丙武軍団は白兎人族の聖地ブロスナンの目と鼻の先まで侵攻していた。
ピアース3世がディオゴ大尉率いる黒兎軍を、反逆者とみなし、
黒兎人族の里を襲撃したせいで、黒兎軍はブロスナンを防衛する大義もなくなった。
ブロスナンを防衛していた主要な戦力が欠けたため、白兎軍だけでは
最早怒涛の丙武軍団の侵攻を止めることは出来なくなっていたのだ。
「はぁっ……はぁっ……」
反逆者として、セキーネは牢獄に幽閉されていた…
先ずは、読者の皆様にここで謝罪したいことがある。
〝母のヴェスパーの危篤により、セキーネが黒兎軍を見限った〟と
26章 希望の崩壊、崩壊の始まりにて記したが、後ほどの調査により
この情報は誤りであることが判明した。セキーネの率いていた
特殊部隊十六夜の生存者ドミニク・ホワイト氏、ビル・ワイズマン氏、マーカス・フランクリン氏の証言に
よると、中隊長セキーネは最後まで黒兎軍と共に戦うつもりだったことが明らかとなっている。
3度に渡る伯父のピアース3世の帰還命令を無視したため、ピアースの隠密である白夜叉に制裁を受け、
半殺しの目にあった。十六夜の隊員と、白兎軍の者達は、白夜叉により
帰還命令に従わぬ場合はセキーネを処刑すると通告した。
やむなく彼らは、中隊長セキーネを護るために泣く泣く聖地ブロスナンへと帰還せざるを得なかったのだ。
彼らの撤退の際に、ディオゴ率いる黒兎軍と一悶着があり、陣地内で暴動に発展。
数十名の死者が出たとされている。
セキーネは上半身裸で両手両足を鎖で繋がれ、監視されていた。
白夜叉にやられた傷を回復させるため、彼は死人のように弱った振りをしながら
彼は脱獄の機会を伺った。
(伯父上……あなたにこんな愚か過ぎる選択をさせたのは何なのです…?)
いくら黒兎人族を憎悪しているからと言って、状況が状況である。
国家存亡の危機を招く厄災である丙武軍団の前では
互いの憎悪を棄て、互いを許し合い、団結し、共闘せねばならない筈だった。
この最悪の危機的状況において、どうして味方の足を引っ張るような愚かな真似をするのか……
いくら、伯父ピアースが、黒兎軍を憎悪しているからといって
そんな簡単なことも計算出来ぬ愚者だとは思えなかった。
(………伯父上を唆した者が居るらしいな)
セキーネは白夜叉による薬物投与による拷問で意識を失った振りをしながら、
牢獄にいる看守たちの噂話を手がかりに、情報を探っていた
それによると、ピアースはあるエルフ族の女に唆されたらしいことが分かった。
だが、肝心の情報がつかめない……
(流石にここで情報収拾するのにも限界があるな……)
脱獄当日、セキーネは白夜叉が現れるのを待った。
ヤツは2日に一度セキーネに睡眠薬を投与すべく姿を現すのだ。
「セキーネ様……またいつものように夢の世界で安らぎを」
白夜叉は注射器の液体をピュッピュッと噴射させる。その様子はまるで射精の如しであった。
白夜叉がセキーネの右腕を手に取り、注射器を刺そうとした瞬間、
セキーネは左腕を白夜叉の首の後ろに回した。
「!?」
突然のことにさしもの白夜叉も驚き、そこに一瞬の隙が生まれる……
その隙をセキーネは見逃さぬハズは無かった。
白夜叉の左手で握られた右腕をサッと引き抜き、すぐさま解放された
右手で白夜叉の注射器を握る右手を内側に折り畳むようにして
手首を折り曲げる。
「うぐぇッ!!」
折り曲げられた手首の痛みと、注射器の針が胸に突き刺さった痛みで
白夜叉は鈍い悲鳴を上げる……注射器の針はちょうど心臓周辺に突き刺さった……
セキーネはそのまま右手で注射器のポンプ部分を指ではなく、掌底で情け容赦無く
押し込み、白夜叉の心臓目掛けて睡眠薬を注ぎ込む。
「う……がぁアッ……!!」
睡眠薬を注ぎ込んだ勢いで、セキーネは白夜叉ごとそのまま前のめりに倒れこむ。
まるで下衆な野党が美女に襲いかかって、そのまま押し倒すかの如き怒涛の勢いだった。
倒れ込んだ勢いで、白夜叉の鳩尾に肘を食い込ませるのもセキーネは忘れない。
「う……か……!」
僅か数秒の出来事だった。
特殊部隊十六夜で鍛え上げられた動きが、白夜叉を制圧した。
肋が2本折れる乾いた音がしたと同時に、白夜叉は暗黒の世界へと堕ちていった……
白夜叉は、フード付きのロングコートを着ており
風邪気味ということでマスクをしている。
しかも、顔もセキーネと同じ兎タイプであるため、白夜叉の振りをして城内を歩き回ることが可能だ。
情報収拾にはちょうどいいだろう。
