Neetel Inside ニートノベル
表紙

ミシュガルド冒険譚
穢れに捧げ、癒し歌:2

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――――


 「悪魔かぁ…」
 シンチーの言葉を思いだし、ケーゴは何の気なしに呟いた。
 前を歩くベルウッドが振り返った。
 「ま、そういう奴はどこにでもいるものよ」
 「そういうものかぁ」
 牧歌的な村でのほほんと育ったケーゴには想像もつかない世界だ。
 怖いなぁ。恐ろしいなぁ。
 何の気なしに隣を見る。
 いつも通りすまし顔で歩くアンネリエがいる。
 もし、彼女が狙われたら。
 嫌な想像にケーゴの心臓がどくんと跳ねる。
 何も起こらない。こんなのただの思い過ごしだ。そうでなくては困る。
 それでも、ケーゴの内で思いが燃える。
 もしアンネリエが狙われたら自分はどうすればいい。そんな自問が心の中で彼を追い詰めようとする。
 自分は弱い。
 まずケーゴはそう思った。
 それならどうすればいい。焦ったように再び自問する。
 シンチーの言葉が脳裏に響く。身の丈に合った行動しろと言う金言だ。
 しかし、ケーゴは頭を横に振った。
 違う。そうじゃないはずだ。
 初めて会ったあの日、獣人から彼女を庇ったように。洞窟で謎の機械兵と戦ったように。
 守りたい。例えそれがおねーさんすら敵わなかった相手であっても。それでも守りたい。
 己の内に湧き上がる想いの激しさに未だケーゴは気づかない。ただ、純粋に、そして無意識にそう願うだけだ。
 しかし、思いつめた彼の表情からアンネリエは何かを察し俯いてしまう。
 と、そこであることに気づいてケーゴはベルウッドに尋ねた。
 「…ところでお前、どこに向かってんの?」
 このまままっすぐ行くと、交易所の南門。そして、ミシュガルド大陸の玄関口たる、港にたどり着く。
 ベルウッドは後ろ歩きで答えた。
 「言ったでしょ!SHWが海水浴場を整備したって」
 「だからぁ、俺たちは水着を持ってないって―」
 「見るだけ見に行ってみましょうよ!」
 強引にケーゴの腕を引っ張る。
 彼は困ったようにアンネリエに方針を求める。
 アンネリエはそれを予想していたらしく、既にすらすらと何事か黒板に書いている。
 『見に行くぐらいならいいんじゃない?』
 「む」
 「ほぉーら!決まりね!」
 「…分かったよ」
 わざとらしくため息をついて従う。
 海かぁ。
 とある懸案事項を思いだし、内心憂鬱なケーゴであった。

