4話 嘆きの黒兎
黒雲が雷鳴を伴い、豪雨となって地上を洗い流そうとしている。
だがその豪雨にも負けないほど、地上の火勢は強く、家々を焼き尽くし、尚もくすぶり燃え続ける。
ここで非道があったことを、豪雨などで覆い隠すことはできないというように…。
「モニーク!…モニーク! お願いだ、目を開けてくれ…!」
冷たくなっていく妹モニークの体を抱きながら、ディオゴは必死に呼びかける。
「お兄…ちゃん…」
最期に何かを言おうとして、モニークは兄の頬へ手を伸ばす。
「だい…好き…だよ…」
力無く、その手は落ちる。
ディオゴの頬はモニークの血によって赤く染められる。
「おおおおおおおおおお!!!!!」
雷鳴が響き、益々強まる雨音の中。
それでもディオゴの慟哭は、廃墟と化した黒兎人族の里中に響き渡った。
「白兎人族の連中め…!!!」
ディオゴの青い瞳が真っ赤に変色し肉食動物のような輝きを見せ、牙がむき出しになって白く輝く。
コウモリ人と兎人族のハーフである黒兎人族は、その闇夜のように黒い肌、肉食動物のような牙に見られるように、兎人族の中で悪魔や魔女と迫害されてきた。
だが、白と黒と、どちらの兎が本当の悪魔だろうか…。
アルフヘイム北方戦線におけるアルフヘイム北方軍の組織的な抵抗は終わりを迎えようとしていた。
北方戦線は兎人族族長ピアース3世の申し出により、兎人族を中心とした戦力で甲皇軍の迎撃にあたっていた。
対する甲皇軍は、亜人に対して情け容赦が無い事で知られる丙武(へい・たけし)大佐率いる1個軍団5千が襲来。
アルフヘイム各地の村々を文字通り地上から消滅せしめていく。
焼き、殺し、奪い尽くす丙武軍団の犠牲となった亜人は10万とも20万とも言われているが、これは伝聞が伝聞を生んだためである。実際の死傷者はその半分程度だった。
だが、アルフヘイム北方軍内に恐慌を起こさせるには十分であった。
セキーネ王子は丙武軍団との決戦を避けながら、徐々に戦線を後退していき…遂に、セキーネ王子は一人で戦場から姿をくらましてしまう。
北方軍上層部はこれに混乱しつつも、セキーネにならって我先にと逃亡を図る。
最終的に、彼らは卑劣にも逃亡のための時間稼ぎにと、黒兎人族に甲皇軍への決死の突撃を命じる。
黒兎人族は、そのような扱いを受けていると知っていた。
知ってなお、彼らは逃げずに戦うしかなかったのである。
甲皇軍の侵攻ルートの途上。
黒兎人族が住処とする里があった。
迫害され続けてきた黒兎人族にとって、その里は聖地であり、里を捨てて部族ごと避難する事は考えられなかった。
ゆえに、甲皇軍が侵攻するずっと前から幾度も戦争をしてきた白兎人族とも手を結び、共に甲皇軍と戦おうとした。
だが……セキーネと白兎人族達は、黒兎人族の里を命がけで守る気などなかったのだ。
甲皇軍へ対抗すべく同盟した当初、セキーネはこう言った。
「白と黒の兎人族の恩讐を乗り越え、今こそ我々は一つとなって戦いましょう」
だが現実はどうか。
白兎人族は、甲皇軍との戦いで一向に前線に出ず、黒兎人族にばかり戦いを任せていた。
挙句、徐々に戦線は後退し、ここで踏ん張らねばもう後が無いというところまで追い詰められ…。
最終決戦にと臨んだ土壇場の戦局。
よりによってそこで、白兎人族だけが退却していったのだ。
セキーネ達の裏切りを批難するも、迫り来る甲皇軍から里を守るべく、孤軍奮闘するディオゴ率いる黒兎人族の戦士達。
だが奮戦空しく、甲皇軍でも特に残虐な丙武軍団の進撃は止められなかった。
彼らの前では、オークは叉焼か酢豚、人魚は刺身、兎人族もジビエにして食べられる存在にしか過ぎない。
ディオゴ達は大きな犠牲を出しつつ、里へ逃げ帰り、残った非戦闘員の村人らを連れてセントヴェリアへ疎開しようと考える。
そう、思っていたのだが…。
いち早く退却した白兎人族は、途上にあった黒兎人族の里を襲撃し、略奪を働き、村人の殆どを虐殺していったのである。
