに、テルフィはグラーグの意図をますます分からなくなっていった。傭兵団に所属する自分以外の全員がグラーグと「そういう関係」である事は察しがついていたし、暴虐と呼ばれる程の荒っぽい性格であり、目的の為に手段を選ばない男である事も理解した。フラウという人間に自分が似ているという事も教えてもらったが、たったそれだけが理由であるとすれば、グラーグの行動の不可解さは増すだけだった。
「あの、カルベネさん。1つ聞いても良いですか?」
 午前の授業中。グラーグは仕事で外出している。
「分からない所があるのかしら?」
「いえ、授業の事じゃなくて、グラーグ様についてなんですが……」
 カルベネは教科書を閉じて、笑顔で答える。
「答えられる事なら、何でもどうぞ」
「どうしてグラーグ様は、あたしみたいなのを引き取ったんでしょう。何の役にも立てないし、夜の相手すら拒否されました」
 カルベネはふっふっふ、と不敵に笑い、こう諭す。
「あの人は、ああ見えて繊細な所があるのよ」
「繊細……ですか?」
「臆病、と言い換えても良いかもしれないわね。今まで沢山の死を側で見すぎたせいで、命に対して麻痺しているというのが自分でも分かっているのよ。きっと本人は人らしくあろうなんて思っちゃいないんでしょうけど、人間の心は石で出来ている訳じゃないから、どこかでバランスを取りたがっているんじゃないかしら」
 テルフィは視線を落としてじっと考える。まだ引き取られて2週間ほどしか経っていないが、暖かい部屋とお腹一杯になれる食事は、テルフィの心をゆっくりと解きほぐしていた。
「まあ、あなたはそんなに深く考えなくて良いと思うわよ。きっとあなたが無事でいるだけであの人は安心して、立派に育ってくれればいくらか気が楽になるんでしょう。さ、勉強に戻りましょうか」
 カルベネの言葉は、自分自身にも当てはまる事だった。フラウを守れなかった分少しだけ、罪滅ぼしになるとも思わないが、この子を守ってあげたいと心から願っていた。付け加えると、ちょっとした野望もある。
 魔女の技は師匠から弟子に受け継がれていく。カルベネにも師匠がいて、その師匠にも師匠がいる。だがカルベネにはまだ弟子がいない。
 カルベネは、テルフィという少女の中にに神秘の素質を見ていた。


 一方、レザナルドボンザ戦線は不気味な沈黙を守っていた。停戦協定は更新されずに終わり、現在は戦争中という状態ではあるものの、実際にまだ戦闘は行われていない。というのも、2つの国それぞれに理由があった。
 レザナルドとしては、あくまでもコルチアを守れれば良く、侵略戦争ではないという体を取っている為、相手から仕掛けて来た所を反撃し、防衛の拠点として街を占領するのが理想的な流れなのだ。1度領土を得てしまえば、戦争が終わった後に返す必要はなく、そのまま懐に入れるか、あるいは管理が難しく利益が無いようならコルチアに割譲すれば良い。しかし、一旦これが侵略戦争であると解釈されてしまうと、いざ戦利品を得た所で、その扱いに関係の無い他国が絡んでくる可能性が大いにある。つまり、「将来お前の国はうちを侵略してくるかもしれない。そうしないという証拠に分け前をよこせ」と、十中八九こう来る。よって、停戦終了といえども、ボンザから攻めに来てもらう必要性がある。
 一方で、ボンザの方は元々やる気満々であり、停戦協定終了のつい前日までは、開戦と同時にいくつかの街に攻め入る作戦書が回っていた。にも関わらず、その作戦が実行されなかったのは、フラウリーチェの逝去が公表され、ボンザ国王が心身喪失の為に幽閉されたという事件のせいだった。
 この裏には、宵闇傭兵団長スヴェイルの暗躍があるのだが、当初の彼の予定とは若干違った展開になった。
 スヴェイルの理想としては、フラウリーチェ殺害の濡れ衣を国王に着せた上で止むを得ずに処刑という正義的反乱だったが、計算違いが1つ起きた。
 フラウの遺体を護送する兵士達が、国境でレザナルド軍に捕まったのだ。レザナルドへの侵入には魔女の古道を使っていたが、脱出に際してはカルベネ不在の為に使えなかった。これによって、フラウリーチェがボンザ国外で亡くなっていた事が発覚し、国王に罪を着せる工作のタイミングを失ってしまう形になった。もちろん、遺体を護送する兵士達の脱出経路についてはスヴェイルもあらかじめ予想し、待ち伏せしていたのだが、接触直前に国境際の街に配属されたソリアンの率いる部隊がフラウ輸送中の兵士達を取り押さえてしまった。兵士達はそのまま捕虜となったが、フラウの遺体については国に返され、事実が明らかになったという訳だった。
 だが結局の所、スヴェイルの狙い自体は達成された。というのも、フラウの死去を知った国王は、その場で発狂してしまい、まともに政治を取り仕切る事など不可能になった。権力者が他人によって保護される立場になるという事は、殺される事とほとんど同義であり、これにより政治への影響力は完全に無くなった。スヴェイルにしてみれば、王さえ引き摺り下ろせばどちらでも良かったという訳である。幸いな事に女王も王女も既にこの世にはなく、血縁者もスヴェイルが既に掌握しているか殺害されている。
 結局しばらくの間、国のトップはスヴェイルとねんごろの関係にある大臣が取り仕切る事となり、宵闇傭兵団はボンザ国の中枢に入った。国家直属の部隊となる為、名称を傭兵団から騎士団に変更するべきという声も上がったが、スヴェイルはこれを固辞した。スタンスとしてはあくまで外部機関であり、助言はするが責任と決定権は持たないという立場にあえて留まったのだ。
 何故ならば、スヴェイルは最終的にボンザを潰すつもりだからだ。
 スヴェイルは計略によってボンザという国を泥舟に変えた。その船はやがて沈み、ばらばらに解体される。破片はそれぞれ跡形もなくなるまで争いを続ける。そしてスヴェイルは新たな泥舟を作り、再び戦乱の海に叩き落とす。
 スヴェイルの狙いは、戦争による大陸の支配だった。