 
 ミシュガルド港は常に3隻の船が常駐している。
 それぞれ甲皇国、アルフヘイム、スーパーハローワークというミシュガルド大陸探索の礎を作った三国の船だ。
 交易所で何か災害が起きたり、不測の事態に備えてそれぞれ船を停泊させているのだ。
 その目的のせいか、ケーゴ達のような入植者が乗って来た船よりも一回りは大きい。
 特に甲皇国の船は煙突が生えていたり、なぜか船に車輪みたいなものがついていたりと不思議なつくりだ。側面には大砲と思しき円柱が顔をのぞかせている。
 その他にも港には物資を乗せた船が日に何度もやってくる。この港なくして交易所の暮らしは成り立たないのだろう。
 その港の東部。ミシュガルド大陸の南東に件の海水浴場はつくられた。
 整備されたばかりということで、水着姿の人々が多い。浜辺には屋台が並び、休憩所もある。海水浴場にしろ休憩所にしろ入場料をきっちりとる点は商業国家らしいというかなんというか。
 きっちり3人分の料金を払わされ、ピクシーは道具だと言い張ってケーゴは浜辺に降り立った。
 「おぉ…」
 実は、ミシュガルド大陸に旅立つまでケーゴは海というものを見たことがなかった。
 初めて海を見た時はどうして青色が地の果てまで続いているのか不思議で仕方なかったし、よくもまぁ、こんなに大量の水が集まったものだと感心もした。
 その海が目にある。
 浜辺の白が海の青を際立たせる。どこまでも続く水平線はしかし、空の色とは一線を画している。
 水着を着た若者が歓声を上げている。中には砂浜に寝転がっている者もいる。なるほど、海では泳ぐだけではなくああして寝ていてもいいのか。
 落ち着きなく辺りを見回すケーゴを見てベルウッドは尋ねた。
 「…あんた、海に来たことないの?」
 「まぁ、こうやって遊びに来るのは初めてかも」
 ローパーのかば焼きなるものを発見してケーゴはそちらに夢中になっている。ところでローパーってなんだ。
 ベルウッドはしばし考える素振りをみせ、やがて胡乱気に顔を歪めた。
 「……で、泳げるの?」
 「………」
 ケーゴの動きが停止した。それ即ち肯定。
 「…だから乗り気じゃなかった訳?」
 「………」
 聞かなかったふりをしてケーゴはかば焼きを売っている屋台へと歩を進めた。
 「…だから乗り気じゃなかった訳ぇっ!?」
 今度はやや嘲笑を交えてベルウッドが叫んだ。
 ぴきりと青筋を立てながらもケーゴは押し黙り続ける。
 仕方がないじゃないか。こちとら緑の木々に囲まれた田舎村の出身で、川遊びくらいしかしたことないんだぞ。
 反論を己の内に押しとどめ、ケーゴはローパーのかば焼きを二人分買った。
 唇をこれでもかというくらい釣り上げているベルウッドを無視してアンネリエにかば焼きを渡す。これもプレゼントの内に入るのだろうか。
 変に意識をしてしまったケーゴは顔を少し赤らめながら、たれがしたたり落ちそうな串焼きにかぶりつく。
 弾力がある。噛むと肉汁があふれてきて、香ばしいたれと口の中で混ざり合っておいしい。
 で、結局ローパーって何だ。
 口を動かしながら辺りをもう一度見まわす。
 人間がいる。エルフがいる。獣人もいれば、竜人もいる。SHWが管理しているということもあって、どうやら種族の壁はないらしい。
 「みんながみんなこうだといいんだけどなぁ」
 何の気なしに呟いたその言葉にアンネリエの表情が歪んだ。
 何か変なことを言っただろうか。ケーゴは首をかしげて見せた。
 が、アンネリエはケーゴを無視して水平線を眺めたままだ。
 その目にどこか愁いが映っていることにケーゴは気づいた。
 何を言えばいいかわからず、彼もアンネリエにならって海を眺めることにした。その時だ。
 「そこな少年」
 声をかけられた。
 声の方を向くと、そこには獣人の女性が立っていた。
 「何でしょう」
 珍しい服をしているなぁ、とケーゴは彼女をしげしげと見つめた。
 どうやら上半身も下半身も一続きの布で覆い重ねているようだ。その衣服を胸の下で帯を用いてはだけないようにとめている。その上にさらに上着を着重ねている。
 袖が広く、ひらひらと風と遊んでいる。ここはアンネリエと同じようなつくりだ。
 雌黄色の髪の毛を背中まで伸ばし、頭部には獣の耳がぴょこんと立っている。
 ケーゴの視線を認めた女性はくすりと笑う。妖艶な微笑だ。泥酔しているヒュドールのそれとは違い、どこか鋭さを感じさせる。
 「ん?どうした少年。もしや妾の身体に興味があるのか?」
