Neetel Inside ニートノベル
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退魔を担う彼の場合は
第十話 決着

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 五人の『憑百』を相手取って一進一退の死闘を繰り広げていた日昏だったが、敵は何かの動向を察知したのか示し合わせたように撤退を始めた。たった今まで全力で殺しに来ていた相手すらそっちのけで逃げ出す様子に、日昏も奇怪さを覚え追撃を避けた。
 致命傷までは受けなかったが、流石に多対一での戦闘で受けた傷は少なくない。比較的深い傷だけ応急的に止血処置を済ませ、まず最初に日昏は旭との合流を考えた。理由は単純に、自分の位置からもっとも近い場所に旭の気配があったから。
 破壊され尽くした街の一角で旭の姿を見つけた日昏は、声を掛けるより前に事態の把握に努めることにした。
 旭の眼前で背を向けて両腕を広げ立つ羽の生えた少女が、水の刃を向ける少年を鋭い視線で捉えていたこの状況を、日昏が正しく理解するまでにはもう少しの時間を要した。



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「…離れてください、姫様」
「だめ。そんなことしなくても大丈夫だから、レイス。わたしと帰ろう?」
 レイスの初撃を迎え撃とうとした旭の眼前で、割り込んできた少女が大きく両腕を広げた。レイスの攻撃はすんでのところで止められたが、もし何かの間違いでもその切っ先が少女に触れようものならばレイスは自決の道を選んだであろう。
「何故、庇うのですか。その人間は貴女を…」
「だから何もしてないんだってばっ。レイスの勘違いだよ!この人は…わたしを助けてくれたの、だからわたしやレイスを襲ったあの人間さん達とは違うの」
 人外を魔物と呼び嫌う『憑百』の人間に襲われたことで先入観が植え付けられたのか、あるいは旭をその一派と考えているのか。
 少女の必死の呼び掛けにも、レイスはいまひとつ自らの生み出した水の刃を引っ込められずにいた。
 そんな状況が、日昏の登場によって大きく変わる。
「新手か」
「っ…」
「日昏」
 少し離れたところから様子を見ていたのは知っていたが、こんな状況で姿を現すとは思っていなかった旭は小さく同胞の名を呟いた。同族の気配を掴んでいた旭とは違い、たった今新手の出現を感じ取ったレイスは面倒そうに横目で新たな敵を見据え、少女は戸惑いに息を呑む。
 街灯の砕かれた暗がりの中に、小さな赤い光点が揺れる。火の点された煙草を咥えた日昏はゆっくりと歩く間の中でこの事態を正確に理解した。
 その上で、
「去れ。さもなくばそこの同胞と共に貴様等を討つ」
 未だ真名解放を解いていないのか、立ち止まった日昏の足元から暗い影が蠢き出す。
 売り言葉を買うべきか迷うレイスへ、旭は少女の背を押すことで決定打とする。
「あの…?」
「行って。彼は君さえ無事なら文句なさそうだし、ここで君を巻き込んで僕達と争うのは愚策のはずだ」
 半分振り返る少女と小声で話して、まだ理解のある彼女に撤退までの流れを促す。
