Neetel Inside ニートノベル
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斉藤武雄の忘備録
その7

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 Ⅶ

 ゆっくりと流れていく雲を見ながら、公園のベンチに座っていた。僕はぼんやりしていた。午後一時三十分。あと二時間もすれば小学生の下校タイムだ。下校タイムになればきっとこの公園も小学生でいっぱいになる。僕も小学生の頃、この公園でよく遊んでいたからよくわかる。この公園は、小学校から少し離れに位置しているものの、遊んでいる人が少ないから、仲の良い友達と誰にも邪魔されずに遊ぶには絶好の場所なのだ。
 ベンチから離れてブランコに座ってみる。漕いでみる。年甲斐もなく楽しい。
 こんなにもゆっくりと時間は過ぎ去っていくものなのかと思った。視界いっぱいに広がる青空と、ゆっくりと流れていく雲。スニーカー越しに感じる砂利の感触。けだるんだ妙に軽い空気を吸い込んで深呼吸をしてみる。上手くは言えないけれど、「午後」を感じた。午後、午後。昼夜逆転の生活を送っていた僕には、ここ最近随分と感じていなかった時間の感覚だ。
 昼夜逆転の生活を送っている者に、午後という時間の概念はない。もしも午後のような時間の概念が、区切りがあるとすれば、それは夕方か夜かの区別くらいだ。
 家にこもって、パソコンをするだけでは、きっといくらどんなに良い音楽をたくさん聞いたとて、こんな穏やかな気持ちにはならなかっただろうと思う。そう思うと、外に出てきて良かったと思う。