 細く長い指が服の重なりを少しずらした。露わになるのは彼女の肌。
 「のなっ!違う!違いますよ!」
 慌てたケーゴが腕をぶんぶん振っていると彼女の背後からもう一人、少年が走って来た。
 「アマリ様!何をしてるんですか!?」
 彼女の連れ人のようだ。しかし少年の服装は彼女のように珍しいものではない。ただし、ズボンに不思議な模様が書かれた縦長の紙片を張り付けているのが特徴的だ。
 若草色の髪の毛が所々ぴょこんと可愛く跳ねている。ケーゴよりも少し年下くらいだろうか、童顔の少年は肩で息をしながらアマリと呼んだ女性に食って掛かる。
 「また変なこと言ってたんじゃないでしょうね!」
 「ん?別に言ってはおらぬよ?ちょっとこの少年のが美味しそうだったものだから声をかけたのじゃ」
 「なっ!思い切りちょっかい出してるじゃないですか!!」
 少年は顔を赤らめて怒鳴る。
 「何を言ってるんじゃ。見てみよ。この少年の手に持っている串焼き、美味しそうではないか。イナオよ。お主は何を勘違いしておったんじゃ?」
 「~っ!!」
 さらりと躱されたイナオと呼ばれた少年は怒りを己の内で消化することに決めたようだ。顔を真っ赤にしてぷるぷると震えている。
 どこかその姿に親近感を覚えたケーゴはおずおずと口を開いた。
 「えーと…それで、俺に何の用でしょう?」 
 「おお、そうじゃったそうじゃった」
 手をパンと叩き、アマリはケーゴの持っているかば焼きを指さした。
 「妾もそれを食してみたい。どこで売っているのじゃ?」
 「あぁ、これならそこの青い屋台に」
 ケーゴが指をさして教える。
 「イナオ」
 アマリが一言そう言うとイナオはすぐさまその店に走った。
 アンネリエが感心したように顔を輝かせた。
 「ほぉう、ローパーのかば焼きだったのか」
 屋台の看板を読んでアマリは意外そうにそう声を漏らした。
 ケーゴはそのかば焼きを一口かじり、聞いてみた。
 「あの、ローパーって何なんですか?」
 「…知りたいか?」
 ゆっくりと目を細める。喜悦に歪むその表情にケーゴは後ずさった。
 「……そんなに恐ろしいものなんですか?」
 「ふふ、気になるなら連れて行ってやってもいいぞ。男用の種類もいるらしいからのう」
 連れて行く?男用?種類?どういうことだ。
 ローパーの正体に全く見当がつかず、ケーゴは目を白黒させた。
 と、そこでイナオが二本の串を持って帰って来た。
 彼からかば焼きを一本受け取りながら、アマリは尋ねた。
 「なんじゃイナオ。お主も食べたかったのか?」
 「いいじゃないですか。美味しそうですし」
 むっと答えるイナオにアマリは艶麗に笑った。
 「イナオよ。ローパーがどんなものか説明できるか?」
 「せっ、せつめっ!?」
 みるみるうちにイナオの顔が赤くなっていく。
 それを見て満足げに頷いたアマリはさらに畳みかけた。
 「ローパーには女性用が多いと聞くが、このローパーはさぞ多くの女性を――」
 「……これ、やる」
 アマリの言葉を遮ってイナオがケーゴにかば焼きを差し出した。
 「え?いいの?」
 展開についていけないケーゴは戸惑いながらも受け取る。
 ただ、ローパーなるものがあまりよろしくない存在であることは分かった。
 ケーゴはとりあえずベルウッドにでも渡そうかと彼女を探したが、見つからない。
 一体どこだろうかと辺りを見回すと勝手に浜辺で店を広げていた。
 看板曰く、海水浴の間に靴をピカピカに!ということだ。なんとまぁ、商魂逞しい。
 「…あいつ、結局あれが目的か」
 しかも、入場料も人に払わせておいてだ。
 剣呑な目つきになったケーゴの手からアンネリエがかば焼きを取り上げた。
 「え、あ」
 どうやら食べたいらしい。というかもうすでにかぶりついている。
 呆気にとられて見ていると、渡さないぞと言いたげにじろりと睨まれた。
 ま、いいか。ケーゴは苦笑した。
 先ほどのアンネリエの反応は気になるが、今の彼女はいつも通りだ。
 もしかしたら杞憂だったかもしれない。
 そんなことを考えている間にアマリは一通りイナオをからかい終えたらしく、今はかば焼きを味わっている。
 口に収め、優しく頷く。
 「うむ、なかなか乙な味じゃのう」
 やがてアマリのかば焼きもアンネリエのかば焼きも串だけになる。
 それを当然のごとくイナオとケーゴに押し付けて二人は涼しい顔。
 少年二人は互いに顔を見合わせてため息をついた。