甲皇軍にならまだ分かるが、仮にも仲間だったはずの白兎人族に襲われるとは…。
すべては白兎人族の族長ピアース3世の企みだった。
ただ白兎人族王子たるセキーネを弁護するならば、彼はこの企みを良しとは思っていなかった。彼自身はそこまで黒兎人族を陥れようとは思っていない。積極的に救おうとも思ってはいなかったが…。そのため、周囲からは単に逃げたと思われているが、セントヴェリアで戦局を好転させられるような援軍を送ろうと傭兵を募っていた。
が、そうした試みも、遅きに失したのである。
「白兎人族を守ってくれとセキーネ王子は言ったが…」
ゲオルクは顔をしかめる。
「…やはり、敗残兵にモラルは求められんな」
敗走する白兎人族の兵士達。
だが彼らは、黒兎人族の里を滅ぼした時のように、どさくさにまぎれて各地で略奪を働きながら逃げていたのだ。
また、兎人族はオーク並の性欲でも知られる。略奪だけに飽き足らず、強姦も頻発していた。
よってゲオルクは、当初の任務は兎人族兵の救出だったが、逆に兎人族兵を制圧、捕縛することの方が多かった。
「まぁ、略奪は働かずに真っ当に保護を求める兎人族兵は受け入れてやれ」
「半分もいないようだがな」
ガザミが皮肉っぽく言い、ぺっと唾を吐く。
「豚狩りの次は兎狩りかよ」
脱走兵ヴォルガーらのように、統率を失った軍がならず者集団になるのは戦場の常だ。それはガザミも理解していたが、やり切れない。
「くさるな、ガザミ」
ゲオルクは首を振る。
「…だが、貴様の気持ちも分かる。アルフヘイムに来てからというもの、甲皇軍と戦いに来たというのに、やっているのは亜人の脱走兵や敗残兵の制圧ばかり。真っ当な戦いは一度も無いからな」
「嫌気が差してきたかい?」
「少しな。だが、甲皇軍との戦いも近いだろう」
行軍を続けるゲオルク達だが、逃げてくる兎人族兵らの変化に気づいていた。
重傷者が増えている。
それだけ戦場が近いということを示唆していた。
「ゲオルク様!」
軍の先頭を進んでいた斥候が、緊迫した面持ちで馬を駆けてきた。
「前方で、黒兎人族の兵士と見られる男が…」
「むっ…」
報告を受けている最中、轟音と共に、ゲオルク軍前方で大きな土煙が舞った。
もうもうと立ち上る土煙は、大砲の弾でも落ちたような衝撃があった事を物語る。
土煙の中から、何人かの白兎人族兵が飛び出してくる。
恐怖に歪んだ表情で、負傷した体を引きずりながら逃げ惑う。
「石弓の用意を」
ゲオルクの前に、石弓兵らがずらりと並び、土煙が晴れていくのを待ち構える。
土煙が晴れるのを待たず、何かが飛び出してくる。
黒い肌、コウモリの羽が耳となったという4つの長耳、そして凶暴そうな白い牙。
「ガアアアアッ!」
牙をむいて咆哮する黒兎人族兵の男──ディオゴは、類まれな跳躍力で突進し、逃げ惑う白兎人族兵を追い抜きざまに首を掻き切ってしまった。
両腕に刃を取り付け、跳躍力を活かした素早い動きからの即死攻撃(クリティカル・ヒット)は、兎人族兵特有の武器であり、脅威である。
「放て!」
ゲオルクの号令で、石弓の矢が放たれる。
素早さを活かすために胸当てしかつけていないディオゴ。
殺傷力の高い石弓の矢が一発でも当たれば致命傷となる。
が、ディオゴは狂乱状態にありながらもそれらを巧みに回避していく。
その秘密は、コウモリ人からの特性・エコーロケーション能力にあった。兎の長耳に加えてコウモリの羽が変質した耳により、視界が悪いところでも鋭敏な聴覚がある。石弓が放たれる音からどこに矢が飛んでくるかを聞きとり、回避してしまう。
「厄介だな……」
ゲオルクは石弓兵らを下がらせる。
扱いが容易い石弓だが、通常の弓と違って連射性能に乏しく、次の射撃までに時間がかかってしまうのだけが難点である。
石弓兵を援護するように、槍兵が前に出る。
ディオゴの攻撃は、要は騎兵突撃に似ている。であるなら、槍兵で対抗するのが正しい。
「おらおらー! かかってこいやー!」
膝を震わせながらも、槍兵の一人が威勢よく叫んでいる。
