80話 禁断魔法
「戦況は芳しくありません」
「ニコロどの率いる主力部隊が敵の耳目を集めている間に、ゲオルクどの率いる別動隊がユリウスを討ちに奇襲をかけ、また精霊戦士ヴィヴィアを中心とする別動隊がクラウスどのを救出に向かうという作戦ですが…」
「現状、ゲオルクどのからも、精霊戦士からも連絡は無い。一方で、こちらの主力部隊は劣勢。敵軍は要塞にこもるだけではなく、要塞から打って出てきております。司令官となっているニコロ将軍自ら戦斧を振って前線で戦っておりますが、このままではニコロどのの本隊だけでなく、後方にあるこの参謀本部も危ない…」
「ボルニア地下の墓所では、精霊の森の巫女ニフィルどのが、禁断魔法によって敵を撃滅する儀式を進行中。命令さえあればすぐにでも発動できるとのことです」
次々と上がるエルフ貴族士官で構成された上級参謀からの魔導通信による報告。
ボルニア西方のゲーリング要塞付近のアルフヘイム軍本陣から、数百キロ離れたセントヴェリアのヴェリア城まで、その通信は繋げられている。
ヴェリア城側の通信相手の映像が、幻影魔導によって参謀本部詰め所の壁に映し出されていた。アルフヘイム首相ダート・スタンの姿があった。
「……では、やむを得ないじゃろうな。遺憾ながら、予定通り、禁断魔法を発動するのじゃ。前線の傭兵王らには悪いが、構っている暇はない。ただちにニフィルに命じよ」
「ただちに……で、ございますか? しかし」
ダート・スタンの容赦ない言葉に、参謀らが動揺する。
それでは、敵本陣に奇襲をかけているゲオルク率いるハイランド勢なども巻き添えにしてしまう。
しかし、ダート・スタンの表情は変わらない。非情とも思える決断に、淡々とした声色だった。
「傭兵王らに構っている暇などあるまい? 勝利のためには多少の犠牲はやむを得ないのじゃよ」
言うまでもないが、このダート・スタンは本物ではない。ゴブリンの賢者であるチャラガ・ラバが擬態しているダート・スタンであった。セントヴェリアでは現在、クーデターが勃発している。ヴェリア城の足元までキルクらの弓兵隊が迫っているし、市街は騒然として戦争中のような有様だ。しかし、そんなことになっているとは、このダート・スタンはおくびにも出さなかった。
「で、ではせめて……。傭兵王らに退避の通信を致します。禁断魔法を放つという警告をしたうえで、退避する猶予を…」
「愚かなことを言うな」
参謀の提言にも、にべもなく偽ダート・スタンは切り捨てる。
「警告などすれば、敵にも気取られ、逃げられてしまうじゃろうが。禁断魔法を発動するのは敵を滅ぼすためじゃ。甲皇国は、軍が非常に強い力を持っているから戦争継続を諦めないのじゃよ。軍さえ潰せば戦争は終わる。ここは、容赦をすべきではないのじゃ」
「……た、確かに」
「アルフヘイムのために戦ってくれておる傭兵王らには悪いが…仕方のないことなのじゃよ」
いかにも残念そうに偽ダート・スタンは言う。口先だけである。裏の顔では舌を出して笑っている。
「……では、通信を切るぞ。くれぐれも、わしの言った通りに命令実行するのじゃ。さもなくば、諸侯らの首が飛ぶと思え」
「か、かしこまりました…」
偽ダート・スタンは僅かに本性を現して、いつもより苛烈な言葉を使う。
しかし、無能な参謀たちは気づくことはなかった。
ヴェリア城との通信が切れ、参謀本部は騒然となる。
「何と容赦のない…」
「これでは戦争に勝ったとしても、道義的には…」
「いや、しかしダート・スタンどのの言われることももっともだ。戦争を終わらせるためには、これはやむを得ないことだろう…」
「そうだな。目の前の多少の人命より、長々と戦争が続いてしまって死ぬことになるかもしれない莫大な数のアルフヘイムの人々を救う方を優先せねば…」
「それにまぁ、ゲオルクはしょせんは甲皇国の者どもと同じく人間族であり、金のためなら何でもする薄汚い傭兵にすぎん。ここで死んだとしても、むしろ高額な報酬を用意する必要がなくなって好都合というもの。これは実に合理的な判断だ」