 ほんの数瞬の逡巡の後、少女は広げていた腕を降ろす。そして旭の耳元へ口を寄せて、
「あの、わたしは―――です」
「…ああ。僕は―――だよ」
 一言ずつ交わし、柔らかく笑んだ少女は白いローブと長髪をなびかせてレイスのもとへと小走りに駆ける。その無防備に晒す背中に焦りを見せるレイスとは対照的に、旭も日昏も一切の挙動を見せずにそれを見送った。
「姫様…」
「レイス、退こう。これ以上ここにいるのは良くないよ」
「ですが…!」
「あなたは、わたしの側近なんでしょ?わたしの無事は、ここで争うことで守られるものなの?」
 普段より強めの語調に、レイスは気を落ち着けると浅く頷いた。
「貴女を御守りするのが我が使命です。それを考慮するのであれば、貴女の言い分が正しい」
 キッと牽制のように退魔師の二人を睨みつけて、レイスは背部から少女と同様の羽を展開する。違うのは、彼の羽は水分を含んだ霧のようなそれだったことか。
「……」
 殿を務めるレイスに、最初に飛び立った少女が最後に旭を見下ろして小さく手を振るう。それに、旭は微笑を浮かべることで返事とした。
 憑百や神門が去った方を避けて反対方向から撤退していった二人の妖精を静かに見送り、日昏が半分ほど灰になった煙草を指を挟んで旭の所まで歩いて来る。軽い溜息に紛れて紫煙が漏れ出た。
「ひとまず逃がす為の悪役は演じてやったが、なんだあの妖精種は」
「ありがと、日昏。…まーたそんなの吸って」
「肺にまでは送り込んでいない、固いこと言うな」
 昔に見た映画に出て来たヘビースモーカーな主人公を真似て煙草を吸っている日昏の、意外な一面の前では旭もさほど強く言えないのであった。煙を肺まで届かせず口の中だけで楽しむ分には、人体への害も皆無に等しい。
特異家系ぼ く た ちに巻き込まれた人外だよ。今回の一件には関係ない被害者」
「そうか。なら逃がして正解だったな」
 すぐさま状況を理解して即興で役を演じてくれた日昏に感謝しつつ頷く。怒りに震えるあのレイスとかいう妖精も、第一に優先すべき少女のいる場で二対一の勝負を受けるほど愚かではなかった。もっとも、最後の一押しは結局あの少女に任せてしまったが。
「…僕達も行こう。昊と合流して、晶納の援護に向かう。日昏、怪我の具合は?」
「問題ない」
 妖精の少女から治癒を受けた旭とは違い、日昏の怪我は外傷だけ見ても酷いものだった。頬や頭部、口の端から血を流す日昏はそんな傷をものともしない平然とした表情で即答する。
 意地を張っているわけでもなさそうだし、そもそも日昏は本当に不味いような怪我ならば足手纏いになる前に自分から傷の深さを説明してくる。それが無いということはこのまま戦えることを意味していた。
「わかった。それじゃ行こう」
 まずは昊のいるビルの屋上まで向かい、そこで真名解放を続けている昊を拾う。対人面犬のことも考えて旭も日昏も真名解放を解除せずにいるが、一番負担が掛かるのは広範囲に効果を及ぼす昊の力だ。晶納への支援があるからまだ解くわけにはいかないし、様子は見に行かねばなるまい。
 昊のもとを急ぎながらも、旭は別れる直前に小声で交わした彼女との会話を思い出す。
 たったの一言の交わし合いだったが、それでも旭には充分益があった。

