3話 戦場は踊る、されど進まず
「だーーー! やっぱりいけすかねぇ!!」
麦酒の杯を力いっぱい卓上に叩き付けるガザミ。
「何なんだあの糞エルフ共は! まともに戦争をやる気があるとは思えねぇ!」
「もう何杯目だ? 飲み過ぎだぞ、ガザミ」
「傭兵王のおっさん! 悔しくねぇのかよ! せっかく遠路はるばる、敗色濃厚なアルフヘイムを救援に来たおっさんに対してよ、あの糞エルフ共は散々舐めた態度とってたじゃねぇか!」
ガザミは殆ど涙声になっていた。すっかり酩酊し、蟹だからという訳ではなく、顔も真っ赤である。
「フム」
ぐびり、とゲオルクも麦酒の杯をあおった。眼光鋭く険しい表情ながら、豊かな顎髭に白い泡がついてひょうげた感じとなる。
「まぁ、正直言って腹は立った」
よく見れば、ゲオルクも少々顔を赤くしていた。
「だが、お主がそう怒っていては、わしはかえって冷静になろうというものだ」
余談ながら、戦場や公的な場では自らを「私」と言うゲオルクだが、酒が入ったり私人の時は「わし」と言う。
セントヴェリアの樹下町。
どこの駐屯地にも属さない区画にある酒場。
そこは各地から集まった傭兵達のたまり場となっていた。
ヴェリア城の無駄に豪勢な宴会を辞退し、ダート・スタンを何とか言いくるめ、ゲオルクは樹下町の一角に駐屯地を得た。
長旅に疲れていた兵達を休ませる宿舎、軍馬をつなぐ馬小屋、荷を置く倉庫などなど。寡兵なれど、それらを確保するのはゲオルクの将としての責任だ。
やっと一息つき、さぁ休もうかというところで、ガザミが「付き合え!」とゲオルクを酒場へ連れ込んだのだった。
(まぁ、部下の不満を聞くのも将としての務めか)
そう思い、苦笑してゲオルクは麦酒の杯を傾ける。
貧しいゲオルクの国では、貴族が飲むような葡萄酒は手が出ないので、庶民の酒である麦酒が愛されている。麦酒を飲むと、ゲオルクは故郷を思い出すのだ。
「な! あたしが言った通りだったろ! アルフヘイム軍っていうかよ、エルフが糞なんだよ、糞!」
ガザミが尚も言い募る。
ちなみにガザミの脱走の件は、誰も覚えてもいなかったので不問であった。
いや、覚えていないというより、関心を持たれていない。
アルフヘイム軍に軍規は無いに等しい。
脱走兵など日常茶飯事であり、取り締まる気もない。
ゲオルクの目から見て、アルフヘイム上層部は軍隊や組織というものをまるで分かっていない。
亜人の各部族が対等という立場を取っているためか、エルフ族がまとめ役といっても、エルフ族の命令で他の部族が無条件に従う訳ではない。
ヴェリア城にはエルフ族しかいなかったが、各駐屯地にそれぞれの部族長がいる。
しかし、それぞれの部族長が一同に会して軍議をする場も無いし、する気も無い。
エルフ族はエルフ族だけで軍議を行い、彼らの方針を各部族に使いをやって伝える。それにその部族長が了承すれば出撃したりしなかったりなのだ。
各部族は、それぞれの利害を優先し、それぞれが独自戦略で戦っている。つまり、アルフヘイム軍は極めて緩い繋がりの合従軍に過ぎない。各部族の利害が一致しなければ、統率された大軍として動けないのだ。
アルフヘイム軍が散漫な戦いを繰り広げ、甲皇軍に連戦連敗というのも頷ける。
「ウム……。エルフ族に任せていては、この戦争は勝てない」
しみじみと、ゲオルクはそう呟く。
──その時、物が叩き壊される音が酒場に響いた。
音がした方を見ると、顔を赤くした女エルフが細剣(レイピア)を構え、ゲオルク達をにらみつけていた。
床には葡萄酒の杯や料理の皿が壊されて散乱している。
「きぃ……聞き捨てならん、その暴言」
女エルフはガザミに負けず酩酊している。それだけならまだしも、剣を抜くとは性質が悪い酔い方だ。
「我が名はぁ、クルトガ・パイロット! 誇りぃ高いぃ……エルフ族の戦士だ。我が同胞への暴言、万死に値するぞぉ!」
「何だやる気か、テメー」
エルフへの不満を募らせていたガザミが、これ幸いと挑発に乗って立ち上がる。無骨な蟹鋏についた刃がぎらりと煌めく。
「おお、エルフと蟹の決闘か」
「いいぞ、やれやれー!」
女戦士2人の対峙に、酒場の酔客達が活気づく。
傭兵のたまり場というだけあり、客も荒っぽいことが好きだった。
ゲオルクは、ガザミとクルトガの2人を交互に見比べる。
ガザミは酔っ払っているとはいえ、流石に歴戦の戦士だ。少々の酔いでは体が揺らぐことはなく、ほぼ正常時に近い動きができるだろう。かえって目が座っていて危険だ。
