Neetel Inside 文芸新都
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ミシュガルド戦記
69話 義と情と

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69話 義と情と






 悲鳴、血しぶき、金属音、金属片。
 様々なものが飛び交う大乱戦。
 この戦争の雌雄を決そうと、ハイランド勢を中心とするアルフヘイム軍と機械兵を中心とする甲皇軍が激突していた。
 全体的な戦場の流れとしては士気旺盛なアルフヘイム軍が優勢だったが、意思を持たず黙々と突撃する機械兵中心の甲皇軍もしぶとく持ちこたえている。
 そんな剣と剣が、槍と槍が交差する乱戦の中で、ただ一つ両軍の兵士誰もが近寄れない領域があった。
 言うまでもなく、ゲオルクとユリウスである。
「大将同士の一騎討ちで戦争の勝敗が決まるなど、実に前時代的だが…今はあの男を信じるしかないな」
 機械兵を指揮しながら、自らも前線に出て鉄拳や銃などで奮戦するゲル・グリップは苦々しく呟く。ゲルは甲皇軍でも最精鋭たる第一軍を指揮する士官であり、誰よりも先進的な戦略や戦術を志向していた。その彼が自身の信条を否定してでも認めざるを得ない。
 ゲオルクもユリウスも国家間戦争という大規模な戦いにも関わらず、突出した個としての武力に秀でている。彼らはそれぞれの軍の象徴ともいえる存在となっており、彼らの戦いの勝敗によってこの戦争全体の趨勢も決まるだろうというのは、敵味方誰しもが認めるところだった。
「ふん!」
 ゲルの右腕の鉄拳がうなり、襲い掛かるハイランド兵の剣を叩き折る。更に左手に持ったハンドガンを撃ち、敵にとどめをさす。だが雪崩のように襲い掛かるハイランド兵が更に刀剣を振りかぶって押し寄せてくるので、すぐに忙しく立ち回らねばならない。自分が鍛え上げた第一軍よりも、刀剣での戦いに特化して鍛え上げられたハイランド軍は手強い。ユリウスほどでなくても、十分に個としての武力も高いゲルでさえ、この戦場で一瞬でも立ち止まれば容赦なく首が飛ぶだろう。
「くそっ……だが、例え私が死んでも代わりはきくが、あの男が死ねばこの戦争は負ける。───おい、傭兵騎士! 分かっているのか!」
 ゲルが声をかけたのはアウグストだった。
 実の父親と兄が命をかけて戦っているのを目の当たりにしながら、アウグストは抜き身の剣を持ちつつも、その手は垂れ下がっており、ただ茫然と親子の対決を見ているだけのようだったのだ。
「兄上……父上……」
 そう呟くアウグストのことなど目に入らぬかのように、ゲオルクとユリウスは死闘を繰り広げていた。
「ぬおおおー!」
 裂帛の気合を込め、ユリウスがフォデスの魔剣を振り下ろす。闇のオーラを放ちながら迫りくる魔剣だが、ゲオルクの持つルネスの聖剣とぶつかり合った瞬間、その闇のオーラはふっと消え失せる。剣と剣がぶつかり合う金属音が響き渡る。
「その程度か、ユリウス!」
 ゲオルクが不敵に笑う。驚いたことに、ユリウスは躍りかかって体重を乗せた一撃を与えたはずなのに、ゲオルクは微動だにせず聖剣によって衝撃を受け止めていたのだ。それも片手で。
「くっ…!」
 いつもと違う手ごたえに驚き、ユリウスは後ろへと下がった。
 魔剣を持つ手がびりびりと痺れていた。
 おかしい。
 いくらゲオルクが傭兵王と呼ばれる強者だとしても、フォデスの魔剣はこれまで無敵だった。触れるものを闇のオーラの力で浸食し、とても普通の武器では受け止めることはできず、無残に切り裂かれた死体をユリウスの前にさらすだけであった。
 だが……今回はそうもいかない。
 闇のオーラは無効化されていた。ゲオルクが持つルネスの聖剣が、二人の戦いを正味の、生身の人間同士の戦いに持ち込んでいた。
 となれば、まだ三十歳になったばかりで肉体的にも優れたユリウスに分があるように思えたが、五十歳に届きそうなゲオルクは常々老成した口ぶりをしているが実際には若い頃と比べても肉体的には衰えておらず、更に経験と積み重ねてきた意思の強さがあった。
「その程度か、と聞いておる」
 ゲオルクは聖剣を肩にかけ、戦闘態勢を解き、左手で顎髭を撫で回した。明らかに挑発していた。
「……何を」
 余は皇帝だ。甲皇国のみならず、このアルフヘイムを、いやこの世界すべてを統べるのだぞ。
 ───それが、こんな老いぼれ一人ごときに!
 ユリウスは両手で魔剣を持ち直し、再び戦闘態勢を取ろうとする。
「ふっ…」
 おもむろにゲオルクも構え直し、一歩前に踏み出した。
 ずしり、と重量感のある一歩であり、強者の気迫があった。
「くっ…」
