ミシュガルドを救う22の方法
17章 瞳の中の星
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皇帝なんてガラじゃないんだ。
メゼツは料理対決には勝ったが、副賞の皇帝になる権利は受け取らなかった。帝位を譲ろうとしたカールもなりたくて皇帝になったわけじゃないのは分かる。分かるが、今現在のカールによる漸進的な協調路線はうまくいっていた。本人が望まなくても、皇国民はカール体制の継続を望むだろう。
クエストを手伝い、キャプテン・セレブハートへの義理も果たした。メゼツはやるべきことはすべてやり終え、今日も馴染みの酒場へと向かうのだった。
西門向こうのお山に日は落ちて、大通りの街灯に火がともる。SHWクエスト発注所から広場に向かって、道しるべのように点々と街灯がともっていく。
インフラが整い始め、大交易所の治安は良い。おいはぎや辻斬り、強姦魔は通りから姿を消した。
強引な客引きや娼婦、インチキ占い師などのいかがわしい連中もいっしょにいなくなり、大通りは明るいが静かだ。
それでも少し裏路地に入れば、商売にせいを出す娼婦の元気な声が聞こえてきた。
「モフモフいかがですかー、おセックス1回なんと500VIP!」
ヘベレケな魚人は客寄せパンダと客を取り合っている。
客引きに手を引かれるまでもなく、メゼツは自分からミーリスの酒場へと入っていった。
まだ日が落ちたばかりだというのに、酒気を帯びたにぎやかな声。赤い顔したオークの一団からは薬がどうこう、鉄砲玉がどうこうと不穏な言葉が飛び交っている。水をちびりちびりと飲む女戦士は昔語りを披露していた。
まともな冒険者はこんな時間に酒場に入り浸ってはいない。メゼツはワケアリの連中のたむろするカウンター席へと座る。
注文を聞く前に、ミーリスはいつものハチミツ酒を出してくれた。メゼツは常連客として扱ってもらえるくらいには足しげく通っている。
仲間と飲む楽しい酒もいいが、たまにはひとりで気楽に飲みたい夜もある。
騒音を肴にハチミツ酒を流し込む。甘い香りが口いっぱいに広がった。
メゼツはクリスタルのジョッキに映る自分の姿を見つめる。
赤い髪がハチミツ酒のせいで琥珀色に見える以外は三白眼も魔紋も何も変わらない。
自分の顔なのにずいぶんと久しぶりに見た気がする。
ふとメゼツの後ろから見知らぬ女が近づいてくるのが分かった。
黒いノースリーブが色素の薄い髪や肌を引き立てている。ツインテールを水色のリボンで結び、髪留めは髑髏と似た別の何かのようだ。黒いスカートの蛍光グリーンに縁取られた裾からは大蛇のように太い尻尾がくねっている。この娘も何かの亜人だろうか。
「きらきらきらーん☆」
飲む前からテンションが高い。
気にせずジョッキを傾けるメゼツに、女は隣に座りながら声をかける。
「私と寝てくれない?」
まさかの逆指名にメゼツはハチミツ酒を盛大に噴いた。
大胆な娼婦もいたもんだ。
メゼツはしらふな顔を赤らめながら、犬でも追い払うみたいに手で払うしぐさをする。
娼婦はめげずになおも食い下がる。
「私ひとりじゃ起きれないから、いっしょに寝て欲しいの」
ちょっと意味が分からない。「夜明けのカルファを飲みたい」的な口説き文句の類なのか。メゼツは困惑するばかりだった。
「俺はひとりで飲みたい気分なんだよ。お前ちょっとアッチ行ってろ」
「エイリアって呼んでよ」
エイリア。それがこの女の名前らしい。
「どっか行ってくれんならエイリアって呼んでやるよ」
「やっとエイリアって呼んでくれたね」
(あっ。こいつ、人の話を聞かないタイプの奴だ)
エイリアはメゼツの手を握るとミーリスの店を飛び出した。
まあ無銭飲食できたしいいかと、メゼツは手を引かれるままにまかせる。
「強引な娼婦だな。金ならないぞ」
確かにセレブハートに船を買って、最初にもらった資金は底をついた。とはいえ娼婦を買うぐらいの金はある。メゼツは金がないことをアピールすれば引き下がると思って言ったのだが、予想外の返答が帰って来た。
「お金なんていらないよ。ウチにおいでよ」
これはますますヤバい臭いがしてきた。美人局に違いない。
返り討ちにしてやろうとメゼツは剣の柄に右手をかけて、エイリアに左手を引かれていく。
夜の街を通り過ぎ、東の門をくぐる。大交易所を出て暗い森の中へ。こんなところに家があるはずもない。この森の中に怖いお兄さんたちが潜んでいるのだろう。
