Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシュガルド冒険譚
微かに燻る戦禍の火種:2

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 木々があまり生い茂っていない広場で子供たちの歓声が湧き上がる。
 「…ロビン」
 ある子供は木登りに興じ、ある子供は木の実を口にしている。また別の子供たちは森の更に奥地に行こうとしてロンドに止められている。
 人間が多いが、その他にもエルフ族と思われる女の子や鳥の羽を生やした男の子もいる。
 さすが、種族のサラダボウルである。
 そんな様子を見ながらシンチーはロビンに尋ねた。
 「これは冒険ですか」
 「いやぁ、こういう牧歌的な光景も取り入れた方がいいかなと思ってね」
 隣でため息をついた従者をよそにロビンはバグバグの実を口にしようと手を伸ばした。
 その時だ。
 「なーなーおじさん、おじさん!」
 足元で元気な声がした。
 見ると、2日ほど前に風俗街に侵入しようとしていたのを自分たちが防いだあの子供ではないか。
 またおじさん呼ばわりか、と内心傷つきながらもロビンはその子どもに目線を合わせるべく腰を落とした。
 確かフリオという子供だ。名前は忘れたが秘密結社のリーダーだそうだ。
 フリオの他にも三、四人の子供が好奇の目でロビンとシンチーを見ている。うち一人は犬型の亜人だ。
 「おじさんって冒険者なんだろ!?なんか話してよ!」
 そういえば、この子も冒険者になりたいと言っていたな。シンチーはフリオを見下ろした。
 冒険というキーワードでケーゴのことを思い出して少々しかめ面気味である。
 それに対してロビンは、それはもう嬉しそうに自分の冒険劇を語りだした。
 初めての冒険のこと、遺跡で大きな岩に追いかけられたこと、ジャングルを横断した時のこと。
 隣で聞くシンチーの脳裏にもさまざまな情景が浮かんでは消えていく。
 彼女も共に歩んできた。二人の軌跡。
 改めて語られると気恥ずかしいものがある。
 思えば長いことやってきたものだ。
 フリオたちも目を輝かせて彼の話に聞き入っている。
 シンチーは少しだけ頬を緩めた。

 それに対して、浮かない表情を浮かべるのはロンドだ。
 実は先日の地下通路での事故以来、フリオとまともに話していない。
 実は、今日の遠足はフリオのためを考えたことでもある。
 ミシュガルド大陸の交易所内で両親と共に暮らす未成年は親と一緒でなければ外に出ることができない。だから、冒険好きのフリオのために交易所の外に出ることにしたのだ。
 少しでもフリオが自分に懐いてくれれば、と思ったのだが、思い通りにはいかないものだ。

 先日、なぜか今日の遠足に同行しているロビンたちに学校を建設するという計画を打ち明けられた。
 もし、この計画がうまくいけば、自分は教師役として教壇に立つことになる。
 その自信が、ない。
 今まで自分に見せたことのない笑顔をロビンに見せるフリオを見ていると、教師には向き不向きがあって、自分は不向きのタイプなのではないかと思ってしまうのだ。
 もともと教師を目指していたわけではないし、ある意味殺人鬼と犯したことは変わらないであろう自分が未来ある子供たちと関わる資格はないのかもしれない。
 それに比べてロビンと彼の話を聞く子供たちの楽しそうなこと。

 要は彼が羨ましいのだ。
 
 ベストセラー『戦禍』の著者であると聞いている。
 年は自分と二回りは若いだろう。一見すると酒場でよく見る冒険者と何も変わらない。
 しかし、あの『戦禍』の著者ということは、相当の辛苦を味わっているということだ。それでもなお、彼は筆を執り続けている。
 何が彼を突き動かすのだろうか。自分のように過去から逃れようとしていないのだろうか。
目を向けると、ロビンがリュックにぶら下げていたランタンを子供たちに見せているところだった。
 ラントンに明りが灯り、子供たちの歓声が上がった。
 と、そこでロビンの後ろに控えているシンチーと目があった。
 亜人は苦手だ。科学者だったころに兵器開発の犠牲になった者たちの嘆きが頭によみがえるから。
 ロンドは思わず目をそらしてしまった。