     

 夢の中での出来事だった。
「スヴェイル、愛しのスヴェイル坊や」
 重力も空気も感じず、周りには光が溢れている。一面が真っ白な世界で、現実から剥離しているようだが確かに存在する。そこで、人の形をした影が、スヴェイルに呼びかけていた。
「はい! 何でしょう母上」
 それはスヴェイルにとって初めての経験ではない。スヴェイル側から呼び出す事は出来ないが、物理的に離れていても時々こうして夢の中で会える。しかし夢の中は不安定なので、長時間滞在する事は出来ない。
「そちらは順調ですか?」
「ええ、来週の頭には戦闘が再開される見込みです」
「そうですか。それは良かった」
 レザナルドを訪れた時よりも遥かに口調は優しく、スヴェイルはほっと胸を撫で下ろす。
「ところで母上。グラーグの行動はご存知でしょうか? もしも差し支えなければ、教えていただけませんか?」
「ええ、把握はしています」
 とだけ答え、その影は沈黙する。触ってはいけない物に触ってしまった事を分かりつつも、スヴェイルは追求せずにはいられない。
「……母上、どうして僕が奴と戦う事を禁止されるのですか?」
「あなたでは勝てないからです」
 予想外の答えに、スヴェイルは震えながら押し黙る。子供を諭すように、影が語りかける。
「あなたにはあなたの役割があります。争いをばら撒き、人間を滅ぼすという大事な役割が。それ以外の事は万事この母に任せておきなさい。必要になれば改めて指示を出します。良いですか?」
「……はい。母上」
 そう答えつつも、スヴェイルは密かに心の中で誓っていた。グラーグを戦場で見かけたら必ず殺す。そして最愛の母に、自分がいかに強いかを示してやるのだと。
 静かに闘志を燃やしながら、スヴェイルはどうかその機会が訪れるように、と願った。
 一方その時、光の世界の延長上。かなり離れた地点にマズブラウフアも降り立っていた。ここは竜の血が描く心象風景であり、竜の夢は同族達と共に見る物なのだ。何も無い空間がひたすらに続き、人間にその空虚は耐えられない。よって、グラーグもいない。
 巨大なマズブラウフアの魂に寄り添うように、薄くぼやけた、まだ形さえ曖昧な、幼い竜の影が1つあった。
 ちなみに、カルベネの持つ最も古い魔道書にはこんな記述がある。
『竜も、鼠も、魚も、虫も、あらゆる生き物は全て、かつて同じ夢を共有していた。最初に人がそこから抜け、理知に惹かれるように1つ、また1つと種がそこを抜けていった、最後に残ったのは最も気高い生物である竜だけだった』


