「目を覚ませ! カエン、イツエ!」
傭兵集団ペンシルズの隊長アリアンナは、叫びながらレイピアを振るう。
切っ先がイツエと呼びかけたもの──機械歩兵・丙式乙女・伊一〇六型「逸江」──の胴体を突くが、それは肉を抉る手ごたえではなかった。硬い金属に当たったような、「ガキン」という音が響く。
「……!」
驚きながらも足を止める訳にはいかない。
もう一体の機械歩兵である丙式乙女・伊一〇七型「華焔」が手のひらをかざすと、そこには機関銃が取り付けられており、猛烈な機銃斉射を浴びせてくるのだ。
風の精霊戦士としての加護を受けたアリアンナは、体全体に風の防壁魔法が張られている。少々の銃撃では致命傷を負うことはないだろう。が、機関銃の連射を防ぎきれるかは分からない。
一方、「逸江」の方は、おどろおどろしい骸骨の頭が取り付けられた杖を振るっていた。かつて彼女がエルフであった頃と同じように、魔法による爆破・雷撃魔法でアリアンナを攻撃してくるのだ。爆風が吹き荒れ、大地を抉り…。アリアンナはその魔法攻撃の威力がかつてよりも強化されていることに気づく。
「くそっ、おい! お前らは私が分からないのか!?」
引き続き、アリアンナはペンシルズ隊長としての義務感から二体に呼びかける。
だが、華焔も逸江も冷たい目を向けるのみ。かつてペンシルズの同僚であった「カエン」「イツエ」は既に死んでいた。今は、その二人を素体として作られた機械歩兵でしかない。機械歩兵の目には何の親しみも、憎しみも、怒りも、笑いもない。ただ、「亜人を殺せ」という命令だけに従うだけの殺戮機械なのだ。
「───ああ、そうかよ。完全に洗脳でもされたか? いずれにしろ、そんなエルフとしての尊厳を踏みにじられた姿を晒しておくのは、お前たちも不本意だろうな……」
すうっとアリアンナの目が座り、殺意で脂ぎっていく。
説得はもう諦めた。
間合いを図り、二体をどう壊すかだけを考え、隙が無いか観察する。
非常に高い戦闘能力を有した機械歩兵相手では、アルフヘイムの一般兵では太刀打ちできない。集団で魔法を浴びせれば少しはダメージを与えられるかもしれないが、何しろこの二体は非常に硬い。並大抵の打撃ではびくともしないようだ。華焔が前に出て機銃斉射を浴びせてきて、逸江が後ろから魔法攻撃をしてくる。そのコンビネーション攻撃も隙が無く、近寄ることすらままならない。
そしてまた、華焔が機銃斉射を浴びせようと手のひらをかざす。
副隊長のクルトガがその凶弾によって重傷を負い、部下の多くもやられてしまった。
自分がやるしかないのだ。
「死だけが救済ならば……!」
アリアンナは裂帛の気合を込め、レイピアを突き出した。
「たかがガキ一人に何を手こずっておるか!」
「貴様らはそれでも栄えある黄金騎士団か!」
金ぴかで悪趣味な全身鎧を身にまとう重装歩兵を擁するサウスエルフ軍団が苦戦していた。
指揮官のフェデリコ、シャロフスキー両将軍が鼓舞するが、黄金騎士団の動きは鈍い。
疲労からだろうか。いくら重装歩兵で鎧が重いとはいえ、余りに緩慢な動きだった。
「はぁ……はぁ……」
名もなき黄金騎士団の兵士は息を切らせ、全身から汗を噴き出しながら、目の前を疾走する少女を目で追う。
「来るなら来やがれ、糞ビッチが…!」
そう呟いた次の瞬間、目の前が真っ暗になる。
減らず口を叩いた彼の口に長槍が突き刺さり、頭の上半分が吹き飛んでいた。
多勢の重装歩兵を相手どり、長槍を手にするリーリアはたった一人で奮闘していた。常人離れした速度で動き回るリーリアに対し、重装歩兵たちはまったくついていけない。そしてリーリアの突き出す長槍は、分厚い装甲をバターのように切り裂いてしまう。明らかに人間の少女の腕力ではなかった。