 あぁ、この後ろめたさが自分の中から消え去らないものか。


――――

 機械兵は一見すると全身鎧のような姿をしている。しかし、その鎧の中には人間は入っていない。
 人間の眼球にあたる部分は赤い照明が光る。腰の部分は人間よりも細く、背後からの攻撃にも対応できるように人間よりも回転するようにできているらしい。
 蒸気機関を応用しているため、定期的に蒸気を噴出するのが玉に傷だ。潜伏中には目立って仕方ない。
 まだまだ改善の余地があるが、ともかく先の戦争で主力部隊を失った皇国の新たな戦力である。
 アルペジオとラナタの捜索班にはこの機械兵が三体支給された。二人と三体から構成される班ということになる。

 すでに森の中を探索している。もうすぐ件の襲撃場所である。
 森の中は想像以上に暗く、昼間だというのに足元を照らさなければなにかに躓いてしまいそうだ。
 開拓が進んでいないため、道なき道を進まなければならない。それが行軍を遅らせている。
 あるいは交易所側からならもう少し道ができているのかもしれない。しかし、防衛上、開拓者を簡単に駐屯地に近づけるわけにはいかないのだ。それが仇となった
 銃剣を携えた三体の機械兵は自分たちの後ろを歩調乱さず歩く。それを振り向きざまに見ながらラナタはため息をついた。
 「時代も変わったものだな。まさかこんな鉄人形と戦場に、しかも文字通り‘同行’するとは」
 「甲皇国の技術は世界随一ですから」
 アルペジオはそう言い切る。
 「信頼しているのだな。私たちの故郷を」
 「もちろんです」
 即答。ラナタはそんなものか、と一人肩をすくめた。
 別に彼女とて皇国の技術力の高さを否定したいわけでも、それを疑う訳でもない。傭兵として自分が属する国の力が強いことは望ましいことだ。
 ただ、なんとなく機械兵は好きではないのだ。
 一騎打ちがラナタの主な戦闘スタイルだ。一対一の命の奪い。相手の闘気と自分の闘気がぶつかり合い、それが彼女の中の快感を醸成する。
 強敵であればあるほど彼女の闘気は膨れ上がる。そして、敵に打ち勝った瞬間体内に凝縮された快感が弾け、全身を駆け巡る。その感覚がたまらなく好ましい。
 その闘気というものが機械兵からは全く感じられない。ラナタはそれが嫌なのだ。命を奪い合う訳ではないがそんな覇気のないものと一緒に行動すること自体、納得がいかない。
 「そういえば、アルペジオは戦時中も皇国軍にいたのか?」
 「えぇ、当然です。私の命は常に将軍様と共にありますから」
 将軍様というのは、このミシュガルド大陸調査の全権を任されている甲皇国将軍にしてミシュガルド調査兵団総司令官であるホロヴィズのことだろう。
 ラナタも一度だけその姿を見たことがある。戦時中、甲皇国が精霊国家アルフヘイムに総攻撃を仕掛けようとした際に、演壇で高らかに皇国の勝利を予言していた。
 その素性は全く明らかにされていない。将軍を初めて見たラナタは何の冗談だ、と内心毒づいたものだ。嘴のついた髑髏をかたどった仮面で顔を覆い、服も真黒なローブといういでたちなのだから無理もない。
 しかし、その手腕は確かなものでアルフヘイムを降伏寸前まで追い込んだのである。もっとも、そのアルフヘイムのエルフが禁断魔法を用いて国土もろとも甲皇国の攻撃部隊を消し飛ばしたため、戦争は停戦にまでもちこまれてしまったのだが。
 ラナタがその時死ななかったのは、偶然後方の部隊に組み込まれていたからに過ぎない。
 上級傭兵であるにもかかわらず、彼女はその時軽んじられたのだ。女で、傭兵で、しかも貴族階級出身でないからである。
 しかし、そうした扱いが彼女の命を救い、武功を急いだ正規の兵士たちは命を落とした。皮肉なものである。
 と、そこで気づいた。
 ラナタの隣にいる少女は正規兵だ。そして、戦時中も軍に属していたという。
 ではどこにいたのだろうか。
 それを聞こうとアルペジオの方を向く。当のアルペジオはたまに見せるあの不快そうな表情を顔に浮かべていた。
 同室になってからしばらくたつが、この表情についても詳しく聞いたことはなかった。たまに見かけるのだ。なくしものを探しているかのような、焦り、寂しさ、悲しみが入り混じった顔を。
 「ラナタ…?」
 「あっ…いえ、大丈夫…です」
 「そうか。調子が悪いなら早めに言ってくれよ」
 「ありがとうございます」
 うってかわって、アルペジオはラナタにクスリと笑って見せた。
 その笑みの理由がわからず、ラナタは眉をひそめる。アルペジオはそんな彼女の気持ちを汲み取り、口を開いた。
 「ラナタさん、優しいですよね」
 「…は?」
 予想外の言葉だ。
 アルペジオは続ける。
 「たくさんの功績をあげた傭兵なんていうからもっと怖い人だと思っていたんです。でも本当はすごくいい人だな、と思って」
 「…そうか」
 そう短く返すとラナタはふっと笑みをこぼした。