 しばらく公園でぼんやりした後、家路についた。インターホンを押す。お母さんがめんどくさそうにインターホンに応答する。ガチャンという鍵を開けた音。僕はドアを開けて自宅に足を踏み入れる。
 自宅に帰るのも随分久しぶりなような気がした。外出した時間はたったの数時間なのに。
 切った髪を母親にとやかく言われることもなく、というか極めて普段通りに、母親に何も言われることはなく、僕はいつものひきこもりライフでそうしていたように、さっと逃げるように少し小走りで自室に駆け込む。
 自室に広がっていたのは、いつも通りのひきこもりでニートな日常だった。遮光カーテンで覆われた、太陽の光さえ遮られた部屋。高校の数学の教科書とノートと、読まなくなった漫画と、大学受験の参考書と、ティッシュの箱が散乱している部屋。
 大学受験の参考書だけは、どうしても捨てられなかったのだ。理由は単純で、未だにどうしても受験を諦められないからだ。もしかしたら、今度はちゃんと勉強すれば第一志望の大学に受かるかもしれない……という想いをずっと捨てられずにいる。だから僕は大学受験の参考書が捨てられない。予備校の授業のノートも、未だに何一つ捨てられないでいる。もしかしたら、今度は、何かの拍子で、ミラクルが起きて、……、……。
 散らかる部屋を掃除しようかと考えたけれど、思い立った時の時刻は夜の11時だった。明日はpちゃんと、そして妹の楓さんと会わなくちゃいけない。布団の中に入ってからの自らの寝つきの悪さを思うと、もうそろそろ色々考えるのは止めにして、寝なくちゃいけない。
 僕は布団の中に潜った。眠りに落ちるまではすんなりとはいかなかった。だけど僕は眠りに落ちた。知らぬ間にまどろんで、瞼の奥の意識が眠気に吸い込まれて、僕は眠りに落ちた。
 たくさんの夢を見た気がする。楽しい夢、嫌な夢、大学受験で落ちる夢、どうにもあきらめきれないような気持ちにさせてくれる夢、悔しくてたまらない夢、悲しくて悲しくてやりきれない夢、周りがあまりにも眩すぎてひきこもりでニートな自分に嫌気が差す夢、そして性的な夢。
 だけど僕はその夢の内容を何一つ詳細に思い出すことができない。そんな夢を見た、ということは覚えていたのだけれど、内容を何一つ思い出すことはできなかったのだ。
 何度かの短時間睡眠と、トイレへの往復を繰り返している内に、朝が来た。
 pちゃんと会う日の朝がやって来たのだ。行きたくない。あまりにも行きたくない気分になってしまったものだから、パソコンをつけて今日の日付を確認して、行く日取りが今日ではなく明日ではなかったのかと、pちゃんとのskypeのやりとりを見返してみたものの、やっぱりどう読み返したって、pちゃんと会う日は今日だ。もう逃げようがない。諦めて行くしかないのだ。
 眠たくて眠たくて仕方ない。それもそのはず、こんな朝早い日に起きるのは、昨日ぶりで、昨日を除けばおよそ数年ぶりだからだ。あまりに眠たくて仕方ないので、適当な理由をつけて行くのをやめておこうかなと思った矢先、skypeの画面が切り替わって、pちゃんからチャットが飛んでくる。いよいよ今日っすね、saitoさん、一時間くらいはひきニートだから遅刻してもいいですけど、ちゃんと来てくださいね、というメッセージだった。既読はもうついてしまっている。読んでなかった、という言い訳は通じない。
 行くしかなかった。でも行くのは怖かった。でも行くしかなかった。だからとりあえず行くか行かないかは別にして、行く準備だけはしてみることにした。
 昨日の夜から着ていたパジャマを脱ぎ捨てて、下着も洗濯機に放り込んでから、ようやく何の準備もせずに服を全て脱ぎ捨ててしまったことに気付く。母親に見つからないように、小走りにリビングを駆け出した。タンスを開けて靴下と下着をゲットした後、また小走りに自室へ駆けていく。
 クローゼットを開けてみる。どうにもダサそうな服のラインナップだった。何で買ったんだろうと思うような奇抜な柄のTシャツ、合わせにくそうな色のパーカー、深夜のテンションに任せて買ってしまった萌えアニメのTシャツ。新歓のために買ったテーラードジャケット。
 青色のジーパンとまだマシそうなTシャツの上にテーラードを羽織って鏡を見る。鏡に映っていたのは、どうにも冴えないひきこもり然のニートだった。
 数年ぶりに鏡を見た。セルフイメージと鏡に映った自分のイメージのあまりの剥離に、少し気を失いそうになる。だけど、どうかっこいいポーズを決めたって、決め顔しても、僕は僕だった。どうしようもない僕。だけどこれも全部僕なのだ。
 鏡の前をそそくさと後にした僕は、髪を整えた。慣れないワックスも少しつけてみた。鏡を見てみると、冴えない大学生然とした風貌の男が僕の前に立っていた。
 次に僕は朝ご飯を食べた。……朝ご飯というには貧相なものなのだけれど。リビングにある冷蔵庫から調達してきたメロンパンとペットボトルのお茶。これを自室で食べる。これが僕のいつもの朝ご飯。いつも通り僕はメロンパンを頬張り、お茶で流し込む。あまりおいしくはないし、おいしいと感じる食べ方ではないと思う。下品だと思うので矯正しておきたいところではあるが、生憎今日の斉藤武雄にはそこまでの余裕がなかった。食事の後、斉藤武雄は歯磨きをした。髭も剃った。身なりは完璧だった。
 決死の思いで最寄の駅のホームに辿り着いた。誰かに見られていないか、誰かに僕はニートだと言いふらされていないかを想像しながら、電車に乗る。開いている座席に座る。あまりにダサい服装でここまできてしまったものだから、ダサい服を着たニートがこんなところにいるぞと噂をされている気がする。……いや、実際には誰も気にもかけていないのだろうけれど。
 過ぎ去っていく景色。気にしていないのに気にしてしまう、自意識の過剰さ。
 がたんごとんと電車を乗り継いで、ようやくpちゃんの家の最寄駅の「小畑駅」に着く。少し急ぎ目で階段を上っていく女の子を尻目に、僕はゆっくりと階段を降りていく。階段を降りて外に出る。小畑駅を後にする。振り向いて小畑駅を確認してみる。そこには少しうす寂れたこじんまとりした駅が目につく。そう、これが小畑駅だったのだ。
 小畑駅を後にした後、駅から歩いて10分だというpちゃんの家の近くの公園に向かう。歩いて15分。待ち合わせの公園に僕は着く。すると少し遠くの方から、高校生のようでありながら精悍な顔つきの青年が、僕の座っていたベンチの方に向かってくる。彼が僕の方に近付くにつれ、心臓の鼓動が早くなるのがわかる。
 少ししどろもどろした後、その青年はついに声を発する。