夜の森は危険だ。飢えた獣も待ち伏せする敵も黒い闇の中に溶かしてしまう。潜むものの特徴的なシルエットは隠され、どこから襲い掛かって来るかも分からない。
「ウチってどこだよ」
メゼツの問いにエイリアはぴんと伸ばした腕を真上まで上げて、宙を指さした。
月もなく、星もひとつしか出ていない。それでも空のほうがまだ明るくて、少しは道しるべになりそうだ。
東の空に一番星が昇っている。東へ東へと歩いていけば、一番星は少し近づく。
一番星の下にもっと明るい星がある。光がだんだん大きくなるので、星ではなく森の中の建物が光源になっているようだ。
大交易所の街灯よりももっと明るい人工の光。
近づくとそれは半分土に埋まった銀色の円盤型の建物から漏れ出ていた。
建物の周りは木々が外側に向かって倒れ、渦巻き模様を描いている。
中に入るとランプもカンテラもないのに、真昼よりも明るかった。
メゼツは剣を抜いて構え、吠えた。
「隠れてないで出てきやがれ」
銀色のシャッターが答えるように自動で持ち上がる。
メゼツは斜に構えて中を覗き込む。
奥には培養槽、壁にはすえつけられた計器類、部屋の中央には手術台のようなものもある。窓際にベッドがなければ寝室ではなく実験室と勘違いしていただろう。
メゼツは意を決し部屋の中に飛び込んだ。
手術台の下に潜り込み剣を突き付ける。誰もいない。
ベッドの掛布団をめくり上げる。誰もいない。
怖いお兄さんはどこにもいなかった。
首をかしげるエイリアに、色仕掛けで誘い込んでおいはぎするつもりだろうと問いただす。
自分の言葉足らずでメゼツが勘違いしている。誤解を解くためにエイリアは自分の正体を明かした。
「私は遠い宙から、この星の世界を渡る船に乗ってやって来たの」
エイリアは計器をいじくり、小さなモニタを指さした。この家――エイリアのいうことが本当ならば宙を飛ぶ船らしい――の見取り図の燃料タンクの場所が赤く点滅している。
「船の燃料が切れてしまって惑星ニーテリアに不時着したんだけど、燃料になりそうなものがなくておウチに帰れなくなって困ってて」
ガイシの地下に卵を産み付けながらひっそりと暮らしていたが、お星さまという魔物のウワサを聞いていてもたってもいられなくなったのだと言う。お星さまのドロップするレアアイテム、星の欠片から燃料を抽出することができるらしい。ところがお星さまは星のきれいな夜更けにしか姿を現さない。いつもお星さまを捕まえようと起きようとしているがどうしても途中で寝てしまう。
「それで俺といっしょに寝て、夜中に起こしてもらおうと思ったのか。最初からそう言えば手伝ってやるのに。俺はまたてっきり……」
「手伝ってくれるの? ありがとー」
そう言ってエイリアはすぐにベッドに寝そべる。
「って、もう寝るのかよ」
「だって、早く寝ないと夜中に起きれないよ」
寝るには早い時刻だったが、メゼツは言われるままに中央の手術台に仰向けになった。本来寝具ではないので枕はない。首の下に両手を入れて腕枕を作る。
エイリアが寝がえりをうって、メゼツのほうを見て言う。
「いっしょのベッドで寝ればいいのに」
「俺はこっちのほうが落ち着くんだよ」
肉体改造や魔紋の施術のときにも手術台に寝かされて、普通のベッドよりは硬い寝床になれていた。というよりも夜中に起こすのに同衿する必要はない。
そんなメゼツの苦悩をよそに、エイリアは駄々をこねる。
「眠れない!!」
「そうだな、まだ6時前だから眠れるわけねー」
メゼツは背中で生返事を返す。
「なにかお話して」
「はぁ? 俺はおめーのお兄ちゃんじゃねーんだぞ」
と言いつつもメゼツは早く寝かしつけるために、つまらない身の上話を語り始めた。
「5歳のとき、俺が左利きだったころの話だ」
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5歳のころ、甲皇国の帝都マンシュタインにおいて、メゼツは内気な少年時代をすごしていた。母親と死別したばかりだというのに、父ホロヴィズはメゼツを次期丙家当主に相応しい軍人にすべく英才教育をほどこす。生まれつきだった左利きも、矯正させられている。他人との違いをホロヴィズは極端に嫌悪した。個性とはすなわち亜人の特徴であると。
