Neetel Inside ニートノベル
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約束の地へ
第33話

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 中山11Rの皐月賞(3歳GⅠ・芝2000m)は、4番人気マイジャーニー(榮倉亮治騎手)が勝利した。勝ちタイムは2分1秒フラット。3馬身差の2着に1番人気ザラストホースが、2着から4馬身差の3着に2番人気シャインマスカットがそれぞれ入線。

 マイジャーニーは美浦・宮間耕助厩舎の3歳牡馬で、父ステイチューン、母シルクロード。通算成績は4戦2勝、重賞は初勝利となった。

【レース後のコメント】

1着 マイジャーニー 榮倉亮治騎手
「弥生賞の時より成長していましたし、自信を持って乗りました。GⅠの雰囲気もあって、テンションは上がっていましたが、スタートはそれなりに出てくれました。行き足は付かないので、今後もこういったスタートになるんじゃないかと思います。
 今日の芝の状態だと、他馬は外を回すだろうと思っていたのですが、レースは生き物ですから、そうとは決め付けずに乗りました。ただ、内を突くことは選択肢の一つとして自分の中に持っていました。馬に渋った馬場や荒れ馬場をこなせるだけのパワーがあるのはわかっていましたし、勝負どころで最短距離を回れて一気に差を詰めることができたのが今日の勝因です。抜け出してからの脚は本当に力強かったものの、後ろに切れる馬もいましたから、気を抜かせないため、がむしゃらに追いました。
 距離はもっとあってもいいタイプなので、ダービーも楽しみです。他に東京で強そうな馬もいるので、負けないように頑張ります。
(GⅠジョッキーになったが?)実感はまだ湧かないのですが、弥生賞で失敗したのに続けて任せて下さったオーナーさんや先生、何よりもマイジャーニーに感謝したいです。マイジャーニーには、これからも皐月賞馬として恥ずかしくないレースをさせてあげたいです」

2着 ザラストホース 安斎咲太騎手
「中団でレースを進めるのはプランどおりでした。良いリズムで走れていましたし、それが最後の脚に繋がったと思います。力は出していますが、先に抜け出されてしまったので……追い付きたかったのですが、さすがに差がつきすぎていましたね。
 やはり馬場が相当に痛んでいたので、少しでも良いところを走らせたく、大外を回しました。勝ち馬とはコース取りの差で、力負けではありません。
 東京でこの悔しさを晴らしたいです。そのことだけを考えてこれからの1ヶ月半を過ごします」
(竹淵調教師)
「今日は馬場が悪過ぎて、適性勝負になったね。それにしても外を回し過ぎだった。あれだけ距離ロスしては厳しい。東京(の直線)と勘違いしていたんじゃないかな(笑)榮倉君は一人空いた内に突っ込んだが、実に見事な判断だった。マイジャーニーも強かったが、騎手の騎乗抜きにしては語れないレースになったと思う。
 次走はもちろんダービー。人馬ともに力をつけて臨みたいし、去年から意識しているレースだ」

3着 シャインマスカット 紺田忠道騎手
「仕上げ過ぎたこともあり少し掛かりましたが、道中何とか抑えて行けました。ただ、ペースは早かったですね。この馬場でハイペースの3番手は辛いものがありました。
 逃げた馬を早目に捕まえるところまでは上手くいきましたが、そこから脚が鈍ってしまいました。マイジャーニーに並びかけられた時点で、もう抵抗する力は残っていませんでした。馬場の影響はあったと思います。この馬には重すぎました。あと、このレベルのレースだと距離にも課題があるかもしれません。ただ、それでも3着に残れているのは、この馬の力の証明ですね。
 クラシック三冠の中ではここが一番可能性があると思っていたので、悔しい気持ちが強いです。何とか大きいところを獲らせたいので、この先どうするか、馬主さんや先生と相談します」

4着 アイゼンスパーク 紺田直道騎手
「中山は不向きですが、消耗戦になりましたからね。展開さえ向けば、いつもきちんと脚を使ってくれる馬です。
 兄(紺田忠道騎手)を交わせなかったのは残念ですが、一度引退して戻ってきた人間でもクラシックに乗れると、騎乗機会に恵まれない騎手を勇気付けることが出来ていたら良いと思います。次はダービーになると思いますが、東京でこの馬の末脚を皆さんに見せたいです」

9着 ワールドエンブリオ アレッシオ・ナッツオーニ騎手
「ファイナルコーナーで力が入らなくなった。ゴール後に脚を気にしていたので、無事であって欲しいが……」(その後、右前脚の軽度の骨折が判明)

(記事提供 ラジオKEIZAI)


