ディオゴは狼狽していた。
霊安室からモニークの遺体がなくなっていたのだ。
「どこだ!モニーク!モニーク!」
狼狽するディオゴの許にツィツィが泣きながら走ってきた。
「ディオゴ っ! ディオゴっ!」
「姉御、どうした?」
「ダニィが・・・モニークを連れて逃げた・・・っ!」
「何っ!」
ディオゴは慌てて馬小屋へと走って行く。
「どうしたのかね?ディオゴ」
「おい、ディオゴ!!」
途中ゲオルク、ガザミ、アナサスに声をかけられたが、答える暇などない。
「ディオゴ!ディオゴ!」
走り去るディオゴの背に向けて彼の名を呼び掛けるガザミ。
「おい!無視すんなコラァ!」
何かあったに違いない、追いかけようとした矢先に、彼の横をツィツィが通りかかる。
「ツィツィ殿!!」
ディオゴの従姉であり、今や恋人であるツィツィからゲオルクはディオゴのことで日頃から相談を受けていた。彼女なら今のディオゴについて何か知っているに違いない。
「ゲオルクさん」
ツィツィの目は救いを求めるかのように、ゲオルクを見つめていた。
彼女を呼び止め、ガザミとアナサスにディオゴを追うように指示する。
「お急ぎのところ、失礼。一体、何があったのです?」
平時中であれば、遺体を腐敗させないようにと霊安室全体が冷却されている筈だが、戦時中の今となってはそんな余裕などない。モニーク以外にも遺体は運び込まれてくるのだ。
霊安室に置かれた遺体は、他の遺体と共に焼かれる。一人一人丁寧に焼却している余裕もない。回転率をあげるために、まるで大量の魚や海老を積み込むかのようにただの死体として扱われるのだ。
(生きている間にも女としての尊厳とを奪われ、生きる権利すら奪われ、死んでからも遺体としての尊厳も奪われ・・・一体、どれだけ彼女は侮辱されなければならないんだ!)
ダニィには、それが堪えられなかった。いくら戦時中でも、それだけは許せなかった。
亡きモニークの亡骸を抱きしめ、馬を走らせるダニィ・・・火傷胸を巻きつけた包帯からは血が染み出し、彼の身体は水分と塩分が失なわれつつあった。高熱も患っているせいか、今にも頭が内側から火を噴き出して発火しそうだ。吹き付ける風が涙で腫れ上がった顔に痛く響く。馬に乗るどころか外出することすら許されない最悪の健康状態だが、それよりも今のダニィにとって辛く痛く響くのは抱きしめるモニークの肌の冷たさだった。思えば、モニークをこうして抱きしめたのもハネムーン以来だ。馬車の中で裸になって彼女の柔肌を抱きしめた時のあの温もりに心癒されたのが最後だった。
「モニーク・・・せめてもう一度・・・君の温もりに心癒されたかった・・・」
最早、その願いは叶うことは無いのだ。
ダニィとモニークを乗せた馬は、
アドリアーニの丘へと差し掛かっていた。ここは黒兎人族の信仰するラディアータ教の聖地の一つで、モニークとはよくここに遊びに来たものだ。
真っ赤な悲願花が大海原の様に咲き乱れ、赤紫、青紫に彩られた木々が生い茂る森林を生み出す。ラディアータ教の信者達はこの光景をお彼岸と呼び、天国を心の中に思い描いた。
「モニーク・・・ここなら、もう・・・誰も君を侮辱する奴等も居ない・・・」
悲願花の大海原と、アルフヘイム北部を見下ろせる場所を見つけ、ダニィはそこにモニークの亡骸を埋めることにしたのだ。
「ひぐ・・・っ・・・うう・・・・・・ぅうっ」
泣きながら、ダニィは我武沙羅(がむしゃら)に穴を掘り続けた。常人ですら手掘りで穴を掘る行為はかなりの体力を消耗させる。水分や塩分が身体から噴き出し、身体の芯が燃えるような感覚に襲われる。常人でもこのような感覚に心を折られるというのに、今のダニィには相当な苦しみだろう。火傷胸と高熱で体力を奪われ続け、恋人を亡くして崩壊寸前の心を抱えるダニィにとって地獄に居るかのような苦行であった。
「はぁっ はぁっ」
ダニィはスコップを地面に突き刺し、息も絶え絶えになっていた。
「ごあッ・・・げほっ げほっ」
襲い来る吐き気に堪えきれず、ダニィはその場に嘔吐し、膝をついた。
もはや、立っていることすら限界だろう。
「Bewegen Sie sich nicht!!」
振り返るダニィの背後に、銃を突き付けた甲皇国軍の兵士達が立っていた。
「・・・Bewegen Sie sich nicht!!
