Neetel Inside ニートノベル
表紙

素晴らしき世界
01.開幕

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 いたずら好きの子供がペンキを部屋中にぶちまけたように、酸化された血があちこちにはねている。壁から床まで、避けて歩く方が難しいほどの状態。遺体以外手付かずの現場。
 朝の団欒を迎えるはずだった食卓が一転地獄になるとは、手を下したやつ以外は想像もしていなかっただろう。
 本来朝食が乗るはずの皿にはワインよりもどす黒い血が入っている。部屋に充満するむせ返るような鉄のにおい。見えないなにかに上から押し付けられたような、呼吸することが辛いと感じる異様な雰囲気。朝の目覚めにはあまりにも重い。空っぽのはずの胃が暴れ出して、嘔吐物を地面に生産しそうだ。
 外では新人が背中をさすられながらげーげーえずいているだろう。いつもならこれくらいのことで、と叱り飛ばすところだが、今回は無理もない。経験がある俺ですらいっぱいいっぱいの状況だ。
 ガイシャの状態もこの重苦しい雰囲気に拍車をかけていた。遺体は計三体。ここで農家を営んでいた夫妻と、そこで雇われていた若い家政婦。遺体はそれぞれ切断されており、部屋中に散乱している状態だった。
 一人は首から上が胴体から切り離され、もう一人は手足がなくダルマ状態。最後の一人は切り取られた顔がズダズダにされており、ご丁寧に体の隣に置かれていた。メイドのような格好に特徴的な金の髪をしていなければ身元を割ることはできなかっただろう。
 第一発見者はこの家の一人娘。前日から友人の家に外泊しており、今朝早くに帰宅し、発見。ショックによりまともに話すことは難しく、現在病院にて療養中。
 周囲に聞き取りをしたところ、ガイシャのひとりである主人、ロイド・アルマークは元傭兵で剣聖と呼ばれるほどの強さを持っていたらしいが、今は完全に剣を置き、ここで汗水流しながら農作業をしていた。奥方は生まれから今まで農家。旦那のように劇的な転身もなく、関係者から聞く彼女の印象はどれも好意的なものばかりだった。
 旦那の元職業柄、恨まれてもおかしくはないが、ここに居を構えてから既に十年以上の年月が経っており、今まで大きなトラブルもなく夫婦共に恨みを買うような人ではないと、誰しも口をそろえて言った。
 あとひとりのガイシャであるステラ・ミセラという家政婦は、ここ半年でアルマーク家に雇われた人物で、こちらも仕事熱心で真面目だという話ばかりで、当人にも周囲にもさして問題はない。第一発見者の娘とはまるで実の姉妹だと思われるほど仲が良かったようで、親だけではなく、姉と慕っていた人間も同時に失ったそのショックは外野が想像するものよりはるかに大きいものだろう。
 定石だと第一発見者をまず疑うが、帰宅以前のアリバイがあり、その裏も取れている。これは私見になるが、ひとりの少女があの気が狂った現場を作れるとおもえない。いくつか死体を見てきた自分でも、あんな見るも無残な状態になった人間を現場で見たのは初めてだ。
 第二発見者はヨシュア・リリーレインと名乗る青年。彼は収穫を手伝うため、早朝からアルマーク家に訪問。そこで第一発見者と現場を発見、通報した。
 結局有力な容疑者は浮上せず、犯行に使われた凶器すら発見することができないまま、第一発見者である娘の失踪によって事件はうやむやな状態で闇へ葬られた。

     

 ▼

 見慣れた扉の両隣りには髭を蓄えたひょろ長い警官と、それとは正反対の屈強な警官が立っていて、その間から見えるまるで地獄のような悲惨な状況を事実だと認めることは脳が拒否した。強く握った右拳、手のひらに痛みが走ると、これは現実なんだと誰かに突きつけられたように感じた。
 つい昨日まで話していた人間が一夜明けて物言わぬ冷めた塊に。涙が出ないのは受け入れることができないからなのだろうか。それとも感情が死んだのだろうか。

 昨日、稽古をつけるかわりに収穫を手伝えという交換条件をアルマーク先生に告げられた。
 瀕死状態の自分を助けてくれた恩人であり、剣の師である先生の言うことは自分にとって絶対であり、この身体で何かを返すことができるのは願ったり叶ったりだとおもえた。
「収穫は朝からだ。寝坊するんじゃないぞ」
「今日は早めに寝なさいね」
 それが俺の聞いたアルマーク夫妻の最後の言葉になった。
 昔は血で血を洗い流すほど凄腕の傭兵だったらしいが、今は寡黙な田舎の農夫が板について、そんな過去を持つ人には見えない。しかし鍬から鍛錬用の木刀に持ち帰ると、先生の雰囲気は朝と夜ほどがらりと変わる。
 そんな先生とは真逆の柔らかな空気をまとった夫人は、他人である俺をまるで実の息子のように気をかけてくれて、肉親のいない自分にとって夫妻は実の親当然の存在だった。

 まだ日も昇りきっていない早旦、眠たい目を冷水でこじ開けて先生の家に行くと、玄関先でへたり込む人影があった。
 急ぎ駆け寄ると、先生の娘であるフィオーネが半端に開けられた扉の前で青ざめた顔で放心状態になっていた。
 肩を掴み、大丈夫か、と問いかけるが、華奢な身体を震わせてその場を動くということができないようだった。地面には水よりも粘っこい、つんと鼻にくる薄黄色の液体が零れていた。
 説明ができない、妙な違和感があった。扉の隙間から見える家の中はどこか暗く、顔を近づけると鉄のにおいが鼻いっぱいに広がった。
 動くことのできない彼女を壁にもたれさせ、意を決して扉を開ける。
 朝にはふさわしくない重苦しい、首を絞められるような圧迫感と、むせかえるようなにおいが襲いかかってきた。咳き込むほどの酷い空気に、おもわず下をむき腕を口にあてながら進む。再び顔を上げて食卓であるはずのそこを見渡すと、全身から血が抜け落ちていくような感覚と、恐怖や不安といったものが一つになって体を走り抜けた。
 一言で表すと、そこは地獄絵図だった。

 俺はあれを知っている。獰猛な獣が腕を振り下ろしてつけたかのような三本の爪跡。あの日見たものと一緒だ。
 思い出したくもないのに、焼印のように目に、脳裏にこびりついている。
 これは母と妹の仇だ。今はもう亡き故郷で見た、二人の亡骸と共に刻まれた跡。
 こいつはまた俺から大切なものを奪ったのか。その爪で。
 全て奪うのか。その爪で。

 ▲

     

 バラバラ。
 バラバラ。
 バラ、バラ。
 薔薇。薔薇。
 真っ赤な薔薇が咲いたよ。
 とっても綺麗で、どうしても君に見せてあげたかったんだ。どうだい?
 僕的にとても上手くできたとおもうのだけれど、欲をいえば本数が足りなかったかな。
 一輪でも十分に魅力的だけど、薔薇は多い方がより美しく映える。
 うん。やっぱりそうだよ。ならこれは失敗作だ。
 駄目だ。駄目だ。駄目だ。
 あぁ、酷く怯えてしまって、そんな顔をしないでおくれよ。
 僕の愛しい……

       

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