ある暖かい日、メゼツは別荘の庭に出て絵を描いていた。遊びではなく父から与えられた課題である。当然右手だけで描かなくてはならない。ただでさえ持ち慣れない筆で、白の絵の具にほんの少し黒を混ぜる。パレットの上に生成された淡い灰色を筆に馴染ませて、キャンバスの上のほうから塗り付ける。うまく左手が動かず、乾ききらない絵の具が垂れて、灰色のしずくが涙のように滴り落ちた。
ひどくおどろおどろしくなってしまった絵を整えようと、メゼツはつい左手に筆を持ち代える。
悪いことほどすぐばれるもので、不正はすぐに発覚した。
得体のしれない視線を背中に感じ、ゆっくりと振り返ると、鳥の頭蓋のマスクが目の前にある。
メゼツは生まれてこのかた父の素顔を見たことがなかったが、今この眼孔の奥で目を血走らせて怒っていることは見なくても分かった。
ホロヴィズは無言でキャンバスを引き裂き、まっさらな予備のキャンバスを突き付ける。
メゼツもただ黙って右手に筆を持ち、やり直し始めた。
ホロヴィズが仕事のために立ち去った後も、まだどこかで見られている気がする。メゼツは落ち着きなくチラチラと後を確認すると、今度はきれいな女性と目が合った。
病的なほどに透明感のある肌、ブロンドの髪、日よけのためか長いローブをまとっている。磁器のような顔には小さなヒビが入っていた。後に顔の左半分に及んだ体を腐らせる病は、この時は小さな傷跡にすぎない。
「何を描いているの?」
メゼツを気にして話しかけてきたのはホロヴィズの後妻のトレーネだった。
ホロヴィズは実母の死から立ち直れずにいたメゼツのために、敵対する乙家から後妻を迎えた。しかしホロヴィズの配慮を子供のメゼツが分かるはずもなく、ショックを隠しきれない。新しく母を名乗る女性が現れても、どうしてもトレーネを母と呼ぶことはできなかった。
「トレーネさん。ぼく、お庭の絵がうまく描けないんだ。ぼくは右手がうまく使えないから」
「左手を使ってもいいのよ」
「えぇー!? でも右手を使わないとお父さんが怒っちゃうよ」
「どうして? 左手も右手も両方使えるようになればいいじゃない」
「そんなの無理だよ、できないよー」
「今はできなくても、メゼツお兄ちゃんにはできるわ。将来の自分自身を信じてあげて」
トレーネはそっとメゼツの手をとると、みずからの膨らみ始めていたお腹に押し当てた。暖かい。手のひらに音が伝わってくる。鼓動だろうか、笑い声だろうか。妹も応援してくれている。
自分を信じることにためらいはあったが、トレーネさんのいうことには不思議な説得力がある。メゼツは左手に筆を握り、空の色を灰色に塗った。
調子付いて、今度こそと右手にもう一本筆を持つ。二刀流だ。右手の筆に明るい緑の絵の具をつけて、庭に自生するパトの木の新緑を描く。
せっかくうまくいっていたのに、右手は垂れてきた絵の具で汚れる。
まだだ。構わずに描き続けたが、こんどは右手の筆を落としてしまった。
まだまだ。メゼツは緑色に汚れた右手を使ってパトの木の葉を描き始める。
「右手上手に使えるじゃない。筆なんてなくても」
この人に褒められると、どうしてこんなにうれしいのだろう。もっと褒めて欲しくって、今度は灰色の空を銀色に塗りつぶした。
「皇国の空は灰色だけど、空がいつも同じ色だったらつまらないわ。銀色の空、とってもきれいね」
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なんでこんな昔話をしてしまったのか。首だけで横を向くと、エイリアはすでにぐっすりと眠っていた。メゼツは目がさえてしまって、今から眠れそうにない。
気分を変えようと外に出た。
澄んだ冷たい風がひんやりと心地よい。
雲もなく、見上げると満天の星が空を埋め尽くしていた。甲皇国本国ではけして見ることのできない5等星や6等星などの名もない星も肉眼で見える。
まるで空から銀色の雪が降り注いでいるようだ。
「母さん、銀色の空、ホントにあったぜ」
メゼツは誰に言うともなくつぶやいて、しばらく何も考えず、飽きもせずに星空を眺めていた。
こういう星のきれいな夜にお星さまは出るらしい。ようやくエイリアの言葉を思い出して、起こすために円盤の中に戻った。
メゼツが掛布団の上から揺すって起こそうとするが、エイリアは寝ぼけたままで一向に起きる気配がない。