 数多の戦場を駆けてきた。沢山の死体を積み上げてきた。多くの戦友を亡くしてきた。
 全身を血に染めているようなこの自分に向かって、この少女は優しいと言うのだ。
 アルペジオとて軍人だ。ラナタの歩みは想像に難くないだろう。戦地で功績を積み上げるということは、つまりそういうことだ。
 しかし、それでもなお、自分に向かって微笑んでくれる新しい友人を大切にしようとラナタは思うのだった。

     

――――

 ロビンの話も一段落し、子供たちはめいめい他の遊びに興じ始めた。
 少しだけ子供たちから距離をとっていたシンチーはまた主の傍らへと戻る。
 ロビンは子供たちが遊ぶ光景を書きとめようと、例のごとく紙とペンを取り出した。
 本当にこのシーンを採用するのか、と思いながらシンチーはロビンの手元を覗き込んだ。
 そして、そこに書かれていた文章を読むと、弾かれたように頭を上げ、目の前の光景をまじまじと見つめた。

 まるで意識していなかった。

 『今、この場では人間も獣人もエルフ族も関係ないのだ。友達に種族の差はないと子供たちは遊びながら我々に教えてくれている。』

 「…どうしてこんなこと」
 声が震えている。動じているのだ。
 「さぁ、なんとなくさ」
 そうシンチーに答えながら子供たちを眺めるロビンの群青の瞳は優しさに満ちている。
 やられた、とシンチーはきゅっと唇をかみしめた。
 「牧歌的な光景」とロビンは言ったが、もとからこれが狙いではないだろうか。だから青空教室の遠足にわざわざ同行したのだ。
 この人の優しさにまんまとはめられたのはこれで何度目だろうか。
 ケーゴのように直接真っ直ぐな言葉をぶつけることは決してしない。それに思わず心地よさを感じてしまう。
 ずっと甘えていたくなってしまう。
 思いきり彼に体を預けたくなってしまう。
 
 だけど、それはきっと超えてはいけない一線なのだ。
 
 何か言おうとシンチーが口を開いた時だ。
 「っ!」
 視線が彼女を貫いた。
 亜人ゆえの鋭敏な感覚でそれを感知したシンチーは即座に警戒態勢をとる。
 シンチーの変化にロビンも気づき、彼女が殺気を向ける先に目をやる。
 深い森。茂みのさらに奥で一瞬何かが光った。
 それは本当に一瞬のことで、2人はそれの正体に気づけなかった。
 ロビンとシンチーが硬直したまま謎の視線の主の気配を探っていると、焦れたようにもう一度、今度は心なしか長めに光が走った。
 そこで2人は瞠目した。
 
 ――放電だ。

 2人はこの森に住まう雷を放つ獣を知っている。
 だが、わざわざ姿を見せる理由は何だ。
 この獣は光明に罠を張るのだ。森の知将に二人は警戒をさらに強める。
 よもや狙いは子供たちか。厄介な2人をこうしてひきつけておく間に他の生き物たちが、とも考えたがシンチーが察知する限り周りにそのような気配はない。
 と、2人が逡巡していると三度目の放電が行われた。
 今度は獣の3つの眼がはっきりとみてとれた。
 薄暗い森に光るその眼はこちらを誘っているように見える。
 ロビンとシンチーは顔を見合わせた。
 シンチーはロビンの命に従うつもりのようだ。表情がそう訴えている。
 ロビンはロンドに目くばせした。
 二人の緊張した様子に気づいていたようで、ロンドは生徒たちを自分のもとへと呼び寄せ、バグバグの実の説明を始めた。
 いざという時のために生徒を自分の近くに呼び寄せる。悪くはない。
 ロビンはごくりとつばを飲み込み、茂みの奥へと足を踏み入れた。シンチーもそれに続いた。


