Neetel Inside ニートノベル
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約束の地へ
第31話

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 華やかなりし季節はまさに今。
 東京競馬場のダートGⅠ、フェブラリーステークスで冬競馬に終止符が打たれ、そこから春競馬に突入している。
 序盤で弥生賞やスプリングステークス、牝馬クラシック戦線ではチューリップ賞、フィリーズレビューといったトライアル(予選)レースが行われ、本番へのタレントが揃っていく。
 中盤で牝馬クラシック一冠目の桜花賞、牡馬クラシック一冠目の皐月賞と続き、春競馬も本格化してゆく。その先に、二冠目の優駿牝馬(オークス)、そして日本一のレース、東京優駿(日本ダービー)へと進み、春競馬は絶頂を迎える。
 その、春競馬本格化の象徴たるレース、皐月賞のパドックには--大量の雨粒が叩きつけられていた。
 まさかここまでとは。朝川はラジオのパドックブースで、八年前のあるレースのことを思い出していた。
 それは、二〇〇九年の日本ダービー。その日は昼頃からバケツをひっくり返したような豪雨となり、馬場状態もあっという間に不良にまで悪化。実際のレースも、芝二四〇〇メートルのレースで勝ち時計が二分三十三秒七という現代の水準からすると恐ろしく遅いタイムでの決着となった。なお、近年の日本ダービーの勝ち時計は、二分二十三秒から二十四秒台くらいが多い。
 日本ダービーの勝ち時計としては、一九三七年に行われた第六回日本ダービーの勝ち時計が二分三十三秒五分の三なので、年々進化していく競馬の世界の中で、なんと日中戦争開戦前のレースとほぼ同タイムということで、いかに極悪の馬場状態であったかが分かろうというものである。朝川の脳裏に今も刻み付けられている、現代競馬では極めて稀な一戦であった。
 もちろん、あの時ほどの雨ではない。それでも相当な降りだ。ここまで降れば、馬場状態も少なくとも重までは落ちるだろう。これでやや重はいくらなんでも無理筋である。
 パドックでは、クラシックホースの座を目指す十八頭が、数十分後の本番に向けて、雨の中ではあるが気合を高めているところだった。
 パドック解説前にザッと全体を見渡すと、やはり数頭別格の雰囲気を漂わせている馬達がいた。焦点は、この中での順位付けになってくる。
「ラジオ関東中央競馬実況中継。これから皆様を中山競馬場のパドックへとご案内致します。パドック解説は、お馴染み『駿馬』の朝川征士さんです。朝川さん、ひどい雨に見舞われていますが、各馬落ち着いて歩いている様子ですね」
 今日のパドックアナウンサーは大ベテランの中岡さんか。大一番ではやはり安定感のあるアナウンサーを使ってくるな、と朝川は思いつつ、マイクに声を乗せる。
「ええ。ここまで降るとは予想していませんでしたが、さすがGⅠに出てくるだけあってみんなこのくらいではうろたえないですね」
「雨もあり、より難しくなっているレースですが、本日パドック推奨馬が好走を続けている朝川さん、ここもヒットを飛ばしていただきましょう。では一番のシャインマスカットからお願いいたします」
「はい。一番シャインマスカット。良いですね。前走スプリングステークスのパドックも良く見せましたが、それを凌駕する出来。馬体も精神も完成した印象。今がこの馬のピークだと思います。この馬の"約束の地"はここかもしれません。
 二番ユトリクン。やはりここに混ざると馬体的に見劣りしますね。気合乗りも平凡で、強調点に欠けます。
 三番モスキートサウンド。前走ダートの五百万下は強烈な勝ち方でしたが、やはりその印象どおりダート向きでしょう。初芝でここというのはいかにも厳しいものがあります。
 四番アイラブチークン。小柄な馬ですが、馬体に厚みがありますね。気合乗りも上々ですし、実績どおり好発決めれば先行できるのではないでしょうか。レースを作る一頭になるかと思います。
 五番オンザデスク。落ち着きはありますが、落ち着きすぎている感じですね。気迫が薄いです。
 六番アイゼンスパーク。パドックの外側を歩き、ツル首加減で非常に良い気合乗りですね。使い込んでいますが状態は落ちていません。中山はプラスにはならないでしょうが、今日の状態なら一角崩しは可能かと思います。
 七番ザラストホース。相変わらずスケールの大きな馬体。九割方仕上がっていますし、弥生賞からさらに状態を上げてきて、過去最高ですね。まだ底が割れていない馬なだけに、このくらいの状態、このくらいの相手でどこまで力を見せてくれるか。非常に楽しみな一頭ですね。
