52話 嘘
「───ゆえに、種族の差異は個性であり、優劣ではないのだ。また亜人という言葉も、これは甲皇国の者たちが意図的に広めた言葉である。人間族とそれ以外の種族を差別するための。我々、アルフヘイムの者たちがその企みに乗ってはいけないのだ」
クラウスが熱く拳を振り上げて演説をしている。
この要塞都市ボルニアは堅牢で知られており、度重なる甲皇軍の攻撃も跳ね返している。アルフヘイムにおいて最も甲皇軍の攻撃が集中するところなのに、今や最も安全な街になっている。だから大陸各所から避難してきた人々が集い、ボルニアを領地とするウッドピクス族も街が栄えるからと避難民を続々と受け入れているので、今やボルニアはアルフヘイム最大の大都市になりつつある。
ボルニアが堅牢なのは英雄クラウスのおかげであるという。
彼はエルフ族でありながらエルフ至上主義というわけではなく、むしろすべての種族へ分け隔てなく接することで知られている。それは彼がエルフ族でも平民出身であるからかもしれない。人間の少女を恋人にしているという噂もある。
「───立て、アルフヘイムの民よ。俺と共に、甲皇軍に立ち向かおう!」
クラウスの演説は、ボルニアに集った避難民に向け、新たに義勇軍に加わる兵を募集するためのものだった。既にクラウスの名は人々に広く認知されていて、その彼が自ら演説して募兵するということで多くの聴衆が集まっていた。
「俺も戦うぞ!」
「私も入れて!」
続々と様々な種族の者たちが名乗りをあげている。
彼らの目は輝いており、希望に燃えている。身なりは粗末だし、大陸各地から逃げてきたばかりで疲れてもいるだろう。それなのにクラウスの言葉を聞いているうちに、みるみる目に輝きが増してきていた。そうか、これが英雄と呼ばれるゆえんか……。
……羨ましいことだ。
かつて私にもあのような時期があったはずだが、もう思い出せない。
金ぴかで悪趣味な黄金騎士団の鎧に身を包みながら、私はこの鎧が実に居心地の悪いものに思えてきた。
現在のアルフヘイム政府と軍は腐敗している。一部の大貴族が専横し、主にエルフ族で構成された正規軍もやる気が無い。エルフ族のことしか考えていないからだ。エルフ族さえ安泰であれば他はどうでもいいと考え、保守的で硬直した作戦行動しかとれない。このボルニアでも、私の上官のフェデリコのような俗物が将軍として大きな顔をしている。
だがクラウスと義勇軍の面々はどうだ。様々な種族で成り立つ彼らの方が、余程統制がしっかり取れている上に、柔軟な発想で作戦行動をしている。ホタル谷での戦いも見事なものだった。これからは、彼らが新たなアルフヘイムを築いていくのではないだろうか……。
同じようにボルニアで戦っていても、正規軍と義勇軍は明確に分けられている。正規軍は軍人として俸給が出ているが、義勇軍は殆どボランティアになる。軍に正規雇用されているわけではなく、クラウス個人を慕って集まって戦っているだけの民間人の集まりだからだ。武器や食料は支給されているようだが、俸給はほんの僅かだ。同じように戦うのなら、正規軍で戦った方が利得があるのは明らかなのだが……。
私には親も兄弟もいない。養うべき者もいないので、自分ひとりの食い扶持さえあれば良い。だからどうしても軍で高給を稼がなければならないという理由もない。ならば腐敗した正規軍ではなく、義勇軍に身を投じても良いのではないか?
……そういった思いが頭をよぎるが、踏ん切りがつかなかった。みすみす安定した地位や高給を手放し、大した見返りも無い義勇軍に身を投じる理由も……。
「私も戦おう」
良く通る、凛とした声が響き渡った。
クラウスばかりに目を向けていた聴衆のうち、かなりの数───特に女性陣が───注目していた。
褐色の肌に、紫色の頭髪。背中には竜の翼。一目で竜人の女と分かるが、竜に近いものと人に近いものがいる竜人の中でも、彼女は人に近い方の竜人だった。凛々しく整った顔つきは美少年を思わせるが、ふっくらとした唇や豊かな稜線の胸元はしっかり女性らしさも感じさせる。
「あれは…?」
「南方戦線で戦っていた竜人族の戦士のようだな…」
「お前たち、知らないのか? あれはアメティスタだ。南方じゃ知らない者はいないぞ。精霊戦士のエイルゥと並んで戦い、ゲル・グリップを苦しめた女戦士だぜ!」
聴衆がざわめいていた。有名な戦士だったのか。さもありなん。実に印象的というか、女としても魅力的だが、女が惚れる女というタイプだ。実際、男よりも女の方が彼女に見とれてしまっている。
───そう、私も。
それが私と、私が生涯をかけて彼女のために戦おうと誓った、アメティスタとの出会いだった。
天幕の中は、とても静かだが重苦しい空気だった。
分厚いカーテンで覆われた寝台があり、そこに横たわる人物へ向け、アメティスタが片膝をついてかしずいていた。仕えるべき王がいないアルフヘイムにおいて、親衛隊隊長の彼女がそうした態度を取る人物はただ一人、彼女の王であるクラウスだけだ。だがアメティスタの後方には、黒仮面を被ってクラウスと呼ばれていた人物が同じようにかしずいている。
「サイファ」