※  ※  ※


「それでは……春の中山開催お疲れ様でした! カンパーイッ!!」
 競馬専門紙『駿馬』のトラックマン達は、『駿馬』社員御用達の居酒屋で春中山開催の打ち上げをしていた。
 大一番の皐月賞で的中した人間は明るく飲み、外した人間は、心なしか浮かない表情である。
 しかし競馬は続く。中山は終わっても、来週からは東京のロング開催が待っている。皐月賞は終わったが、再来週には早くもダービートライアルの青葉賞(二着までに日本ダービーへの優先出走権が付与)、三週後には同じく東京競馬場でトライアルのプリンシパルステークス(一着馬に日本ダービーへの優先出走権が付与)、またトライアルではないものの、京都競馬場で三歳のGⅡ・京都新聞杯が行われ、皐月賞に間に合わなかった組や、ダービー出走に向けて賞金を加算したい組がこれらのレースに挑み、ダービーへの最終切符を狙うのである。
 競馬に携わり続ける以上、現時点の勝利も、敗北も、永遠ではない。皆、そのことはよく分かっていた。
「まあ今年の皐月賞は固かったようで意外と大きく獲れなかった奴が多そうだが、マイジャーニー本命の朝川あたりはがっつり当てただろうから、みんないっぱい飲み食いしていいぞ!」
 開幕ビール一杯ですっかり出来上がったデスクがそう皆を煽る。そんなに当ててないですよ! と朝川が打ち消すと、嘘つけ〜! とまた声が飛んでくる。
 実際、そんなに大きく当ててはいなかった。馬券の買い方を失敗した、と朝川は会心の的中にもかかわらず、個人的にはヘコんでいた。
 皐月賞ひとレースに賭ける予算は一万円と決めていた。配分はこうである。
【マイジャーニー単勝 二千円】
【マイジャーニー=シャインマスカット馬連 六千円】
【マイジャーニー=ザラストホース馬連 二千円】
 マイジャーニーの単勝は最終的に九.八倍まで買われた。マイジャーニー絡みの馬連は若干高く、マイジャーニーとザラストホースで二十四倍あった。合計配当は六万七千六百円で、そこから購入額の一万円を引いたのが利益なのだが、ここまで本線的中ならもう少し儲けられたのではないかと悔いるのだった。
 ただ、シャインマスカットの出来は本当に良かったので、そこから厚めに買ってしまうのは、その時点の判断としては仕方のないことだと理解してもいた。それでも、もう少し単勝は買っても良かったんじゃないかと、どうしても考えてしまうのである。
 とにかく、今日は十名以上のトラックマンが参加しているので、その儲けだけでは一次会だけで溶けてしまう。まさか自分が全部払うんじゃないだろうが……
「まあしかし、語るところの多かったレースだと思わないか? 朝川」
 喧騒の中そう言ったのは、正面の遠藤豊だった。遠藤は庄田亡き後の『駿馬』編集長を長年に渡って勤め上げている。また、その立場でありながら、独自のデータ値を駆使してメイン予想家として馬柱にも名を連ねるやり手である。
「俺のデータでは、能力的にはワールドエンブリオとザラストホースが抜けてるという予想だったが……ワールドエンブリオは、トラックバイアスの急激な変化に対応できなかったな。そしてそれが、内をただ一頭しか走らないという特異な状況を生み出した」
「とらっくばいぱす?」
 朝川の右隣のアリスは予想デビュー週で皐月賞をパーフェクト的中させたことや、緊張から抜けたことからか、一気に酔いが進んでいた。
「バイパス通ってるのはお前の胸だろ。バイアス。馬場状態の変化ってことだな」
「…厳しい世の中ですよ、遠藤さん……」
 アリスの正面に座る吾妻が、昨今のコンプライアンスの厳格化を踏まえて一言コメントした。
「ひどーい、みたこともないのに……きやせしてるだけっすから」
 アリスはケラケラ笑いながら傷ついてるフリなのかそうでないのか分かりづらい感じでいた。
「…まあ、あそこまで馬場が悪くなったところに、ブライダルハンターが作ったあのハイペース。さらにアンジェニックの捲りで後方組も早目にスパートせざるを得なくなって……稀に見る消耗戦でしたね、振り返ると」
 皐月賞はよく『最も速い馬が勝つ』レースと形容されるが、今回に限っては『最もタフな馬が勝つ』レースになった--そう朝川は分析していた。
「本当ですね……私は、今年の皐月賞は、向こう十年は、語り継がれる、激戦になったと、思います……マイジャーニーを本命にできなかったのは、悔やまれますが……」
 吾妻さんはザラストホース本命だったか。朝川は、去年吾妻がマイジャーニーを高く評価していたことを思い出していた。朝川自身、吾妻の推しに影響された面も多少はあったため、今回マイジャーニーの評価を落としたことについては、訊いてみたいと思っていた。
「馬券は獲ったでしょう? だって、▲◎決着ですもんね。馬連第二本線ですよ」