     



――――


 ミシュガルド大陸アルフヘイム領海に何隻ものふねが集結していた。
 国境のごとく並んだアルフヘイム艦隊に、一隻の戦艦が近づいていく。
 木造のアルフヘイム艦に対して、この艦は鉄製で黒塗りだ。艦体には煙突が建造されており、黒い煙を絶え間なく吐き出し続けている。艦体の側面には髑髏を模した紋章。甲皇国の艦だ。
 その黒塗りの戦艦を迎え入れるかのようにアルフヘイムの艦隊が陣形を変える。
 やがて甲皇国の艦はゆっくりとアルフヘイム開拓団が建設した港にその艦隊を寄せた。
 自然との調和を国是とするアルフヘイムの港は珊瑚を加工して造り上げたもので、そこに停泊する艦も木造だ。そこに寄港した鋼鉄の甲皇国戦艦はどこか違和感を覚えさせる。
 戦艦を待ち受けていたように港にはダートとニフィルが立っている。遮光眼鏡と目隠しで表情は定かではないが、眉間に寄るしわが彼らの心情が穏やかでないと示している。
 大戦の折、甲皇国とアルフヘイムの間で繰り広げられた戦闘は基本的に海上戦であった。故に甲皇国製の戦艦を眺める彼らは唇を固く結んでいる。
 やがて戦艦から男女が降りてきた。
 男性が着るのは鮮やかな縹色の軍服。赤いマントが潮風になびく。髪の色は輝くばかりの黄色。しかし、後ろ髪の先端のみ黒い。
 浮かべる笑みは不信感を抱くほど。纏う雰囲気は警戒心を呼び起こすほど。
 彼に追随する形で歩く女性は妖美な笑みを浮かべている。男のように煌めく笑顔ではない。官能的だ。
 白と黒を基調とした特殊な形の軍服だ。引き締まった腹筋と脚が露わになり、彼女の艶然さを引き立てている。
 藤色の髪を腰ほどまで伸ばし、胸元には甲皇国の象徴たる髑髏の飾りが目立つ。
 甲皇国の二人はアルフヘイムの代表たるダートとニフィルのもとまで進んだ。
 磁石の反発のように彼らが近づくにつれ目に見えない力が反発を起こしているようだ。緊張感はいや増し、警戒が凝縮される。
 その中でも笑みを絶やさない男はダートに向けて手を差し出した。
 「お久しぶりです。ダート・スタンさん」
 「…こんな形で再会はしたくなかったぞ。オツベルグ・レイズナー」
 形式的に手を握る。ダートは低い声で答えながら、ちらとオツベルグと呼ばれた男の後ろに控える女性に目をやった。
 「…乙家か?」
 それだけで全てを察した女性はすっと前に出た。
 「お初に御目文字仕りますわ。ダート様。わたくし、甲皇国は乙家出身。ミシュガルド整備開発局局長、ジュリア・ヴァレフスカと申します」
 オツベルグと同様にジュリアと名乗った女性は手を差し出す。
 力強く手を握る。ダートは豊満なジュリアの胸に視線を向けながら尋ねた。
 「整備開発局局長…ではお嬢ちゃんが甲皇国のミシュガルド開発の実権を握っているのかの?」
 ジュリアは目を細めた。その一動作にも妖艶さが弾ける。
 「嫌ですわ、お嬢ちゃんだなんて。…丙家といえども大規模な開発は私を通してしか行えませんわ。もちろん、私のもとに来た開発許可は貴国とSHWの協議を通すことになっていますから、ご安心くださいませ」
 「お前さんを疑ってる訳ではないわい。…ただ、近頃はあまり開発許可の協議が開かれていないと聞いておるからの」
 「…乙家は基本的に交易所での事務に追われております。どうやら甲家も体よく甲皇国の駐屯所を追い出され今は入植地ガイシの地下で発見された遺跡の調査に力を入れている様子。丙家は丙家で駐屯所で表向きは大人しくしておりましたのに」
 ダートは重々しく頷いた。
 そう。最近まで丙家の主だった動きはまったく見られなかったのだ。
 「まったくじゃて。…そうじゃとも。今回はそのために来たのであろう?」
 「えぇ、その通りですわ」
 ふわりと微笑み、今度はニフィルと握手を交わした。
 と、そこでニフィルの顔が歪んだ。
 「…っ、あなた…!」
 いよいよジュリアの口角はつりあがる。
 「あら、あなたそういうのわかる人?」
 「なんじゃ、ニフィル。この嬢ちゃんがどうかしたのか」
 「……ダート様。この方、男性です」
 「…………は?」
 何を言われているかわからず、ダートの思考が停止した。
 「あらあら、別に言わなくてもよかったのに」
 上機嫌でダートに見せつけるようにジュリアは自分の胸を手で寄せる。
 「ただ、別に女ばかりじゃなくて、男もいけるクチだから、安心してくださいな。上下しっかり備えていますし、責めでも受けでも大歓迎ですわ」
 「えぇ…」
 ようやく合点のいったダートは力なくそう声を漏らす。
 詰まる話、このジュリア・ヴァレフスカという人間は外見こそ女性に見えるが男性である部分はしっかり男性だというのだ。しかも、性に奔放。
 「皇国の人間にまともな人はいないのですか!?」
 ニフィルが激昂した。
 が、ジュリアは涼しい顔だ。
 「あら、アルフヘイムとの友好を求める我ら乙家を侮辱してしまっては、いよいよ停戦協定の存続が危うくなりますわね」
 「…っ!」
 「これニフィル。乙家の方々に失礼じゃろう…」
 力なくダートが諌める。
 口喧嘩をしに来たのではないのだ。
 「…オツベルグ殿、ジュリア殿。我らアルフヘイムは再び貴国による侵略の危機にさらされようとしている。諸君ら乙家は我々に協力し、かの丙家の者共の企みを打破するものと信じてよいのだな?」
 オツベルグは煌めく笑顔を振りまいた。