「ぐぇっ!」
また一人、黄金騎士団の兵士が鎧ごと真っ二つに切り裂かれ、無様な断末魔をあげる。
「私は丙家、私は丙家……」
相変わらずぶつぶつとそれだけを繰り返すリーリアは、全身を血で染め上げながらも、自分がどんな酷い姿をしていても意に介さない様子で、まるで機械歩兵と同様に感情を失くしたマシーンのように槍を振るう。
リーリアの周囲は、臓物や手足が飛び散り、人間をミキサーにかけたような有様である。
ぐちゃぐちゃの臓物が、糞の詰まった大腸らしきものが、フェデリコの顔に飛んできた。
「げええええ! びぇええええ!」
糞まみれになり、フェデリコが恐慌をきたす。ありとあらゆる体液を垂れ流し──涙と汗を流し、嘔吐し、小便を漏らし、脱糞し──無様に地面をのたうち回っていた。まるで糞太郎くんである。
「フェデリコ、大丈夫か!?」
「叔父上ぇ、叔父上ぇ…! 嫌だ、臭い、助けてよぉぉお!」
「ちっ…」
近寄るな。そう叫びそうになるのをぐっと堪えた。
まったく無様だ。我が甥ながら、それでもエルフの軍人か。エルフこそが至上であると考えるシャロフスキーにとって、フェデリコは目をそむけたくなる現実だった。彼よりずっと年下のエルフの少女ビビなどが大活躍しているということもあり、比べたくはないが比べたくもなる。子供より役に立たない。一人前の成人したエルフの軍人とは思えない無能ぶり。しょせんは大貴族である親族のコネで将軍になっただけのボンボン。
(クラウスとは大違いだな……)
そう心の中で呟くが、そんな無能極まる男だとしても、愛する甥であることには変わりない。甥の不始末は自分がつけねば。
「落ち着いて陣形を組むのだ!」
歴戦の将軍であるシャロフスキーはさすがに場慣れしており、冷静に兵士たちに的確な指示を出していく。
黄金騎士団の兵士たちもただやられているだけの無能ではなかった。また、略奪や強姦も辞さない凶暴なサウスエルフ族でもあるので、リーリアをひっ捕らえて犯してやると言わんばかりに勇んで前に出る。長盾と長槍を組み、ハリネズミのような形の陣形を取る。伝統的な
「どうだ、かかってこい!」
「槍衾で串刺しだ!」
「……!」
さすがの洗脳兵士も踏みとどまる。
目に見えている死に突撃はできない。
いくらリーリアが常人離れしたスピードとパワーを発揮しているといっても、それは洗脳状態による思い込みの力だった。身体能力そのものが強化された訳ではない。実際、普段は理性でセーブされていた身体能力を極限以上に引き出しすぎていて、体の関節のあちこちが軋むように痛んでいた。いつの間にか柔肌にはいくつもの刀傷がついており、全身を赤く染めるのは返り血だけでなく、自分の血も混じっているのだ。そう自覚した途端、リーリアは体が重くなるのを感じた。
「ギャハハハハ!」
密集陣形の中から野卑た笑い声が響く。
「おいおい、かかってこねぇのかよお嬢ちゃん!」
黄金騎士団のガラの悪い兵士たちが挑発していた。
「かかってこいよぉ! その細っこい腰についてる鎧をはぎ取って、エルフのありがたい子種を注ぎ込んでやっからよぉ!」
まるで下品なことで定評のある黒兎族のような言葉遣い。
リーリアは怒りをあらわにして、やはり亜人は殺すしかないと心に決め、密集陣形の方を睨みつける。このまま突撃すれば死ぬだろうが構うものか。お母さまを奪った奴らを一匹でも多く殺してやるのだ。私は丙家の戦士だ。死など恐れない!