「あの、わたしはリリヤ。リリヤテューリです」
「…ああ。僕は旭。…陽向旭だよ」

(……リリヤ、か)
 あの可憐な少女の名を知り、また自分も名を明かした。たったそれだけのことなのに、やけに旭の心は満たされていた。
 もう会うことはないだろうけど、会えて良かったと思う。たとえ完全な偶然の産物だったとしても、人間を庇ってくれる心優しい人外という貴重な存在と会えたことはとても嬉しいことだった。
「ぶっ!」
 にやける口元を手で隠しながらリリヤの去って行った方角をちらと横目で見た旭は折れた街灯の根元に頭からぶつかった。
「どこ見て走っている。余所見をするな」
 呆れ顔の日昏に注意を受けて、そのにやけ面は苦笑に変わってしまう。



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 回転する天秤刀・銀脇が轟音を撒き散らし、通過上にあるあらゆる物質を分断しながら巨大な狼のような姿となった人面犬を標的に飛び回る。
「グルラァアアア!!」
 巨体と化したが故に的が大きくなった人面犬が、その機動力をもってしても避けきれない天秤刀の回転する刃に牙で応じる。咆哮と共に顎を持ち上げ、噛み付いた刃を真上へ弾く。鋭く太い牙が二本ほど根元から抉られ宙を舞った。
 既に見上げる巨躯となった都市伝説の持ち上がった頭の下に血を滴らせ退魔師が潜り込む。視覚ではなく嗅覚で接近を感知した人面犬が、左手のマチェットナイフを振り上げる晶納の横合いから大樹すら切り倒せそうな爪の生え揃った前足を突き出す。
「がふッ、…ァああああ!!」
 右手に握る神剣で鋼鉄のように硬い爪を三本まで斬り落とすことに成功したが、残りの二本は深々と晶納の脇腹に突き刺さった。痛みを紛らわせるように吼え、左手のナイフで首を落としにかかる。
 が、爪の刺突を受け身体の軸がブレたことで鈍った剣閃は巨狼の首筋を撫ぜることしか出来ない。血が噴き出るが、どう見ても毛深い表皮しか斬れてはいない。
 四肢の筋肉が軋む音が間近で聞こえ、人面犬の巨体が瞬間で消え去る。目を開けるのも困難なほどの突風と踏み抜かれたアスファルトが移動の証とばかりに晶納を襲う。
(野郎と同じだッ目だけに頼るんじゃねぇ!!尖れ、砥がれ研がれ磨がれ!!!)
 薄く鋭く、どこまでも“鋭化”を研ぎ澄ませて五感全てで敵の速度に追い縋る。
 ブーメランのようにぐるっと弧を描いて戻ってきた天秤刀の飛来と合わせて両手の刃をかち合わせ人面犬の牙と爪を叩き割る。
 一方、人面犬の方は相手の思惑を図ることに意識を半分費やしていた。
(どういうつもりだ。何故使わない)
 人面犬という脅威の人外を打倒すべく持ち出した神代三剣の一振り、布都御魂ふつのみたま
 あれを喰らえばただでは済まない。悪ければ一太刀で蒸発するように消え去る恐れすらある神刀だが、それを振るう晶納の挙動がおかしい。自前のナイフと刀を主立って使い、布都御魂は防御か牽制程度にしか使っていないのだ。
 もちろん、単調な動きで刀を振り下ろすだけならば人面犬の全力を出すまでもなく回避可能だ。いくら退魔の精鋭とはいえ相手は人間。人面犬はむしろその一撃を狙っていた。その俊敏な身の上に焦れ、やがて神刀の威力頼みにデタラメな軌跡を描くのを待っている。そうなれば、確実に刀を持つ腕を食い千切り厄介な神代の刀を手放させることが出来る。
 だが晶納はそれを決してしない。あるいはただ振るうだけでは当たらないことを理解しているのか、意固地になったように布都御魂へ出番を譲らない。
(手柄は自らの手で、ということか…神刀の力には頼らないという構えなのであれば、その慢心が死を招くと知れ…!)
 爪を深く地に噛ませ電光石火の勢いで晶納の周囲を跳び撹乱する。
 この身は口伝でのみの拡散をして、爆発的な速度で全国各地に恐怖を降り注いだ都市伝説の筆頭格。人間の精神へ強く刻み込んだあの恐怖、語り継がれた伝承の根深さは歴史の浅さを物ともしないほどの脅威となる。
 目で追うことを諦めたのか、晶納は内反りの刀の先を肩に担いで手を高く掲げる。その構えから出せるのは大上段からの振り下ろし。
 呆れる無謀を前に人面犬は嘲笑を漏らした。当たるわけがない、掠りもしない。
 晶納の鋭く細めた瞳が僅かに揺らぎ、眼球が右へ移動する。
 この時、確かに人面犬は晶納の真横、右の位置に足を接地させていた。しかしそれも数コンマの内に消え、次には背後に回っていた。
 移動速度、そのラグを込みで動きを読んだのは見事と称賛しても良かったがそれすら遅い。
 無防備な背中に喰らい付いてやろうと大口を開けて飛び掛からんとする人面犬のさらに背後から轟々と天秤刀・銀脇が迫る。
(追い付けない五感のさらに先を見通したか!)
 既に予知の領域、相手の位置を感知する頃には既に相手はその場にいない。ならば感知したその先を読み切るほか手立ては無い。
 博打に近い付け焼刃の予知は見事に当たり、その地点へとあらかじめ向かわせていた回転刃が背に追い付く。
 しかしその程度のことは人面犬にとって予想外であれ焦燥に至るものではなかった。所詮人の力で生み出されたもの、それも腰の入った一撃というわけでもなし。後ろ足で足蹴にしてやればその軌道はあっさりと明後日の方角へ逸れてしまう。
 苦し紛れか投擲されたマチェットナイフも噛み砕き、いよいよ残る武装は神刀のみ。しかしその二尺八寸の刀身が仇となる。振り下ろしに掛かる間より先に間合いを詰める。
 目と鼻の先に立つ人間の頭を喰い千切る大口が開く。砕かれたナイフの破片がそこら中に散らばる粘ついた口腔内が見えた。
 そして陽向晶納が不敵に笑う。