「クッ……」
槍衾を前にして、ディオゴは冷静さを取り戻したのか足を止める。
が、その場で直上へ跳躍。
人の背の何倍もの高さまで跳躍してから落下。
先程、遠くで舞い上がった土煙がその場でも巻き起こる。
「スタンピングか」
経験豊富なゲオルクはそれを知っていた。
怒りを示した時、相手を威嚇する時、兎は後ろ足で地面を強く踏み鳴らすのだ。
ダン、ダン、ダン。
ディオゴがスタンピングを繰り返し…。
見る見るうちに土煙が大きく舞い上がっていく。
それは恐るべきクリティカルヒットの前触れ。
「土煙で姿をくらまし、突撃してくる。皆、注意せよ」
ゲオルクは自らも槍を持ち、デォオゴの突撃に備える。
刹那、黒い弾丸となったディオゴが飛び出してくる。
その時だった。
「グアァッ!」
ディオゴは膝に矢を受け、もんどりうって転げまわった。
目にも止まらぬ速さで突撃してきたディオゴの膝を狙って矢を当てるとは、神業である。
こんな事ができるのはエルフの凄腕弓兵キルク・ムゥシカぐらいのものだ。しかし彼はヴェリア城の守備兵だ。こんな前線に出張ってくることはない。
「何者だ」
ゲオルクは矢が放たれた方向へ目をやる。
林に潜んでいたエルフの少年がいた。
「へへっ、危ないところだったなおっさん」
まだあどけない顔をしている。だが先程の矢は恐るべき切れ味だった。弓の腕には相当自信があるのだろう。簡単に得意げになっている表情がやはり子供らしい。
「俺はアナサス。見ての通り弓兵さ。キルクのおっさんに言われて来た。人間なんか信用できないが仕方ない、手を貸してやるよ」
「それはかたじけない」
ゲオルクは深々と頭を下げる。
「っ…か、勘違いするな!」
まさか傭兵王とも呼ばれるような大の男に、頭を下げられるとは思っていなかったアナサスは顔を赤らめる。
「それよりさぁ、この黒兎人族、どうするんだ? 止めさすのか?」
アナサスは新しい矢をつがえようとする。
「いや、それには及ばん」
ゲオルクは首を振り、後方に目をやる。
やがて、白衣をまとって眼鏡をかけた男が現れた。
「軍医殿、頼む」
戦場においては小さな傷でも命取りになることがある。
ゲオルク軍にも軍医が一人だけ在籍していた。
彼は外科の名医であり、膝に矢を受けた程度の傷であれば治す事もできる。
膝に矢を受けて苦しむディオゴへ、軍医は治療に取り掛かった。
「俺も何度かお世話になったことがあるんだぜ」
ゲオルク配下の名も無き槍兵の一人が、自らの弱そうな膝をばしばしと叩いて得意気に語っていた。
「済まない事をした……俺は、故郷を滅ぼした白兎人どもをどうしても許せなかった。お前達に恨みなどないのに」
膝の治療を受け、冷静さを取り戻したディオゴ。
ゲオルクは首を縦に振る。
「貴様がした事は立派な軍紀違反だ。しかし、心情は理解できる」
「……」
ディオゴは神妙な表情となる。
「そして貴様の戦闘力はなかなかのものだ。貴様を保護したという名目で我が麾下に加えようと思う。さすれば白兎人族兵を殺害していたことも見なかったことにしてやろう」
「そいつは魅力的な申し出だな」
ディオゴは不敵に笑う。
妹や同胞の死による嘆きと怒りで我を忘れていたが、彼は本来狡猾で陽気な男であった。
計算高く、ゲオルク軍に身を寄せた方が得だと判断したのだ。
「なぁ、おっさんのような堅物にも分かるかい。この俺の股間の滾りが」
「た、たぎり…?」
「俺の膝に矢を当てたあの糞エルフ、あんなあどけない表情をしたガキを見るとブチ犯したくなる。そういうリビドーさ」
「りび…?」
「いいぜ、俺もあんたに従おう。なぁに、流石の俺もおっさんは守備範囲外だから安心しな」
「しゅ…?」
「憎むべきは甲皇軍ってのは俺も分かっているんだ。俺はまだ戦える。甲皇軍のケツにカマ堀ってやって、奴らのケツの穴おっぴろげてやるさ!」
「誰か通訳を頼む」
こうして、ゲオルク軍にディオゴ、そしてアナサスが仲間に加わったのである。
つづく