 八番ドリームプレンティ。胸前の筋肉の厚みがいかにも短距離馬という感じ。今日の馬場は苦にしないでしょうけれど、二千メートルで戦えるかというと……厳しいでしょうね。
 九番ユーガットリズム。リズミカルな弾むような歩様。身のこなしが軽く、この距離は向きますね。ただ、今日の馬場は重過ぎるかもしれません。
 十番ストロングワカモト。雄大な馬体で重馬場はこなせそうです。新馬戦も重馬場での快勝でした。他馬が苦しむようでしたら面白い存在になり得ます。
 十一番ノーエネミー。すごく良くなってきた一頭。前走からの上昇度ならこの馬が一番です。スプリングステークスはシャインマスカットの三着。この差を成長で埋められているかどうかでしょう。
 十二番ミュージックギフト。唯一の牝馬ということで、どうしてもここでは力不足に映ります。今年の牡馬戦線はレベルも高いですし、牝馬の中でよっぽど抜けた馬でもないと、ここでは通用しないのではないでしょうか。
 十三番ロフト。若葉ステークスの勝ち方から、なかなか器用な印象を持ちました。前々で上手く立ち回れれば、見せ場は作れそうなタイプです。
 十四番ナミダノフルサト。スプリングステークス二着は好内容でしたが、馬体がさらに減ったのは歓迎できませんね。ギリギリの状態だと思います。
 十五番ブライダルハンター。気性の勝ったタイプで、いかにも逃げ馬です。弥生賞では上手く絡まれないようなレースが出来ましたが、果たしてここで同じように行くかどうか。状態は良いので、展開次第ですね。
 十六番アンジェニック。前走は出遅れから捲り切って快勝しました。パドックで見ていてもおっとりした感じで、ゆったりとしたレースが合いそうですね。この馬も展開に左右されそうですが、ハマればといったところ。
 十七番ワールドエンブリオ。スケールで言うなら、今年の関西馬でナンバーワンでしょうね。インディペンデンス産駒で瞬発力の塊という印象。それだけに、この雨は恨めしいですね。出来れば良馬場で観たかったです。ただ、仕上げはキッチリとしてきましたし、前が止まる展開になれば当然浮上してくるであろう一頭。
 最後、十八番マイジャーニー。ゆったりとした馬体がだんだん締まってきました。完成度が高まっていますね。気性が良いとは言えませんが、雨がむしろ良い方向に作用しているかもしれません。また、パワータイプで重馬場も問題としません。後は大外枠をどうこなすか。能力では人気上位馬にも見劣りしないだけに、枠の克服がカギになってくるでしょう」
 何頭か厳しい馬もいるが、やはり全体としては仕上がっている馬が多い。あとは高いレベルでの優劣になってくる。
「朝川さんに十八頭を解説していただきました。では、本日のメインレース、第七十七回皐月賞GⅠ、まとめていただけますでしょうか」
「はい」
 順番に、もう迷いはない。これはあくまで紙面上の印とは違う。レース直前の状態診断である。良いと思った順に、素直に選ぶ。
「まずは一番シャインマスカットですね。ここを目標に渾身の仕上げをしてきました。これ以上は望めない、究極の状態だと思います。二番手に十八番マイジャーニー。今までで一番成長を感じさせてくれる周回でした。三番目には十一番ノーエネミーを挙げたいと思います。三歳馬は短期間で爆発的に伸びるタイプがいますが、この馬がまさにそうだと思います。四番手になりましたが、ザラストホース。仕上げ切っているとは思いませんが、勝負になるだけの出来はあります。そして最後に六番アイゼンスパーク。使い詰めでも状態は落ちるどころか上がってきているので、相当にタフな馬です。この五頭にしたいと思います」
「『駿馬』朝川征士さんの推奨馬は、まず一番シャインマスカット。究極の仕上げということです。そして二番手に十八番マイジャーニー、三番手に十一番ノーエネミー、四番手に一番人気のザラストホースが挙がりました。そして最後に六番アイゼンスパーク。第十レースは朝川さんの推奨馬で一着二着三着。ここも連続的中となるでしょうか。
 さて、単勝人気をお伝えしますと、一番人気はザラストホース。二番人気に上がってきたのはシャインマスカット。三番人気は、拮抗していますがワールドエンブリオです。以下は単勝十倍以上、四番人気にマイジャーニー。五番人気にアイゼンスパーク、六番人気にロフト。後は単勝二十倍を超えます」
 やはり、ファンは三強対決と見ている。その中でもザラストホースが人気では抜けているが、果たしてそこまで差があるか。さらにこの馬場だ。
 混沌としたレースになる--そんな予感が、朝川の心に過った。

       

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