「ぎゃははっ、ぎゃははh」
とその時、笑い声が止む。
密集陣形に、すり潰されたように大穴が空いていた。
その後から、砲撃による衝撃音が響き渡る。
「───恐れることはない!」
「!!」
爽やかに響き渡る主人公ボイスに、リーリアは槍を握る手に力をこめる。
「行け。丙家の戦士よ。亜人どもを皆殺しにしろ!」
きらりと光る眼鏡と晴れやかな笑顔。巨大なハンドガンを手にしたその姿は勇者のごとく。
リーリアの背後に鋼鉄の義手と義足をつけた男が腕組みをして立っていた。
「丙…武…大佐」
「お、リーリアじゃないか!? ってボロボロだな、お前。大丈夫か?」
亜人には容赦がないが、同胞には優しいということで定評がある丙武は、ガチャガチャと鋼鉄の足音を響かせながらリーリアに駆け寄った。ぴかぴかの新品軍服ジャケットを脱ぎ、汚れるのも厭わず、リーリアに付着した血を拭きとってやる。
「越えちゃいけないライン考えろよ」
「はい……も、申し訳ございません」
「医療班! リーリアを後方へ送って手当してやれ」
「大佐! 私はまだ戦えます!」
「ダメだ。お前はもう十分戦っただろう? クラウスの首を取るのは俺さ」
丙武はニヤリと不敵に笑った。
彼の背後に、勇猛なる丙武軍団が揃っていた。
「行け! 行け! 殺せ!」
遂に、甲皇軍の本隊が、撤退するアルフヘイム軍に追いついていた。
リーリアと丙式乙女らの攪乱が、大いに時間を稼いだのだ。
とはいえ、ユリウスやゲル・グリップ率いる主力部隊はまだ姿を見せていない。アルフヘイム軍の前に現れたのは丙武が率いる五千ほどの軍団であった。それでも満身創痍のアルフヘイム軍にとっては大いなる脅威なのだが。
「潮時だな」
シャロフスキーはあっさりと撤退を決めた。こんなところで死ぬわけにはいかないのだ。糞まみれになって気絶しているフェデリコを部下に抱えさせ、さっさと戦場から逃げていく。他の部隊を守るために踏みとどまって戦おうなどという考えはない。シャロフスキーはエルフ至上主義者であり、獣人どものために命をかける訳がなかった。この時、黄金騎士団は完全に戦場から離脱してしまった。他の部隊と足並みをそろえてボルニアまで撤退することを放棄し、散り散りになっていずこかへ逃げ去ってしまったのだった。
それからも延々と、血みどろの戦いが続いた。
黄金騎士団が抜けた穴に、白兵戦に優れたサラマンドル族やドワーフ族の軍団がカバーし、辛うじて戦線を維持しながらアルフヘイム軍は撤退を続けていく。
「エルフどもめ! 俺たちばかりに犠牲を強いて、自分たちだけ逃げようってのか!?」
黄金騎士団の敵前逃亡が士気を下げていた。丙武軍団は手ごわく、歴戦の勇士であるサラマンドル族やドワーフ族でも苦戦を強いられていた。苦戦するならまだしも、エルフのために自分たちだけが命を張るのが不本意だった。アリューザでの戦闘で前線に立っていたサラマンドル族やドワーフ族は、ただでさえ消耗が激しかった。
だがそうした不満が高まりそうになる戦線へ、さっそうとクラウス率いる親衛隊が応援に駆け付ける。エルフであるクラウスがそうした行動を取ることで、全体の士気は辛うじて保たれるのだ。アリューザでの戦いで温存されていた親衛隊の戦力や士気は旺盛であり、特に精霊戦士ビビや、親衛隊隊長アメティスタの活躍は目覚ましかった。
「クラウスは健在! クラウスは健在!」
アリューザでの爆撃でクラウスが負傷したという情報が一時流れていたが、それは誤報だったのか。甲皇軍の兵士は復活した英雄クラウスが戦線に姿を見せるのを恐れた。甲皇軍上層部はクラウスの首を取ろうと躍起になっているが、実際に命を張るのは末端の兵士だ。それもクラウスの周囲には最も恐るべき精霊戦士のビビや親衛隊が固めている。むしろ出会いたくない敵なのだ。
アリューザから撤退を続けて三日目。
激戦が続き、甲皇軍もアルフヘイム軍も末端の兵士は疲弊しきっていた。
理由は分からなかったが、両軍とも普段以上に。
体が重く、吐き気や高熱を出す者が相次いでいた。アルフヘイム軍は薬草や治癒魔術に長け、甲皇軍も進んだ近代医療技術を有しているが、体調不良の者を快癒させる方法は見つからなかった。負傷の末に死んでいく兵士に次いで、衰弱して死んでいく者が目立つようになっていた。
(───やはり、あの黒い雨が……?)