「来いよ、

 ドッ!!
「?……!?」
 何が起きたかわからなかった。ただ、真横から強い衝撃を受けて押し出される。照準していた的がズレて牙は虚空を噛み締めるのみ。
 思わず視線を向けた脇腹には、先程弾いたばかりの柄の無い鏡合わせの如く上下に両刃の生えた特殊な刃…天秤刀と呼ばれていたそれが浅く突き立っていた。
 それはよくよく見てみれば先程と同一の物ではなかった。青白い光沢を放っていたあの天秤刀と違い、腹に刺さるそれは赤黒い。
 天秤刀とは一つの刃に非ず、それは星の名を取った銀脇リゲル金脇ベテルギウス
 人面犬の勘違いは盛大に誤解を招いていた。退魔師の真名というものを侮っていたのだ。
 陽向晶納。
 晶という文字には複数の意味が籠る。まず一つに鉱物。第二に光を表す。
 象形文字にして汲み上げる意味は『輝く澄んだ星の光』。
 陽光を基礎としている陽向家の中で、星光を名に組み込んだ退魔師。一見して異端に思えるが、陽を宿す者としてこの名は間違いではない。
 古来より星には浄化の力が信じられてきた。卜占や占星術を初め、曜日に用いられる星も九曜曼荼羅として信仰されている。陰陽の基本となる五行を結ぶ五芒星とて退魔師には必須の要素である。
 星の力による退魔は、陽を司る陽向家でもなんらおかしなことじゃない。
 陽向晶納は星の輝きを収める者。
 それだけでなく晶納とは、単純に純粋に、『三つの日を納める者』。
 空振った人面犬の顔面に渾身の正拳を叩き込み、その口に自ら腕を突っ込みながら叫ぶ。
「返せや、オレの大事な真名やいばをよぉ!」
 唾液で滑る口内、指先で触れるのは砕かれたナイフの欠片。それらが呼び合うようにカタカタと震えながら晶納の左手に集い、鉄鉱がその真名に反応して形を変える。
 金と銀の天秤を支える最後のほしが顕現する。
「直刀柄鋤かなつきッ!」
 呼び声に応えた鉄鉱は一切の反りが無い黒曜の刀と成し、人面犬の口を顎を内側から突き破った。
 内から爆ぜた痛みに目を剥く人面犬が口を縦に串刺しにされたまま、抵抗しようとした鼻先をさらに大きな刃が地に縫い止める。
 弾かれ舞い戻ってきた銀脇と腹を突き刺した金脇、そして凶悪な牙を秘める口を封じた柄鋤。
 これが陽向晶納の真名。その正体。
「いいモン見れたろ、冥土の土産にゃもったいねぇ」
 荒い息を吐き出し、未だ致命傷に届かない巨体が持ち上がるより速く。
 晶納が握り締める神代の刀が深く胴体を突き穿った。

       

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Neetsha