約束の地へ
第21話
中央競馬におけるGⅠ開幕戦、フェブラリーステークスが終わった。そして東京開催から入れ替わり、今週から春の中山競馬が開幕する。二月下旬から、牡馬クラシック第一弾の皐月賞が行われる四月中旬までノンストップで続く、長く過酷な開催の始まりである。
「まず先に言っておくけど、東については僕が独断と偏見に基づいて決めたものだから。毎年言ってるので分かるとは思うけど、一応ね」
そう言いながら『駿馬』東の本紙担当、竹田久重が机の上に番付表を広げた。周りを囲む駿馬の関東トラックマンは、各々が番付表を覗き込んで様々な表情を浮かべている。
【東横綱 なし】
「関東馬は結局ここに至るまで、横綱級は不在だよね。来週以降のトライアルレース次第でここに入ってくる馬はいるかもしれないけど、今のところはここに入れられる馬はいない」
竹田はそう説明した。実際、関東の三歳牡馬戦線は混迷を極めており、重賞を複数勝った馬がまだ一頭も現れていない状況なのである。
「ザラストホースが寒竹賞を勝ち切ってればここだったかもしれない」
「いやぁ、確かにスケールの大きな馬ではあるけど、重賞も勝ってないのに横綱に推すのもなぁ……」
「番付表はあくまで実力で選ぶものだから。重賞馬と言ってもレースレベルが低いレースを勝っている可能性もある。だからそこはあまり関係ないと思うんだがな」
各トラックマンが喧々諤々と意見を戦わせている。これは駿馬編集部内において、この時期お馴染みの光景であった。
そもそも、番付表とは何か?
相撲における番付表と意味合いは全く同じである。ただ、相撲では同じ位の力士でも東に置かれている力士の方が上位であることを示しているが、駿馬が作成している番付表は、あくまで東は関東馬、西は関西馬と分けており、その点においては異なっている。
朝川は議論を尻目に番付表をiPhoneのカメラで収めた。
「これ、ツイッターに上げていいですか?」
ネタ不足なのだった。ああ、いいよ、と竹田が答えた。
「…東の横綱が不在なのは分からなくもないんですが、西の横綱は、GⅠ馬を差し置いてワールドエンブリオなんですね?」
朝川はツイッターに画像と簡単なコメントをアップした後、番付表への自身の考えを話しだした。
「まぁ、二歳GⅠはどちらも一六〇〇メートルだからね。近年の優勝馬を見ても、クラシックで勝ち負けを争うような馬はほとんどいないし……そうなると、横綱はやはり共同通信杯で素晴らしい勝ち方をしたこの馬ってことになるんじゃないかな」
「確かに……俺もこの馬は相当な逸材だとは感じました。ところで、東は一勝馬のザラストホースが大関ですか?」
竹田は渋い表情で、理由を説明する。
「…今年の関東馬は本当に混戦だろ? 昨秋の重賞勝ち馬も年が明けて重賞で大敗したり、そもそも体調管理に失敗したり……その辺りを考えていくと、新馬戦のレベルが際立って高かったこの馬の評価を上げざるを得ないんだよね。寒竹賞だって、先行せず本来の戦法ならシャインマスカット相手でも差し切れてたと思うし」
シャインマスカットは小結に置かれていた。そのことには一言言いたい思いだったが、スケール感で比較したら、クラシックで勝てる可能性がより高いのはどちらか、考えるまでもなかった。シャインマスカットは目先の一勝を手にしたが、ザラストホースは一回の負けで未来の何勝分にも繋がる経験を得たように思えてならなかったのだった。
「昨秋の重賞勝ち馬という意味では、関脇にホープフルステークス勝ちのスターダストマンを置いたけど、どうも頑張り過ぎたか、未だに調教時計を出してないしな……このままだと弥生賞もスプリングステークスも使えず、皐月賞ぶっつけになりそうなんだ。他馬がクラシックを逆算してレースや調教を重ねているのと比べてしまうと、実力は認めてもこの評価って感じだね」
真冬の中山芝二〇〇〇メートルで、二歳馬を重賞のような最大能力で走らなくてはならない舞台で無理させてしまうとそうなる。そんなホープフルステークスは今年からGⅠとなるのだが、二歳馬にこんな過酷な条件でGⅠを走らせていいのか、それでクラシックに繋がるのか? と中央競馬会に物申せるものなら物申したい朝川だった。
「まとめると、皐月賞は西横綱ワールドエンブリオが中心で、この後の弥生賞次第だけど、ザラストホースが相手筆頭。それを追うのが関脇と小結の各馬。前頭筆頭のマイジャーニーも弥生賞だけど、もしザラストホースにガチンコ勝負で勝ちきるようなら昇進も有りかな? くらいだね、結論としては。いずれにせよ、何事もなければ、僕はワールドエンブリオに本命を打つと思う。駿馬関東の本紙として、皐月賞とダービーは絶対に当てないといけないと思ってるから……」
竹田は言った後、口を真一文字に結んで黙った。実際、本紙の責任は重い。新聞の的中不的中は本紙次第。例え朝川が的中したとしても、本紙竹田が外してしまえば、駿馬としては外したことになってしまうのだった。
竹田は、前本紙担当であった庄田の急逝を受けて、急遽本紙の責務を負うこととなった。そして、それを見事に果たし続けている。それは偶然ではない。今の駿馬トラックマンの誰よりも競馬に時間を割き、日々の仕事に余念がないからだ、と朝川は思っていた。一着と二着の馬を当てる馬連の年間的中率も、竹田が全社でナンバーワンなのである。
俺の予想スタンスでは本紙はやれないかもしれない。でも、いつかはやってみたい、そう思う。庄田の立っていたポジションにいつか自分も立ちたい、と朝川は秘かに考えていた。ただ、そのための道のりはまだまだ遠いとも分かっていた。
番付表も仕舞われて、トラックマン達も各々の仕事に戻っていった。
朝川も自分の机に戻り、調教タイムの整理でも始めよう、と思っていたところ、背後から肩を叩かれた。デスクだった。
「おうエース、とぅいったー? の調子はどうだ?」
「ツイッターね、なんだかフォロワーがたくさん増えて、千人を超えましたよ!」
「…それがなんだか俺にはよく分からんが、とにかく、そのふぉろあーってのがもっと増えてきそうな話がお前さんにきてるぞ」
そう言いながら、デスクは朝川に一枚の紙切れを渡す。
これって--。
「この話、受けるか受けんかはお前さん次第だが、俺としてはやってもらいたいと思ってるよ。駿馬のためにな」
そう言って、デスクはくるりと背を向けて歩いて行った。喫煙スペースにでも行くのだろう。
どうしよう。興味はある。メチャクチャあるけど、この話、本当に受けたら、ますます時間がなくなる……朝川は、一人フロアに突っ立って、唸り続けていた。