(───あんな爆弾を使ったんだ。これは呪いなんだ……)
兵士たちは迷信に惑わされやすい。
明日をも知れぬ戦いの中で、信心深くもなっていく。
それだけに、言いようのない不安が両軍を覆っていた。
一人、また一人と力尽きて倒れていき、その死体はそのまま野ざらしとなっていく。
それでも両軍は夜を徹して戦闘を続けていた。
いつもより夜は長く感じられた。
一日が終わるごとに、その日生き延びたことに感謝する。
終わらない夜はないのだ。
夜を生き延びて朝日が昇るのを見る時、とめどなく涙が溢れてくる…。
いつまでこんな戦いの日々が続くのか。
もはやシャロフスキーの黄金騎士団のように、脱走兵も珍しいものではなくなっていた。
そして四日目の朝、アルフヘイム軍に衝撃の事実がもたらされる。
後方から襲い来る甲皇軍は、主に丙武軍団五千であった。ユリウスとゲル・グリップの手強い第一軍は姿を見せていなかった。まだまだ後方に控えているのかと思われた。だがそのユリウスらは、丙武軍団にアルフヘイム軍の足止めをさせつつ、機動力に優れた少数の騎兵部隊や竜戦車部隊を中心として先回りし、ボルニアへ至る平野に展開しつつあるというのだ。
「───包囲される。このままでは」
今の疲弊しきったアルフヘイム軍に、この包囲を打ち破ることは絶望的に近い。
後ろには丙武。
前にはユリウス。
どう足掻いても地獄を見るのは明らかだった。
「構うこたぁねぇ。正面に全戦力を集中させて突き破ればいいんだ。ユリウスが来たって言っても後ろの丙武の五千よりも数は少ないんだろう?」
アルフヘイム軍の首脳陣が集まった軍議にて。
暴火竜と名高い竜人のレドフィンがそう気を吐く。
今やレドフィン率いる竜人部隊は壊滅状態であり、彼も竜戦車部隊との戦闘で重傷を負っている。生還したのが不思議なほど、治癒魔道で回復しきれないほどの重傷だった。また疲労もある。普段の彼をエルフ千人分の戦力とすれば、今は三百人分にも満たないだろう。
「そうは言うが、相手はあのユリウスだ。やつの得体の知れない強さは正直言って……」
珍しく口ごもるのが風の精霊戦士アリアンナ。
たった一人で丙式乙女らを退けた強者の彼女でも、ナルヴィア大河の戦いでユリウスと対峙した時には何もできなかった。あの時はダンディやシャムも加えた凄腕の剣士三人で挑んだが敗北していた。今もなお、ユリウス攻略の糸口は見つかっていない。
「全戦力を投入してユリウスにあたるとしても、少しでも手こずれば包囲される。後方の丙武も侮れないぞ。そちらにまったく気を配らないのも得策ではない。誰かが足止めをする必要があるだろう。また我々が殿を務めても良いが……もう我々に残された戦力はそう多くはない」
ベルクェットが嘆息混じりに言う。
オウガ族の鬼兵隊を率いる彼は魔力の使い過ぎで疲れ切っていた。ナタイシの騎兵部隊に多くの仲間を削られてしまった。防壁魔法が使える者も余り多く残されてはおらず、他の部隊のために治癒魔法が使える者がずっと魔法を使い続けていて疲労困憊だった。だがオウガ族の名誉を守るため、命を削ることに躊躇はない。体が動かなかったとしても、命を差し出して敵を足止めする覚悟だ。
「皆さん冷静に。ここは総司令の判断に委ねましょう」
エルフ僧兵隊を率いるメラルダはそう皆に諭す。この癖の強い連中を従えさせるには、やはり英雄の権威を持ち出すしかないと分かっていた。
「……」
黒仮面をつけたクラウスは黙ったままだった。
「総司令はこう仰っている」
代わりに答えたのはアメティスタである。
「いずれにしろ、座しては死を待つだけだ。後方に一部隊のみ殿に置き、残る全戦力で前方のユリウスと対峙する。それしかないだろう」
「その一部隊は……」
殿となるのはどの部隊だ。
その部隊は生きて帰れる見込みはゼロに近い。
そんな任務を引き受ける者がいるとは思えない。
皆がそう思うが、クラウスは首を振る。
「殿は、このクラウスが引き受ける」
言ったのはアメティスタだが、それがクラウスの意思なのか。
信じられないといった表情でアルフヘイム軍の戦士たちは顔を見合わせる。
が、これは実に理にかなった策でもあった。
クラウスは甲皇軍にもっとも敵視されている。
その彼が囮となるなら、敵も包囲よりもクラウスの首を狙って動くだろう。
だが、クラウスが生きて帰れる確率は……。
「総司令、死ぬつもりか」
ベルクェットが咎めるように言う。
彼自身も殿となって死ぬつもりだったので、その死ぬ覚悟が伝わってきていた。
「戦争はまだ終わった訳ではない。君たちアルフヘイム軍の主力が、ここで死ぬわけにはいかないのだ」
代わりに答えるアメティスタに、アルフヘイム軍の戦士たちはさめざめと涙を流した。
「……総司令の意思を、汲んでやってくれないか」
親衛隊長のアメティスタにそう言われれば、軍としてはまとまって動くしかなかった。
翌朝、黒仮面のクラウス率いるごく少数の部隊が後方の丙武軍団を引き受け、残る全軍が前方のユリウス軍団を打ち破ってボルニアを目指すという作戦が実施されるのだった。
つづく