「我が息子よ。いや、娘か?」
 マズブラウフアが問うと、小さな影はカタコトで答える。
「オトウ……サン?」
「もう言語を介しているとは、人の血が混ざっているゆえかのう。将来安泰で何よりじゃ」
「ウ? ……ウン」
 小さな影はふらふらと左右に揺れながら、マズブラウフアの存在を確かめるようにその周囲をぐるぐると回っている。
「我が子よ。お前の母にそちらから呼びかける事は出来んかのう?」
「デキル。デモ、コタエ、ナイ」
 呼んでも返事が無い、という意味だ。
「無理も無いかのう。胎内ではまだまともに人の形もしてないじゃろうからな。もう少し経てば、はっきりと何かを伝える事が出来るかもしれんが……」
 これを竜における特別な現象であると断ずるのはいささか乱暴であり、一般的な人間の親子でも、その絆の深さは誰もが知っている事だ。
「ひとつ、父から頼み事があるんじゃが、良いか?」
「ウ?」
「もしかしたら、これからお前の母は命を賭けて戦う事になるかもしれんのじゃ。その時、お前の方から力を貸してやってくれんかのう?」
 まだ生まれてもいない竜は、時間をかけてマズブラウフアの言葉を理解し、簡潔に答える。
「……ウン」
「頼むぞい。おぬしのお母さんを、内側からおぬしが守ってやるんじゃ」
「ワカッタ」
「そうかそうか。わしに似て良い子じゃのう」
 マズブラウフアの影は、その表情が見えなくてもご機嫌である事が分かった。
「オトウサン?」
「何じゃ?」
「モウヒトリ、オトウサン、イイヒト?」
「もう1人? ああ」グラーグの事まで既に理解していることに感心しつつ、「まあ荒っぽい奴じゃがな。根は悪い奴じゃないわい。度胸も根性もあるし、頭も良い。……戦闘に関してだけじゃが」
「ウン」
 小さな影は呟く。
「ハヤク、アイタイ」
「しばらくの辛抱じゃ。もう少しすれば、おぬしの兄弟達もここに来れるようにわしが案内しておく。わしも時々会いに来るしのう。母も常に一緒なら寂しくはないじゃろ?」
「ウン」


 メリダンに突き刺さったいちもつを引き抜き、グラーグは深くため息をついた。
「殺してやる」
 そう威嚇するメリダンを、嘲笑うでもなく茶化すでもなくやけに冷静な目で見つめながら、グラーグは地下室を後にする。
「で、話せたのか?」
 周囲に団員の気配が無いのを確認し、マズブラウフアに尋ねる。
「ああ、少しだけじゃったがな。思っていたより賢い子のようじゃ」
 竜の夢世界に入る為、マズブラウフアはグラーグに、メリダンを再び犯すように依頼した。1番最初に仕込んだのが彼女であり、その日から既に3ヶ月という頃合だったので、経過を観察しに出かけたという訳だった。
 マズブラウフアは、胎内の我が子に母を守るようにと教えたが、実際問題で言えば、メリダンが戦闘に参加出来るかどうかはまだ分からなかった。少なくとも現段階では、陵辱され、薬によって情報を吐かされたとはいえ屈服はしておらず、信頼のおける団員とは言い難い。
 戦力としては申し分ないのだが、裏切る可能性のある者に背中は預けられないというグラーグの判断はやはり揺るがない。
「フラウが生きておれば、今頃胎内で同じくらい育っておったんじゃがな」
 その台詞に、グラーグは何の反応も示さなかった。
「また2週間後にでもメリダンの子宮を訪ねてみる事にしようかのう。我が子の成長というのは存外楽しみな物じゃな」
 ほっほっほっ、と竜が笑った。
 激しく犯され、疲れてそのまま眠ってしまったメリダンに、どこかから声がかかる。
「オカアサン……オカアサン……」
「……誰だ?」
 自分が今、眠っている事が分かっているのに、答えずにはいられない声だ。
「オトウサン、タスケテ」
「……グラーグの事か?」
「ウン」
 2人はしばらく曖昧な会話を交わし、やがて螺旋階段を下るような眠気に落ち、別れた。
 月の物が来ず、体調も悪かったメリダンが自身の妊娠を確信したのは、その朝の事だった。食事を届けにきたサリアに対して、グラーグへの伝言を頼んだ。
「子供が出来た。あたしを戦場に連れて行ってくれ。戦って死にたい」
 それを聞いた瞬間、グラーグはメリダンの解放を決めた。これを不思議に思ったのはマズブラウフアだ。
「あれほど信頼していなかったというのに、どういう風の吹き回しじゃ?」
「奴の戦いぶりを見たくなっただけだよ」
 そう言うグラーグの顔は、ほんの少し緩んでいるようだった。

     