Wir weisen auf Ihr Bumsen zurück hin!!」
甲皇国の兵士だった。上官らしき男が何やら呟いているが、ダニィには全く理解できない。ダニィは母語であるコエーリョ語以外にもアルフヘイム語が話せたが、甲皇国語は全く話せなかった。
「Sergeant Garterbelt, es sieht aus, dass er nichts überhaupt nicht versteht. Ich bin dabei, alfheim zu sprechen.」
部下らしき兵士が何やら上官らしき男に話しかけている。後の証言でこの上官らしき男はウォルト・ガーターベルト軍曹、この部下らしき男は後に丙武軍団の所業に嫌気が差し、懲罰兵69号として従軍することになる。この時点ではまだ69号ではない部下であるが、分かりにくさを防ぐため、以下69号と記す。
「あー、言葉分カル?動くなッて言ったんダけド」
69号の初めて聞く酷い甲皇国訛りのアルフヘイム語に本来ならばダニィの心は絶望に包まれる筈だった。だが、今のダニィにとっては彼等が天がよこした使いのように思えた。もはや、今のダニィは生きていることすら苦痛だった。モニークの居ないこんな世界に未練などなかった。
ダニィは69号とガーターベルト軍曹の前に立ち、歩み寄った。
こういう行動をとる敵の自爆兵を何度か見てきたせいか、2人は咄嗟にダニィに小銃を突き付ける。
「おい! 聞いてルの? 撃ツゾ!撃ツゾ!」
だが、怯むことも銃をつかむこともせず、ダニィは69号の銃口の前に額を近付ける。そして、大きく両手と両翼を広げて目を閉じ、死を受け入れる準備を整えた。
「・・・撃ってくれ」
目を閉じ、目から一筋の涙を流しダニィは懇願した。
「Was sagt er?!」
「 Er sagt "Schießen Sie mich bitte",Sergeant.」
「Was?!」
「Er hat uns gebeten, sich zu töten, ich weiß warum nicht!」
何やら困惑した様子のガーターベルトと69号だがそんなことはどうでもいい。
「お願いだ・・・頼むから撃ってくれよ・・・ どうして撃ってくれないんだ?」
ダニィは早くモニークの許へと旅立ちたかった。 目を閉じていたせいか、いつの間にかダニィの意識は途絶えていた。再び目を開けた時には
先程の69号の腕の中にいた。
「オい!しっカりシろ!オイ!」
69号の他にもガーターベルト軍曹もダニィの顔を心配そうに覗き込んでいた。ダニィはどうやら途中で倒れたことをぼんやりと 悟った。ガーターベルト軍曹が69号に何やら語りかけている。どうやら69号が通訳してくれているらしい。
「Sie wollen sie hier begraben? 」
「アンタ、墓掘ってタノ?」
「ぁあ」
「Ja.」
「Sie ist Ihre Schwester? 」
「亡くなっタの・・・妹サン?」
「・・・妻だ・・・僕の・・・妻だ。」
「Er sagt "Meine Frau…ich habe sehr viel geliebt." ,Sergeant. 」
妻というロから出た言葉にダニィは思わず涙を流していた。妻を亡くしたんだと改めて実感し、ダニィは泣いた。ガーターベルト軍曹も事情を知り、その顔が心痛な面持ちになる。そして、軍曹は穴の傍で横たわるモニークの亡骸を改めて見つめ、やるせない表情になる。
「Sind Sie ein schwarzes Kaninchen solidier?」
「黒兎人族の兵隊じャナイネ?」
「違う」
「Nein, er ist Bürger.」
69号がそう訳すと、ガーターベルト軍曹は立ち上がりこう言った。
「OK, wir haben keinen Grund, Sie zu schießen. Ich bin dabei, Ihnen zu helfen.」
言い終えるのを待たず、ガーターベルト軍曹は持っていた折りたたみ式の携帯ショベルを広げると 先程までダニィが掘っていた穴を掘り始めた。ガーターベルト軍曹はダニィを殺す気になどなれなかった。亜人とは言え、敵とは言え、全身血の染み込んだ包帯まみれの夫が、亡き妻のために疲労困憊になりながらも墓を掘ろうとしているのだ。人として助けてやらずにはいられなかった。戦場という状況下では、ここは見逃して立ち去るのがベストではあったが、69号の腕の中で朦朧としているダニィの姿と、穴の傍で安らかに眠るモニークの姿を見てしまっては、とても放置して立ち去ることなど出来なかった。
「・・・私の上官こウ言ッテる。だッたラ、別ニ私タチ貴方 殺サナくてイイデス・・・墓掘ルノ手伝イマす」
敵である筈の自分のために墓を掘ってくれている
軍曹の背中を見つめながら、ダニィは69号の胸に顔をうずめ、すすり泣いた。
「ありがとうって貴方の国の言葉で何て言うんですか?」
「Danke.」
「Danke・・・Danke・・・」
拙い甲皇国語ではあったが、ダニィの感謝の言葉にガーターベルト軍曹も思わず貰い泣きをしそうになった。
「・・・Wie ist Ihr Name ??」
ガーターベルト軍曹が何やら尋ねる
「アナタの名前は?って言ッテマス」
「ダニィ・・・ダニィ・ファルコーネです。」
「Mein Name ist Dannie,Dannie Falcone.」
「Dannie , was halten Sie Ihre Frau anruft?」
「奥さンの名前は?」
「・・・モニークです」
「Monique.」
「Monique・・・Schöner und schöner Name , ist es nicht ?」
「可愛い名前だネと言ッテまス」
ガーターベルト軍曹の言葉にダニィは心の底から救われたような気がした。
「ありがとう・・・お2人の優しさは絶対に忘れません・・・ 名前を聞かせて下さい。」
「お墓掘ってくだサッてるの、ウォルト・ガーターベルト軍曹。そして私が・・・」
アルフヘイム軍と甲軍国軍が殺し合うこの大地で、本来ならば交わされる筈の無いアルフヘイム語と甲皇国語の音色が、まるで異なる楽器の音色が共鳴し合うコンサートのように悲しく音を奏でていた。