翌朝、フェデリコは魂が抜けたかのように虚ろげだった。
二日酔いだったからというのもあるが、それよりもあの自分を慰めてくれた
あのウエストエルフ族のアンジェという女性。
女性に対し、性器以外の価値しか見出していなかったフェデリコにとってあれは癒しであった。
彼女にもう一度会いたい。そう思い、彼は帽子と外套を身にまとい変装して街へと繰り出した。
幸い、サウスエルフ軍は待機を続けていてどいつもこいつも天幕の中で、射精した鮭のようにぐったりと寝転がっていた。
肝心の伯父のシャロフスキーも昨日、一人酒で少し酔いすぎたのか軍務を数名の部下に任せて
まるで射精して気絶した兎のように就寝していた。
どうせ、自分など居ても居なくても……いや、居る方がむしろ邪魔者扱いされているのだから……
そう不貞腐れて、フェデリコは行き先を明示せずに陣地を抜け出した。
アンジェに会いたい……その一心だった。
だが、その儚い夢はコケに蠢くダンゴムシをコケごと焼き殺すかのごとく無残に打ち砕かれるのである。
アンジェの居場所を特定するのは容易かった。だが、特定した先に待ち受けていたのは
儚い夢を砂の楼閣を踏み潰すかのごとき絶望だった。
(なっ……なんだ? あのぶっっっっっっっさいくなクマ野郎は……
おまけになんだ? あのきっっっっしょく悪いクソガキどもわ????!!!)
フェデリコの目に飛び込んできたのは、
クマと狼の獣人もとい亜人のローと、おそらくその間に出来たであろう2人…いや、2匹の獣人の
騒がしいクソガキだったのである。(この物言いはあくまでもフェデリコの主観である。)
アンジェが人妻だったことでも、今のフェデリコにとっては金玉をレイピアで串刺しにされるが如き
衝撃だったのに、まさにその夫が彼が最も嫌悪する醜い獣人族とあってはその衝撃は計り知れない。
まさに金玉も月までぶっ飛ぶ衝撃だった。
(アンジェ~~……崇高なるゴールドウィン一族の御曹司のわたしではなく、
あんな醜いケダモノの男なんぞに……よくも!!)
フェデリコの逆恨みも甚だしい。
一方的な片想いだけでも慎ましく許されない行為だというのに、あろうことか相手を恨む。
この時のアンジェは知るよしも無かったが、アンジェも不運である。
(今からおまえは腐れマンコに降格だぁ……俺の崇高なエルフチンポよりも
下品なケダモノチンポがそんなに良いのか……)
もはや文章化するのもはばかれるほどの下衆な罵倒をフェデリコは
心の中でアンジェに浴びせた。その理不尽な怒りは、ローが自警団の仕事に行って更に増すことになる。
ローはこの時、甲皇国軍に対抗するために村の男たちが結成した自警団に入団していた。
当初はローは西方戦線に駆り出されることが内定していたが、エルフの妻子を持っていたことと、
プラス村の住民の「いざ敵が村に攻め込んできた時に誰が守ってくれるっていうんだ!」という声もあって、
自警団に入団することで西方戦線逝きを免れていた。
「じゃあ行ってくるよ……アンジェ」
「行ってらっしゃい、ローちゃん」
仲睦まじくローとアンジェは抱き合う、そばで子供達のアドラーとミッシャが
口々に行ってらっしゃいと父親の身を案じている。
残る3人の妻と子供たちはローを見送ると、そのまま家の中へと戻っていった。
「………これはこれは」
下卑た笑みを浮かべ、フェデリコはローの背中を見送り3人が家の中へと入ったのを確認すると
そのまま家へと近づいていく。
「……はぁ~…」
アンジェは2階のベランダでシーツを干しながらため息をつく。
ここのところストレスだらけだ。
子供の世話をしているせいというのもあるが、まだ可愛いだけまだ救いはある。
何より彼女にストレスを与えていたのは昨晩の酒場でのことだった。
キャロラインがエルフのお偉いさんを接待中にヒゲを切られたという話を聞きつけ、
アンジェは裁縫道具を持って、酒場に駆けつけた。
医者もおらず、回復魔法も使えないアンジェに出来ることは切り落とされたヒゲを
無理やり繋げることだけだった。幸い、日頃から細かい作業にはなれていたので
ヒゲと傷口に繋げることは出来た。
「……これで少しは応急処置になればいいけど」
アンジェは安堵した。キャロラインは近所付き合いも長く日頃から友達だった。
獣人とエルフの垣根を超えて仲良くなっていたから、その傷を癒すことに少しでも自分が
貢献できればと。だが、キャロラインの口から出てきたのはアンジェの期待していたものとは異なっていた。
「ぅう……っ なんでぇ……っ 獣人ばっかり……こんなひどい目にあうの……っ
ぃぐ……っ……獣人ってだけでこんな格好ざぜられで…………っ
どうじで……っ アンジェ……あなだだげ……ずるいよ……っ」
ウエストエルフ族の女性たちは今回の接待の任を外されていた。
それが故に出た不満だった。
「キャロライン…!ちょっとそんな言い方!」
虎の獣人のナターリアがキャロラインを叱責するが、周りの獣人族の女たちは
その大半がキャロラインに対して同情的な顔をしていた。
アンジェはエルフという性質上、人の心に対して敏感だ。
同じ女だというのに、どうしてここまで差別されなければならないのか。
エルフも獣人も女の幸せを得ることに どうしてこんなにも格差があるのか。
次第にアンジェに対する嫉妬の感情が辺りを支配した。
「ちょっと!みんな!せっかくアンジェが来てくれたのにそんな顔やめなよ!!」
ナターリアは口々に皆を説き伏せようとするが、一度沸き上がった負の感情は抑えられない。
「…でも キャロの言うとおりかも。何だかんだ言ってエルフの女って
ウチらより優遇されてるし……」
「うちの旦那は獣人族だから戦場に駆り出されたのに……アンジェの旦那は獣人なのに
アンジェがエルフだからって戦場に行かなくていいって言われてるし……」
「……ホントそうだよね……なんでウチらだけこんな目に合わされてンのよ……」
一度崩壊した憎しみの土石流はもはや止められない。
皆が皆あえてアンジェに聞こえるように、不平と不満をこぼし始めた。
「いい加減にしろ!!!憎むべきはあのサウスエルフの奴らでしょ!!