 対するユリウスは、そのゲオルクに気圧されて一歩後ろに下がってしまっていた。
「……!」
 自ら一歩後ろに下がったことにユリウスは歯ぎしりをする。眉間に寄せられた皺が深くなる。
「その程度で増長していたとは、余程楽な敵ばかりを屠ってきたらしいな」
 ゲオルクはせせら笑って更に挑発した。
 ユリウスは怒りのあまり、顔が赤くなるのを通り越して青ざめていた。
「ぬかすなぁ!」
 弱気を打ち払うように、ユリウスは前に出てやたらめたらに両手で渾身の力を込め、魔剣を打ち付ける。並の兵であればその一撃一撃でも十分に鎧ごと断ち切れるような強力な猛攻。しかし、ゲオルクは表情も変えずにその剣を悉くさばいてかわしていった。やはり微動だにせず、片手持ちの聖剣によって。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 たった数合打ち合っただけだというのに、ユリウスはもう息が上がってきていた。ゲオルクから受ける“圧”が疲れを増幅させていた。
 何故だ…。
 ユリウスは己の非力さに愕然とする。
 実力の差は歴然としており、はっきりとユリウスには「敗北」や「死」の文字が脳裏によぎっていた。
「気が済んだか? では今度はこちらの番だな」
 ゲオルクはやっと両手で聖剣を持ち、下段から払い上げに斬りつけた。
「ぬぅっ…!」
 ユリウスは咄嗟に魔剣を構えて受け止めるが、ゲオルクのように微動だにしないで受け止めることなどできず、踏ん張った足が後ろへと地面を抉りながら後退していく。
「ぐぅっ………!!」
 ユリウスは歯を噛み締め、衝撃に耐え、それで後退する足がようやく止まった。ゲオルクの一撃を完全に受け止めた…が、受け止めるだけで、斬られた訳でもないのにダメージがあった。魔剣を握る手が痺れて出血していた。体中の骨が軋んで悲鳴をあげていた。
 ずしん、とゲオルクが更に前へ一歩踏み出す。
「……っ」
 ユリウスは生まれて初めて恐怖を感じた。
 と同時に、恐怖を感じたことに屈辱を覚え、不甲斐ない自らへの怒りが込み上げてもいたが、それでも次の一撃を耐えられる気がしない。絶望感が押し寄せてくる。
 そんなユリウスの内心を察してか、ゲオルクはすぐに攻撃に踏み込んではこず、静かに語り掛ける。
「……貴様を我が子と思ったことはないが、その顔は間違いなくわしの子だという証だ…。そしてその顔で、これ以上の悪事を重ねるのは見るに堪えん。潔く死ぬがいい」
 その表情は非情の鬼さながらであった。
 ゲオルクは聖剣を両手で構え、ユリウスへとどめを与えようと間合いを測った。ユリウスも死を覚悟しながらも、それでも最後まで抗おうという闘志は捨てていない。魔剣を構えなおして攻撃に備える。
 だがその時、両者の間に人影が割って入る。
「お待ちください、父上!」
「……アーベル」
 聖剣を振り下ろそうとしたゲオルクだったが、動きを止める。
 両者の間に飛び出してきたのは、ゲオルクのもう一人の実子であり、ユリウスの実弟であり、ハイランド王子の身分を捨てて甲皇軍に身を投じた傭兵騎士アウグスト。そのアーベルことアウグストは、剣を捨て、両手を広げてユリウスを守るようにゲオルクの前に立ちはだかっていた。
「止めるな、アーベル。わしはその男を殺さねばならん」
「実の息子を殺すというのですか!? 父上には肉親への情は無いというのですか! それでも……それでも人間か!」
「父親だからこそ悪の道に走った息子は正さねばならんし、人間だからこそ、他種族を滅ぼそうなどという恥ずべき行為も正さねばならん」
 ゲオルクは冷徹に語る。
「そして、“わし”は其方らの父である前に…“私”はハイランドの王だ。情よりも、義を重んじねばならぬ。こたびの戦はアルフヘイムに義がある。アルフヘイムを侵略し、亜人を絶滅せんとする甲皇軍は退けられなければならん」
「ああもう! 嫌になるぐらい正しいよ、あんたは! でも、だからといって…!」
「もうよい、引っ込んでおれ」
 ゲオルクはアウグストの肩を掴み、払いのけるように放り投げた。アウグストは宙を舞ってから地面に叩きつけられる。
「それ以上、母親を悲しませるな。そこで頭を冷やしていろ、アーベル。この戦いが終わればハイランドに連れ帰ってやる」
「ハイランドに…!? 嫌だ!」
 アウグストは即座に立ち上がり、ゲオルクに突進し肩からぶつかっていった。ゲオルクの腰を固く締めあげ、動きを止めようとしている。だがそれは、まるで地面に固く根を張った大木に挑むような、まるで無駄な行為だった。
「まだ分からぬのか…」
 再びゲオルクはアウグストを払いのける。
「ぐっ…! ま、まだまだーー!」