一方、クルトガは別の意味で危ない。葡萄酒の杯や料理の皿をぶちまけているが、立ち上がろうとした際に引っ掛けたらしい。足元がふらついている。ろれつも回っていない。
勝負は火を見るより明らかだ。
「やれやれ、世話が焼ける」
ゲオルクはぐびりと麦酒をあおったかと思うと、空になった木の杯を振り回し、ガザミを後ろから殴った。
「グッ……」
ふいを突かれ、ガザミは気絶して倒れる。
そのガザミの体を抱きかかえ、ゲオルクはクルトガの前へ立った。
「おおお!」
無闇に切りかかろうとするクルトガを、ゲオルクはその丸太のように太い足で、足払いをして転がした。
盛大に転んだクルトガは、後頭部をしこたま床に打ちつけ、すっぽ抜けた細剣が宙を舞った。
細剣がクルトガの顔目掛けて落ちてくる。
「おっと」
ゲオルクは細剣を宙で受け止め、クルトガの命を救う。
「ひ、ひぃぃ…」
クルトガは死にかけたことに顔を青ざめさせる。彼女の高価そうなミニスカートが、酒ではない何かで黄色い染みを作る。
「エルフの女戦士よ、勝てぬ戦はするべきではないぞ」
そう言い残し、ゲオルクは酒場をあとにした。
酒場の件から2週間が経った。
「……」
ゲオルクは顎髭に紛れ込んだ蚤を爪先で捕まえては潰す作業に没頭していた。
端的に言えば、ゲオルク軍は干されていた。
敗色濃厚なくせに、アルフヘイム軍はくだらない体裁ばかり取り繕っている。
ラギルゥー族はゲオルク軍にセントヴェリアの治安維持といった雑用ばかり押し付け、一向に出撃命令は出さない。たかが100名未満の軍に与える仕事はそれぐらいしかない、とのことだ。
ならば傭兵ギルドに登録して、甲皇軍と戦うような依頼を受ければと考えたが、そうもいかなかった。
ゲオルクが酒場で倒した女エルフ・クルトガは、女エルフばかりで構成された傭兵団「ペンシルズ」の上位メンバーだった。
彼女を怒らせてしまい、ペンシルズがセントヴェリアの傭兵ギルドに圧力をかけてきて、ゲオルク軍はギルドからまったく仕事を紹介してもらえなくなってしまった。
エルフ族は総じて気位が高くて陰湿だ。この世で最も美しく秀でていると自負するエルフ族は、甲皇国が人間至上主義であるのに対し、エルフ至上主義である。美しさに自信がある女エルフともなれば殊更、その傾向は強く…。
しかしそのせいで、ゲオルクは蚤を潰す日々。
「まずいな、このままでは」
思わず、ゲオルクはため息混じりに呟く。
大都市セントヴェリアで生活をするというのは金がかかる。
兵達の衣食住を維持するのに、仕事が無ければ収入は無く、このままでは国から持ってきた大切な軍馬を売らねばならないところまで追い詰められていたのだ。
ゲオルクは、嫌々ながらダート・スタンやラギルゥー族に頭を下げ、仕事を紹介してもらうべきかと思い悩んでいたが…。
「良い話があります」
ゲオルクの宿舎に、フードを目深に被った男が訪問したのはそんな時だった。
「まずは何者か、そのフードをめくって顔を出してから話してもらおうか」
ゲオルクの部下が詰問すると、フードの男は鼻で笑う。
「ふふふ、今の貴方達に、仕事を紹介してくれる者を詮索する余裕などあるのでしょうか? 金も底を尽き、今日の食事にも事欠く有様でしょう?」
「お前から金を奪ってやってもいいのだぞ」
ゲオルクの部下が凄むが、フードの男は平然としている。腕に自信があるらしい。
「よせ、私達は傭兵だ。物盗りの類ではない」
「さすが傭兵王。物分りがよろしいようで」
「まずは仕事内容を聞かせてもらおう。請けるかどうかは内容次第だ」
フードの男は頷いて、机の上に地図を広げた。
ゲオルクはその時点で、フードの男が軍関係者であると察した。
ろくに街道も整備されていないアルフヘイムにおいて、地図を持つというのは軍関係者か交易関係者だ。しかし商人にしてはこの男は物腰が只者ではない。
「北方戦線か」
「はい、さすが傭兵王! 一目でお分かりになられるとは」
「兎人族のセキーネ王子が支えているという戦線だな。しかし、戦況は芳しくないと聞いている」
「……セキーネ王子が苦戦している。それには理由があるのですよ」
「ほう」
「兎人族はエルフ族に次ぎ、数が多い亜人族です。その派閥も様々で、大きく分類すれば、白兎人族と黒兎人族とに分かれています。セキーネ王子や兎人族全体の代表者であるピアース3世は白兎人族になります」
「仲が悪いらしいな、黒兎人族とは」
