おばあちゃんの文化包丁
おばあちゃんが死んで、お葬式の一週間後に叔父さんからおばあちゃんの遺品をもらう。
文化包丁。
というか、一見してそれは文化包丁ではなくて、ヤクザが持っているドスか、だいぶ下駄を履かせて刺身包丁…というのが精一杯みたいな刃物だった。なぜなら、おばあちゃんの文化包丁は文化包丁のありふれた定形から著しく外れていて、まず刀身が細い。文化包丁ののペッとした平がほとんどなくて、包丁の背、峰から刃にかけての緩やかなカーブもほとんどないのだ。ただ、錆一つなく、銀色に鈍く光っていて、素人の私から見てもまるで宝石のようにとても美しいし、いたるところについた小さな傷や擦り切れた刻印が長いあいだ大切に使われた証であることはよくわかった。
「かあさんが死ぬ前に、お前にやれって」
叔父さんが言うに、おばあちゃんははじめからこれを私に渡すつもりのようだった。
今まで小中と学校の家庭科の授業でしか包丁を握ったことないし、高校になっても料理なんてさっぱり興味が湧かないし、結婚したときどーしよーと諦めた悩みを脳みその片隅においてホコリを被せて見えないようにしているような私に、なんでおばあちゃんは、こんな包丁を託したかったんだろう。
「あー美波のかあちゃん料理うまいもんなー」
なんて私の話を聞いて求めてない感想を言うのは私のカレピッピの勇太。違うそうじゃない。細身でイケメンでバスケしてて黙ってるとかっこいいのに、村上春樹の主人公みたいにだるそうで、よくわからないことを言うコイツ。でもそこがいいんだけどね。
どうだろう。実を言うとおばあちゃんとは数年に1回会ったことがある程度で、私にとっては、血が4分の1繋がった他人のようなものだし、大切にしている包丁なら料理が好きで好きで好きで仕事にまでしている実の娘のお母さんに譲るべきなんじゃないかな。なんてモヤモヤした気持ちを枕に押し付けていると勇太が首筋にキスしてくるから、なんかどうでも良くなって、そのまま勇太とキスをする。
せっかくお父さんもお母さんも仕事で家にいないオールナイトで盛大なハッピーイチャイチャタイムなのに、私はいつの間にか寝てしまうし、おばあちゃんが枕元に立つ。
おばあちゃんは、私が故意に冬眠させている机の引き出しの前に立って、引き出しの中から新聞紙に包まれた文化包丁を取り出して、私の寝ている横で、どこから取り出したかわからないけど砥石を置いて包丁を研ぎ始める。
シュシュシュシュ
包丁の研ぎ方なんて分からないけど、何十年も研ぎ続けてきたのであろう、おばあちゃんの研ぎ方はとても手馴れていて、私も包丁とがなきゃなーと思って目が覚める。
おばあちゃんの包丁は使ってみるとビックリするくらいよく切れて、トマトもストン。大根もストン。魚の頭もストン。カチンコチンに凍ったブロック肉もストン。下手に指なんか切ろうもんなら軽くエンコって感じになるだろうから包丁を持つときにはいつも気合が入るようになった。
お母さんが言うには、
「この包丁な。美波のひいおばあちゃんから昔聞いたんだけど、美波のおばあちゃんが小学校のときくらいに蔵から引っ張り出してきて、ずーっと使い続けているらしいでー。切って砥いで切って砥いでってずーっと料理できんくらいまで。大切にしいなー。」
という訳みたいで、私はお母さんから包丁の研ぎ方を教わる。
あとで、包丁の研ぎ方についてネットで調べてたら、ながーいこと使っている包丁は、研がれて研がれて、だんだんと細くなるそうだ。おばあちゃんはながーい年月をかけてこの文化包丁をドスに仕上げたんだろう。
モノには魂が宿るなんて言うけど、この文化包丁にもきっと魂が宿っているんだと思う。そんな妖怪みたいな包丁を私は捨てられないから、これからも切って砥いで切って砥いで切って砥いでを続けて、この包丁が細く細く、擦り切れて消えるまで大切に使うつもりだ。
ただ、枕元に立ったおばあちゃんの包丁を研いでいたときの、なにかに取りつかれたような、なにか憑き物を落とそうとしているようなあの顔を私は忘れられない。