セントヴェリア城へと向かう地下道の中を
セキーネ、ディオゴ、ネロ、ヌメロの4名は進んでいく。地上は
もはや民衆でごった返している上に、防御壁が張られており、
潜入どころか突破すら出来ない。クローブのゼロマナとは異なる詠唱で
構成されているため、タイプの異なるゼロマナは無効化されてしまうのだ。
だが、まったく解読が不可能というわけではない。
ネロとヌメロはラディアータ教の武僧である。かつては神童と呼ばれた2人は、
アルフヘイムの精霊魔法の詠唱を暗記している。ただ、全ての詠唱というわけではないが。
エンジェルエルフ族の詠唱は2人ともほんの少しかじった程度だったが、
クローブからの教授で2人は基礎的なエンジェルエルフ族の詠唱を丸暗記し、
後は応用に応用を利かせて解読する戦法となった。ただ、正直言って現地で実物を見なければ
対処は出来ない。クローブによるゼロマナ加工も100%効果的とは限らないのだ。
「……ミハイルは篭城するにあたり、地下からの侵入者も考慮しているだろう。
となれば、城へと繋がる入口には見張りが必ず居る。そのサインを見逃すな。」
「了解」
ネロとヌメロを通信手として、クローブはディオゴたち4名と交信を行っていた。
城内はミハイルの妨害魔法で連絡が取れなくなるだろうが、城にすら辿り着けないまま
連絡が途絶えるのは不安でならない。せめて、城へと向かう道中までクローブは4人を
導くこととなった。
「……いたぞ」
曲がり角にいたのは裸の赤ん坊に翼の生えたエルフだった。
エンジェルエルフの中ではワーカァと呼ばれるエルフだった。
スキンヘッドで、手には弓矢を持ち、さながらキューピッドのような姿をしているが、
ヨダレを垂らし、目は常にぐるぐると回転し、気味の悪い薄ら笑いを浮かべている。
表情はキチガイのそれである。
「気味が悪りぃ……なんだ?あいつらは」
ディエゴが尋ねるように漏らす。
いつもであれば見るなり「障害児(ガイジ)」、「気違い」、「脳足りん」などと
激しい侮蔑と侮辱の言葉を並び立てている筈の彼も、セキーネとヌメロとクローブに
諭されて少しばかり刃を削がれたのか、大人しい口調になっていた。
だが、目はどこか虚ろでまるで今自分が居る場所を見つめていないのが分かった。
先ほどの呟きももはや独り言のようなものだ。
道中で、
「ポッポさんかわいいなぁあ…」、「はぁ……鳩さんに頬ずりしたいなぁ……」、
とブツブツと呟いているような精神状況であった。
「アマンダ……コリン……あぁ……ほんとかわいいなぁ……」
時折ニコニコと笑い、つぶやきを漏らしながらも
ディオゴはハッと我に返り自身を取り戻しを繰り返していた。
その度にディオゴは遅れをとらぬよう、3人に必死に付いて行く。
「アマンダ? コリン?」
ネロがヌメロに尋ねる。
「…ディオゴがむかし飼っていた鳩の名前だ。」
「なんで こんな時に……」
「彼なりの…‥ガス抜きだ。過去の想い出に浸って精神を安定させる……」
いずれにせよ、ディオゴの精神はもう崩壊寸前であった。
やり場の無い怒りや悲しみをぶつけることで、なんとか自我を保っていた。
それをおさえつけられた今、もはやディオゴの精神ははち切れんばかりに
怒りと悲しみを溜め込み始めていた。ディオゴは元々口論は苦手な内向的な性格であった。
幼少期の彼は、怒りや悲しみを吐き出す代わりに鳩を愛でることでガス抜きをしていた。
だが、鳩を甲皇国の兵士に食い殺されて以来、彼は暴力に目覚めてしまう。
以来、彼は自身の怒りや悲しみを暴力で吐き出す以外に方法を知らぬ兎として育ってしまった。
暴力によるガス抜きを封じられた今、彼に出来るのはかつて過去に行っていた
空想の中で鳩を愛でることであった。
「勘弁してくれよ。こんなの懲り懲りだぞ。」