「うむ、うむ。そうだそうだ!」
「巫女どのに連絡を…お主がせよ!」
「いやいや、わしはいやだ。お主が連絡せよ」
「まぁまぁ、お主ら落ち着け。どうせ、歴史に悪名を轟かせることになるのはダート・スタンどのと、巫女のニフィルどのだ。参謀といっても我らは手足にすぎん。誰が連絡しようが同じだろう」
「それもそうだな…」
事の重大さに耐え兼ね、参謀本部では責任のなすりつけあいが始まっていたが、結局はそのようにダート・スタンと二フィルに責任を押し付ける形の結論となっていた。
───皮肉なことに、この一時間後に、敵本陣でユリウスがゲオルクによって討たれていた。また、一方では、エルカイダ首領黒騎士が討たれ、英雄クラウスとその妻ミーシャが救出されていた。更に言えば、セントヴェリアでもミハイル4世が討たれ、これまで禁断魔法発動を推し進めていたダート・スタンが偽物だったということも明らかになっていた。
これら三つの出来事のうち、クラウスが無事だったという知らせだけでは弱いが、せめてユリウスが討たれたという知らせか、ダート・スタンが偽物だったという知らせ…そのどちらかでももたらされていれば…。
しかし、それらの情報がもたらされるより早く、禁断魔法を発動せよという命令は通ってしまっていたのである。
歴史に「もし」「たられば」は無い。
だが、もしこれらが伝わっていたならば……と、後の歴史家は惜しむのである。
「……そうですか。はい、はい。分かりました。いえ……ダート・スタンさまの仰られることも道理です。これは、やむを得ないことでしょう」
ボルニア地下墓所。
参謀本部からの通信を受け、二フィルは重く沈んだ声で受け答えをしている。
だが、密かにその口角が上がっていることに、周囲の誰も気づいてはいない……。
彼女は恨みを抱えている。
両親を殺したバルザックを始めとする甲皇軍を憎んでいる。
仇のバルザックは自ら討ったが、尚も怒りは収まらなかった。
バルザックを討ち果たした後、黒騎士によってセントヴェリアまで送り届けられ、戦争中とは思えないほどの平穏を得られても…彼女は巫女にあるまじき呪いを抱えていた。
精霊の森の巫女ともてはやされているが、そもそも彼女は両親と共にレンヌの街で暮らしていた普通の娘に過ぎない。大いなる魔力の素質を見込まれて巫女となったが、それからも時々はレンヌの街に帰って両親と穏やかな時を過ごしていた。それが、五年前に甲皇軍がアルフヘイムに上陸し、破竹の勢いで侵攻してきたことにより一変する。山に囲まれてまだ安全だろうと思われていたレンヌの街も、第三軍クンニバルとバルザックらの奇襲により、逃げる間もなく陥落した。ニフィルの両親は殺害され、彼女も捕虜とされてしまった。それからの虜囚の身となった数年間の日々は……。
「二フィルさま…?」
声をかけられ、ニフィルはハッと我に返る。
いつの間にか、おぞましい記憶がふつふつと呼び起こされていたのが、表情に出てしまっていたかもしれない…。
穢れを知らない澄んだ瞳が二フィルを心配そうに覗き込む。
マリー・ピーターシルヴァニアン。白兎人の王女だ。まだ10歳かそこらで、セキーネという従兄弟の王子との幸福な結婚を夢見ているという。白兎人は性に寛容すぎるというが、彼女はまだ処女なので、処女など恥ずかしいと捨てたがっている。捨てたくなかった者もいるというのに。
「どうかなさいまして? 顔色が優れませんわ」
マリーと同じく、心配そうに声をかけるのはフローリアの姫騎士ジィータ・リブロース。誰も傷つかない世界を夢見ている。国と同じくお花畑だ。フローリアは武力を持たないがゆえに国土を荒らされたというのに。
「ぽんぽん痛いのかな?」
「お胸の方かも…ニフィルさんって密かに大きいですものね」
こそこそと竜人姉妹のイココとトワイライトが話している。
何も考えていない者たちについて思いを巡らすほど無駄なこともないだろうと、ニフィルは無表情で密かにひどいことを考えていた。