 「当然じゃないですか!私は世界平和を本気で願っているのです。そのためにはあなた方との協力が必要不可欠!」
 「大言壮語も甚だしい…!世界平和などと軽々しく口にする輩に…っ」
 「ニフィル!……すまないの、彼女は少々気が立っておる」
 「いえいえ、構いませんよ。我らの行いを顧みればアルフヘイムの方々が私の言葉を信じられないのも当然です。だから、この想いをポエムにします。聞いてくだ――」
 「いずれにせよ」
 オツベルグが仰々しくポーズをとっている間にジュリアがずいと前に出た。
 「あなた方には我々と結託してこの海域を守るか、我らすら無下に扱い皇国と戦う道を選ぶか、二つに一つであるはずですが?」
 信頼とは長い年月をかけて積み上げていくものだ。
 70年に及ぶ戦争が集結してまだ数年。まだ互いに信頼できるかどうか腹の内を探っている段階。共闘にはほど遠い。
 要は互いにとって利益になるかならないか。今はそれだけを考えよ、と。事態は急を要するのだ、とジュリアは言外に主張している。
 「…」
 ダートとて愚か者ではない。ジュリアの主張に間違いはないし、今ここで乙家がアルフヘイムの味方たる証明を求めている場合ではない。
 しかし、それでも彼には国利だけを優先させることができなかった。
 ちらとニフィルを見る。
 憤懣やるかたなしと言う体で彼女はしかし、ジュリアの言を無理やり己の内で消化しようとしていた。
 大戦末期、禁断魔法の発動はその時点のアルフヘイムにとって最も国に利する方法であった。
 少なくとも彼女はエルフ族の有力者たちにそう説得された。
 しかし、それは保身に走ったエルフたちの詭弁であることをニフィル自身もわかっていた。
 そして、それを利用して甲皇国軍だけではなく他種族にも打撃を与えようという打算があったことも。
 その結果は言うまでもない。
 様々な種族が入り混じるアルフヘイムの意見の統一は非常に困難で、むしろ水面下では常に争いがあって。
 そのしわ寄せを一身に引き受けたニフィルの苦しみを少なからずダートは理解していた。
 元はと言えばアルフヘイムの者たちが手を取り合っていれば、皇国に国土を攻められることもなかったし、彼女がこんなに苦しむことはなかった。
 だからこそ、ダートは現在各種族の友好を最優先にアルフヘイムを取りまとめようとしている。打算だけでの付き合いはいつか綻びを生む。強引な利益の選択は不利益に泣く者を生み出す。皆が互いを尊重し合い、納得する結論が出せればそれが一番望ましい。
 そのためにはやはり信頼が必要なのだ。
 ダートの渋面を認めたジュリアはさらに畳みかける。
 「我らが丙家と結託するようなことがあれば、そもそも皇国と交易所にいる丙家監視部隊が無事ではないはずですが?」
 「っ…!」
 丙家監視部隊。アルフヘイムと乙家の間で動く妖の部隊。
 ダートは渋々首を縦に振った。
 「…あいわかった。じゃが、一つだけ。乙家のお二方には我らと同じアルフヘイムの艦に乗り込んでいただきたい」
 「ええ!喜んで!」
 即答したのはオツベルグだ。
 人質にされたことを理解しているのかいないのか。
 渋い顔をしてジュリアは背後の甲皇国戦艦に目をやる。
 アルフヘイム艦隊の中に一隻、非常に目立つだろう。
 丙家の思惑は分からない。だが、もし攻撃に転じることになっても最低限同じ甲皇国の艦を狙うことはしないだろう。
 いや、むしろ乙家しか乗り込んでいないことが明らかなのだから積極的に狙ってくるだろうか。ともすれば、アルフヘイム艦隊によって守られるダート達と一緒の方がいいかもしれない。
 いずれにせよ最低限の信用のためには彼らの要求を飲んだ方がよさそうだ。
 ジュリアは軽く頷き口を開いた。
 「丙家は既に動き出していますわ。既にSHWとも交渉を結び、エルカイダ構成員捜索の名目でミシュガルド大陸SHW領海の航行権を得ています。恐らくそのまま常駐を続け、アルフヘイムへの牽制をしてくるのではないかと」
 「じゃが、SHWがそれを許すかの?」
 「所詮は商業国家。大金が動くことだけは確かですわね。それに、もしSHWにも不利益が生じることになれば、彼らとて剣をとります。今のSHWの代表者は艦隊戦を得意とするお方ですから、何かしらの保険はかけているものかと」
 「…なるほどな」
 商業国家故にSHWがアルフヘイムを攻めることはない。それ故甲皇国とアルフヘイムの間に緩衝剤のようにSHWの領土は存在しているはずだったのだが。
 「いずれにせよ、我々もすぐ艦に。国境の警備をさらに手厚くし、早急にエルカイダの者を捕えてしまいましょう」
 そう、その目的が達成されれば甲皇国は大義名分を失うのだ。
 「皇国はもちろん、SHWにも乙家の者が配置されていますから、もしテロリストを捕えた場合は、それを秘匿することはできませんわ。ご安心を」
 もちろん、テロリスト捜索が方便でなければという前提のもとではあるが。
 内心そう懸念を抱きつつもジュリアはダート達に続いた。
 と、そこでふと思い出した。
 「そういえば、噂に聞く黒い海は…?」
 あの海域の調査は困難を極めるだろう。
ダートはそっけなく返した。
 「あぁ、おそらく今はSHW領海じゃろう。……そういえば、SHWが海水浴場を整備したと聞いたの」
 儂も海で羽を伸ばしたいものじゃて。
 そう軽口をたたきながらダートは艦に乗り込んだ。


