たまの散策に乗り出して入ったカラオケボックスの中で僕は、メンバーに一つの提案をした。
「連れ込めそうな女の子に心当たりがあるんです」
僕がそう口にすると備えられたテレビの画面を見ながら熱唱している八郎さん以外がこちらを向いた。ちなみに翼さんは欠席だ。
「ほお、なんだ、お前に女友達なんていたのか」
祐司さんが辛辣なことを言ってくれる。
「一人くらいはいますよ。本当に一人だけなんですけどね……」
するとちょうど歌い終わった八郎さんがマイクをおいた。
「いやいや、素晴らしい事じゃないですか。私なんて一人たりともいませんよ。ちなみに、可愛いんですかその子」
八郎さんは後半の部分だけ、熱を込めて尋ねた。僕は言われて藤崎さんの顔と体を思い浮かべる。特別女性らしいスタイルという訳じゃないけれど、間違いなく可愛い部類にはいるはずだ。昔惚れていた贔屓目があるのかもしれないけれど。
「とびきりですよ」
僕は大げさに答えた。少なくとも自分にとってはそうなのだから嘘じゃない。
「いいねぇ、楽しみだ」
「同級生か?」
誠士郎さんにマイクを回しながら祐司さんが言う。
「はい、同じクラスです」
「お前本当鬼畜だな。しかし、高校生か……いよいよ犯罪者じみてきたな」
「なに言ってるんですかぁ私らとっくに皆、強姦魔でしょう」
八郎さんはなぜか楽しそうだ。祐司さんには今になってためらいが出てきたらしい。
「ちょっとちょっと祐司さん、今更足を洗って真人間になるなんてやめてくださいよぉ、あなたが提案者なんですから」
「わかってるよ」
祐司さんはうっとうしそうに手をひらひらさせた。背景には誠士郎さんの柔らかい歌声でバラードがかかっている。祐司さんのつれない態度に八郎さんは不愉快そうだ。
「祐司さんは私と違って失うものが多いからどうしてもためらってしまうんですかねぇ」
「ちげーよバカ」
「だってあなたはそのまま大学通って勉強してたら法曹になれるのは確実じゃないですか、尊敬しちゃうなあ」
八郎さんは皮肉を込めて言っている。
「は」
祐司さんは吐き捨てた。
「犯罪者が法曹なんて聞いて呆れるぜ。安心しろ八郎、俺はもう引き返せないし、そのつもりもねぇよ、仲良く一緒に心中だ」
「そりゃあよかった」
八郎さんは心底うれしそうだった。
藤崎さんと大村くんの密談の意味を知ることになったのは翌朝登校してすぐのことだ。校門に背中を預けて立っていた大村くんは僕を見つけるとぶっきらぼうに声をかける。
「近藤、ちょっと来てくれ」
彼は用件も言わずに僕の腕を掴むと人気のない方向にずんずん歩いていく。ステレオタイプな不良の呼び出しが真っ先に思い浮かんで僕はためらいを見せる。
「ちょ、ちょっとなにさ」
「いいから」
こちらに顔を向けずに先を歩く彼は校舎裏まで僕を引っ張ってくると頭を下げた。
「悪かった」
「え?」
僕は校舎裏に着いたら大勢の仲間でも待ち受けているものと勘違いしていたから驚く。
「中学のときのこと、俺、お前をいじめてただろ」
自分の口からはっきりといじめと発する彼を見て僕は信じられない気持ちだった。加害者はいつだって自分の悪を認めたくはない。悪気はなかったとか皆やっているから大したことじゃないと決めつけて自分を守ろうとするものだ。僕だって今までずっと被害者でいたわけでもないからわかる。けれど、あの、僕に対しては傲慢で寡黙だった大村くんは腰を折り曲げて深々と謝罪している。
「待って、頭を上げてよ」
僕はあわてて声をかけた。すると彼は顔を上げて初めて僕と目線を合わせる。思えばまともな関係でなかったとはいえ、彼とは中学の頃からの付き合いだったけれど、こうして面と向かうのことはなかったような気がする。彼も自分と同じ人間だったのだと、不意にそんな当たり前な事実を突き付けられた気がした。
「謝ったってお前の気が済む訳じゃないことはわかる。独りよがりな行為だって言うことも」
「藤崎さんの影響?」
僕は彼を動揺させてやりたくてそんなことを言う。もくろみ通り彼は一瞬怯んだような顔をして、それでももう一度向き直った。
「あいつが関係ないって言えば嘘になる。……だけどこれは俺の本心でもある。昔のことを後悔してる」
口べたな彼らしく、拙い言葉を淡々と並べていく。
僕ははじめからわかっていたんだ。大村くんだけじゃなく、僕に酷いことをする連中の誰一人、ドラマの悪役みたいな人間はいなかった。それを引き起こしたのは僕にある不快さであったりいじめるひとたちの幼い故の精神的未熟さだったり。無機質で、冷酷な背景。けれど僕は、僕個人の一人称でしか生きられない。どれだけ神様気取りの客観を突き詰めてみたって、僕が楽になれることはないんだ。だからこそ、彼らにはヒールを演じていて欲しかった。ほかの誰でもない、僕にとってだけは憎悪すべき敵でいて欲しかったのに。
でも、それももう駄目だ。十数年生きてきた僕の頭にはそれなりの分別があって、彼が謝ってしまえば僕はもうただの可哀想な被害者にしかなれない。体の奥から脱力感がこみ上げてきて、思わず花壇の石段に座り込む。
「いいよもう」
僕は許しの言葉を吐いた。いいんだ、どうせもうすぐ彼は僕に謝ったことを後悔することになる。好きな女の子をめちゃくちゃにされることで贖罪をするんだ。魂が抜けたように座り込む僕を見て大村くんはまだ話すことがあるらしかった。
「俺はさ、その、これから言うことは誤解しないで欲しいんだけど、今になって謝ったのはお前と仲良くしたいからとか、友達になりたいからとかじゃないんだ。それは……」
「わかってるよ」
言葉に詰まる彼を制止する。続きは言葉にせずとも分かり切っている。
「僕も君とは気が合わないなと思ってたんだ」
僕が彼を見て口角をあげると、大村くんも同じように笑った。その瞬間だけは、彼と心が通じ合った気がした。結局、気が合わなかった、それだけのことだ。
「それじゃあ、もう行くよ。お前もちゃんと教室来いよ」
彼は体にまとわりついていた重りを外したみたいにすっきりしたような顔をして僕に言うと、去っていた。僕はその姿をいつまでも見送った。