 いよいよボンザ対レザナルドが本格的に開戦した。ボンザ側から改めて宣戦布告がなされたが、その日の正午に起きた衝突を制したのはどちらかというとレザナルド側で、ボンザは初日から撤退戦を余儀なくされた。やはり直前に明らかになった王女の死と王の衰退が兵士達に与える戦意低下は大きかったらしく、街が1つ陥落したのはボンザにとっても手痛い出費だったと言える。
 しかしながら、戦争はまだ再開されたばかりであり、ボンザ国内に入れば不落の砦がいくつか残っており、レザナルドには有効な攻め手がなく、大量の血なくして道は拓けない。戦いは長引くだろうというグラーグの予想は的中しつつあった。
 戦争再開から3日後、竜根傭兵団とレザナルド中央商人組合の間で、以下のような取引があった。まずカルベネからの提案はこうだ。
「戦争が長引けば、レザナルド国内で手に入らない物品の需要が増し、値段は高騰します。特に薬草の類はボンザ国内にある物が種類的には圧倒的で、それらが入手出来ないとなると死活問題になる病を持つ方も大勢いらっしゃいます」
 商人組合も馬鹿ではない。これに関しては先に手を打っており、必要となるであろう物品に関してはあらかじめある程度の量を確保してある。商人組合代表者は余裕を持って答える。
「いやぁ実に由々しき事態ですなぁ。平和を愛する商人組合としては、一刻も早い戦争の終結を……」
「奪われますわよ」
 代表者の言葉を遮り、カルベネの口調は一転脅しを含む。
「商人の方々はこの度の戦争、儲けるチャンスくらいにしか思っていないのでしょうが、それは戦争がせいぜい3、4年で終わった場合の事です。しかし今回の『長引く』は桁が違います。場合によっては30、40年。他国も巻き込めば、物品の需要は到底読みきれる物ではなくなりますし、在庫にも限界がありますでしょう」
 そう断言するカルベネに、代表者は粘着質な口調で訝しげに問う。
「何故そう言い切れるんですかねぇ?」
「ボンザは今、首を失った1匹の竜です。しかしこの竜、タチの悪い事に生命力だけは満ち溢れていて、勝利には貪欲と来ている。王が不在である以上降伏は許されませんし、その体内には戦乱を好む反乱分子が潜んでいます。この国を攻めきるのは並大抵ではありません」
 事実、初日の衝突で双方に多くの犠牲者を出してからは、各地での小競り合いこそあれど、目立った戦いは起きていない。この段階での死が無駄死にである事は、現場の兵士達も指揮官達も分かりきっている事だった。
「で、ですが、レザナルドの軍部には力がありますよぉ」
「ですから、貴方達の財産が奪われると言っているのです。戦況が煮詰まり、国内での生産が追いつかなくなれば国は貴方達の財布の中身に目をつけます。有事において、軍事力の強みは金銭の強みに優先しますわよ。それとも、継ぐ者の安否も不明確な隠し財産でも拵えますか?」
 ごくり、と息を呑む代表者。それまでずっと沈黙を守っていたグラーグが、呟く。
「いいから俺らに投資しろ。損はさせねえよ」


 竜根傭兵団が商人組合に提供する物は以下の2つ。商人組合にだけ提供される極秘の交易ルート。ルートを通る際の護衛。つまり戦時における敵国との窓口として、武力による安全弁を確保出来るという特権だ。
 逆に竜根傭兵団が商人組合に要求した条件は以下の2つ。傭兵団によるボンザ国マシアの占領をレザナルドに黙認させる事。マシア占領中の物資の供給。特に重要なのは1つ目で、これには金を背景にした政治力と絶妙なバランス感覚が必要になる。
 しかしながら、レザナルドという大国家とて、ありとあらゆる全ての状況を予測して対応出来る訳ではなく、当然重要な点とそうでない点は分けて戦略を練っている。少なくとも戦争最序盤における現在ではマシアは要とは見られておらず、正規軍ではないとはいえレザナルド側につく意思のある傭兵団が確保している状況ならば、見過ごしてもらえる算段はつく。ずっと、という訳にはいかないが、それは占領中に『結果』を出せば良い話である。
「いやぁこれにて交渉成立ですなぁグラーグ氏。これから一杯どうですか、奢りますよぉ」
「明日の準備がある。遠慮しとこう」
 信頼を得る為にもここは誘いに乗るべきだ、というカルベネの合図は無視された。
「それにしても羨ましいですなぁ。女だらけの傭兵団とは」
 代表者がずいっとグラーグに近づき、小声で尋ねる。
「どうです? 何人か見繕って一晩お貸し頂けませんかねぇ? 特にあの秘書の方なんて理知的な割りに豊満な身体で、とても魅力的なんですがぁ……」
 下卑た笑いを浮かべる代表者に、グラーグは告げる。
「……やめとけ。あんたがどの程度の物かは知らねえが、俺の後じゃあ失望されるだけだぜ」
 こうして、グラーグの戦いの前段階である商人組合との交渉は円満に終わり、いよいよもって明日、田舎町マシアに向けて竜根傭兵団は出発する事となった。
 現時点において、竜根傭兵団の団員は29名。うち25名が既に妊娠しており、胎児との意思疎通が出来るのはその中の9名。戦闘経験については個々のバラつきがあり一概には言えないが、団結力では他に類を見ない集団と言える。
 交渉の翌日、中庭に全員を集めたグラーグが演説を行った。
「今日、俺たちはマシアに攻め入る為にこの本拠地を発つ。次にいつ戻って来れるかは分からねえ。いや、戻って来られねえかもしれねえ。だがな、俺は、俺達なら、この戦争を生き残れると信じてるし、その為にすべき事はやってきたつもりだ」
 おもむろに下穿きを脱ぎだすグラーグ。威風堂々と勃起するそれを女達に見せつけながら宣言する。
「戦う理由は人それぞれあるが、お前らの動機は『これ』だ。それは分かってる。だが俺はその理由が不純だとは思わねえし、そもそも最初に求めたのは俺だ。悪いとも思ってねえ」
 グラーグのいちもつに釘付けになる女達。しかしその耳はグラーグに向けられている。
「黙って俺について来い。快楽と勝利の両方を与えてやる」