「はい。下手をすれば、甲皇軍などよりも、白黒の兎人族同士の方が互いを憎み合っているかと思います。……しかし、やむを得ないでしょう! 黒兎人族というのは、なんとコウモリ人などと交わった汚らわしい種なのです。兎人族と名乗るのもおぞましい!」
ゲオルクは苦笑する。
これでは、このフードの男は自らが白兎人族かそのシンパであると自白しているようなものだ。
「それで、仕事の内容は?」
「ああ、すみません」
思わず感情的になってしまったことに、フードの男は首を振る。
「北方戦線はもうだめです。黒兎人族が無鉄砲に突出したせいで、敵に包囲されかかり、かろうじて敵の囲みを突破したものの、矢折れ傷ついた兎人族の兵士達は、続々とセントヴェリアを目指して撤退しているところです」
「ふむ……撤退援護の仕事という訳か」
「はい。白兎人族の兵達は一人一人が掛け替えの無い者達です。何とか彼らを救ってやってください」
「黒兎人族はどうでもいいのか?」
「ははは、古来より兎は白と決まっているのですよ」
口元をほころばせるフードの男から、ふわりとした白い毛が落ちた。
フードの男が提示した金額は正規の料金より大幅に割の良いものであり、ゲオルク軍はその仕事を請け負うこととした。他に仕事があったとしても、これだけの条件なら請けても良いというものだ。
明朝には行軍準備をすべて整え、ゲオルク軍は北方戦線へと出撃する。
「いけすかねぇ」
行軍中、ガザミはずっとぶつぶつと言っている。
エルフ族や白兎人族らの「自らが優れた存在」という自負に、ただの蟹であるガザミは気分が悪かった。
「タラバガニとズワイガニのどっちが旨いかなんてどうでもいいだろ!?」
「ガザミ。その例えは少し適切ではないと思うが」
隣のゲオルクがやれやれと言いつつ相手をしてやる。
酒が入っていなくても、怒りっぽいガザミの相手は中々骨が折れるのだ。
「甲皇国の人間至上主義とどう違うってんだ」
「それを理解するには、まず亜人という言葉から見直した方が良いだろうな」
教師のように、ゲオルクはガザミへ語りかける。
「亜人という言葉は、人間が自らを正統で標準的な存在と定義し、それ以外の種族を人間と似てはいるが人間以下の劣った存在と定義したものだ」
「え、そうだったのか!?」
「そうだ。何百年もの昔、甲皇国の人間が定義した考えだが、エルフやドワーフ達アルフヘイムの民は、自らを言い表す言葉を持たなかった為、その人間が使う亜人という言葉を意味も知らずに受け入れてしまった。便利だったからな」
「じゃあ、あたし達は、自分達を貶める言葉を使ってしまっていたってことかよ。ふざけんな!」
「人間とそれ以外の種族を区別するのに使われていた亜人という言葉だが、その言葉が広まったことにより、アルフヘイムの民達の中でも、互いを区別、差別する考えが広まった」
「なるほど。エルフなんかでも真エルフとか、ダークエルフとか、ハーフエルフとか、エンジェルエルフとか、色々分けて考えるようになってるもんな」
「そうだ。昔からのエルフの特徴を強く残している種族を真エルフ族とするが、それ以外のエルフを雑種と見なし、差別するようになってしまった」
「元をただせば、それは亜人って言葉が広まったせいなのか」
「ああ。私はそれを、亜人を滅ぼしたい甲皇国の扇動ではないかと思っている。互いを争わせて力を弱めるための。エルフ族同士でも互いの種族の仲はかなり悪い。兎人族同士はその比ではないようだがな…」
ゲオルクが言葉をつぐむ。
少し先に、例のフードの男が見えた。大きな樹木の枝に乗っている。
「ご武運を、傭兵王!」
風が舞う。
男のフードがめくれ、その白い兎の顔があらわとなる。
「おっと」
白兎人族の男は、フードを元に戻し、にやりと笑う。
「黒兎人族はどうでもいいと言いましたが、個人的にはそこまで憎んでいる訳ではありませんよ」
ガザミとの会話を聞かれていた。
「しかし、黒兎人族との争いは長く続きすぎた。今更、仲良くできるものではない。私の子供、孫の時代に期待するしかない。その為にも、私は子や孫をなさねばならない。モフモフする使命がある。戦いなどしている場合ではないのです」
それだけ言うと、白兎人族の男は木の枝から跳躍する。凄まじい跳躍力であり、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
「要は、女の尻追っかけたいだけだろテメーは!」
ガザミはセキーネを痛烈に罵った。
つづく