     



――――

 ペリソン提督は悩ましげに艦の進行方向を眺めた。
 戦後から数年、戦場から離れたとしても刻み込まれた経験は今もなお精彩を放つ。
 見渡す大海原は青く、広く、しかし何隻もの艦が自分の乗る艦の行く手を誘導するかのように並んでいる。
 無理やり進路を変更すればそれらの艦との衝突は避けられない。かといってこの進路に素直に従った場合。
 「黒い海…か」
 遠目からでもわかる。海が一部どす黒く変色し、その一帯だけ波が荒れ狂っている。
 いくら甲皇国の艦隊が最新鋭の戦艦をそろえたものであっても、あの海域に踏み入るのは自殺行為だ。
 「SHWめ…我々に大人しくしていろということか…」
 甲皇国ミシュガルド領海から出立したペリソン提督率いる艦隊がSHW海域に到達したのが小一時間ほど前。
 SHWの艦隊はものの見事に隊列を整え皇国艦隊の行動範囲を制限した。その結果がこれである。
 彼らの艦は甲皇国の船を黒い海へと導く一本の道を成している。さらに、馬鹿正直にこの道に艦隊をすっぽりと収めてしまえば、SHWの艦隊に挟み撃ちにされてしまう上にそれを突破した先にあるのが黒い海。
 故に甲皇国の艦隊はSHW領海と甲皇国領海の境界でその動きを止めていたのだ。
 ペリソン提督は大戦期に数々の海戦で勝利を収めた名将として名高い人物である。この程度の劣勢なら何度も経験してきた。
 脳内にはこの状況を打破するための戦略が次々と構築されていく。
 が、今は戦時中でもなければSHWを侵略しに来たわけでもない。あくまでテロリストの捜索だ。
 さしものSHWも領海内に皇国の艦が自由に侵入ってくることには抵抗があるのだろう。
 それに、もし甲皇国の艦がSHWを通過しアルフヘイム領内に侵入したとすれば、アルフヘイムのSHWへの印象が悪くなる。
 商業国家としてはそれも避けなければならないだろう。どちらにも加担せず、どちらにも敵対せず。それが彼らの方針だ。
 「あまり感心はせんがな」
 そう切り捨てペリソンは後ろの部下を振り返る。
 「総司令は?」
 「まもなく皇国領から出立するものかと」
 「ふむ」
 となるとここで停滞しているだけではまずいかもしれんな。
過激派のあの男の事だ、無理やりにでもSHW領を突破しろと言いかねない。
 これだから陸の男は、とペリソンは想像のホロヴィズ将軍を批判した。
 ここは海上だ。陸戦とは全く勝手が違うのだ。
 あの男に主導権を奪われる前にこちらも相応の行動をしておかなければならない。
 ペリソンは雄々しく号令を発した。
 「全艦、両舷微速で隊形を維持しつつ後進!」
 さて、これで相手はどう出てくるか。
 彼はSHW艦隊の動きを注視した。
 と、そこで思う。
 そういえば、SHWの代表者は艦隊戦に長けていると聞いたことがある。
 もし、それが天性のもので、自分が長年積み上げた経験と努力を遥かに上回るものであったら。
 そう考えるとうすら寒いものがペリソンの背中を駆ける。
 このテロリスト捜索の裏に丙家の思惑があるのはペリソンとてすでに勘付いている。ないとは思いたいがSHWと衝突した場合どうなるだろうか。相手はこちらの動きを読んで皇国艦隊の動きを制限したのだ。
 とはいえ、それは考え過ぎだろう。
 SHWのお偉いさんがさすがにこのミシュガルドまで出てくることはない筈だ。
 ペリソンは記憶を手繰り、その男の名前を思い出そうとした。
 SHWの代表者。大社長と称されるその男の名は――