かつて敵であったディオゴを見つめるネロの目は冷たい。
正直、ネロはディオゴを足でまといに思い始めていた。
作戦まで時間も無いというのに、ガキの一人芝居のために時間を浪費するわけにはいかない。
「セキーネ。」
「どうした?」
「暫く敵は来ない……ゆっくりと進んでやってくれないか……?」
ヌメロはどうか分かってやってくれと懇願するかのように
ネロとセキーネを見つめる。弟分のディオゴを大人として冷たく突き放したヌメロではあったが、
心の底ではまだ兄貴としての慈悲をぬぐい去れずにいた。
「……心配しなくていい。まだ作戦まで時間はある。」
セキーネはディオゴを見守るように見つめながら、ヌメロの肩を叩く。
「ネロ、体力温存のため小休止を挟みつつ前進する……セントヴェリア城まで45kmある。
敵は強大だ。前進のために無駄に体力を消耗すべきではない。クローブにそう伝えてくれ。」
「……御意」
しぶしぶネロは主人であるセキーネに従う。
ディオゴはアマンダやコリンと過ごした過去の想い出に吸い寄せられながらも、
必死に自身を現実に引き戻そうとしていた。
「……モニーク 許してくれ」、「ごめんな……モニーク」
徐々にディオゴの呟きの内容が変わっていく。
癒しの鳩を愛でたからといって、この辛い現実が変わるハズなどない。
魚の骨が刺さらぬよう、米を喰らうのもいいだろう、だが、米の合間から
はみ出た骨はいつか 喉に刺さる。ディオゴの胸に去来したのは、
鳩以外の癒しであったモニークであった。
だが、癒しだったハズのモニークをディオゴは弱さの免罪符として利用した。
かつて妹を性欲の捌け口にし、挙句には怒りや悲しみを撒き散らす道具に使った。
ディオゴは自己嫌悪に苛まれていた。
だがディオゴは時折、俯き頭を抱えながらもなんとか必死で自分自身を保とうとハッと目を光らせる。
悪意を撒き散らし、敵だけでなく味方までをも傷つけ、モニークを盾にして自分の弱さから逃げた。
もうこれ以上、自分の弱さから逃げてはならない。ディオゴは過去の罪と自己嫌悪に苛まれながら、
贖罪のために闘おうと自身を保ち続ける。潰される寸前まで、追い詰められながらも必死に潰されないよう
自我を保ち、遅れをとらぬように3人に付いて行く。
もはや、その姿にネロも何も言うことは出来なかった。
自分にとって肉体的な疲れや痛み、苦しみは苦痛だが、
ディオゴはそんな苦しみなど意にも介さぬ強さがある。
指がへし折れ、全身から血を噴き出し、耳が欠け、顎が歪むほどの打撃を受けても、
決して怯むことなく戦い抜く強さがある。多くのものが、その苦痛で
心をへし折られ戦意を喪失する。だが、ディオゴにその弱さはない。
かつて、ディオゴと闘い僅かではあるが共に日々を過ごしたからこそ分かる。
この男の強さは、心の弱さから来ているのかもしれないと。
心の弱さを必死で埋めようとする激しい暴力性。
その暴力性で疲れや痛み、苦しみを否定し続けてきたこの強さ。
その心の弱さこそ、ディオゴの強さなのだと。
「……ありがとう。みんな。」
ディオゴは我に返り、火が灯ったような眼を携える。
その目には暴力性で塗り固めた偽りの強さはなかった。
「……もう大丈夫。大丈夫だから。」
「ディオゴ」
まるで親のようにヌメロはディオゴを優しく見つめる。
ディオゴがようやく大人になった瞬間であった。
「おかえり、ディオゴ」
かつて共に闘った戦友としてセキーネはディオゴの手を差し伸べる。
かつて共に戦場を駆け抜けた戦友がようやく戻ってきてくれたことが
セキーネには嬉しかった。
「……行こう セキーネ。」
ディオゴはセキーネの手をとる。その姿に弱々しさはない。
自身の弱さを一生背負い続ける強い決意の瞳が宿っている。