布団をはいでやったが、それでも目を覚まさない。
「ったく、しかたねえなー」
メゼツは文句を言いながらも、エイリアを負ぶって外に出た。
お星さまは星のきれいな夜に森の中に現れる。情報はそれしかない。闇雲に夜の森を歩いてみたところで出会えるものではないだろう。
「まったく、なんでこんなことに俺は付き合わされてるんだ。当の本人は夢の中だっていうのに」
「呼んでる」
急に耳元でエイリアにつぶやかれて、足がもつれてつんのめった。
「起きてんなら降りろよ。呼んでるってお星さまがか?」
メゼツは負ぶっていたエイリアを降ろす。エイリアは首を振って大きく光る一番星を指さした。
「あの星をお星さまが呼び寄せてる」
もとから奇行の目立つ女だったが、いよいよおかしなことを言い始めたな。一笑にふそうと指さす方を見ると、一番星はさっきより大きくなってて近づいてきているように見える。
「一番星を呼んでるってことはだ。反対側の西にお星さまがいるかもだな」
メゼツは目星をつけると、すぐに捜索を始めた。
星を操ることができるなら、かなり強い魔物に違いない。純粋な衝動がメゼツを突き動かす。せっかく取り戻した強化した肉体を試してみたい。
どんどん森の奥に進むと、具合でも悪いのか四つんばいになっている半裸の男をみつけた。腰布一枚だけつけて、皮膚も色は青ざめている。あきらかに怪しい。メゼツは大剣に右手をかけて、十分注意しつつ顔をのぞきこんだ。
目も鼻もなく顔はのっぺらぼうだ。大きく開いた口だけが、そこが顔であることを主張している。
「それ! そいつがお星さまよ」
エイリアの声にメゼツの注意がそれると見るや、お星さまはメゼツの喉笛にかみつこうとかじりついた。すでに大剣は引き抜かれ、その勢いのまま叩き潰すように斬る。逆にお星さまの首が割れ、漆黒の液体が噴き出した。
手ごたえが軽すぎる。あまり強くはないのかとメゼツはがっかりした。
お星さまは2本足で立ち上がると、笑った。
一番星はまた少し近づいてくる。
お星さまの割れた首が再生し、体が一回り大きくなる。こきこきと首の骨を鳴らすとメゼツに飛びかかった。
3本爪がメゼツの上衣を引き裂く。
「もらった!!」
待ち受けていたメゼツはお星さまの引き際に大剣で胴を払う。
お星さまは猫のように背中を丸め、ぎりぎりでかわす。大剣はむなしく虚空を斬った。
また一番星が近づき、お星さまの体はもう一回り大きくなる。星が近づくほどにお星さまは強化されていく。
左足2本爪の強烈な蹴りを体さばきでかわすことには成功したが、大剣を持つ右手首をつかまれてしまった。
まさか足を使ってつかんでくるとは。完全に不意をつかれたメゼツは攻撃できぬまま、肩口を切り裂かれた。
左足でメゼツの右手首をつかみ、片足立ちしながら、お星さまはとてもうれしそうに笑った。
お星さまの口がさらに大きく広がり、首をかじろうと迫る。
「左も右も、ぼくは両方使えるんだ!!」
メゼツは右手から大剣を離し、左手でキャッチ。すかさずお星さまの開いた口に大剣を突き入れた。
黒い噴流が口からあふれ、光り輝く塊を吐き出した。
つかまれた右手を振り払い、両手持ちで大剣を振り上げる。とどめをさそうと思ったが、その必要はなさそうだ。お星さまはしだいに透き通っていき、ついには消えてしまった。残ったのはお星さまが吐き出した光り輝く塊のみ。
メゼツがその塊を拾うと、光はしぼみ、ただの石ころになった。
「星の欠片って、これでいいのか」
そう言ってメゼツはエイリアに欠片を手渡す。
「どうして、あなたはこんなにも優しくしてくれるの?」
自分でもなんでここまでしてやるのか、分からない。
メゼツは初めてエイリアの顔をまじまじと見た。瞳に夜空の星が映り込んでいる。
そっか、瞳が。瞳の光が最愛の妹メルタに似ていたんだ。メゼツは一人納得すると、口かららしくない言葉が零れ落ちる。
「星がきれいだな」
エイリアはちょっとだけ驚いた顔をして、声を殺して笑った。
「おかしいかよ」
顔を朱に染めて、押し黙っていたエイリアが口を開く。
「それ、私の母星では口説き文句だよ」
「いや、そういうつもりじゃないんだ。えーと……そういうつもりなのか」
瞳の中の星が消える。目を閉じたエイリアの顔がメゼツに近づく。
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