 「ヤー様のおっしゃる通り皇国の艦隊は後進を始めたようです」
 SHWの艦。その一隻の操舵室でそう報告がされる。
 報告を受けた人物は静かに頷き目を開けた。
 「うん、そうするしかないよね。さすがに突っ込んでは来ない。…陣形を変更。第一第二艦隊をSHW領と公海の境に単縦陣で展開してくれるかい。第五艦隊はアルフヘイムとうちの国境で単横陣。どちらも変わらず第三種戦闘配置でよろしく」
 穏やかな顔をした男だ。整えられた黒髪、落ち着きのある双眸。しかし、その目には戦況をはるか先まで見通す鋭利な光が煌めく。
 首から下はこの操舵室に存在していない。
 顔だけが魔法陣を介してこの操舵室に現れているのだ。
 ヤーと呼ばれた男は近くに控えていたエルフに指示を出した。
 「皇国は公海から黒い海を回避しつつアルフヘイム領に近づくつもりのようだ。通信魔法陣をアルフヘイム側と同調させてくれ」
 その言葉に従って1人のエルフが魔法陣をヤーを出現させている魔法陣の前に出現させた。エルフがそれに手をかざすと、魔法陣の周囲に描かれている文字が回転し始める。同時に中央に描かれた文様が大樹を基調としたアルフヘイムの文様へと変化した。
 同様に文字が回転している魔法陣から声と像を出現させているヤーは、目の前の魔法陣を介してアルフヘイムの代表、ダート・スタンの顔が現れるのを認め、口を開いた。
 「皇国が公海を経由してそちらに向かうようです。こちらからも圧力をかけますが、恐らく黒い海海域を迂回してミシュガルドSHW海域に入ってきます。口実上皇国をうちの領海に入れない訳にもいかないので、仕方がないことです。ただし、それ以上は進ませないようそちらもご尽力願います」
 「うむ」
 ダートは重々しく頷く。
 「…だが、そちらばかりに気をとられてはおれぬ。たった今、ホロヴィズが率いる艦隊が動き始めたと報告が来た」
 「…なるほど」
 皇国の今後の動向をヤーは頭の中で組み立てた。状況と思惑を線で結び、仮説と戦略が海上に描かれる。
 ダートは争いごとに聡いわけではない。魔法陣を介して話し合う目の前の男の内でめまぐるしく展開される計算を把握することができない。
 SHWとアルフヘイムは決して協力関係にあるわけではない。
 今は皇国に対して同様の警戒心を抱いたというその一点のみが彼らを繋げているのだ。それがダートの疑心を膨らませる。
 すなわち、SHWが今後アルフヘイムに対してどのような態度をとるかということだ。今回の事件の結果、最終的に得をするのがSHWだけで皇国もアルフヘイムも馬鹿を見るという事態は避けたい。
 そもそもこの協力はSHWの方から持ちかけてきたものだ。彼らにも何かしらの目論みがあるのだと考える方が自然だ。
 それでもダートはSHWと協力せざるを得なかった。事態はそれほどに緊迫していたのだ。
 先の先まで見通す余裕のあるヤーに対して、ダートは今に対して最善を尽くすことしかできない。その最善も商業国家や甲皇国乙家の協力があってようやくなのだから、彼の心中は複雑である。
 呼吸5つ分の沈黙の後、ヤーはゆっくりとダートに尋ねた。
 「…皇国は一体何を考えているんでしょうね?」
 ダートはヤーの突然の質問に答えあぐね、唸った。極端に言えばそんなことは皇国の将軍にしかわからない。
 「私はですね、エルカイダの捕虜なんてもの自体信じていないんですよ」
 「…そうじゃろうな」
 とはいえどもそこを論点にしてしまっては水掛け論に帰する。だからこそ皇国の捜索にやむを得ず乗った。
 ヤーは続けた。