アンジェを恨んだってしょうがないじゃない!!こうして必死にキャロのこと
助けてくれたのに!!」
皆が口々にアンジェに不満をこぼす中、ナターリアだけがアンジェを庇っていた。
だが、もはやその援護はアンジェには虚しいだけだった。
「……いいよ ナターリア。キャロラインの言うとおりだから……」
ひどく動揺した表情で俯きながらアンジェは酒場を出て行った。
夜風が冷たくアンジェの心に突き刺さった。
「うぇっ……ぃっ……ぇぐっ」
アンジェの目から涙が溢れてきた。やるせなくてアンジェは歩きながら泣いた。
キャロラインたちが言ったとおり、確かに自分は恵まれている。
自分が望んだわけではない。だが、理不尽に甘えてヌクヌクと高見で安心していたことを思い知らされた。
みんなの怒りも当然だ。アンジェは申し訳なくてただ泣いていた。
泣けば解決するわけではない。だが、こみ上げるこの感情は拭いきれない。自分の無力さにただ悔しくて涙が出た。
道中、泣いていたあのサウスエルフの兵士も自身の不甲斐なさに涙を流していたのだろうか。
少しの言葉しか交わしてはいなかったが、あの兵士の涙に少なくとも自分は共感を感じた。
サウスエルフとウエストエルフという違えはあれど、同じエルフだから涙の意味が分かったのだろうか。
酒場に入ってきた時にウエストエルフである自分は、正直なところ獣人であるキャロラインの涙の意味を理解できなかった。
彼女の口から出てきた言葉を聞いてようやく分かったぐらいなのだから。
エルフには獣人の気持ちを理解することなど出来ないのか。
エルフにはエルフの気持ちを理解することしか出来ないのか。
そう考え込んでいる内に、どこからか声を掛けられたような気がした。
声のする方向をアンジェは見た。
「……アンジェさん」
目の前にいたのはあの兵士だった。
どこからか入ったのか、なびくシーツの合間から顔をのぞかせる兵士が
そこには居た。
「あなたは…」
もしもこの時、アンジェが正常な精神であれば
この兵士が2階のベランダから突然現れたことに驚いていた筈だった。
だが、悩みを抱えていたアンジェにとっては驚きよりもむしろ、
同族である兵士にこの悩みをいっそのことこの兵士に打ち明けたい衝動の方が強かった。
だが、その彼女の思いはその兵士の拳によって打ち砕かれるのである。
「こンのォオオ~~~腐れマンコがぁぁああああ……
エルフの女のくせして、獣人なんかのチンポなんかしゃぶりやがってぇぇええ……」
フェデリコはアンジェの頬に拳を食らわせると、
シーツを巻き込んで倒れこむアンジェにのしかかる形で倒れ込んだ。
「獣人の肉便器の女エルフがぁぁあああ~~~!!」
口汚い罵声を浴びせ、フェデリコはアンジェの鼻めがけて拳をハンマーのように
振り下ろす。神の鉄槌を下すとでも言わんがばかりに目一杯振り下ろされた拳が
アンジェの鼻に直撃した。
「がはっ!」
何が何か状況を理解できず、アンジェは鼻血を吹き出しながら宙を見上げていた。
「獣人のチンボコしゃぶった腐れマンコがぁぁああ~~~~……エルフのチンボコより、
獣人のチンボコの方がそんなに良いってぇのかぁぁああああ~~~~~???
エルフなのに、エルフのチンボコ、見下してェんじゃあぁねェぞぉおお~~~~
ごらぁぁああああああ!!」
フェデリコは理不尽な怒りをアンジェにぶつけ、アンジェの顔を何発も
平手打ちするのだった。