アメティスタが後ろを見て頷くと、その人物は黒仮面を脱いで顔を晒した。
「ふうっ。ねぇ、アメティ~、この天幕の中ちょっと暑苦しくない?」
「そうか? 丁度良いと思うが…」
「アメティは竜人だからあんまり暑さ寒さを感じにくいのかもしれないけどね、エルフにとっては、ここはちょっと暑いんだよ?」
「むぅ、そういうものか…?」
陽気な声に、重苦しい空気が和らいだ気がした。
穏やかな笑顔を見せたのは、親衛隊副隊長サイファ・クワランタであった。エルフ的特徴を備えた長耳と体格だけがクラウスと似ていて、顔も性別も違っていたが、仮面と分厚い鎧のために見分けがつかない。サイファがクラウスの影武者を演じていたことは、ビビや親衛隊を除けば他の部隊は誰も気づいておらず、クラウス自身でさえ影武者が仕立て上げられていることを知らされていない。アメティスタの独断だった。
「総司令、お加減はいかがでしょうか」
アメティスタがカーテンの中の人物──つまり本物のクラウス──に呼びかける。
「悪くない。少し持ち直したようだ…」
カーテン越しにクラウスは返答する。
「それは何より。間もなくボルニアです。目のことや、体調不良についてもボルニアにいる優れた治癒魔術師にかかれば良くなるかもしれません。今しばらくご辛抱を」
「ああ……戦況はどうなっている?」
「ご安心を。順調です。甲皇軍の追撃も大したことありませんね。奴らも疲れているのでしょう。ニコロ将軍率いるB軍集団とも間もなく合流する予定ですし、明日明後日にはボルニアに辿り着ける見込みです」
「そうか」
クラウスは平坦な口調で返事をする。
内心、アメティスタは嘘が気取られていないか冷や汗を流していたが、クラウスがそれ以上何か追及するようなことはなかったので、ほっと胸をなでおろす。
本当は、戦況はとても厳しい。
クラウスに心労をかけさせないため、嘘をついている。
後ろからは丙武軍団五千が迫っており、前には先回りしてきたユリウス軍団三千が待ち構えている。ニコロ将軍のB軍集団が援軍に現れる可能性もあるが、ボルニア周辺の甲皇軍小要塞群の抑えで苦戦をしているのか連絡が途絶していた。また、脱走兵が相次いでいる。シャロフスキー・フェデリコの黄金騎士団二千が離脱したし、エルフ族への不信感を募らせた獣人族を中心に脱走兵が相次いでいる。モラルの低い脱走兵は野盗に転じている者もいるという。オークのヴォルガーというならず者が百名ほどのオークを従えて近隣の村を荒らしまわっているという報告もあった。普段なら軍紀統制ですぐさま討伐するところだが、いちいちその程度のことに対応している余裕もない。
もはや、今のアルフヘイム軍は崩壊寸前なのだ。
それでも……クラウスやまだ生き残っている主だった戦士たちさえ無事ならば、ボルニアで英気を養って再び甲皇軍に立ち向かうこともできるだろう。
そのためには、少々の方便も必要だとアメティスタは考えていた。
「では私はこれで……」
ぼろが出る前にと、アメティスタは立ち上がって天幕から去ろうとする。
サイファも黒い仮面を被り直し、後についていく。
もしかしたら、これが最後の別れになるかもしれない。だがそんなことを、クラウスに気づかれるわけにはいかないのだ。
「アメティスタ」
カーテン越しにクラウスが声をかける。
「はい」
びくりと身を震わせつつも、アメティスタは平静を装った声で返事する。
「戦争はまだ終わらない。俺にはお前たちが必要なんだ。だから、死ぬなよ」
「……ありがたきお言葉。ええ、勿論です」
顔を伏せ、アメティスタはそのまま天幕から逃げるように立ち去った。
「ばれたのかと思ったねー」
「……もしかしたら、ばれているのかもしれないが。何も言わなかっただけなのかもしれない」
「どっちでもいいよ、私は」
二人きりになり、アメティスタとサイファはひそひそと言葉を交わしていた。
「私は正規軍にいた時、ろくに本気で戦おうって思っていなかった。フェデリコやシャロフスキーのような保身ばかり考えるエルフの将軍にほとほと嫌気がさしていたんだ」
「サイファ……」
「でも、義勇軍に入って良かったよ。クラウスの指揮で戦うのは気持ちが良かったし……」
サイファは、目に涙を浮かべ、アメティスタに抱き着いた。
「な、なんだ? どうしたサイファ」
「アメティに出会えた」
「……!」
ぎゅう、とサイファはアメティスタの細い体を抱きしめた。
僅かに震えている。
そうだった。アメティスタは強そうに見えるし実際強いが、責任感が強すぎて何でもしょいこみすぎるところがある。今もこの重大局面で、クラウスだけでなく自分にも嘘をついて戦ってきたのだ。本当は、クラウスにしがみついて泣いたりもしたいだろうに。
「クラウスは死ぬなって言っていたよね?」
「ああ。無理な注文だが……」
「たぶん、大丈夫だよ~うふふ~」
「そ、そうか?」
「なるようになるし、テキトーにやろ?」
嘘だ。
死ぬ確率が一番高いのはサイファであるはずなのに、その彼女が笑顔を見せることで、アメティスタは幾分か気が楽になっていた。
(───アメティは死なないよ)
サイファは、アメティスタだけは死なすまいと考えていた。
つづく