「禁断魔法を発動せよと……命が下ったのですね」
そう言ったのは、ドワーフの伝道師リオバン・ニニ。
「ニフィルさまが顔色を悪くされるのも無理はありません。この儀式の大きさ。発動される魔力の大きさ。どう考えても、多くの人命が失われる」
この中で最も年長者だけあり、彼女は最もニフィルの苦悩を理解しようとしていた。
「悪意を持って襲いかかる者がいるとしても、知恵ある我々が避ければ良い。しかし、避けられぬ何かが起こった時にはどうすればいいか…元からあるものを蹂躙してまでなさねばならぬことなのか」
ニニは嘆息しながら続ける。
「私の信仰する教え…ゴドゥン教では、生命を創造する古の幻獣により、数億年後に来たる終末の日、世界は反転すると言われています。その時、善人は反転した世界の表側で幸せに暮らし、悪人は世界の裏側で永久に世界を支え続けると…。だからこそ無益な争いはせず、慎ましやかに生きましょう……と、説いているのです」
「禁断魔法を放つことは、まぎれもなく悪でしょう」
二フィルは皮肉っぽい考えを漏らす。
「私たちは、世界の裏側で世界を支え続けねばならない運命ということですね」
「ニフィルさま、それは…分かりません。ゴドゥン教は、市井の平凡な人々に道徳的な暮らしをしてもらおうと広まっている教えですから。このような世界を揺るがす重大なことについては、それがあてはまるかどうかは…。でも」
ニニは首を振った。
「私は、この行為が悪と断じることはできません…。更なる争いを避けるためには、これはやむを得ないことなのでしょうから…。しかしながら、ニフィルさまのご懸念や苦悩もまたもっともなことです。私も、この禁断魔法を発動すべきではないと思います…」
「そういうわけにはいかないのよ、リオバン・ニニさん」
「でも…」
「誰かがやらなければならない。私たちがやらなくても、誰かがやろうとする。ならば、その罪は、誰かに押し付けるのではなく…私は自ら受ける覚悟はあるわ」
二フィルは他の巫女たちに背を向け、作られた魔法陣の方を見据える。
巨大な魔法陣が出来上がっていた。
古代ミシュガルド時代から伝わる特別な古文書をSHWの古語学者であるハルドゥ・アンロームが解読し、かつてミシュガルドを滅ぼし、海中へ没したとされる災厄の原因。ひとたび放てば世界を滅ぼしかねない…まさに“禁断魔法”。
黒騎士やミハイル4世が使っていた禁断魔法も、高度な大魔法であるのは確かだが、それでもまだ大魔導士であれば一人でも使用可能なレベル。
だが二フィルやその他の巫女たちが儀式と魔法陣を築いて大掛かりに発動させようとしているこの魔法は、規模・破壊力ともに数十倍大きなものとなるだろう。
それこそ、アルフヘイムという大陸を破壊してしまいかねない威力を秘めている。
こんなものを敵の軍隊とはいえ、人に放つのだ。
悪でないはずがない。
しかし、その悪を行う罪を、二フィルは喜んで受け入れようとしていた。
両親を殺し、自身を穢した甲皇国…。
守ってくれなかったアルフヘイム…。
唯一の助けとなったのは、エルカイダの黒騎士。
彼が教えてくれたのだ。
───すべてに復讐を果たせと。
「では、始めましょう」
ニフィルは厳かに宣言した。
「ユリウス…」
ゲオルクは倒れる息子の側に立って見下ろしていたが、がくりと両膝をつき、その頭を両手で抱きかかえた。
ユリウスの胸にはルネスの聖剣が突き立っている。
その胸元からはどくどくと赤い血が溢れ出て、止まる気配はない。
一目で助からないと判断できた。
「お…のれ……ゲオ…ル…クッ」
ごぼっ。
口から血を噴き出すユリウス。
結局、父を超えることはできず、死のうとしている。
悔しくて悔しくてたまらないが、一方でユリウスは奇妙な清々しさも感じていた。
己の胸を、ルネスの聖剣が貫いた瞬間、胸の内にわだかまっていた悪意や、ゲオルクへの敵愾心も貫かれて消えたかのようだった。