「あ、saitoさん……ですよね? 初めまして、pちゃんです」
「あっ……はい、よ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
 会話はぎこちなかった。pちゃんというその青年の風貌は、至極真面目であった。っす、というちゃらい言葉遣いが到底似つかないような、育ちの良さそうで、聡明な思春期男子だった。髪だって当然黒髪である。
「あの……その……」
少しぎこちなさそうに、pちゃんが僕に話しかける。
「いきなりこんな話をするのもあれなんですが……、妹の楓の件なんですが……楓と直接会っていただけるでしょうか。お願いします……」
「百歩譲って、僕がそれを快諾して、楓さんと会う事にし、しようか……。で、そ、それで僕が一体何を楓さんにしてあげられるというのかがとても気になる……というか」
「うーん……」
そういうと、pちゃんは黙り込んでしまった。
「……とにかく、……そう、とにかく! 楓のもとに来て欲しい。そしてできれば……」
「で、でできればというと……? 」
「楓に、saitoさんの思春期の時に持っていた悩みを、ぜひ楓に伝えてやって欲しいんです。そうすれば……きっと、楓はひきこもりから抜け出てくるだろうから……。saitoさんの抱えていた悩みを楓に話すことが、楓を救うことになるかもしれませんし」
「……そうか。僕の悩んでいたことが、楓さんの役に立つのかもしれないというわけなのか
「そう、そういうことです。ここは一つ、お願いできないでしょうか」

 腑に落ちた気がした。誰かに自分が歩んできた人生を語る。TwitterやLineなどに書き殴るのでもいいかもしれない。悩みは色々、深刻さの度合いも津々浦々。当人以外がみれば大体の悩みなんて、ちっぽけなものだったりする。
 だけど、その書き殴るように綴った悩みは、きっと、どこかの誰かを救うことになる。思い出した、確か僕もそうであったのだ。高校の頃、友人関係も含めたあらゆる対人関係が上手くいかなくなって、誰も僕を理解してくれていなさそうな気がして。だから僕は太宰治の『人間失格』を読んだ。心の底から共感した。こんな自分と同じような悩みを抱える人間が、古典の中にもいたのかと驚愕した。だけど今にして思えば、いつの時代にも一定数の人間に共感を与えて止まないのが、『人間失格』が名著たる所以なのだろうけれど。
 だけど理由はどうあれ、僕は誰かの吐露した悩みに救われたことも確かだ。そうであるならば、僕がpちゃんの妹の楓さんに、思春期の頃に抱えていた悩みを吐露してあげることも、楓さんを助ける手立てにはなるのかもしれない。そう、だから、だからもしかしたら、僕があんなに悶々と悩んでいた日々も、無駄ではなかったのかもしれない。だから僕はpちゃんの提案を快諾した。悩んでいた事の全てを、話してみることにした。
「……わ、わかった。思春期の頃の悩み……か、楓さんに話そうと思う」
「やったぁ。ありがとうございます。これで楓のひきこもりも治ったも同然ですよ」
 早とちりするpちゃんの後ろには、青い空がのんびりと広がっていた。小学校のチャイムが鳴り響き、給食の時間を知らせる放送が聞こえてくる。
 閑散とした公園のどこかで、悠久のモラトリアムが壊れる音がした。

       

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