気絶した白夜叉の服を奪うと、彼は近くの窓から気絶した白夜叉を突き落とした。
白夜叉が木々に引っかかる音が聞こえる……幸い、この時間帯はプラエトリアンたちも
警備の申し受けと申し送りがあり、注意力が散漫になっている。
前者は仮眠明けだし、後者は仮眠に入れるのだから周囲の状況に気を遣う余裕も無い筈だからだ。
白夜叉の真の姿を知る者は城内でも少ない……
万が一、気絶した白夜叉を発見されても ただの変質者と認識されて終わりだろう。
白夜叉のロングコートを被り、セキーネは牢獄を脱出した。
白夜叉の変装で城内を歩くセキーネは、城の外で迫り来る丙武軍団の姿を遠目に見ていた
「陥落も時間の問題か……」
なる程……白夜叉を落としても誰も駆けつけないのは夜中だからではない…
最早迫り来る丙武軍団への対処に追われているからか……
通り過ぎる兵士たちも白夜叉へと会釈をするも、一目散に外へと出て行っている
「」
「ピアース陛下はどちらに居る?」
白夜叉の振りをしてプラエトリアンに話しかけると、彼は答える。
「陛下は、今 女王陛下の傍に……」
どこか意気消沈した様子のプラエトリアンの様子からセキーネは
母である女王陛下の容態が危篤であることを悟った。
「何処だ?どこにいるのだ?」
セキーネは自身が変装をしていることも忘れ、プラエトリアンの両腕を掴み
迫った。
「セ……セキーネ様……!」
プラエトリアンもセキーネを待ちわびていたかの様子で
セキーネが囚われていたのもお構いなしに、セキーネを女王陛下の許へと案内した。
どうやら、プラエトリアンもセキーネが捕らえられていたのは不服であると
思っていたらしい。
「フフ……」
セキーネは通り過ぎる妖艶な女エルフを一瞥した。
それがニッツェシーア・ラギュリであることを知るのは後のことであるが、
一瞬、その女に自身の陰茎を搾り取られる淫夢を見た……
状況が状況だっただけに、セキーネは射精しなかったが
ただならぬ悪寒を感じたことは言うまでもない。
振り返ったその先には、その女の後ろ姿しかなかったが
セキーネにその女を呼び止める暇は無かった。すぐに
ピアースと母ヴェスパーの居る寝室へと向き直り、プラエトリアンの後を追うように
セキーネはそのまま駆け抜けていった。
(フフフ……白兎人の男って馬鹿ばっかと思っていたけど
そうでもない男も居るのね……)
ニッツェは、セキーネを見ることもなく
そのまま聖地ブロスナンを脱出していった……
(ミハイル様……兎人族の滅亡も目前ですわ……)
セキーネとプラエトリアンは女王ヴェスパーの眠る寝室の扉を大急ぎで開ける。
そこには泣きじゃくる従妹のマリー・ピーターシルヴァンニアンと、
ヴェスパーの右手を握るピアース3世の姿があった。
「セキーネ様……っ……」
泣きじゃくるマリーがセキーネの胸元に飛び込んできたのをセキーネは
ただ無気力に受け止めた……
「マリー……」
「伯母さまが……っ……伯母さまがぁっ……」
セキーネはマリーを無気力に抱きしめると、すぐさま
女王陛下の傍で呆然と座るピアースの許へと歩いていく
「……セキーネか……牢獄を出たのか……」
「……伯父上」
毛むくじゃらの伯父のピアースはただでさえ老け込んで見えがちである……
だが、彼の見つめる先にある辛い残酷な現実を前にして
ピアースは数十年と更に老け込んだように見えた……
セキーネは亡き母ヴェスパーの姿に思わず口を抑えてしまった……
「母……上……?」
セキーネの目に飛び込んできた光景は体中から血を吐く、
母ヴェスパーの凄惨な姿だった……
年をとり、昔の美しさとはと違って優しくふくよかな可愛い美しさを
振りまいてくれたあの母ヴェスパーは、枯れ木のようにやせ衰え、
天を怨むかのようにカッと目を見開き、血の海に沈んでいた……
「何故だ……何故だ……母上っ!!母上ぇええっ!!!」
セキーネは我を忘れて、血まみれの母を抱いた……
あのふくよかで、赤子のように弾力があったあの柔肌はもう
見る影もなく、まるで枯れた樹木の根を抱いているかのような
冷たく無残な姿になった母に、セキーネはただ泣き叫ぶしかなかった。
「……愚かであった……この戦争にたとえ敗北し……
我が一族が滅んだとしても……彼女さえ取り戻せるのなら……と
思っていた……」
ピアースはヴェスパーを見つめながら、淡々とセキーネに語りかけた……
「……不老不死の霊薬と偽られ、まんまと一国の女王に毒を盛られるとは……
これが……ミハイル4世の本性であったか……