「ち───ちちう…え……」
その時、初めて、ユリウスはゲオルクを父と認めたのだった。
「ユリウス……!」
驚きながらゲオルクはユリウスの身体を強く抱きかかえた。
「……三十年、遅かった……な…」
「迎えにこれず……不出来な父親ですまんな」
「は、はは……まったくだ……」
ユリウスははにかんで、愛嬌のある笑みを見せていた。
彼が生まれてから初めて見せるような表情だった。
「兄さん!」
アウグストが駆け寄ってくる。
自分がユリウスの闇のオーラに食われかけようとしていたこともまったく恨んではおらず、ただただ兄の身を案じていた。
「ふ……兄……と、呼ぶなと言っただろう……」
「兄さん! いやだ、死なないで! 兄さん! ぼくは…兄さんのことが…!」
「まったく……お前も、ばかな弟だ……」
ユリウスは笑っていた。
アウグスト…いやアーベルを、憎まれ口を叩きながらも弟と認めていた。
「来世では……真の父と息子、兄と弟として……ごほっごほっ」
口から溢れ出る血が止まらない。
ゲオルクとアウグストは、ユリウスの身体から急速に体温と力がなくなっていくのを感じた。
「ユリウス。安らかに眠れ…」
「兄さん! いやだ、兄さん!」
「……っ」
いよいよ今際の際である。
ユリウスの手を握るアウグスト。
あらゆる負の感情を消し去った彼は、これまでずっと険しかった表情が和らぎ、これまで誰も見たことがないほどの安らかな微笑を浮かべていた。
この時初めて、この三人は家族となることができたのだった。
「アーベル…お前は…俺とは違う。父の元へ帰れ…」
それが、ユリウスの最期の言葉となった。
「……」
静かになったユリウスから、ゲオルクは無言でルネスの聖剣を引き抜いた。
「兄さん……兄さん……っ!」
溢れ出る血だまりの海に身を浸しながら、アウグストことアーベルはユリウスに寄り添ったまま、慟哭していた。
「アーベル……」
ゲオルクは、何と声をかけてやればいいのか分からず……。
「!……ち、父上ぇ!」
だが、何か声をかける暇などはなかったのである。
アーベルが悲鳴をあげる。
ゲオルクも驚き目を見開き、剣を構えた。
「!……むぅ」
アーベルの表情が恐怖に歪んでいた。
死んだはずのユリウスが、ゆらりと立ち上がったのである。
ユリウスの目に生気が戻ったわけではない。
確かに死んでおり、表情は虚ろなままだった。
「おおおおおお」
この世のものとは思えない…死者の雄たけびを、ユリウスが上げる。
そして、ユリウスの口から、“闇”が奔流のようにほとばしった!
「アメティスタ隊長、これを使ってください」
「ああ……ありがとう、ビビ」
アメティスタはビビから予備の服を受け取り身に着けた。
竜人としての血は薄いアメティスタだが、その竜の血は潜在しており、いざ顕現した際には爆発的な力を発揮できる。ただ、その時間は僅か一日15分程度であり、その竜化の時間が切れるとすべての魔力を使い果たす。竜化する際に衣服も破れてなくなったので、予備の服を用意していないと丸裸になってしまうのだ。
「……おい、ビビ。これ」
「いやぁ、まさか隊長がいるとは思わなかったもので…あたしの予備のアーマーしかなかったんですよ」
「だからってこれは…!」
そもそも体格差がある。
ビビより二回りは体格が大きなアメティスタには明らかに小さすぎて、引き伸ばされてしまったビキニアーマー…。というか、紐である。
「ほほぅ…」
ゴンザや他のハイランド勢の男たちが、満面の笑みでにやけながらガン見している。
アメティスタは真っ赤になりながら手で胸や股間を隠している。
「……な、何の羞恥プレイだ! もういい、誰か他の鎧をよこせ!」
「あいにく、誰も予備の鎧とか持ってねぇな…これでも使うか?」
そう言うメゼツが、無造作に黒騎士の鎧を蹴とばした。
中身はない。
どうやらアメティスタのブレスで完全に骨まで溶けて消え去ったらしい…。