 しかし、いくら払いのけられても、何度でもアウグストはゲオルクに挑みかかるのだった。何度も、何度でも…。
「ハイランドにいた頃に比べれば多少は根性がついたか。しかし、いい加減にせよ! 無駄だ!」
 ゲオルクも妻エレオノーラのためにもアーベルを殺したくはなく、何とか諦めさせようと殺さない程度に払いのける。しかし、アウグストは不屈だった。 
「その男の言う通りだ。無駄なことはやめろ、アウグスト」
 それはユリウスの声だった。
 ゲオルクがいくら払いのけ言葉で制してもやめなかったアウグストが、兄の言葉でぴたりと動きを止める。
「貴様ごときにどうにかなる相手ではない。心意気は買ってやるが、余の戦いの邪魔をするな」
「し、しかし…」
「ではなぜ剣を帯びずに挑んでいる? その男を止めたいのなら剣を持って殺す気で挑むべきだろう。父は殺せないか? 兄を殺したくないか? ふふふ、子供の我儘には困ったものだ。戦う覚悟がないのなら…邪魔だ。どいていろ」
「……」
 アウグストは何も言い返せなかった。
 父も兄も実は似た者同士であり、人の話を聞くタイプではないのだ。
(もう誰も…この二人の戦いを止めることはできない…)
 アウグストは膝を折って顔を落とした。
 その様子を見て、ユリウスは肩をすくめた。
「余が負けると思っているのだろう? ふん、見くびられたものだ。余の力は…魔剣の力は、こんなものではない」
 見るとユリウスは、魔剣を手に泰然と立っている。先程までの劣勢からくる焦りの色は消え、余裕を取り戻したかのような口ぶりだが、ただ殺気だけは増していた。
「フォデスの魔剣よ……かつて古代ミシュガルドを滅ぼしたという大いなる力の遺産よ…! お前の力はこんなものではないはずだ! 闇の声を余に聞かせよ!」
 ユリウスの体中から闇のオーラが立ち上った。
 闇が囁いているのか、ユリウスは独り言をぶつぶつと呟いている。
「ふふふ……いいだろう……余のすべてをお前にくれてやる」
 これまでよりも一層巨大となったそれが、ユリウスを中心として戦場全体の空を覆い隠していく。
「その代わり、余に力を寄越せ!」
 爆発的に放出された闇のオーラが凝縮していき、ユリウスの体中へとまとわりつていく。闇のオーラの色が変質していた。これまでよりも更に深い漆黒の闇へとなっていたのだ。漆黒のオーラはユリウス自身の姿を覆い隠し、彼がどのような姿をしているのかも外側からでは伺い知ることができない。だが彼はその中で不敵に笑っていた。劣勢であったことなど忘れたかのように、自信に満ち溢れた表情をしており、その目は殺意によって赤く血走っていた。
「ぬぅっ…何と言う禍々しさよ」
 ゲオルクは聖剣を構えなおしてユリウスに対峙する。
 決着の時が近づいていた。
 ユリウスを中心として、帯状に、触手のように漆黒のオーラが飛び広がっていく。
「うわああああ!」
 その漆黒のオーラに触れたハイランド兵が絶叫をあげ、跡形もなく消滅していた。
「ぬぅっ……ルネスの聖剣よ! 魔剣の力を抑え込むのだ!」
「無駄だ!」
 ユリウスは更に魔剣から放たれる漆黒のオーラを増した。
 漆黒のオーラはゲオルクをも包み込もうとするが、ルネスの聖剣によって弾かれる。だが、ゲオルクができるのはそれだけだった。自分以外の者は守り切れそうにない。聖剣に守られない周りの者はどんどん漆黒のオーラに飲み込まれ死んでいく。
「はーっはっはっはっは! 哀れな者どもだ! ハイランドから付き従ってきたであろう忠実な部下も、この魔剣の前ではなすすべもなく死んでいくぞ!」
「くっ……おのれ、ユリウス! もはや容赦ならん!」
 聖剣で漆黒のオーラを切り裂きながら、ゲオルクはユリウスへ突進していく。
「ち、父上……!」
「!……アーベル!?」
 アウグストが漆黒のオーラに包まれようとしていた。逃げ場はどこにもない。ゲオルクが突進したために、聖剣の庇護から離れてしまい、側にいたアウグストが危機に陥っていた。
「やめろ、ユリウス! 弟を殺す気か!?」
 ゲオルクは叫ぶが、ユリウスは聞こえていないのか、アウグストが死にそうになっているのも見えていないのか、哄笑するばかりだった。
「はーっはっはっはっは! 闇に包まれ死ぬがいい!」
「……外道が!」
 もはや一刻の猶予もない。
 このままでは数瞬ももたずアウグストは死んでしまう。
 ならばその前に。
 ゲオルクは覚悟を決め、聖剣を大きく振りかぶり、ユリウスへと投げつけた!
「なっ…!?」
 聖剣は闇を切り裂き、一直線にユリウスへと飛んでいき…。
 彼の胸を貫いたのだった。





つづく

       

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