 「もう少し早くこちらに気づいてもよいとワシは思うのだがの」
 三つ目に狼の体躯をした人語を解する獣、ヌルヌットは開口一番そう不満を述べた。
 「申し訳ないね。まさか生きているとは思っていなかったから」
 「あの程度でくたばるワシではないわ」
 ロビンの軽口に対して獣は忌々しげに吐き捨てた。
 まさにこの森の中で、ケーゴの放った魔法によって打倒されたと思っていたのだが、とシンチーはヌルヌットの体をしげしげと見つめた。
 薄暗い森の中だが、ヌルヌットの体毛がざんばらに乱れているのがわかる。どうやら無傷というわけではなさそうだ。
 「…それで、何の用だ」
 ロビンが固い声音で尋ねる。空気が張り詰める。
 「…そう警戒するでない。今日はウヌらに話があったのだ」
 剣を今にも抜こうとするシンチーを視界に入れながらヌルヌットはそう語った。
 まぁそうだろうな、とロビンは内心呟いた。この獣は不意打ち闇討ちが常套手段なのだから。
 だがそれを口には出さない。その言葉が油断となってヌルヌットの追い風となりかねない。なにせ相手が何を考えているのかわからない。
 剣を抜くな、しかし臨戦態勢は維持するように、とシンチーに目で伝える。
 そんな警戒心が伝わったのだろう。ヌルヌットはクツクツと相変わらず下卑た笑いをする。
 「安心せい。今はウヌらの首は狙っておらぬ」
 「今は」という言葉に引っ掛かりを覚えるが、ロビンは話を促した。
 「それで、話とは」
 「うむ。…最近人間がこの森の開発を進めていてな」
 それは構わないのだが、と付け加えてヌルヌットは話を続ける。
 「人間たちが奇妙な物体を使っていたのだ」
 「奇妙な物体?」
 「独立走行する鎧、とでもいえばよいのかのぅ。人間の命令に忠実に従い、完全に遂行する。あんな代物は見たことない。ウヌらは何か知っておるか」
 「自動で動く鎧…?」
 ロビンは唸った。全く聞いたことがない。シンチーの方へ眼をやるが、彼女も首を横へ振る。
 「ウヌらも知らぬか…。後学のためにあれが何か知っておきたかったのだがのぅ。…なにせわしはウヌら以外の人間を知らないのでな」
 他の者共は全て胃袋に収まったわ。
 ニヤリと犬歯をのぞかせるその姿にロビンとシンチーは不快感をあらわにする。
 だがここでつまらない挑発に乗ってはならない。
 「…いずれにせよ、先端技術を使っていることには間違いない。そうなれば、その鎧の開発元はなんとなく見当がつくな」
 冷静に検討するロビンに対してシンチーも頷く。
 「甲皇国ですね」
 魔法を駆使する精霊国家アルフヘイムに対して、甲皇国は機械工学を発展させてきたのだ。
 「ほう、あの兵団はその国のものであったか。甲皇国には聞き覚えがある」
 「それで、その鎧はどうしたんだ」
 ロビンが尋ねるとヌルヌットはフン、と鼻を鳴らした。
 「所詮は紛い物の兵よ。森の虫たちに翻弄されていたところを人間共々屠ってやったわ」
 ロビンとシンチーの背中に冷たいものが駆けた。やはりこの獣は敵なのだと本能が警告する。
 「いずれにせよ、あの程度の代物ではまだまだ、この森も安泰だろうて」
 ニヤリと笑って見せる。
 あくまで興味本位の質問であったようだ。どうやら甲皇国が誇る最新技術を駆使した機械兵もミシュガルドの原生生物にはまだ及ばないらしい。
 「…それじゃ、質問タイムはおしまいだ」
 いち早くその場から離れたいロビンが、用は済んだとばかりにそう言って後ずさろうとした。
 その時だ。
 「――ワシに手傷を負わせたのはウヌらだけよ」
 低い唸りがロビンを刺した。
 緊張感がいや増した。
 ヌルヌットの三眼には先ほどまでの嘲弄は余裕は驕傲はすでになく、憤怒が憎悪が殺意が宿っている。
 ロビンとシンチーは呼吸すら隙であるかのようにその殺気に耐え続けた。
 獣とのにらみ合いが数刻続いた。
 子供たちの笑い声が遠くに聞こえる。
 思えばあの茂みが日常と非日常の境だったかのようだ。
 
