(…手足の骨折を“再生”!くそ、なんだコイツはっ)
能力は相変わらず安定に欠けるが、それでも日中に比べて幾分かマシにはなった。悪霊の力を抑え込みながら折れた手足を“再生”させ立ち上がる。
「ほう、面白い能力だな。傷を癒せるのか」
僅かに目を見開いて、死霊の男は片手を持ち上げ掌を由音へ向ける。
「ッ!」
掌からまたしても不可視の衝撃が発生し、由音は大きく仰け反って頭からアスファルトの地面を抉って激突した。頭から鮮血が噴き出て、意識が明滅する。
「あ…ぁ、ぐっ」
ぐらつく頭の中を、黒い悪意のようなものが浸食する。由音の身体を乗っ取ろうと、内に潜む悪霊が暴れ始めた。
(黙れ、おとなしくしてろ!“再生”を引き上げて、コイツを…!)
頭部の怪我と並行して、内側の悪霊の浸食に抵抗すべく異能を巡らせる。それと同時に、浸食から力を抽出して肉体に人外の性質を上書きする。それにより、この身は一時的に常人を超える身体性能を得る。
それを黙して見ていた死霊が、珍しいものを見る目で由音に問う。
「やはりな。お前、その身に何を飼っている?その魂、既に人間のそれとは大きく異なっているぞ」
「知るかよ…お前が死霊だってんなら、お仲間なんじゃねえのか?」
死霊と悪霊にどういった違いがあるのかはわからないが、同じ霊という分類においてなんらかの共通点はあるのではないかと由音は思う。
その言葉に、死霊はじっと由音の姿を…その奥底にある何かを見定めるように凝視する。
やがて理解したのか、死霊は宙に浮いたまま椅子に腰掛けているように足を組んで、
「なるほど、悪霊…同じ概念種の影響だったか。お前も災難だな、そんなモノに取り憑かれて。しかしその割には長生きだな、これといった障害も抱えていないように見える」
「…」
「その異能か、お前を存命させているのは」
由音の無言をどう取ったか、悪霊は的確に由音の状態を見抜いた。
「極めて特異な例だ、ただの人間が悪霊に命を喰われ続けながらも生きているとは」
「うるせえ、だからどうした。お前はおれになんの用なんだよ」
「だから、喰らいに来たのだよ、お前の魂をな。死した魂は、生きた人間の魂が主食なものでね。それもこの頃同じような味ばかりで飽きてきたところだった。お前のような魂は、さぞかし普通とは違うスパイスが味わえるだろう」
言って、死霊はそっと口元を拭う仕草をする。
喰われる、殺される。
自分が目の前の人外に殺されてしまうかもしれないと考えて、しかし由音にはそれほど死に対する恐怖というものが湧いてこなかった。
よくわからない存在に怯えはしても、自身の生命の危機には恐れを抱かない。
そもそもの話、東雲由音という少年には命への固執が極端に薄かった。
幼少期から悪霊の力に悩まされ命を蝕まれ、こんな苦痛が続くくらいなら死んだ方が楽になれると、子供心に何度思ったかわからない。
“再生”の力を得て、それが無くなってからも由音の苦難は続いた。異能の暴走、悪霊の浸食、両方を調整しバランスを保ちながら常に神経をすり減らして。特にここ最近の由音には生きることへの余裕が無かった。
だからか、こんな事態に直面しても由音はさほど反応を示さなかった。
「殺される…」
それも、悪くはないか。
産んでくれた両親には非常に申し訳ないが、由音は死霊に殺されることを受け入れつつあった。
この命の使い方を知らない。生きていくことの理由が判明しない。
自分は、この苦痛に苛まれる身の上で、この先どうやって人生を歩んで行けばいいのか、それがわからない。
ただただ痛み苦しみ、二つの要素に振り回されながら生きていくことに意味があるのか。こんなに辛くて痛くて苦しいのなら、いっそ死んだ方が…。
「おう、見つけた見つけた」
その時、道路の向こう側から場違いに呑気な声が聞こえた。
「…誰だ、お前は」
真っ先に問いを投げたのは死霊だった。由音が立っている場所の反対側から歩いてきた少年を、死霊は振り返りながら見やる。
「お前こそ誰だ、って言いたいとこだけど言うまでもなかったな。死霊か」
「ほう、よくわかったな。お前は…お前も能力者か」
「当たり」
人外の存在ともまるで人間に接するように話す少年に、由音は見覚えがあった。
今日の放課後に会った、あの少年。
「狙いはそいつか?」
「まあ、そうだな。しかし私が見えるという時点でお前も生かしてはおけない。……お前も、面白い質をしているな?」
由音の時と同じく、その深奥を見据える瞳には極上の食事が一つ増えたことへの期待と愉悦で満たされていた。
「ああ、死霊は人の魂を喰らうんだったか。しかし生憎と、お前程度じゃ無理だよ。運が悪いことに、今この体を使ってるのが『僕』だからな」
「…?」
あの時会った時と、少しだけ様子と雰囲気が違うように見えた由音は密かに眉根を寄せる。本当に同じ人物なのだろうか。
少年は死霊を無視して由音へ視線を動かし、
「よう、捜しに来て良かった。タイミング的にもな」
「お前、なんでこんな深夜に…?」
普通に考えて、夜更けに中学生が出歩いているのはおかしい。夜な夜な街に繰り出す不良にも見えない。
「夕方に会ったろ?あん時に『俺』がちょっと気になっててな。同じ能力者の気配がするから、もしかしたらって。だからまあ、寝てる間に僕が様子を見に来た。まさか死霊に狙われてるとは思わなかったけどなー」
言って、再び興味無さげに死霊を見上げ嫌そうに肩を竦める。
「『俺』の方だと分が悪そうだけど、僕もあんまり出しゃばれないんだよなあ。そもそも勝手に睡眠時間削って出て来た時点でもう限界だ。もうじき戻る」
「何を言ってる?」
死霊の言葉に、由音も心中で同意していた。少年の言っていることがよくわからない。彼は、こんな非常識な状況にも手慣れたような態度で死霊に答える。
「だから、やるなら手早くやろうぜって言ってんの。こっちだって暇じゃねえんだ、僕や俺はそっちのヤツに用があるんだから」
そうして、その少年は何かの力を展開した。
それは由音の持つそれとよく似た、異能と呼ばれる能力だった。