全ては恋盲(こいめくら)に付け込まれた この俺の責だ……」
血まみれの母ヴェスパーを抱いたために、血まみれとなったセキーネは
怨念の篭った憎しみの目でピアースを見つめた
「……」
無言のセキーネの目はただひたすら愚かな伯父のピアースを見つめていた。
「……セキーネ……全て悟った……
ミハイル4世は……白兎人族が掌握している精霊樹「シーター」が狙いだったのだろう。
ヴェスパーは、白兎人族とエルフ族の血を引く巫女の一族の生まれだ……
……彼女が生きている間、ミハイル4世はシーターに近づくことすら出来ない……
迂闊であった……ミハイル4世率いるエンジェルエルフ族が……過去に
アルフヘイム各地の部族たちが握る精霊樹の返還を求めていたことを知っていれば
このような事態を招くことは無かった……」
かつてアルフヘイムはエルフ族の皇帝によって仕切られていた。
そして、その皇帝の后として兎人族、竜人族、オーク族……など
各部族の長老や王の娘が差し出された。
その皇帝と娘との間に生まれた女児は巫女と呼ばれ、各部族の生命線である精霊樹を管理する役割を担っていた。
ミハイル4世の属するエンジェルエルフ族は、かつて彼女の父親であるミハイル3世の代に
各部族の領土に点在している精霊樹は、元々エルフ族のものであり、直ちに返還されるべきと
主張をしていた。
だが、そのような主張をすればエルフ族と各部族たちとの軋轢が生じ、内乱となるのは
火を見るより明らかであった。事態を危惧した
穏健派の長老ダート・スタンは、ミハイル3世をアルフヘイムの統一思想に仇なす
反逆者として投獄した。ミハイル3世は苦しみの中、獄死した。
幼きミハイル4世……当時アレクシア・ミハイロヴナ・キエフ皇女は、
亡き父の悲願のため、密かに精霊樹の奪還を画策していたのだ。
「…………俺が…‥素直に彼女の旅立ちを見送る覚悟をしていれば……
彼女は安らかに……旅立てたであろうに……」
ピアースは愛するヴェスパーを救いたかっただけだった……
だが、死を回避することが彼女を救うことだと思っていた
だが、彼女の死を受け入れ、安らかに彼女の天国への旅立ちを見送ることこそが
本当に彼女を救うことだったのだと どうして気付けなかったのだろう……。
死者を蘇らせることなど、破滅しかもたらさないとどうして気付けなかったのだろうか……
「セキーネよ……どうか……この愚かな王を断罪してくれ……」
これも運命だったのだろうか……セキーネの羽織っていた
白夜叉のロングコートのポケットの中には絞殺具が入っていた。
セキーネは絞殺具のグリップを左右に開く……
ビィーという風を切るかのような音を立て、ワイヤーが姿を現した。
ワイヤーがピアースの首に絡み、肉へと喰いこむ……
「か……ぁ……」
セキーネの目は愚かな王ピアース3世への憎悪で一杯だった。
貴様のせいで母ヴェスパーは残酷な死を迎え、親友のディオゴとは絶縁となり、
挙句の果てには誇り高き白兎人族が……ピーターシルヴァンニアン王朝が滅亡の夜を迎え入れたのだ……
ピーターシルヴァンニアン王朝最後の王の死は、
王朝最後の皇子セキーネ・ピーターシルヴァンニアンの手で幕を下ろさねばなるまい……
この愚かな身内の不始末は、身内でけじめをつけねばなるまい…‥
冷たくなったピアース3世の首筋からは、ワイヤーによって切られた皮膚から
血が滝のように何本も流れ出ていた……
まるでそれがピアースの謝罪の涙であるかのように……
セキーネはピアースを母ヴェスパーの傍に寝かせ、両者の手を優しく握らせた……
「伯父上……せめてもの情けです」
哀しく呟くセキーネはマリーの手を引き、セキーネの愛馬「白龍」のいる馬小屋へと向かった。
こうしてセキーネはマリーと数名のプラエトリアン達を連れ、聖地ブロスナンを脱出した……
丙武軍団……そしてミハイル4世の狙いは、ヴェスパーと同じく巫女の血筋を引くマリーだろう。
マリーが生きている限り、精霊樹シーターの最奥部までは侵されることは無い。
マリーはヴェスパーが最後に託した希望だったのだ……
「母上……せめてこの子だけは守り抜いてみせます……」
セキーネはマリーを胸に抱き、燃え上がる白兎人族の聖地を後にするのだった……
※精霊樹の設定に協力してくださった
ぶっころ大魔王先生に多大なる感謝を述べたいと思います。
この精霊樹の設定の一部は、同先生の抱くミシュガルドの世界観に存在するものであるため、
同黒兎物語ではこれを引き継いでいく形としたいと思います。