「まあ、馬券は……ただ、スッキリしない、とでも言いますか……朝川君は、今、気持ちがいいと思いますけど、私はなんというか……初志貫徹できなかった思いが、どうしても、残ってしまいます。もちろん、ザラストホースと、ワールドエンブリオは、世代で抜けた二頭と、思ったので、信念の印ではあったのですが……ううん……」
 吾妻も相当逡巡して紙面上の印に辿り着いていた。ただ、その悩みの深さは、どうも今回限りのことではないように朝川からは見えた。
「ダービーでの評価もありますもんね……東京芝二四〇〇メートルのことを考えると、その二頭の評価を上げるのも分かりますよ」
 吾妻はウンウンと頷いて、
「そう、それもあるんです。私は、マイジャーニーを『東京向き』と当初捉えていましたが、どうも、そうではなさそうというか、正確には、マイジャーニーより、その二頭の方が、競走馬としての、スケールがありそうだなと……東京は、スケールと、結果が、直結しますからね。それと、どうしても、瞬発力に秀でたタイプに有利になりやすいレースですから、ダービーは……」
 クラシック路線の評価付けに関する独特さはまさにその点にあった。皐月賞は中山競馬場芝二〇〇〇メートル、日本ダービーは東京競馬場芝二千四百メートル、そして秋の三冠最終戦、菊花賞は京都競馬場芝三〇〇〇メートル。異なる競馬場、異なる距離で争う。
 菊花賞は日本ダービーから季節を跨ぐのでまた別だが、皐月賞と日本ダービーは間隔が狭い。そして、レースの連続性を加味すれば、コロコロと評価する馬を変えたくないという心理が当然働く。つまり、皐月賞の評価は日本ダービーとなるべくイコールにしたいということになる。
 朝川とて、日本ダービーの本命はまだ決めかねていた。正直なところ、状態評価などはあまり参考にならない。日本競馬の頂点たるレースに生半可な仕上げで臨む陣営はまず存在しないからである。
 評価の流れ的にはマイジャーニーにしたいが、吾妻が言うようにダービーに向いていそうな馬が他にいるのも確かあり、また予想の的中が最重要であることも考えれば、本命を変えることも検討しなければならない。しかし--
『皐月賞で本命を打って勝った馬を、ダービーで本命にしないのか?』
 そんな内なる問いかけは、恐らく直前まで続くのだろう。
「アンタ達は当たった立場で反省できるからいいわよね〜」
 甲高い声で朝川に背後から寄り掛かってきたのは、戸田だった。
「あたしはねー、悔しい! だってハナ差よ!? アイゼンスパーク……あとちょっとでザラストホースとのワイドをがっつり獲れたのに!!」
 戸田の声が鼓膜に響き、朝川は顔をしかめた。明美さん、確かに惜しかったが……
 アイゼンスパークも、本質的には東京のような広くて直線の長いコース向きの一頭だ。展開駆けタイプのため評価はそれほどされないが、だからこそ穴党にはたまらない。ただ、皐月賞の好走から、ダービーではもう少し人気するだろうが、それでも単勝は十倍以上だろう。
「それに『駿馬』としては喜んでらんないのよ! 本紙が絶妙に外してんだから!」
 朝川の左隣で、黙々と呑んでいた竹田も無視できないほどの声で戸田が叫ぶ。こりゃあまずい、と朝川は戸田に向けてシー! と口元に人差し指を立てた。たださすがに皆、本紙のプレッシャーは理解しているため、それに乗っかってやいのやいの言う流れにはならないのは助かった。外した時の辛さを皆知っているというのもあるが。
「…本命が三着ではな。あそこまで馬場が悪くなるとは、さすがに読めなかった……しかし、ダービーは……ダービーこそは……」
 竹田は、酒が進むと、ひたすら独り言を繰り返すタイプの酒飲みだった。その表情、言葉に、朝川は改めて本紙担当の重みを感じざるを得なかったのだった。
「あーなんかきぶんいいな! ねむい! ねむ!」
 アリスは小さな大の字になって畳の上で寝転んだ。
「あー、しょうがねぇな……せめて、水、水飲んでから寝なよ……」
 朝川に代わってすっかりお守り役となった五島が、アリスの頭を起こして水を含ませた。アリスはすっかり『駿馬』編集部に溶け込んだが、ここまで素に近いような振る舞いが出来るようになっているのも、五島のお陰なのだろう。既に妻帯者である朝川は、二人が上手くいけばいいと願うばかりだった。
 --庄田さん、またダービーの季節がきますよ。大好きな人達と、大好きなことを続けていきますよ。
 皐月賞の終わった夜、そして日本ダービーへの始まりの夜。朝川は生中のジョッキを静かに持ち上げて、空の上にいるはずの庄田に語りかけたのだった。

       

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