だが、黒騎士が使っていた鎧だけは健在であり、恐るべきことにまったく損傷していない。新品同様の不気味な光沢を放っていて、禍々しさすら感じる。
「……いやいや、それは不吉すぎるだろう」
身震いするアメティスタ。
黒騎士の鎧など身に着ければ、すぐさま呪われてしまうのではないかと思われた。
「もう! 気の利かない男たちね!」
ミーシャがぷりぷりと怒り、自分が身に着けていた服のうち一枚をアメティスタに渡した。幸い、彼女は二枚重ね着していたのだった。
「た、助かった…。ありがとう、ミーシャさん」
「いえいえ」
だが、ミーシャも成人女性としては小柄な方であり、やはりアメティスタからすると渡されたシャツは小さすぎた。結構、引き伸ばされてしまい、胸の形などがくっきりと浮き出てしまっているうえ、下に履くものの方は予備がなかったので、ビビから渡されたビキニに頼るしかない。
「……と、とりあえずこれで仕方ないか…」
しょんぼりと、アメティスタは消え入りそうな声で呟いた。
いつも勇敢なアメティスタだが、この時ばかりは頼りない背中をしていた。
「ごほん。とにかく……何とかみな無事で良かった」
クラウスは恥ずかしがるアメティスタを見ないようにして、咳ばらいをする。
「しかし油断はできないぞ。ここは戦場だ。甲皇軍がどこから現れるか分からない。早急に下山しよう」
「そうだね。それにしても、こいつ本当に死んだのかなぁ?」
ビビが黒騎士の兜を蹴飛ばした。
「死んだんじゃね? 中身なくなってるじゃん」
メゼツがその兜をリフティングして、サッカーボールのように蹴飛ばした。
兜は大きく弧を描き、またビビの方へパスされる。
「そうかなぁ? 何か嫌な予感するんだけど…」
宙で舞ってこちらに飛んでくる兜を見ながら、ビビはうーんと唸っている。
「死んでくれてなきゃ困る。もうこっちは体力も限界だからな…」
アメティスタやメゼツがうんうんと頷いている。
「だよねぇ…」
と、ビビも頷きかけた瞬間であった。
黒騎士の兜が宙で停止した。
「!」
不吉なものを感じ、全員が硬直した。
「おおおおおお」
ユリウスの声と同じだった。死者の声である。
本体はなくなったはずだ。
しかし、黒騎士の兜から、どろりと“闇”が奔流のように流れ出す!
魔法陣から、どす黒い水のようなものが噴き出そうとしていた。
それは、死への呼び水であったのかもしれない。
墓地聖堂に横たわる無数の骸骨が、再三、巫女たちによって破壊されたり、黄泉の国へ退けられていたものが、しぶとくも蠢きだそうとしていた。
「二、二フィルさまぁ…!」
年若いマリーが悲鳴をあげる。
「こ、これぇ! これぇ! やっぱりぃ…!」
やめた方がいいのではないか。
誰もがそう思った。
しかし、二フィルはもう止まらない。
止めようとはしなかった。
「お黙りなさい。もう手遅れよ」
二フィルは黄金の眼光鋭く、叱責する。
そして、詠唱が始まった。
「エゴ・エゴ・ア・ザラゴライ・エゴ・エゴ・ザメ・ラゴン───闇の公子、悪の長子と、その王の名に於いて来たれ! 悪魔の肉芽よ、汝が贄を喰らい尽くせ!!」
長い呪文詠唱。
その言葉の一つ一つが実に不吉なものばかりだった。
「───灰塵と化せ冥界の賢者! “闇”の鍵を持て開け地獄の門!!」
「二フィルさま…二フィルさまぁ!」
「いやああああ!」
二フィル以外の巫女たちが悲鳴をあげる。
余りの不吉なものを呼び出そうとしていることに気づき、顔は恐怖に引きつり発狂寸前となっていた。
「─────発動せよ」
二フィルが呪文詠唱を終えた。
斯くして……。
“闇”が、地獄の門から解き放たれる。
それは、あのユリウスや黒騎士から流れ出たものと同じである。
ボルニア地下墓所から溢れ出たそれは、頭上の地上構造物を通り抜け、天空へと昇っていく。
空はまだ昼なのに、急にどす黒く染みを作っていくように夜のような闇へと塗り替えられていく。
遂に、古代ミシュガルドを滅ぼしたという…最悪にして最大の禁断魔法が発動されたのである。
つづく