 「ただね、だとするとどうしてこのタイミングで?ということになるんです。確かに皇国から総司令ホロヴィズが来たというのもあるでしょう。…ですがそれにしてもやり方が強引すぎる。…彼らの本当の目的というものがあるように思えてしまいます」
 「…お主は若いから知らんかもしれんが、彼奴らは70年前も同じように突然戦いを仕掛けてきたのじゃ。蛮族に道理を求めても無駄じゃよ」
 言葉にこもる憎悪にヤーは内心苦笑いをする。
 怒りに囚われた者もまた、道理を捨てるのだ。冷静なようで、やはり皇国を相手にするとそうではいられないらしい。
 「…とにかく、SHWの領海内では皇国に好きな動きをさせる気はありませんよ」
 「……じゃが、先ほどのように皇国が公海を回ってこちらに攻め入ってくるかもしれんぞ?それに、先ほど艦を動かしたことで皇国側の警備が手薄になったのではないか?」
 ダートの懸念を拭うようにヤーは穏やかに笑った。
 「そうですね…SHW領海内で、一部手薄になったところがあります。が、そこを無理やり進んだところで行きつく先は黒い海。なに、ちょっとした嫌がらせですよ。皇国の艦といえども黒い海を抜けるのは至難の業でしょうし、仮に総司令が乗った艦が先ほど同様に公海を回ってくるというのなら、やはりSHWとアルフヘイムが合同で迎え撃てばいい。SHW本国からも増援を出しましょう。アルフヘイムのミシュガルド領海にはそちらの国からよりもうちから艦を出した方が到着が早いですからね」
 「うむ…ではそのように。アルフヘイムからも増援を呼ぶことにする。艦だけではない。騎竜隊にも出てきてもらおうかの」
 「それがいいでしょう。…それでは」
 通信魔法がぷつりと途切れる。
 国の最高地位にある2人のやりとりの緊張に支配されていた艦内に、少しばかりの安堵が生まれた。
 ヤーはアルフヘイムとの通信が途切れていることを、こちら側の会話がもはや彼らに聞こえることがないことを確認して、口を開いた。
 「聞いた通りだ。本国に連絡をして船団を寄越してくれ…と言いたいところだけど本国に連絡するまでもなく僕自身が本国にいるんだったね。どうも操舵室にいる気になってしまうね」
 ハハハと笑う彼に通信魔法を展開したエルフが応えた。
 「最近発明された魔法なのですが、非常に便利ですね。個人間の伝心魔法と違い、場所を繋げる魔法だから、全員と話すことができる上に術者自身が話し手である必要もない」
 「もとは戦争中に発明された音声伝達魔法なんだってね。…いやはや、この国は素晴らしいね。この艦と言い、通信魔法と言い、各国から様々な技術が集まってくる。…と、そんな話をしてる場合じゃなかった。…とにかく必要な情報はすべてここに集まってくる。アルフヘイムの事も、甲皇国のこともね。こういう時は情報がものを言うんだ。さすがに皇国がこちら側に仕掛けてくることはないと思うが…とにかく、上手いことやっていこう。強かに強かに、我々は2国の間を行き来すればいい」

 ミシュガルド大陸を北に据えると、アルフヘイムはちょうど向かいの南側に位置する。そのアルフヘイムから北西に海を隔てて甲皇国があり、SHWはアルフヘイムの東側に位置する。
 ミシュガルド大陸に最も近いのはSHWであり、また、ミシュガルド大陸内のアルフヘイムの本拠地は東側に位置することから、SHWの増援も迅速にアルフヘイムに駆けつけることができる。
 ヤーはダートと協力し、アルフヘイム領海を皇国から守るべく布陣を敷き、本国からもアルフヘイム領に向けて艦が出立した。

 それは、SHW船団がアルフヘイム領海を包囲することに他ならない。

       

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