 緊張感を解いたのはヌルヌットだった。
 獲物を値踏みするようにうっそりと目を細める。
 「…まぁよいわ。今日はこれで戻るとしよう」
 だが、今度この森で会ったときは今度こそその首食いちぎってくれる。
 そう言い放ち、ヌルヌットは森の奥へと消えた。
 重圧から解放され、ロビンは深く息を吐いた。肺が空になるようだ。
 「…危なかったですね」
 「とはいってもあそこで呼びつけに応じていなかったらそれこそ子供たちが危なかったからね」
 もしヌルヌットと戦うことになったとしたら、やはりロンドたちを盾に使われていただろう。
 「見逃された、ともいえるだろうね。もちろん彼がまだ全快でないのもあるだろうけど」
 狡猾ゆえにリスクは背負わない。前回の戦いもヌルヌットが負けたのはロビンの介入にもかかわらず深追いをしたからなのだ。もはや同じ轍は踏むまい。
 「とにかく、この森は危険だね」
 「えぇ、もう遠足には来させないようにしないと」
 首肯しようとして、しかしロビンはしげしげとシンチーを見つめ返した。
 「なんですか」
 主のその目つきに眉をひそめてみせる。
 「いや、君が俺じゃなくて先にあの子供たちを心配するのは意外だったからね」
 シンチー自身も無意識の発言だったのか、返答に窮した。

     

――――
 
 「はぁあっ!!」
 ラナタの凛とした声が森に響く。
 一閃、振り下ろされた剣が甲殻虫を叩き切る。
 シンチーとケーゴも襲われたシェルギルという虫だ。一匹一匹はさほど脅威ではないが、群れで襲ってくるからたちが悪い。
 「ラナタさん!」
 アルペジオが細身の剣を手にラナタの名を呼ぶ。その間にもシェルギルが襲い掛かってくるが、剣を振り回してそれを必死に振り払う。
 「アルペジオ、私から離れるなよ…!」
 ラナタは剣を強く握りしめた。


 そろそろ宵闇が森を包むだろうかといった時分、突如として得体のしれない虫の群れに囲まれた。突然の敵襲に応用力を欠く機械兵たちは右往左往するばかりである。
 故にラナタとアルペジオが二人で応戦することになってしまったのだが、ラナタは視界の隅に映るアルペジオに違和感を抱き始めていた。
 戦い方が手本に忠実すぎると言えばいいのだろうか。形式的な訓練だけを受けてきた新兵が現実に振り回されているようだ。
 あのままではいつか大怪我をする。そう判断したラナタはアルペジオのフォローをしつつ戦うことを強いられる。
 だがラナタ一人にすべての負担がかかるその戦法は持久戦に向かないのは火を見るより明らかであった。
 「アルペジオ!少しづつでいい、この場から離れるんだ!機械兵、私に続け!!」
 そう叫び、走り出す。
 アルペジオはその声に応え、必死に歩を進めようとするが虫たちに阻まれ思うようにいかない。
 むしろ、虫たちによって別方向へと誘導されているようでもある。
 次第に2人の間に距離が生まれ始める。
 「ちぃ…!!」
 舌打ち。あるいはそれが他の兵であるならラナタはその一人を見捨ててでも前に進んだだろう。彼女自身の実力ならそれが可能だし、機械兵たちは命令に忠実であるため多少の欠損など気にもかけずラナタについてくるはずだ。
 しかし、今危機に陥っているのはアルペジオなのだ。
 どうしても、親友を見捨てることはできなかった。
 ラナタはアルペジオの名を叫ぶが早いか、彼女のもとへと駆けた。

 アルペジオとて、ただ襲われているわけではない。
 剣で応戦してはいるのだが、なにしろ数が多い。ラナタのように全方位に斬撃を加えつつ目的方向へと移動するだけの技術がないのだ。
 結果、徐々にシェルギルたちに追い込まれる形になってしまっている。
 体中が虫の体液で汚れている。だがそれを気にかけている場合ではなかった。
 すでに息も荒く、虫たちへ反応も鈍くなり始めている。
 ついにアルペジオの脚ががくり、と崩れた。その一瞬の隙をついてシェルギルたちが飛び掛かってくる。
 「…っ!!」
 眼前に虫の強靭な顎が迫っていた。
 もう間に合わない。アルペジオの四肢が硬直した。
 「はぁあああああっ!!」
 その絶叫が耳に届くのが速いか、虫たちが真っ二つに切り裂かれるのが速いか。
 寸でのところでラナタがアルペジオに襲いかかった虫たちを切り払った。
 足元にぼとぼとと虫の残骸が落ちていく。
 そしてアルペジオの眼に映ったのは鬼気迫る表情のラナタ。
 戦場を駆けた戦闘狂。血に濡れた血に飢えた女剣士がそこにいた。
 身に纏う闘気だけで虫たちが弾き飛ばされてしまいそうだ。
 「ラナタさん…!」
 そんな彼女に恐れを抱かず、アルペジオは素直に無事を喜んだ。
 ラナタも一瞬だけ目を優しさに染めてみせる。
 だが、それも一瞬のことだった。
 すぐに身を翻し背後の虫を切り捨てた。
 そして、未だ虫たちの猛攻の真っただ中にいる彼女らは背中合わせになって敵を睨む。
 「どうしましょうか…」
 「どうもこうも、全部叩きのめすしかないだろ…!」
 ラナタの目がギラリと光る。
 無謀なことは百も承知だ。だがそれしか道はない。
 気合を入れ直して剣を握りしめたその時だ。
 2人を包囲していた虫たちの一部が外にはけた。
 それを疑問に思う間もなく、突如現れた一体の巨大な虫がその隙間に収まった。
 姿形は今まで戦ってきた虫とよく似ているが、大きさはラナタたちをゆうに超える。腹部が異様に膨らんでいる。無機質な目がラナタとアルペジオを見下ろしている。
 強靭な顎をがちがちと鳴らし獲物に狙いを定めるこの巨大な虫はどうやらこの群れの母体となっている女王虫であるようだ。
 ラナタは顔をしかめた。
 この母体のもとへと誘導されていたのだ。逃げるのがさらに難しくなった。
 「ラナタさん、あの大きな奴を倒せば…」
 虫たちと応戦しながらアルペジオがそう提案する。
 「あぁ、それにかけるしかないようだ!」
 母体を失った虫が激昂するか混乱するか。迷っている時間はない。いずれにせよ戦わなければ生き残れないのだ。
 女王虫がぐわりと顎を開きラナタへと襲い掛かって来た。
 「こちらに狙いを定めたか。それは好都合…!」
 アルペジオが狙われたらさすがに辛い。だが、これなら戦いようがある。
 ラナタはニヤリと笑い、剣を構えた。
 母体虫の噛み砕きを避け、その頭部に思い切り剣を叩きこむ。だが、巨大甲殻虫の体は思いのほか頑丈で腕に鈍い痛みが走る。
 「くっ…」
 不利とわかるや女王から距離をとろうとするが、足元の虫の残骸に足をとられた。
 体勢を崩した一瞬を狙って周りの虫たちが一気に襲い掛かる。
 腕や足にまとわりつき、噛みつく。四肢に激痛が走りラナタは顔を歪めた。
 女王虫が身動きの鈍くなったラナタに再び狙いを定めた。
 「ラナタさん!!」
 アルペジオが群がる虫たちを無理やり突破して女王と傭兵の間に入り込む。
 ラナタを捉えるはずだった虫の牙はしかし、横に構えたアルペジオの剣に食らいつく。
 割り込んできた邪魔者を巨大虫は無造作に首を振って投げ飛ばした。剣を握ったままのアルペジオは悲鳴をあげて木へと衝突する。
 衝撃でアルペジオの息が止まった。
 その苦悶の表情にラナタが絶叫した。
 「アルペジオ!!」
 だが彼女が作った猶予のおかげでラナタはまとわりつく虫たちを排除して構え直すことができた。
 「貴様ぁっ!!」
 怒号と共にラナタの穿刺が母体の口を狙う。
 しかし、巨大シェルギルはその剣を噛んで受け止める。がっしりと咥えて離せそうにない。なるほど、アルペジオはこのまま投げ飛ばされたわけだ。
 だが、ラナタはそうはいかない。
 勝利を確信するがごとく、目を光らせた。
 瞬間、巨大虫の頭部が内側から貫かれた。
 緑色の体液にまみれた赤い剣が虫から生えているようだ。
 シェルギルの母体はもんどりうって倒れた。六つの脚が痙攣している。
 顎から解放されたラナタの剣はさきほどまでと様子が違う。
 剣の切っ先が二手に分かれていて、その又から赤い刀身が新たに伸びているのだ。
 彼女が剣を一振りすると赤い剣先は鞭のようにしなりそのまま元の剣の内へと収納される。
 ラナタの愛刀、名を「蛇の剣」という。切っ先からさらに新たな赤い剣が伸びるこの剣は斬るだけではなく不意に相手を突くことが可能である。その動きはラナタの意思によって決まるため傍からは赤い剣先がどのように動くかは全く予想がつかない。
 ゆらゆらと動くその刀身はまるで蛇の舌の様。故にそう称される。
 ラナタは剣が顎で受け止められた瞬間、赤い刀身を限界までまっすぐ伸ばして女王の頭部を内側から突き破ったのだ。正確に言えば狙ったのは装甲が薄い首と胴体の付け根。外からは甲殻で隠れているが内側からなら容易に貫くことができた。
 「アルペジオ、無事か!?」
 「はい、大丈夫です」
 痛みに耐えてアルペジオがラナタのもとへと向かってくる。
 すでに服はボロボロで体液にまみれて痛々しい。
 その姿にラナタは沈痛な面持ちを見せるが、それはアルペジオとて同じである。ラナタは両腕両足すべてに傷を負っているのだから。
 指揮系統を失った虫たちは混乱して足元を蠢いている。
 だが、女王虫も決して息絶えたわけではなく、口から緑色の液体を吐き出しながらも剣士2人を睨んで逃がさない。
 最初に動いたのはやはりラナタだった。
 女王は横倒れになって甲殻で覆われていない腹部があらわになっている。そこへと間合いを詰め、一思いに切り裂いた。
 どす黒い緑色の体液が洪水のごとくラナタを襲う。
 その液体に目を潰されたラナタを狙い最後のあがきのごとく女王は脚を持ち上げて振り下ろそうとした。
 だがアルペジオがその脚を剣で受け止め軌道をそらした。
「やぁああああっ!!」
 そしてとどめと言わんばかりに巨大虫の首めがけて剣を振り下ろした。
 


――――
 
 もうすっかり夜も更けてしまった。
 虫の大群から辛くも逃げおおせたラナタとアルペジオは森の中で見つけた泉のそばで一夜を明かすことにした。
 不気味なほど静かな森のなかで、泉は月明かりを反射し美しく澄んでいる。
 一方の剣士2人は自分の血液とも虫の体液とも見分けがつかないほどに汚れている。
 「ラナタさん、怪我は…」
 アルペジオがおずおずと尋ねる。
 「あぁ、これくらい大したことない」
 もう血も止まっている。あの虫には毒もないようで問題なく動くことができる。
 「その…すみません。私が足を引っ張ったせいで」
 ラナタはそこでアルペジオの剣さばきを思い出した。
 決して拙いとは言わない。だが、どこか精彩を欠くその腕は、本当に戦時中も軍に属していたのか疑いたくなるほどだった。あるいは将軍のもとで事務でもしていたのだろうか。
 だが、それを今指摘したところで彼女を傷つけるだけだろう。ラナタは笑みを作ってアルペジオに言った。
 「大丈夫だと言っているだろう?それにとどめを刺したのはアルペジオじゃないか」
 「でも…」
 「今日失敗したのなら明日また頑張ればいいさ」
 俯くアルペジオにそう言いつつラナタは鎧を脱いだ。
 改めて自分の鎧を見てその汚れ具合に感心する。手入れを怠ればすぐに錆びついて駄目になってしまいそうだ。
 アルペジオの姿はさらに痛々しい。それが見ていられなくて、ラナタは提案した。
「ちょうど水場があるんだ。体の汚れを落とそう」
 そう言って腰の鎧も脱ぐ。
 アルペジオもラナタに倣って軍服のボタンをはずし始めた。
 ぐっしょりと濡れた軍服は普段よりも重く、不快だ。
 虫の体液は肌着まで浸透していて彼女は顔をしかめた。だが、自分もラナタさんも無事なのだ。これくらい安いものだ。
 本当にラナタさんには助けられてばかりだなぁ、とアルペジオは俯いた。
 同室になって以来様々な場面で教えを受け、手を差し伸べてもらった。
 いつかはちゃんと恩返しはしたいのだけれど。
 本当は泣き出しそうなのだ。だが、そんな軍人らしからぬ行動をしかもラナタさんの手前ではできないとアルペジオは自信を説得した。

 次第に露わになるアルペジオの肌は白く、美しい。
 無数の傷跡があるラナタとは対照的だ。それ故に先ほど出来た生傷が痛々しい。
 主張の少ない胸の膨らみが、あぁ、この子はまだ幼い少女なのだとラナタに認識させる。
 何故こんな子が軍にいるのだろうか。今更のようだが彼女はそう考えた。
 戦いに秀でたわけでもなく、軍中枢の血族でもない。
 冷静に考えれば戦時中のアルペジオはいったいいくつだったというのか。
 何かあるのだ。泉の冷たさにくすぐったさを感じて笑う年下の女の子を見てラナタはそう思っていた。
 「ラナタさん」
 何も知らないアルペジオが彼女を泉に誘う。
 トレードマークの大きなリボンをとった髪は濡れてツヤツヤと煌めいている。
 月明かりに照らされる無垢な少女をラナタは複雑な表情で見つめた。
 やがて彼女は疑念を己のうちに押しとどめて、さらしを解いた。
 誰でもいいではないか。目の前にいるのはアルペジオと言う名の少女で、彼女はラナタの大事な友人なのだ。
 守ってみせよう。そう思った。

 一糸纏わぬラナタの体を泉の清涼さが包む。
 男所帯の戦場では決してできなかった行為だ。
 女のラナタにとって多くの男たちとの行軍など気の休まる時は一時もない。
 まったく、女に生まれたことを後悔するばかりである。
 いいことなど何一つない。
 もちろん自身の体を利用したことは何度もあった。その分乱暴されたこともあった。
 それでもなお彼女が戦場から離れないのは、それしか生きる手段も喜びもなかったからに過ぎない。
 もう何度目になるだろうか、アルペジオに目をやる。
 すべすべとした彼女の肢体は穢れを知らない生娘のそれだろうと予想する。あぁ、やはり自分とは対照的だ、とラナタは自嘲する。
 当のアルペジオは自分の体の洗浄に余念がない。あんな虫の体液を大量に浴びたのだ。無理もない。
 やはりその仕草は戦場からは程遠い場所に住むあどけない少女によく似合うものだ。
 「アルペジオ、背中を流してやろう」
 そう言ってラナタはアルペジオの背後に回り込んだ。
 信頼しているのだろう、アルペジオはありがとうございますと言ってたっぷりとした髪の毛を前に回した。
 そこでふと悪戯心をおこしたラナタはそんな無防備な背中を指でつつと撫でた。
 「ひゃうっ!?」
 愛らしい声を上げたアルペジオ。ラナタはクスリと笑った。
 「もう、ラナタさん!」
 そう抗議の声をあげつつもアルペジオは仕返しとばかりにラナタに抱きついてせ彼女の背中をくすぐろうとする。
 「こら、アルペジオ!」
 ラナタは声をあげて笑った。
 一時の休息。親友との憩い。
 こんな風に笑ったのはいつぶりだろうか。
 アルペジオが水をかけてくる。負けじとラナタもアルペジオめがけて水をかけた。
 自分には不釣り合いではないかと思う程緊張の糸をほぐして水浴びに興じる。
 だが、ずっと戦場を駆けてきたのだ。この一瞬くらい、楽しんでもバチは当たらないだろう。
 アルペジオがラナタに笑顔を見せた。
 ラナタが彼女に返した笑顔はそれ以上に屈託のないものだった。






















後になってラナタは、あれが最初で最後の一瞬だったのだ、と顔を覆うことになる。





       

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