 マシアの攻略にはそれから約1ヶ月間という時間を要したが、危ない局面はほとんど無かった。高地にあるマシアは、北側を崖、南側を山に守られ、そこに通じる道も密林が生い茂り、周囲には野生動物や蛮族が蔓延る未開の村である。数百年前にボンザの者が殖民して以降、戦争の最中であってもその存在はことごとく無視され、マシア内部から見れば貧しいながらも平和な暮らしが続いていた。
 高低差があり、自然に囲まれた立地は非常に攻め辛く、また、戦略的に重要な場所でもなく、特に鉄等の資源の算出が見込めるという訳でもないという事もあり、ボンザ国内においても知らない人間の方が多いくらいの過疎地だ。
 しかしそれは、ボンザが攻められている間だけの話であり、いざレザナルドへの反撃に転じようと考えた時、ここは非常に重要な拠点となり得る。地の利を持ち、わざわざ新しく砦を建てなくても自然が味方してくれるという条件は宿営地としては最適であり、他国から横っ腹を襲われる心配もない。手中に収めておきたい駒という訳だ。
 攻略に必要だった1ヶ月の内、ほぼ9割が密林におけるサバイバルだった。カルベネによる的確な進行方向の指示と、蚊と疫病の対策。密林での行軍は体力が必要となる為、日々の食事での栄養には全員が工夫を凝らした。そして何よりも精神力。いつ草むらから何が襲って来るかもしれない状態での緊張感を保った移動。死の恐怖との戦いの中で、目的地への戦意を失わせない配慮。これは夜にグラーグが1人で代わる代わる全ての女を相手した。
「グラーグよ、おぬしも女の悦ばせが上手くなってきたのう」
「あ? そうか?」
「やはりわしの教え方が上手いんかのう」
「今度はドラゴンの雌の口説き方でも教えてくれ」
 マシアに辿りついた日の明け方、勝敗は極々僅かな時間で決した。人口100人ばかりの村であり、そこに住む男達はほとんど農夫で、戦闘の経験など無い。突如現れた30人の精鋭集団の前には木偶の坊も良い所で、成す術なく屈服する形となった。
 男、老人、子供はその日の内に全員が村の外へ退去させられ、女は人質として残された。もちろん、そんな女達に人質としての価値は無いが、グラーグにとっては利用価値がある。言わずもがな、だ。
「さて、ここからが本番じゃな」
「ああ、奴らがこの誘いに乗って来なけりゃ骨折り損だ」
 あくまでもグラーグの狙いは宵闇傭兵団の迎撃と壊滅。占拠したものの、無視されてしまっては意味がない。
「だが、やれるだけの事はやっておこう」
 と、グラーグはカルベネの立案した作戦書に目を通しながら呟いた。
 竜根傭兵団によるマシア占拠から10日後。第一報を受けた宵闇傭兵団本拠地で、テーブルを力任せに叩き割るスヴェイルの姿があった。
「グラーグ……! お前の宣戦布告、確かに受け取った」

       

表紙

和田 駄々 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha